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挿話13 ある朝の話

エルラフリート視点。

 

 夜明け前に目覚めるのはいつものことだ。闇の中でもベッド付近のカーテンを開ければ、多少の星明かりが入るので、それを頼りにランプに火を灯す。棚にしまってあった細長いボトルの中の水をコップに注いで、飲んでいれば部屋の隅の鏡が眼に映る。


 以前鏡を割って、しばらく鏡が住処に無かったが、つい最近デアーグが「また、割っちゃったみたいだからねぇ」と新しい鏡を持ってきてくれた。オリス様と喧嘩してボロボロになった後、ぼくに忠告しに来た時は平静じゃ無いように見えたのに、よくここに鏡がないと気づいて手配したものだ。


 寝間着を脱いで、体に巻かれてる包帯の具合を確認して解けそうな部分を巻き直す。肌寒いのも最近の気候じゃ仕方ない。特に胸部の包帯はなるべくキツくして万が一でも解けることの無いようにする。右の太ももの包帯が古くなってきたので棚の中から新しい包帯を取り出して、古い包帯は完全にとってしまう。


 いつ見ても酷い火傷跡だな。醜い。蝋燭の火が原因で出来たものだけれど、何年経っても残ってるなんて呪いみたいだ。まぁ、単純に火傷が割と重症で残ってしまっただけだなんてことは分かってはいるけれど。


 ベッドの上にどかりと座れば、柔らかい布団は衝撃を見事に吸収する。

 包帯を手の平でころりと転がしてから、端をもう片方の手で掴んで太ももに巻き始める。


 そういえば、あの時、水をぶっかけて火を消してくれたのはデアーグだっけか。そんで、その後フェンリールが冷やしたり、対処できそうな大人を呼んでくれたっけか。


 火傷するならいっそ、太股なんて隠せる場所じゃなくて、顔とか喉とかそういう場所の方が良かったのかもしれない。そうすればぼくの犠牲者が減るもの。


 全ての包帯の調整が終われば、黒のハイネックのロングTシャツと、運動に適したズボンを履く。

 黒の上着を羽織って、ランプと解いた古い包帯を引っ掴むと、空いている手で扉を手順通りに開けて一旦、外に出る。まだ日は出ていない。階段をちまちま降りるのも億劫で、手すりを飛び越えて音も立てず着地する。二階からなので、さして心配は無いが、誰かに見られたら、せめて屈伸かなんかをしてからとか、ランプ持ったままは駄目だとか言われそうだが、何も問題は起きていないから良いだろう。


 そのまま建物の反対側に行く。表の道から見えないそこには鉄の扉がある。冷たいその扉の鍵にも手順がある。ぼくはいつも通りの順番で文字盤を押してその扉を横にスライドさせて開ける。

 さっきまで居た上の階の床は木製だったが、ここの床は硬い石で出来ている。裸足の足にもろに冷たさが伝わる。


 後ろ手で扉を閉めながら、ランプを近くの椅子に置く。古い包帯は丸めて、部屋の奥の箱に投げ入れた。どうせまた返り血で汚れたものを処理する時が来るし、その時に一緒に焼けばいい。

 

 軽く準備体操と柔軟をする。床が冷たいので、この部屋にころがっている白い獣の毛皮を敷いた上でやる。軽い筋トレまで一通り行えば、大きな布で包まれた長刀を取り出して握る。


 柄には赤い飾り玉が三つついている。正直邪魔だが、三本揃った時に見分けがつきにくくなるし、デアーグに不機嫌になられるのが分かっているので外さない。


 ランプの炎に照らされ、長刀の刃は怪しく目に映る。刀身は全体的に黒色だが、刃文やその縁は赤色をしている。大抵の人は美しいと口にするだろうけれど、その役目はどこまでも残忍だ。重いけれど、今は汚れていないそれをしっかりと握って、ぼくは素振りを始めた。


 ***


 朝の運動を終えたぼくは、その後、上の階に戻って身支度を行う。国立軍学校の制服は茶色でそこまで派手じゃなくて良い。Sクラスの制服は真っ白で目立つけど、ぼくはAクラスだ。


 最後に丈夫なブーツの紐をしっかり結ぶと、革の鞄を持って外に出る。日はもう登っているが、カイが知ったらそんな早くから出てんのかよと突っ込まれそうだ。なるべく人気の少ない道を通って市場に向かう。


 市場となれば、朝早くでもかなり人はいる。むしろ朝早くだから品出しなどで人々はひっきりなしに働いている。カイが見たら喜びそうな光景だけれど、彼は寮生活で制限がある上、方向音痴なので、あまり朝早く町に出たりは出来ないし、一人だと迷子になってしまう。


 色々あって仲直り? した後、「オレがエルん家から飛び出した後、迷子になって道聞きながら帰ったら門限ギリギリになっちまって、マジヤバかった」と言ってた。ぼくがカイを怒らせたと思っている間に彼が迷子になってたのを想像すると笑いそうになった。

 割と真剣に飛び出して、ぼくも真剣にショックを受けてたのに、迷子になってたと知るとイマイチ決まらない。まあ、カイらしいって言えばらしいけど。


 目当ての出店を見つければ、店主のおじさんに声をかける。


「おはようございます。赤のいつもの地方の芋、ある?」

「あるよ、いつもの兄ちゃん。他には何かいるかい?」

「うーん、こんくらいの額に丁度おさまるくらいで、適当にお願い」

  手の平に乗せた貨幣達を見せれば、おじさんは思い切り頷く。


「そう来ると思った! それ、いつも言われるから準備してるよ!」


 カイが見たら「ちゃんと見て買えよ。ぼられたらどうすんだ」とか言われそうだけど知ったこっちゃない。

 でもここの店主は悪いようには見えないし、多少ぼられてもぼくにはそこまで痛手がないし、毎日世話になってるから。


「人参と、玉ねぎと、香り付けのハーブ。君、芋にだけ拘るよなぁ。芋好きなのかい? 顔はお人形さんみたいに派手で可愛らしいのに、好みは素朴だな、なはは」

「ありがとうおじさん。芋は結構好きだよ」


 可愛いは正直不名誉だが、向こうに悪気は無いし、いちいち突っかかったところで利益はないのでスルーする。


  右手には食材の入った紙袋を持って、左手はじゃがいもを投げて掴んでを繰り返す。


 芋は昔から好きだ。シンプルに蒸して、塩とかバターをつけて齧りつくのが一番美味しい。

 フェンリールがぼくと一緒に同じように芋を食べてくれたことがあるけれど、冷たく鋭い美貌と雰囲気を持つ彼と庶民じみた芋の食べ方は酷く不釣り合いだった。

 それでも「エルは俺の知らないことを教えてくれるな」と小さなぼくの頭を撫でてくれたっけ。本当にあの人は昔からぼくに甘い。


 まあ、それは彼のほんの一部に過ぎないけれど。


 人通りの少ない下り道を歩いて行き、最後にはある程度人通りのある道に出る。この時間帯にはまだあまりここらに住む住人は活動していない。


「あ、エル兄さんおはよう!」

 でも妹分は起きていたようだ。小さな家から出てくる。緑の瞳は今日も溌剌としていて羨ましい。


「おはよう、フェイス。ロキは?」

「ロキはさっき起きたばっか」

「そっか、野菜とか持ってきたけど、食べる?」

「ありがとう、エル兄さん。でも、毎回わざわざ持ってこなくていいのに……」


 申し訳なさそうに彼女はそう言うが、別にこのくらいなんてことない。赤の「仕事」でお金には全く困らないどころか、あまりにあまっている。

 カイに聞かれたら滅茶苦茶怒られそうだけどさ。


「いいんだよ、このくらいさせて」

  ただでさえ君たちには迷惑をかけっぱなしなんだから。出会った日からぼくは救われてばっかで、彼女達に何も返してないどころか、災厄をもたらしたのだから。このぐらいは、いやこの程度じゃぜんぜん足りない。


 だから全ての問題が解決したその時は――ぼくは全てを受け入れるつもりだ。


「このくらいって……そういやエル兄さんは朝ご飯食べた?」

「別に食べてないけど、無くてもよくない?」

「良くないです。まったくエル兄さんはすぐにそう言うところを疎かにするんだから。そうだ一緒に食べればいいんだ」


 そう言って彼女はぼくの腕を掴んで、家の中に連れて行く。ぼくの答えは聞く気が無いようだった。



 ***



 一緒に朝食を食べさせて貰った後、ぼくは裏道を一人で歩く。表通りは人が多いから、あまり通らない。通学するにはぜんぜん早いが、なんとなく今日は独りでどこかぶらついた方が良いと思ったのだ。


 狭くて、朝でも少し暗い道の地面には、溢れた酒が浸食していた。度数が相当強いのだろう、匂いだけで少しクラクラする。しっかり酒を飲んだことはないけれど、自分はおそらく酒に強いタイプではない。


 それと共に、少し前の仕事の現場を思い出す。

 度数のキツい安酒のにおいに、見窄らしい格好で一人で路地裏で熟睡する男。アルコール中毒で酒を買うお金欲しさで足掻いた結果、誑かされてきっとこの国のルールに知らずに罪を犯した男は、深い眠りの中にいる時、ぼくに首を跳ね飛ばされた。

 元締めの方はデアーグの方が出向いたとは聞いていたが、やりきれない気分になって、しばらくぼーっとその場で突っ立っていたのを覚えている。お陰でその日は帰る途中で朝日が見え始めていた。


 その時、完全に日がさすまで現場にいたら、今みたいに溢れた酒の中に混じる、赤色が見えたのだろうか。


 そう考え、ハッとする。


 なんで、今、そんなものが見えているんだ?


 溢れた酒の先を追えば、割れた酒瓶の破片と、物陰で倒れる薄着の女の姿が目に入った。女の顔には頭から流れたであろう血液が流れた痕があった。


 おおよそ、娼婦が客引きをしている最中に、運悪く酷い酔っ払いに絡まれたのだろう。酒瓶で頭を殴られて死んで、そのまま放置されている。


 このまま死体を放っておくのは、一般人としておかしいので、役場に報告しに行こうと元来た道を戻ろうとしたところ――。


「カラビトさ……ま?」

 小さな声がした。ぼくでもギリギリ聞き取れるくらいのか細い声。


 まだ、生きている。


「カラビト……さま。わたしを……むかえに来たんじゃないの?」

「違うよ」


 薄目を開けてそうぼくに問う女に、ぼくは否定した後、前にしゃがみ込む。


「わたし、天にかえるの……?」


 意識が混濁しているのか女はぼくをカラビトだと勘違いしたようだった。よりにもよってそんなものに本気で勘違いされるとはと自嘲するが、もたもたもしてられない。生きているのなら対処しなければ。


 頭から出ていると思った血は、ガラスの破片で切った額からの血だったようだ。早計に色々決めつけて死んでいると判断した自分が馬鹿じゃないかと思う。

 ハンカチで額の傷口を押さえた際に、一瞬触れた女の肌が、冷え性のぼくなんかよりよっぽど冷たいのに気づく。


 もしかして、意識が混濁しているのは殴られたことじゃなくて、体温が下がったことが原因か? いや、でもぼくは医者じゃないから安易に判断するべきじゃないだろう。やっぱり殴られたのが原因で、下手に動かすのが得策ではない可能性だってある。


「カラビト様、お母さんにあえる? わたしよりさきにいる筈なの」

「ううん、会えないかな……」

「なんで?」


 母親に会えないと言ったぼくに、女が泣きそうな声を出す。その姿は幼い。きっと普段なら妖艶な娼婦なのだろうが、死を近く感じている影響か子供がえりしているか、それか本来の人格を隠せなくなっているのだろう。

 そんな間にも自分の来ていた上着を脱いで、女の体にかける。


「まだ死ぬには早いってさ」

「はやいの? 死なないの?」

「適切な処置を受けさせるつもりだから死なないと思うよ」


 そう口にしてから、ふと思う。死を望んでないとは限らないじゃないか。だっておかーさんが先にいるって言っていた。おまけに娼婦でこんな目に遭っている。


 薄い服や、黒くてうねりのある長い髪の下から除く、青白い肌にはところどころに傷やあざがある。


 現状はいいどころかむしろ悪い。職種的にこれからの未来が明るい可能性は低い方だろう。まあ運と実力があればある程度いい買い手に貰われる可能性もあるが、そんな可能性だけを信じて生きていくのは辛いだろう。


 生かすことが幸せとは限らない。死という断絶こそが救いと認識している者もいる。疲れ切って、擦り切れ切って、もう何も望めないしって死を望んでいる可能性だってある。


「……それとも死にたかったりする?」


 ぼくはそう彼女に問いかけた。


 死にかけてたりする姿や、死にたがったり姿を見ると、助けたり止めたりするのが普通なのかもしれない。

 だけど、それが当人の幸せに繋がるとは限らない。むしろ不幸に突き落とすことだってある。それをぼくは痛いほど知っている。

 周りがその人の生を望んでいても、本人に生きる意志が無かったら、周りもその人も生き地獄になるだけってこともあるから。体だけ生きて精神だけ死んで、ただ呼吸するだけになり果てることもあるから。


「ううん。生きられるだけ生きるの。私を売った奴や私に酷いことした奴より長生きしてやるの」


 しかし、それは杞憂のようだったよう、意外にも生きる意志のある返事にぼくは安堵する。それと共に同じような髪をしていたあの人もこうであればよかったのにと一瞬頭によぎってしまい、もう過ぎたことを考えるなと自分に言い聞かせる。


「そっか、君は強いね」

「……はい、カラビトさま」


 彼女の返事を聞いてから、ぼくは安心させるように優しく微笑みかける。


「申し訳ないけど、ぼくはカラビト様じゃないんだ。でもお医者さんのこと呼んでくるから」


 おそらくこんな朝っぱらだと、普通の町医者はやっていない。だから、娼婦向けにやっている町医者の方が良いだろう。


「お金払えない……」

「いいよ、これも何かの縁だ。ぼくが払っとくよ」


 そう儚い声でいう彼女にそう返答すれば「優しい人なのね……」と呟いて彼女は意識を落とした。


 優しい人か……ぼくは優しくないのにね。

 今日は珍しく人を助けたかも知れないけれど、いつもはぼくはこの子を殴った奴と変わらない、いやそれ以上の人でなしだ。人殺しだ。

 自分の気分が悪くならないように、偶然お金に困ってなかったから、今回のようなことをしたんだ。良い人でもなんでもない。むしろ侮蔑されるべき醜い奴だ。

 目の前で死なれたら気分が悪いってだけ、使っていない金を大量に持っているのに治療費に苦しむのを知っていて何もしないのも気分が悪いだけだ。


 見つけた時、既に死んでいたらただ義務的に報告して終わらせて、すぐ忘れてたよ。ぼくは人でなしだから。


 それで、この子がもしこの国のルールに違反すれば、ぼくは殺してしまえるのだろう。仕事となれば容赦なく胴体と首を切り離してしまえるのだろう。


 その様子が簡単に想像できるほど、ぼくは最低だ。


 冷たい風がぼくを責めるように刺してくる。悪人の癖して善人面しようってのはどうかって。


 それでも――、


 『ううん、生きられるだけ生きるの』


 ぼくは地面を蹴って、町医者のところまで走り始めた。

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