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挿話10 レトガー家双子の少休暇

 緑豊かな平野にその都はある。とはいえ現在は寒期の為、緑の量は減っている。穏やかな田園風景の中、突如と現れるその都は、朝は市で賑わい、昼は子供達が駆け回り、夕方は闘技場で若者が騒ぎ、夜になると大人達が酒を嗜む。


 闘技場が数多くある上、酒の名産地が近くにある為、この都には血気盛んな酒好きが多い。しかし治安は良く、王都に次ぐ都とも呼ばれていた。


 都の名前はレベンディヒ、緑系統の公爵家直轄領地の都である。つまり、緑系統の貴族や領民の中心地だ。


 さて、今日のレベンディヒでは闘技場からではなく通り道という通り道から歓声が上がっていた。


 タンタンと屋根の瓦を踏む軽い音は断続的に響き、まるでリズムを取っているかのようだった。着ている人物にとって大きめなコートの裾がはためく姿はまるで鳥のようだった。


 現在の晴れている空と同じ色の瞳は亜麻色の前髪で隠れていたが、きっと輝いているのだろうと彼を見上げている都の人々は思っていた。


 この都の住民は緑系統の貴族についてはよく知っている、故に彼らが敵、いや獲物と出くわし時間が経つに連れ興奮が抑えられないのは知っていた。


「待ってよー!」


 言葉選びの柔らかさに対し、吠えるような声の出し方に住民は追われてる人物の末路を想像し、憐れむ。しかし、緑系統の貴族の中でもまだ彼は興奮を抑えられるたちなので、まだマシかとも思う。それにどうせ情けをかける程の相手でも無いだろうから、すぐに吠えている方を応援する。


 一方、追われている方はその声に舌打ちをするものの、体が震えそうになるのを必死に抑えて、裏世界で生きた中培った術で逃げ回る。


 待てと言われて待つ逃亡者がいる筈もないのだ。


 逃亡者は屋根という足場を利用されることで、これ以上差を詰められることのないように都の中心の広場に出た。人がたくさんいる上、足場が無ければ動きづらいだろうと思った。最悪、そこらへんの子供を捕まえて人質にしてしまおうと考えた。


 だが、広場には誰もいなかった。


 普段は噴水の側で親子がいたり、恋人達が手を繋いでいたり、集団で集まって歌っていたりするのに、人っこ一人いない。


 何故なら彼らはみんな慣れていたから。緑の上級貴族が狩りをしている時、行き先にいるのは愚行と知っていたから。下手すると巻き込まれて大怪我する可能性があると分かっているのに、何もしない程愚かではなかった。

 だから、追補者の声で広場にいた人々は皆、先に退避していた。


 そんな事実を知らなかった逃亡者はがらんどうの広場の真ん中で後ろを確認する。


「待ってって言ったのに」


 そんな声が逃亡者に届いた途端、逃亡者の右肩に衝撃がはしる。


 追補者の蹴りだ。高めの建物の壁から一直線の矢のように、広場の逃亡者に蹴りが入る。一瞬骨の折れる音がする。建物の壁には壁を蹴った跡がこびりついていた。


 それでも長年裏の道で生きてきた逃亡者は、左手に持ったナイフで追補者の首を掻き切ろうとするが、人の肌を裂くような大人しい音ではなく、ガキンと硬い音が響く。


 ナイフは何も傷つけることは出来なかった。むしろ追補者の顎の力によって噛み砕かれた。


 ナイフの破片が落ちて持ち主の眼球に入るすんでのところで、追補者の指によって弾かれて明後日の方向に飛んでいく、


 両手が空いているのに、わざわざ噛み砕いたのはおそらく戦意喪失させる為だろう。


 逃亡者は信じられない光景に、目を見開いたまま尻餅をつく。


「だから待ってって言ったんだよー、痛いの嫌でしょ」


 優しく言い聞かせるように追補者、オリス・ドロッセル・レトガーは微笑む。


 それに対し逃亡者は顔を真っ青にして叫んだ。


「ば、化け物っ‼︎」


 人間離れした動きと体の丈夫さを目の当たりにして動揺したのだろう。


 それだけなのにオリスは硬直した。まるで時間が停止したように指一本動かさなくなる。


 それを見て隙だと思ったのか、逃亡者は怪我した右腕を庇いながら走り出す。逃げる気だろう。立ち向かわないのは勝てる気がしなかったからだ。


 逃亡者が広場から出ようと、細い道に行こうとした時だった。


 大きな影が落ちた。それに合わせて逃亡者の速度も下がり、逃亡者も上空を見上げる。


 上空に留まる熊より大きなその巨体の表面は鱗に覆われており、蝙蝠のような翼もその巨体に合わせて大きかった。


 爬虫類のトカゲやワニに鳥や蝙蝠の要素をかけたしたような特徴を持つその生き物は平民にとってはあまり身近なものでは無い。だがある程度の上級貴族や、軍の一部、平民でも情報伝達系なら馴染みのある存在だった。


「寝るなよ寝るんじゃないぞ。確かに寒いからお前は眠たくなるのは分かるが、終わったらでかい肉やるから頑張ってくれ」


 その生き物と馴染みのある人物は現に、生き物の背に乗り語り掛けていた。ゴーグルをかけている所為で瞳の色は周りからは見えない。


「まったく兄上は都が見えた途端先に行ってしまうし……お前も高速空中移動手段だと名高い生物ディファルシュなのに人間の兄上に置いてかれて驚いたな。やっと追いつきそうだと思ったら屋根の上で派手に追走劇を繰り広げているし……」


 そう愚痴を零しながらも声の主は逃亡者の行方を阻むように、ディファルシュという空飛ぶ爬虫類もどきに積んでいた大きな荷物を細い道に投げ捨て塞ぐ。


 そして最後にゴーグルを少しずらして、その空色の瞳があらわになってからその生き物から飛び降り綺麗に着地する。


「……お前、そこで止まれ。こいつが落ちて圧死したくないのならな」


 追補者と同じ亜麻色の髪に同じ深緑のコート、加えてチェーン付きの不思議な形をした黄緑のピアスをした少年だ。


 けれど、先程自身を攻撃してきた奴よりは力量が劣ると今までの経験から察した逃亡者は一瞬口角を上げてから、「分かった大人しく捕まるよ、このザマだしな」と負傷した右腕を抑えながら言う。

 たとえ凶暴そうな生き物を従えていたとしても、鉄製のものを噛み砕くような相手よりはマシだと思ったのだろう。


 その様子をキリッとした空色の瞳は冷たく写している。


「本当だって、信じてくれっ」


 そう心外とばかりに言ってのけながら、逃亡者の男の行動は全く別だった。


 まず腕をおさえてい押さえていた左手から小石を放った後、目を瞑って、そのままブーツに隠していた短剣を左手で取り出す。


 そしてそのまま目を開いて、閃光石という放り投げると眩い光を放つ石によって視界が潰れ碌に動けずにいるだろう相手に剣を向けようとした。


 したのだが、目の前にきっちりと亜麻色の髪を整えた、キリッとした空色の瞳の少年はいない。


 しまった、そう逃亡者が思った瞬間にはもう遅く、頭部の衝撃と共に意識を失った。


 石が投げられた瞬間コートを投げ捨て乗ってきた動物の目を、ゴーグルをつけなおすことで自分の目を閃光から遮った少年は、ゴーグルを再びずらして倒れた逃亡者を見下ろす。


「こいつ馬鹿か……?」


 ディファルシュという大型の動物が空中に居るにも関わらず閃光石なんて使うのは危険行為だ。

 体の構造がトカゲに似ていて寒い時は動きが鈍めとはいえど混乱を起こせばどう暴れるか分からない。運が良ければ追手であるテレルが追うのが難しくなるが、運が悪ければその巨体に押しつぶされ逃亡者が圧死する可能性も十分にある。


「いやなんだかんだ破れかぶれだったのかもな……」


 倒れた逃亡者の右肩の怪我の具合を見てから、そう先ほど投げ捨てた荷物の方へ向かう。


 「なんにせよボクと兄上への対応は逆にすればまだ通じたかもしれないのに……」と言葉を溢しながら、淡々と捕縛する為の縄と猿轡を荷物の中から見つけ、てきぱきと逃亡者を縛っていく。


 その背後で大型動物がその巨体に見合わないキューというような可愛らしい鳴き声を出す。


「もう少し待ってくれないか。暇ならそこで呆けている兄上を玩具にしてていい。……兄上もそれが嫌ならぼーっとしていないで働いて下さい」



 ***



 大きな天窓から差し込む光が六角形の室内を照らしていた。床に描かれた青い花と壁に描かれた竹の絵の組み合わせは本来なら不自然だろうが、何故か調和していてその線の細さや細かさから繊細さも感じさせた。


 真ん中には丸いテーブルがある。そのテーブルの上に一枚の紙が白い指先で差し出される。


『お片付けお疲れ様。面倒を押し付けて申し訳ないわ』


 白紙の上に、緑色のインクで書かれた流暢な文字が書かれている。


 文字の持ち主の亜麻色の長い真っ直ぐな髪と、緑がかった灰色の吊り目が、今日も彼女の芯のある人柄を表していた。流行りの愛らしさや清楚さを押し出すようなドレスでは無く、軍服に似た形のかっちりとしたワンピースも軍を管轄する緑系統の家の彼女には似合っていた。


 シグリ・レトガー・シュトックハウゼン、緑系統の公爵令嬢だ。貴族界では『沈黙の姫』『緑の女王』と今では呼ばれている。


「あのくらいならすぐ片付けますから、次もぜひおれに頼んで下さいー」

「いえ、お迎えにあがるついででしたので。それより急に大会を観戦したいとの申し出の方に驚きました」


 レトガー家の双子兄弟は、兄の方は溌剌とした態度、弟の方は落ち着いた礼儀正しい態度と、正反対な様子で返事をする。


 その様子を緑の公爵令嬢は微笑んでから、ガラスペンでまた文字をサラサラと書く。各スピードは早いのに、女性にありがちな丸文字にも、ガサツな人にありがちな荒っぽい文字にもならず、お手本のように綺麗な文字になる。


『大会についてはみんなの様子が見たくなってね。長期休み中に言えば良かったのにぎりぎりの時に言って申し訳ないわ。都に潜む輩は貴方達二人なら安全に対処できる上、相手にやりすぎないと思って頼んだのだけれど助かったわ。きっとアルがやったら都のどこか確実に壊れてしまうわ。ありがとう』


 令嬢にとっては実の弟、自分達にとっては従兄弟兼未来の主の名を出され、テレルは気難しい顔になる。


「……兄上も外したら損壊被害出してましたし、何故か途中で止まって捕まえるまでしませんでしたけどね」

「テレルが居たから大丈夫だと思ったんだよ」

「思ってもないことを口にしないで下さいよ。どうせ怯えて可哀想だと躊躇したんでしょう。兄上は色々と甘すぎます」


 兄がヘラッと笑って見せるのに対し、弟は苦言を呈する。


 二人のそんな様子を見てから、一つ上の公爵令嬢は手招きをする。


「なんでしょうか?」


 テレルはそう言って彼女に近づくだけだったが、オリスは迷いなく彼女の前に跪いた。


「兄上?」


 兄の不可解な行動にテレルは首を傾げるが、すぐにその行動の意味を理解することになる。


「……なっ」


 一つ上の少女に大型犬を撫でるように、自身と兄の頭を撫でられて、テレルは羞恥にかられる。


 オリスはまったく気にしていないどころか、むしろ嬉しそうにニコニコ笑顔を向けている。幼い頃から世話になり慕ってきた相手が願うなら、従順な犬にでも、治安を守る番犬にでも、敵を咬み殺す獣にでも、何にでもなるのだろう。


 そんな兄にテレルは辟易した顔を隠しもしない。14とまだ子供とはいえ、頭を一つ上の少女に撫でられるというのは流石に良くないだろう。


 テレルは緑の公爵令嬢にも同じ顔を向けるところだったが、彼女の首のチョーカーを見て、その下の傷を思い出し思いとどまる。


 声を出せない彼女なりの精一杯の感情表現だと分かったからだ。


「人前では絶対にやめて下さいね」


 そう言えば、緑の令嬢は不思議そうに首を傾げる。何故、テレルがそう言ったのかあまりよく分かっていないようだった。


 その様子を見て、テレルは自分の兄を一瞥する。


 緑の上級貴族の子息はその人間離れした身体能力が理由で、通常の貴族にとっての生活に馴染みにくい。故に幼少期はトップであるシュトックハウゼン家の管理下に集められることが多い。

 力が強い者が多いそのコミュニティはさながら獣のように無意識に上下関係を作っていく。公爵家の人間は彼らにとって群れのリーダーのようなものなのだ。緑の公爵子息アルフレッドが獣の中のリーダーなら、公爵令嬢シグリは獣を従える猛獣使いのような存在だ。だから『緑の女王』と呼ばれる。


「大抵は大人になるにつれ、頭を撫でられる行為は恥ずかしいと思うので、一部を除いて」


 シグリ・レトガー・シュトックハウゼン嬢の行動に悪意は無い。むしろ彼女の行動はその善性から行われるものである。故に、今の行動もシグリ嬢は二人が喜ぶだろうからとやったものだった。けれど、その行為に何も口出さずにいればいずれ問題が出る可能性があるから、そう一言だけテレルは口にする。


 テレルがらしくもなく柔らかい表情でそう諭すものだから、令嬢は今の行為をあまり喜んでいないと気づいたのか慌てて撫でるのを止める。


「とはいえそのお気持ちは嬉しいですし、今は人がいなかったので大丈夫です」


 手をあわあわと声の発されない口をぱくぱくとしている令嬢を見て、そうテレルが付けたす。


 どうしようと眉を下げていた令嬢もそれに一気に顔が輝く。


 オリスはそんな弟と令嬢のやり取りを見て、膝をついたまま俯いて口をキュッと引き結んでから「やっぱテレルの方がいいよ……」と誰にも聞こえないような小さな声で発する。


「ですが、甘やかし過ぎだけは気をつけて下さいね。シグリ様も兄上も人に甘すぎますから。今回の件も、ボクは最後にふん縛っただけなので大したことしておりません。ほとんど兄上の実績です。なので最初のお礼だけで充分です」


 が、テレルがお礼を享受するだけで終わる筈も無く、そう背筋を伸ばす。


 そんな弟の言葉を聞いて、オリスはため息をついてから立ち上がる。


「だけっていう話じゃないと思うけどねー。おれだけだったら逃げられてたかもしれないよ」

「あの負傷でレベンディヒを出られるとは思いませんね。ボクがいなくとも、都の人々の誰かしらが捕まえるでしょう。闘技場があるだけあって腕が立つものもゴロゴロといる都ですから」


 自身の兄の言葉にテレルはどこまでも冷静に返す。それにオリスは不満気な顔をする。


「でも実際今回、最終的に捕まえたのはテレルっては変わらないよー」

「あそこに居て何もしない方がおかしいじゃないですか。当たり前のことしただけです」

「テレルはいつもそうだよねー……賞賛されてもそれを嬉しそうにしない」

「勿論、嬉しいですよ。ですが、賞賛や甘さに溺れて目が曇るのもいけませんから」


 テレルは兄の方を空色の目でしっかり捉えながら答える。けれど、兄弟の目がお互いの目を写すことはない。テレルから見る兄はいつもその前髪で目を開いているのか、閉じているのかさえも分からない。


『テレルはいつも向上心を持っていて偉いわね』

「ボクは未熟者ですから、未熟者に精進が必要なのは当然なことです。軍学校でもそれを思い知りますから」


 そんな文字列にでさえ、ハキハキとそう口にするテレルに、公爵令嬢は困ったような笑みを浮かべてから、少し考え込んでから小さな鈴を鳴らしてから、またペンを取る。


『ずっと席も勧め忘れていて、ごめんなさい。どうぞそちらにおかけになって。あと、折角だからさっきのことも含めて二人の軍学校のこと話してくれないかしら?』


 ***


「――という訳で平民、貴族混ざっているというのに最初はどうかと思っていましたが、彼らから学ぶこともあると最近は思うので、良さと意義を理解出来てきました」


 話にひと段落ついて、テレルは紅茶の入った白い陶磁器のカップを手に取る。その横でオリスは頬杖をついてふにゃふにゃと笑う。たまに皿に乗っているクッキーを摘む姿は寛いでいるほかに無いだろう。完全に気が緩んでいる。


「テレルってば、そんなこと思ってたんだねー。口にそういうの出してあげれば平民の子達も怖がらないと思うよー」

「わざわざそんなこと口を出す必要はないですから……」

「もっと愛想良くしたらいいのにー、そんなんじゃ誤解されちゃうよー」

「誤解も何もないでしょう。怖がられたところでそこまで困りません。愛想振り撒くのは兄上の担当ってことでいいです」


 ティーカップを静かに置いてから、そうテレルは眉間に皺を寄せて兄と、微笑ましそうにこちらを見るシグリの方から顔をそらす。


「テレルはそれで良いかも知れないけれど、カイくんとか毎回ビビってて可哀想だよー」

「キルマーのあれは元の性分だとボクは思いますけどね」


 揶揄うようにほっぺたを突いてくる兄の手をテレルは容赦なくはたく。


 オリスははたかれた手とクッキーを摘んでいた手をハンカチで拭くと急に真剣な顔つきになる。


「うーん、確かに元からビビリっていうのもあるだろうけど。彼、貴族に結構酷い目に遭わされたみたいだから」

「酷い目?」


 兄のしんみりした声にテレルは反応して、詳細を教えてくれと言うように視線を向ける。


「うん、おれらには情報が遮断されてて、平民の子達の会話を盗み聞きしてて最近知ったけどね。黄の連中に一時期目をつけられてたらしいね。黄の令嬢が最終的には対処したらしいけど」


 そんなオリスの説明に今まで話を聞いていただけの令嬢が、急いでペンを取る。その様子を見てオリスはしまったと言うような顔をする。


『黄の公爵令嬢が対処する程のことがあったの?』


 書き終わった令嬢が席を立って、文字の書かれた紙をオリスの前に突き出す。ガチャンと二つの白い陶器のティーカップと、銀のティーカップが音を立てて揺れる。

 緑がかった灰色の瞳と亜麻色の髪の下の空色の瞳も動揺で揺れる。


「っすみません……気付けずにいて」


 オリスが俯いたのを見て、令嬢はハッとして席に座る。そして深呼吸をした後、またペンを取る。


『いえ、オリスを責める気は無いわ。知らないんだったらどうしようもないもの。少し驚いてしまって、ごめんなさいね。対処された後、そのカイって子は元気にしてるの?』


 オリスを安心させる為に笑いを作った令嬢に気づきながら、オリスも作り笑いをすぐに浮かべる。


「げ、元気ですよー。エルくんととっても仲良しでこの前、Aクラスでテストの点数上がったってエルくんに報告しに来てたって! ね、テレル!」


 エルと言う名前にシグリは獣のような吊り目を見張る。


 それら一連の流れを見ていたテレルは眉をピクリとも動かさず茶を一口飲んで、カップを置いてから口を開く。


「まあ確かにジングフォーゲルと仲が良いですね。それに能天気な奴ではありますね……ん、あれ?」


 そう言ってからテレルは、休み前の倉庫のことを思い出し黙り込む。


「っち、なるほどそういうことか」


 何かを察したテレルが舌打ちをするので、公爵令嬢はどうしたのと言えない代わりに、首を大袈裟に傾げて見せる。


「いえ、特に大したことでは……ただ、自分は人の心を察するのが下手だなと思っただけです」


 目の前の令嬢にそうテレルは真顔で言う。


 シグリは人の心を察するのが下手だと言うテレルに「そんなことないわ」と言うようにゆっくりと首を横に振るが、オリスは珍しく何も言わずに大切な弟と恩人を長い前髪の下から見ていた。


 オリスはそれからシグリの席の前に置かれた銀のティーカップに視線を向けた。


 オリス達の目の前にあるティーカップは定期的に買い替えられているせいか新品なのに対し、緑の令嬢の前にある物は丁寧に磨かれているとは言え使い込まれていた。上下に細かい蔦と花の模様があり洒落てはいるものの、今、貴族の令嬢の間で流行っているようなデザインでは無かった。その上、銀製のティーカップとは珍しい。


 そしてまた弟の無愛想な顔と、それを見つめる令嬢の顔を見てから「まー、確かにテレルは少し鈍いところはあるかもねー」とだけ言った。


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