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挿話8 とある赤の使用人の男

「お前、可哀想だねぇ。新人な上、この部屋入っても正気でいられるからって貧乏クジ引かされたんだぁ」


 ウサギと猫のぬいぐるみまみれのベッドの上から哀れむようにこちらを見てくるのは、新しい勤め主の次男、デアーグ様だ。寝起きの彼がすぐそんなことを言うとは思っても見なかった私の頭はフリーズする。


「び、貧乏クジ?」

「うん貧乏クジだよぉ」


 持っていた資料をカーペットの上に落としそうになるのをなんとか耐えて、念のためベッド脇のサイドテーブルに置く。


「まず、兄上じゃなくて俺担当になってるのが残念だったしぃ、そんで今回絶対俺がうんと頷かないお見合い話に出るように交渉しに来させられたから最悪だねぇ」

「………………」


 確かに処刑担当のマイスター家の次男だとか、

 現在山奥の本家に居るのは国立軍学校で何かやらかして休学中だからだとか、

 大の女嫌いで我儘だとか、

 天に関する行事に対して投げやりだとか、

 ナイフや縄を集めたり、ぬいぐるみを大量生産したりする異常趣味があるだとかで、


 色々と問題がある主人だとか不穏な噂などを聞いて覚悟してきたが、こう本人にまで可哀想だと言われるとどう返答すればいいのか分からない。


 ちらりとさっき置いたお見合いの資料を見るが、多分こっちは最初にするべきじゃないと後回しにする。


 今の私の頭の中は、ナイフや縄などという物騒なものと猫やウサギなどの手作りぬいぐるみという愛らしいものがごちゃまぜで置いてあるこの部屋並みに混乱していた。

 いやでも部屋に関しては、私の視覚は黒と白のグラデーションでしか認識してないらしいからこれでも弱まった状態で見えているらしい。


 とにかく返事をしなければ。


「えっと、お見合いの話は置いといて、以前勤めていたところよりは全然良くして頂いているので別に貧乏クジではないですよ。そもそも色が見えない私が雇ってもらえるだけでも有難い話ですし」


 そう、以前いたところは最悪だった。


 以前の家で担当していた奥様は飛んだ放蕩女で周りに当たり散らすし、旦那様はそんな奥様に関わるのが嫌なのか干渉せず、何か奥様がやらかす度に使用人のせいにする。子供たちも一人を除いて、使用人に酷い扱いをした。

 主人たちのぴりつきや八つ当たりから、使用人たちもストレスが溜まっていて職場の空気は悪い。優しい人ほど体を壊す。頭が良かったり、優秀な人ほど見切りをつけて辞めていく。そのお陰で現場には負荷がかかってまた悪化していく。負のスパイラルにも程がある。


 それでも四勢力の関係上、色の見間違いが大きな失態に繋がる貴族の使用人のくせに、色が黒と白のグラデーションでしか見えない私は、ここを辞めれば人生終わると思ったのでしがみついていた。


 けれど、悪戯の範疇に留まらないレベルの行為をそこの子息にされて、医者の元へ運ばれた時に、いくらこんな私を雇ってくれてはいるとはいえ、このままあそこにいても死ぬと思った。


 職を失って野垂れ死ぬより、あそこにいる方が死ぬ確率の方が高いと思った。


 そんなんだからこの屋敷に勤められると聞いて、少し不穏な噂を聞こうが、山奥の屋敷で人里離れていようが、離職率が低いのを見て、あそこよりはマシだとこの屋敷に来た。


 山奥にあるマイスター家の本家に来てまだ少ししか経っていないけれど、あそこの屋敷に比べると天国だ。

 全体的に不思議な空気感があるが、少し話させて頂いた当主のマイスター侯爵と長男のフェンリール様は少しぶっきらぼうだが優しく接して下さるし、先輩方も丁寧に仕事を教えて下さる。

人里離れているのは難点だと思っていたが、曇りが多いこの土地は強い光が苦手な私にとって最高だった。 


「どこの屋敷だったのぉ?」


 以前の屋敷のことを思い返していた私がよっぽど苦い顔をしていたのだろう。ごろんと猫のようにベッドの上を転がった後、タオルケットを被ったまま頬杖をついて貴人は尋ねてくる。


 流石にはっきり言ってしまうのは問題かと思って、「織物が有名な地域の領主様ですね」とぼんやり答えればすぐに当該の家の名前を向こうから出され、驚く。


「あそこはねぇ、夫婦仲終わってんのは有名だよねぇ。まあ、うちも酷かったけどさぁ……でも、あそこは一番やばい奴があんま周りにやばいって言われてないのが一番おっそろしいとこなんだよねぇ。ねぇ、クー」


 ベッド近くにやってきた黒猫にそう彼は同意を求める。

 滅茶苦茶貶すもんだ。まぁ、先の奥様はこれの比じゃないくらい人のこと貶してたけどさ。けど、貴族に関する愚痴って大した身分でない使用人はどうやって返答するのが正解か分からないんだよ。

  奥様の旦那様の愚痴に適当に相槌を打っていたメイドが、「この子も貴方のそういうところを問題だと言ってたわ」と巻き込まれたのを見たことあるし。


「い、一番上の御子息様には良くしていただきましたよ」

 黒猫がいかにも高そうなベッドに爪とぎをしようとしたので、しゃがみこんで抱っこして取り押さえながら、そうなんとか話をずらす。


「その一番上が一番やばいんだけどねぇ……。流石にあいつの婚約者の子は女の子でも可哀想って思えるものぉ。俺、女に可哀想だなんて思えたんだって驚いたもの。家同士のお金の援助関係だから仕方ないんだけどねぇ」

「え」


  一番上の御子息様が一番やばいって嘘だろ……?

 だって使用人の間じゃ、両親があの様で弟二人も出来損ないなのに、健気に頑張っている上、こちらのことも気遣ってくれるって評判だった。事実、自分もあの方には酷い目に遭わされなかったし、辞めていく使用人の新しい仕事先のことまで面倒をみてくれた。なのになんで……。

 

 信じられないと言葉の主に顔を向ければ、寝っ転がった体勢から上半身を起こした少年がこちらを見下ろしていた。仄暗さを感じる瞳が恐ろしくてびくりと体が震える。


「賢いやばい奴は、陥れるまで、なんなら陥れた後も相手に気づかれないようにするから怖いんだ。

 馬鹿なやばい奴の場合は何か仕掛けるにしても悪意や敵意を表に出してくれるからやられる前に逃げる算段やら反撃する算段を立てられる。

 けど賢い奴は気づかせないように動くから気づいた時にはもう手遅れになってるんだよ」


 語られる内容は恐ろしいものなのに、少年はまるで説明書でも読んでるかのように、温度の無い声で語っていた。


「彼はそういう手合いだよ」


 トンと白い指で額を突かれる。

 腕の中からするりと黒猫が抜け出す。


 今、話しているのは自分より年下の一五歳の少年だ。


 だけどただの十五歳の少年じゃない。

 まだほんの少ししか話していない。女嫌いなマイスター家の次男ってことくらいしか知らない。でも目の前の彼の纏う雰囲気が一般人のそれとは違う、貴族のドス黒い部分に浸かってきた人間だと肌で感じた。睥睨してくる瞳が物語っていた。


 そんな人間が今まで自分が善人だと思っていた御子息を黒だと言う。


 正直頭ん中はぐちゃぐちゃだ。


「あ……」


 この話を信じた場合は人間不信になりそうだし、信じなかった場合、目の前の彼の考えを疑うことになる。


 仕える相手は出来るだけ穏やかな気性であって欲しい。けど前の家で親切にしれくれた方が悪い人であって欲しくない。


 一番良いのは何かの思い違いや勘違いで評価を誤っていることだ。



「い、いやでも、私のことを心配してほかの屋敷を薦めて下さったし、なんなら何か困ったことがあったら手紙を書くようにとまでおっしゃって下さいましたよ……そんな悪い方じゃ……」

「ふーん、なるほどねぇ……あの家からの紹介だけど色が見えないから君のこと雇ったけど。予想通り君ってば使い捨て出来る情報源にされそうになってるよぉ。」

「え?」


 なんとか絞り出すように言えば、デアーグ様に不穏な言葉を返された。


「他家への下手な情報漏洩は罰されるからねぇ。君が何気なく手紙に書いたことが利用されるこもあるからやめた方がいいよぉ。いざって時に罰されるのは確実に君の方だよ、向こうは手紙を受け取っただけだしねぇ、文句言ったらそれさえも口実にこっちに仕掛けてくるチャンスを与えることになるからねぇ……多分、あいつのことだから他家にも同じことやってるだろうから調査しとくか――」


 勘違いであって欲しくて発した言葉に対して、向こうは更に怖い方向へ分析していく。やばい、人間不信になりそうなんだけど。


 でも本当に善意で利用する気とかなくて手紙を送ってねって言ってるかもしれない。ただ目の前の少年が深読みしすぎてるだけかもしれない。


 そんな希望を抱いていると冷たい声が降ってくる。


「信じても信じなくてもいいよ。だけどねせめてうちが調査して安全だと判断するまで手紙送るの厳禁ねぇ……若い内に命散らせたくないでしょぉ?」

「………………はい」



  ***



「ほぉら正解でしょ。首の皮繋がってよかったねぇ」

「そうですね……ありがとうございます」


 数日後、何故かウサギを模した飾り付きのフードを被った少年の宣告に、私は暗い声で返答する。妙ちくりんなデアーグ様の部屋着なんか別にどうでもいいと思えるくらい、見せて貰った資料の内容が衝撃的だった。


 黒だった。黒だったよ……。


 本当に元自分の屋敷の使用人を気遣うフリをして情報源にしていた。それどころかアドバイスのフリして良いように操って他家を引っ掻き回してたよっ。

 中にはアドバイスに従った結果仕え先のお嬢様の婚約失敗させたり、刀傷沙汰に至ったケースまであった……。


「とりあえずうちの配下の家には通達したよねぇ」

「他の家にはしないんですか?」

「別に今はマイスター家が損しなければいいもの。それに気づかない馬鹿なら、今回難を逃れても次にやられるだけの無能だよ。そんな無能はいずれ来る兄上の時代までに潰れといて欲しいもの」


 いっそ清々しい程のドライな反応に何も言えなくなった。


「というかあの方はなんで自分の直下の家まで荒らしているのでしょうか?」

「お前たちみたいに荒んでいる環境で優しくすると、ころっと落ちるでしょぉ? 人間弱ってる時に漬け込まれると弱いから。その内、家騒動起こさせて自分に扱いやすい奴を当主にしたりするんじゃない?」


 純粋に怖い。貴族って駆け引きや策略とか仕掛けたりするイメージはあったけれど、こうも身近にあるものだと、自分達の感情さえも悪いことに利用される可能性があるということを、実感すると泣きたくなる。


 こうなるとあからさまに道具扱いしてくれる方がマシだって分かる。

 良い人だと思っていたのに、優しくしてもらったと思ったのに、結局は自分は向こうにとって都合のいい捨て駒だったと知った今、人間というものが非情だと思ったし、騙されていた自分が馬鹿みたいだ。

 

「あとあいつの趣味かなぁ」

「しゅ、趣味?」

「あいつ修羅場とか拗れた人間関係見んのが大好きなド変態だからぁ」

「どんな趣味ですか、それ……」


 特殊性癖にも程がある。修羅場なんて見ても怖いだけだろうに。しかも母親があれで修羅場なんて散々見てうんざりしそうなものなのに。


「赤の連中なんて一般人とやらから見ればみぃんな頭おかしいから」


 私の呆然とした様子にデアーグ様は二、三回瞬きをした後、そう雑に言ってのけた。


「えぇ……? で、でも……デアーグ様はまともで有能じゃないですか」

「どこがぁ?」


 情報漏洩に関する調査資料を寝っ転がって見ながら、そんなことを言う彼に私は困惑する。


 なんでこの方は自分がまともだと言われて、そんな呆れたような声を出すんだ。


「え、いや。マイスター家とその配下を守ったじゃないですか」

「お前、馬鹿で危なっかしいね。俺は被害大きくなるとめんどくさいのと、純粋にあいつを、ゲルモの好きなようにのさばらせておくのは癪に触るだけだよぉ。俺、あいつのこと大っっっ嫌いだからぁ‼」

「そうですか……」


 大嫌いという言葉への力の入り方が半端ない。でも、本性を知ってしまったので嫌われている人物への同情は無く、むしろ嫌悪を示す現主人に納得する。


「あとね赤の系統の連中でまともなのって俺が知ってる上級貴族だとうちの兄上くらいだからぁ。狂っていた方が楽だしねぇ。他はほとんど貧乏クジだからねぇ」

「え、でもデアーグ様は全然優しいじゃないですか。全然貧乏くじじゃないですよ」


 今回の件、他の家だったら私はもう無言で(くび)にされていたっておかしくない。いや、むしろそうするのが普通だ。けれどデアーグ様は私に忠告だけしてここにおいたままにしている。


「俺ぇ? 俺のは優しさじゃなくてどうでもいいだけだよぉ。お前のことなんてどうでもいいから、実害ない限り放って置いてるだけなの」


 そう彼は言うけれど、それすらもせずに苛立ちを向ける対象として扱った奥様や、良い人の皮を被って下手したら殺されるようなことをさせる人と比べたら全然良いのではないだろうか。


「俺は兄上とエルが全てだからねぇ」


 もう会話は終わりだとばかりにデアーグ様はでかい黒のウサギのぬいぐるみを抱きしめて寝っ転がる。


 知らない名が聞こえたが初めて見る笑顔に、また今度で良いかと見合いの資料だけ置いたまま部屋を出ていった。





 それから少したってデアーグ様は休学が明けたのか、軍学校に通う為に王都に行ったが、また長期休みには帰ってきた。


「ただいまぁ、今回はエルも連れてきたのぉ」

 あの時、どんな人物かと聞き損ねた人物を連れて。


 機嫌よさげにニコニコされているデアーグ様と、エルという美しい人物の硬い表情を見て、酷く温度差を感じた。



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