挿話9‐2 元同室者ゼーグから見た人々
「獣どころか、むしろ温室育ちっぽいだろ」
ジングフォーゲルは容姿も綺麗だし、物腰も柔らかいし、勉強出来るし、金持ちの子なんなら貴族の隠し子かなんかもあり得ると思っている。あ、あと聖職者関係とかもありそうだ。少なくとも農民とか、漁師ではない。
「まあ確かにそう思うことはあるけどな。あの子、すごく気配や音に敏感なんだ。遠くから観察しようと思ったら獣並みの速さで絶対察知されるよ。他にも――」
「ダックス、お前やっていることアウトだ」
よく知らない相手を遠くから観察するのは猟師の息子であるダックスの習性と言っても過言ではないが、これを機に人間相手にはやめれば良いと思う。今まで相手に気づかれずにやっていたからボクは放置していたが、観察相手に気づかれたと聞いたら流石に口を出さずにいられない。
「だろうな。他の方に殺気向けられた」
「自業自得だ、アホ」
ジングフォーゲルはあの顔だから、ファンも多い。中には過激派もいるだろう。そんな中、こんなよく分からない奴がじろじろと観察していたら物騒にもな……いや殺気とまでは普通いかないだろう。
言葉選びの過激さに気づき「今、殺気って言ったか?」と聞けば、「そんな深刻にとらなくて大丈夫、誇張表現だよ。まったくゼーグは心配性だな」と笑われる。腹立つ。
あと観察した後、そのままなんもせず放置しているから、ジングフォーゲルにダックスはすすんで関わる気が無いのには他にも何かあるのだろう。自分に都合が悪いことはこいつは口で言わないから、今言った二つの理由も結局、嘘でもないが一番の理由ではないのだろう。ダックスという奴はそういう奴だ。
カイとかブープはダックスのことを優しいや面倒見が良いとか言うが、それも嘘ではないかもしれないが、ダックスという人間は食えない奴だ。
ブープが赤点多すぎてヤバイと言った時、「じゃあ、カイに一緒に教えて貰おうか」と提案し親切にしているように見せて、実際にはカイに労力がかかっているうえ、ブープのついでに、いやなんならブープよりも教えて貰って得をしていた。
その上、自分と同じ計算高い奴は嫌いだし、出会ったら醜い部分は容赦なく引き出そうとしたりするから、良い性格していると思う。もしかして観察癖があるのもその所為か?
「よし! 深呼吸終わったー!」
「長っ」
今までずっと深呼吸し続けてたのかこいつと、明るい茶髪の同室者を二度見する。
「たくさんやっとけば、その分落ち着けるだろ!」
ボクの呆れた様子に気づかず、そうブープが呑気に宣うものだから深呼吸を吐く。
「……そんな制度は深呼吸にない」
「ともかくっ、ゼーグもダックスもついて来いよなー!」
「……うん、分かったよ」
畜生、ブープの中ではボクらが付いて来るのはもう決定事項になっていたらしい。突っ込む暇も与えずに、ずんずんと食堂の席と席の間を進んでいく。
ついて来いと言いつつ、ボクのことはガッチリと腕掴んでついて行く以外の選択肢無くしている。しかもダックスには何もやってない。おそらく無意識でやっているのだろうけれど、この差はなんなんだ。なんなら現状で逃げる確率が高いのはダックスの方だと言うのに。返事に間が空いてる。
そう不満に思い、掴まれた腕と先を行くブープの後ろ姿を見比べていると、ダックスに肩を叩かれる。
「大丈夫だよ」
「は?」
何が大丈夫なんだ?
ジングフォーゲルと初めて話すことだったとしたら、お前はなんだかんだコミュニケーション能力あるから大丈夫だろうが、ボクはお前とは違って一部の奴らとしか碌に話せないクソ雑魚で――。
「ストップ! 俺やっぱ行けねー!」
言う前に止まるな、ぶつかりそうになる。そう文句を言おうとしたが、さっきボクの肩を叩いたダックスが指差しをしているのが目に入って、その先に目を向ける。
……止まる理由は分からなくも無いから今回は許してやる。
「ムリムリ、いっきに三人の美形はムリ!」
だがやっぱブープはあの二人に加わった方々が貴族であるということではなく、顔が良いってことで尻込むみたいだが。
一人は亜麻色の髪に低身長、一人はきちんと身なりを整え、もう一人は着崩している、そしてカイにジングフォーゲルと一緒にいる時でも話しかけてくる人物となると、もうあの二人しかいない。
「テレル様出てきてから、オリス様か……」
「俺、超強い方のレトガー様だけだったら前髪長くて顔隠れがちだから平気だけど、もう一人のレトガー様は顔見えてるし怖いし、それで双子だから顔似ているから二人とも顔良いやつだーってなってムリ」
レトガー侯爵家の二人はカイとそれなりに絡むので、最近流石に覚えた。とはいえオリス様の方は元から平民の中でも有名人だ。現時点で国立軍学校にいる奴でオリス様のことを知らない奴はいないだろう。
オリス・ドロッセル・レトガー。貴族なのに服は着崩して、前髪は目が隠れるまで長い。飴玉を舐めていることが多く、いつものんびりした口調で話す。平民にもとても優しく、そしてあの緑系統で二番目に強いと言われる存在。
最初カイがオリス様と最近たまに一緒にいることがあるって聞いて、オリス様は平民でも親切に助けてくれるらしいから、またカイのやつが何か巻き込まれたのかと思った。実際はジングフォーゲルがテレル様と同じクラスなのがきっかけだと思ってカイは言っていたが。
「まあボクもオリス様の方が怖くない」
貴族だから関わらない方が心臓に良いのは確かだが、オリス様はよく平民のいるところに出没するし、態度や行動もガチガチの貴族では無いから怖くない。反対にテレル様の方はいかにも貴族という感じで関わらずに済むなら関わりたくないし、向こうもそれでいいだろう。話す機会があっても双方無言になる未来しか見えない。
「ふーん、俺は弟の方のレトガー様の方が法則性があるからマシかな。どちらにしても貴族と平民は絡まずにいるのが楽だよ」
ダックスの弟の方のレトガー様、つまりテレル様の方がマシという意見はあんまよくわからないが、それ以外の意見は頷ける。
結局は、今同じ軍学校に通っていようが貴族と平民ではいる世界が違う。向こうが線を越えるのは自由だが、こちら側は線の内側に留まっているのがいい。
貴族と平民なんて本来は一生混ざらないんだ。
この学校にいる間だけが特殊なだけ、軍に入ったら貴族の上層部の命令を平民の連中が聞くだけの一方通行の関係だ。軍に入らなくても、貴族の統治下で平民は生きるだけだ。
混ざらないように、線を引いて、別の世界で生きて、たまに上からするべきことが降ってくる、それだけの関係だ。
だからこの学校にいる間に変な感覚を持ちたくないという奴はボクやダックスを含めて多数いる。
クラス分けは学力で決まってはいるものの、なんとなく平民と貴族の学力差である程度別れるから良い。とはいえカイは自分の他は貴族というCクラスだし、DクラスやEクラスは下級貴族と平民が入り乱れている。人数も上のクラスの方が少なくてより一人一人の存在が目立つ。
だからダックスは学力が上がってDクラス相当の実力は持っているけれど、クラス上がって混ざるのが嫌だからと今度の学年末のテストで適度に力を抜いて現状のFクラスに留まるつもりらしい。他にもそういう奴は何人かいると話に聞く。
相応な場所にいないで浮けば、苦労するのは目に見えているから。それさえも超えていく奴は、相当な覚悟をした奴か、カイみたいな鈍感な奴だ。そしてジングフォーゲルは多分、前者でも後者でも無い。
ボク達の視線の先でカイはテレル様に何か言われたのかたじたじになって、オリス様がテレル様に何か言っている。
その後ろでジングフォーゲルはニコニコと笑っているが、その仕草に平民らしさは無い。平民の連中であんな丁寧な笑い方する奴は少ないし、ダックスみたいな少数派が大口開けたりせず胡散臭い笑いをするけれど、あの気品は出ない。なんというか綺麗すぎる。なんなら緑の貴族連中の方が所作はジングフォーゲルより荒い。
だからだろう、カイがCクラスにいるのを見ると庶民臭さが出るのに対し、逆にジングフォーゲルはあのAクラスの中でも一番気品があるとまで言える。
カイがCクラスに空気感的な意味では相応しく無いのに対し、ジングフォーゲルにAクラスは少し心許ない。学力がSクラス相当だと聞いて、編入生でなければ相応のところにいたのかと思ってしまう。
ジングフォーゲルは平民な筈なのに、何か違うと思ってしまうのだ。
……そう言うところもボクがジングフォーゲルを遠目で見るのが丁度良いと思う理由なのかもしれない。
「……やっぱり、ジングフォーゲルは違うよな」
思考を読まれたかと思ったけれど、ダックスの紫の瞳はカイ達に向けられているし、言葉の発し方が独り言に近い。多分、ダックスも同じようなことを思ったのだろう。
だから、そうだなって答えようとした。
「だよなー、おれら、カイやジングフォーゲルみたいに勉強得意じゃねーもん。きっと頭の作りが違うんだ」
「お前、ボクとダックスと同じ頭の作りしてるつもりか?」
けれどダックスの言葉に振り向いたブープがまっさらな琥珀色の瞳で能天気な言葉を吐くものだから、一瞬でそんな答えは引っ込む。代わりにほぼ反射で馬鹿にする言葉が出る。
「ダックスー!」
「安心しなよブープ、喧嘩は同レベルだから起こるものだから」
「だってよ!」
ダックスの言葉に得意気にブープは胸を張っているブープに腹が立たなくもないが、それ以上にダックスだ。この野郎ブープのことフォローしているように見えるけれど、実際には自分一人だけ安全圏に入っただけだ。
「ちょっと待てよ……そうなるとカイと喧嘩したことあるおれはカイと同レベルだし、カイはジングフォーゲルとちょっと前に喧嘩みたいなのしてたから……おれとジングフォーゲルも同レベルってことか!」
そんなことあってたまるか馬鹿。おめでたい思考回路過ぎて、面食らうしか出来ない。
オレの混乱をよそにブープは琥珀色の目をキラキラと輝かせている。
……この目の前の馬鹿にとってはジングフォーゲルという存在は顔が良い以外には他と変わらないのだろう。こいつみたいな馬鹿は、カイみたいな鈍感は、ある意味まっさらな目をしている。
ボクやダックスは色々考えてしまってそういう風に人を見られない。色々精査してしまう。まっさらに人を見る方法なんてとうの昔に忘れた。
とはいえジングフォーゲルとブープは、今の流れだと頭の良さの話になるから同レベルでは無いがな。
「かもね」
そして投げやりになるな元凶。微塵もそんななこと思っていないのに面倒だからといって肯定するものではない。馬鹿だからそのまんまに受け取るって分かっている筈だろう。
非難の意味を込めてダックスを睨みつけるが、良いだろうとばかりに手を振られるだけだった。
***
ジングフォーゲルが貴族の奴と話している。綺麗な笑みを口に浮かべているのに、紅茶色の目はどこか相手を探るようだ。でも、別に違和感は感じなかった。貴族同士の会話もそんなものだったから。
いつも遠目で見ている光景に過ぎない。それと同時に別の世界の人間だとボクはジングフォーゲルを認識していた。
話し相手がいなくなったジングフォーゲルはそのまま突っ立っている、感情の読めない目にぞくりとする。
ふと笑い声が聞こえる、中庭で騒ぐ平民の寮生達だ。力勝負でもしているのか戯れ合っているのは、冬でもどうも暑苦しいと感じてしまう。何人かもそう思っているのか、中心には加わらず少し離れた位置で呆れたように見ている。
その中にボクがいた。ダックスも隣にいた。
視点が変わる。
ボクは中庭で寮生のヤンチャの奴らが取っ組み合って遊んでいるのを見ていた。その内、飽きて周りをなんとなく見回して見れば、中庭に面する廊下の窓の内側から馬鹿騒ぎを見つめる、ジングフォーゲルの姿が目に映る。
ああジングフォーゲルも貴族と同じように、穢らわしいというように、卑しいものでも見るように、ボクらを見ているのか。
そう思った。だけど、すぐに違うと分かった。あれは貴族のものとは違う、どこか眩しそうにこちらを見るあの目にあるのは――。
ジングフォーゲルの口が動く、
『いいな』
突如、ボクは水に沈む。上半身裸になっている所為で水の感触や温度をダイレクトに感じる。魚が目の前を過ぎる。海藻が揺らぐ。海だ。それも故郷の海だと、下の透明色の珊瑚を見て分かる。
ふと自分の手が小さいのに気づく。体が小さい。まるで子供のようだ。
上から光と、音が落ちて来る。
生憎肺呼吸なもので苦しくなって、水上に顔を出す。
すると音が鮮明に聞こえる。割と陸地が近かったのか、砂浜も見える。
十歳くらいの子供が集まって遊んでいる。笑いながら、声を掛け合いながら、楽しそうに遊んでいる。
それだけの光景だ。でも、ボクは水中にすぐに潜ることなく、水面下に顔を出したままそれを見つめていた。
しばらくすると、向こうもボクの存在に気づく。こちらをチラチラ見て、仲間と目を合わせてニヤニヤ笑う。
一気に寒気を感じた。何を言っているかまでは聞こえないが、なんとなくその方向性を予測出来て嫌になる。ボクのどこが違うっていうのだ。水上に出ている部分が寒くて仕方ない。
水中に潜って、海の外の世界や音から逃げる。それでも声の断片が降って来る。それが嫌で足を動かして泳いで水中を進む、陸地から遠ざかる。
温かな海を泳いでいると、魚の群れが見える。数えきれない程の数が揃って泳ぐ姿にいつものように圧巻されもしたが、仲間外れもいないのを見てボクは水中で口を開く。
『ボク、さかなになりたい』
「ゼーグはバカだなー!」
目を開いた時、ボクはもう水中にいなかった。
目に見えるのは故郷の海や魚の群れではなく、それなりに見慣れた木の天井だった。肌で感じる感触も、寝巻きと布団の柔い感触だ。
「夢か……」
上半身を起こして、あたりを見回してブープがベッドから落ちているのや、反対にダックスが布団に一切の乱れを出さずに熟睡しているのを見て、そう口にする。
「バーカ、バーカ、それでおれは天才!」
ブープの寝言が寝言と思えない程、五月蝿い。多分、これで目が覚めたな。
「おれの方がつよいしっ――ふごっ」
どんな夢を見ているが知らないが、なんかボクが腹立つ目に遭っているのは分かるので、自分のベッドから降りて、鼻を一瞬だけ摘んで黙らせる。
その際、ベッドから身体のみ落ちて寝ていて風邪を引かれても馬鹿らしいので、布団を適当に大口開けてる馬鹿に被せる。シーツを洗濯することになるだろうが、そこは落ちたこいつが悪い。半覚醒状態で、人をベッドに戻すなんて元気はボクには無い。
この間、ブープには起きる気配が全く無い。床に落ちていようが、気持ちよさそうに寝ている。平和面が羨ましい。
「変な夢見た」
視点がぐるぐる変わってよく分からないし、なんか昔の記憶と最近の記憶とごちゃごちゃになっているし、いきなり海にいた。そもそも夢というものに理路整然としていることを求めるのはおかしいが、前半はともかく後半はあまり気分が良いものではなかった。
海から外に出なければ良かった。ああ、昔魚になりたいと願ったのも魚はえら呼吸で海の世界にずっといられるからというのも理由にあった。
部屋にある窓とカーテンの隙間から青い月の明かりが入ってくる。カーテンを少し開いて手を翳せば、薄い青色に手が染まる。同じ青の世界だけど海の水の感触と、陸の空気の感触は違う。
ボクは魚にはなれない。海中の肺呼吸の生物にもなれない。ボクは人間で、陸の生き物だ。今はそれでも良かったと思っている。
カーテンを閉じようと布に手をかけるが途中で止まる。
青い月が強い光を放っているところから少しそれた位置で、赤い月も僅かな光を放っていた。
輝く青い月に、カラビト様が好まれる青の月に本来ならボクは目がいくだろうが、あんな夢を見たせいか、赤い月と目が合う。
……以前、夢と同じようにジングフォーゲルが騒いでる平民連中を見ていたのに気付いたことがあった。でも、遠かったらそこまで鮮明に見えなかった。『いいな』なんてきっと言っていなかった。あそこはきっとボクの捏造だ。
ジングフォーゲルは生きている世界が違うのだ。あれは違う。ボクとは違う。あんな綺麗で、特別で、文武両道で、完璧な、カラビト様のような奴なんだから、ボクみたいな人付き合いが下手で碌なことを口にしない奴と一緒な訳が無い。
そう思っているのにどうして夢の中とは言えど『いいな』なんてジングフォーゲルが言っていたのだろう。どうして幼い頃のボクの『さかなになりたい』だなんて願いと重なるのだろう。
赤い月がまるで遠くから何かを見つめる瞳のように見えてくる。目が離せない。
「おれの分食うなよなー、ゼーグ」
だが、呑気な同室者の不快な寝言で我に返る。
………………たかが夢だ。寝ればすぐ忘れる、深く考えるな。
そう自分に言い聞かせて、カーテンを閉め切って赤い月から自分を遮断した。




