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挿話6₋3 願掛け

 

「うん。同じくらいの年の子と日がくれるまであそんだり、おべんきょうしたり、あ、剣とかもいっしょにれんしゅうしたい!」


 満開の笑顔でその願いは口に出された。


 元からよく喋る方でもないのもあったが、そのエルの笑顔に動揺しフェンリールは「そうか」と一言だけで返した。


「そうなんだよ!」


 はしゃいでるのか繋がれた手が揺れる。


「……俺やデアーグもその程度ならやれるとは思うが」

「二人のもうれしいけど、なんか別わく! あと、フェンリールはすっごいいそがしそう」

「それはなんとも言えないな……でも、エルは友達が欲しいんだな」


 なんとか一言以外の返答を試みたものの、すぐさま忙しいと指摘されて否定できなかったのが申し訳なかったのか、フェンリールは目線をエルから外す。


「うん。マイスター家にはぜんぜん人がこないんだもの、それに……ううんやっぱ何でもない。とにかくだからおねがいしてきたの」

「そうか」


 そう相槌を打った後、フェンリールは立ち止まって川を眺めて黙り込む。咄嗟に対処できなかったエルは先を行き過ぎてつんのめりそうになる。


「どうしたの? 何かあるの?」

「いや別に何もない」


 そう返事をして、ずり下がってきた弟の体を背負いなおして、フェンリールは歩き出す。


 フェンリール・エルピス・マイスターは聡明で知識豊富な少年であった。侯爵家の長男として優秀であることが求められるのだから当然だ。


 その為、この川が下流の方に凄まじい高さの滝があるため、舟が必ずといってもいいほど沈没する、願い舟をするに適していない不吉な川だということも知っていた。


 けれど手を繋いだ相手に対して、フェンリールはそんなことを言えなかった。言わなかった。



 ***



「あにき、もどろう」

「あとちょっと」

「あとちょっとじゃない! そう言ってもうすごくじかんすぎた!」


 街を流れる小川の側でハノ・キルマーはそう文句を口にする。だが、当の本人は言うことを聞く気がないのか、小川の中で相変わらず手を動かす。


「じゃあハノだけもどれよ」

「それはやだ! あにきもこいよ。ぜったいあにきは一人でかえれない!」

「じゃあまってろよ」

「あにきのわがまま。あにきがいっしょにもどればいいだろ!」


 顔を向けもしない兄の言い分と態度にハノは、顔を真っ赤にして怒る。


「勝手についてきて何言ってんだ?」

「あにきがふらっとどこかいくからいけないんだ!」

「いやオレは別にふらっとしてねぇし、いつの間にかグラフィラたちがいなくな――って、いったぁ⁉︎ おまえ、なぐったな」


 ムッとした様子で非難する兄を、腕を伸ばして頭を殴ったハノは臆さずに藍色の瞳で睨みつける。


「あにきがわるいんだ」

「たしかにはぐれたのはオレがぼーっとしていたせいかもしれねぇけど、なぐることはねぇだろ!」

「バカにはこぶしで言うこときかせろってグラフィラが――」


 言い合いをしている二人の上に黒い影が落ちる。


「おうおう、ここに居たのか」

「「ズーハオ!」」


 すっとしゃがみ込んで、ハノの肩と、川に立っているカイの頭をポンと叩いたのは、ズーハオという異国の青年だ。


「無事で何よりと言いてぇが、カイずぶ濡れだな」

「あにきのバーカ」

「おう! 川に入ってるからずぶぬれ!」

「なんで川に入ってんだ。浅いから俺様はべつにいいけど、あとでお袋さんに怒られねぇか?」


 安否を確認できたと安堵したが、すぐさま自分の言葉に正反対の反応をしてきた兄弟に青年は苦笑する。


「オレな! さっき上の方で葉っぱでできたふね見つけたんだ!」

「ああ、あれか」

「でよ、ふねって海に行くかなっておもってよ」

「まぁ、確かに海とか港とかの印象はあるわな」


 そんな微妙な様子にも気づかず、カイは話をどんどん進めていくものだから、ズーハオも困惑はさておき話に乗る。


「だからな、海までいってほしいなーっておもったから、じゃまなもの先にどけとこうと思ってよ。川って海につながってんだろ」

「お、おお……そうか……」

「いみわからないよ、あにき」


 藍色の瞳を真っ直ぐ向けながらカイは熱弁するが、ズーハオはいまいちピンと来ない。それは隣で兄を睨みつけていたハノも同じで呆れ返った顔をしている。


「え、なんで分からねぇんだよ、ハノ。川から海までいったらおもしろいし、かっけーだろ」

「ぜんぜん」

「なんでわかんねぇんだよ。サドマだったらわかってくれるかな?」


 幼い兄弟のやり取りを見ながら、カイの言動は子供特有のよく分からない拘りかと判断したズーハオはそれに付き合うかと逡巡したが、数日前の記憶を思い出しやめる。


「カイ……残念だが、その舟は海まで行かねぇぞ」

「ええ⁉︎ なんでだよぉ……オレじゃまそうな岩とかさっきどかしたのに」

「いや、ここまでは運が悪くなけりゃ大丈夫だと思うんだけどな、この川の先って滝があるんだよ」


 ズーハオという青年はいく先々や通る道の情報を頭に叩き込む。彼が生きていくために、成り上がる為に身につけたものであり、そして大海原の上で自分の居場所が分からない恐怖を味わったが故に大事にしていることでもある。その為、彼の頭の中の地図は完璧である。


 カイもそんな事情までは知らないが、ズーハオが地理に詳しいのは知っているので「たき……」と小さな声で口にする。


「そう滝。しかもこの国で三番目とかに高いやつ。だから海に着く前に確実にそこで沈むぞ」

「えー、じゃあ海には行かねぇのかよ……」

「ざんねんでしたー」


 ベーっとハノは舌を出して見せるが、カイの眼中には全く入ってない。


「ええ……うっそだろ……たき」


 膝上くらいまで川に浸かったまま、バシャバシャと水音を鳴らしながらカイは二、三歩歩いて立ち止まる。


「べつにそんなショックうけることじゃないとおもう」

「まあ、この先は駄目かもしれねぇけど。人知れず沈むんじゃなくて、カイのとこまで来たんだからよくねぇか」

「えー、でも……海キレイだからいけたらよかったのに」


 カイが訳の分からないことで落ち込み続けるものだから、ハノとズーハオは藍と黒の目を合わせてどうしたものかと伺う。


「めちゃくちゃあにき、海にこだわるし……」

「あーと、じゃあそうだな。カイの名前って古い言語の海を示す言葉の響きや文字の読み方と同じなんだよ。だから合格でよくね?」


 ズーハオは何とか昔故郷で見た古い文献の内容を思い出しながら意味不明な説得を試みるが、


「母ちゃんテキトーにひびきがいいからって決めたって言ってた」

「オレのなまえもテキトーに母ちゃんが好きなもじのふだ引いてきめたって」

「おふくろさん豪快だな……」


 見事に撃沈する。


「あー、とにかく、そろそろ日が暮れるし、あんま水に浸かってっと風邪ひくぞ」

「あにきはバカだからかぜひかない」

「オレ、バカじゃねぇよ!」


 弟の言葉に反応してカイは小川の縁に手を掛けて上がろうとする――が、途中でやめる。


「あがらないのかよ? あにき」

「……ふね、どうしよう?」

「ほっとけば? どうやってもしずむって分かったんだし」


 眉を下げて川を見つめる兄に対して、ハノは冷たく言い放つ。


「ええー、だってこのまま沈むって知ってんのにほっときたくねぇよ」

「作ったやつですら、そんなにこだわりもたないとおもう。めんどくせーから、ズーハオ、あにきおいてかえろう」


 そうやって服の袖をひいてこの場を離れようとするハノの姿と、川の中でじっと動かないカイを見比べて、ズーハオはため息をつく。


 心情的にはズーハオはハノと同意見だ。だが、川の中で突っ立っている子供が素直に言うことを聞くとは思えなかったし、かと言って風邪をひかせるわけにもいかないという訳で動けない。


「こんなところで何をしているのかと思ったが、カイが頑固発動しとるのか、珍しいの」

「グラフィラ! そうなんだよ、あにきったらいみわかんねーとこで、わがまま言ってんの」

「舟についてもめてんだってね!」

「サドマ、聞いてたんか?」


 ハノはグラフィラの、ズーハオはサドマの声を聞いて振り向く。


「おいらの耳は犬のだから少し前からずっと聞こえてたよ!」

「隣の駄犬がいちいち内容を報告してくるでの」


 フードの中の自分の犬耳を指して笑う灰色の獣目の少年と、さっきのことがあってズーハオとは目を合わせづらいのか、明後日の方向を見ながら灰色の髪の女が歩み寄ってくる。


「カイ、妾たちは帰るぞ。お主も置いてかれとうないじゃろ」

「やだ。かえらねぇ」


 横向きに首を振るカイに、グラフィラは困った顔をするが、すぐに何かを思いついたのか口角をあげる。


「のう、カイ。川の中にはよくおばけが潜んど――」

「で、出たからセーフ‼︎」


 一瞬で川の中から出てきたカイの顔は真っ青だった上、がくがくと震えていた。


 あまりにその怯えっぷりが可哀想だったのと、「あにきのビビりぃ」と煽りつつも袖を掴んでくるハノの力が強まったのを感じて、ズーハオはさっきのやり取りで話しかけづらいものの口を開く。


「嘘ついてガキびびらすんじゃねぇよ。こんな日が出ている間にお化けなんて出て来るわけねぇだろ」

「いーや、夕方にもなれば出てくるのう」

「ほお、随分お前の中でお化けは目立ちたがりなもんだなぁ」

「目立ちたがりに決まってとるじゃろうよ。あやつら死人のくせに生者に絡みに行くんじゃから」


 キッと氷のような瞳でグラフィラはズーハオを睨みつける。


「知り合いみたいなノリで話すんじゃねぇよ。そんでテメェの言ってのは幽霊であって、お化けじゃねぇし」


 真っ黒の瞳でズーハオもグラフィラを睨み返す。


「お化けの中に幽霊とか精霊とかの枠組みがあるという認識なら間違ってはないのでな」

「精霊信仰する国出身の言葉とは思えねぇや」

「妾は信仰はもうしておらんでの。精霊なんて、あやつらの性格は最悪じゃというのに」

「だから知り合いかよ」

「精霊なら会ったことはあるが、二度と会いたくのうな」

「やっべ、妄想癖あるとは思わなかった」


 煽るようにズーハオが屈んでから嘲笑って見せれば、沸点の低いグラフィラは距離が近いのをいいことに襟を引っ張る。


「馬鹿にしとるのか? この腹黒狸が」

「あ゛? 妄想癖恐怖統制放任ババアに言われたくねぇわ」

「悪口でさえも一瞬で矛盾しとるとは詰めが甘いのぉ?」

「お前を言い表そうとしたらこうなっただけだ。つまりお前の在り方の所為だっつーの」

「自分の愚かさを他人の所為にするとは、責任転嫁甚だしいわ」


 至近距離でガンつけながら悪口の応酬をし出した二人の様子を見て、サドマの尻尾で水に濡れた体を拭こうとしていたカイは、尻尾を引っ張る。


「サドマ、グラフィラたちがケンカしてんぞ」

「そうだね」

「止めなくていいのか?」


 サドマは尻尾を引っ張ってくるカイの頭と、喧嘩する二人を見比べる。


「うーん、おいらも止めた方がいいかなとも思ったけどね。だけど、これも一種のコミュニケーションかなって思い始めたや!」

「オレは止めた方がいいおもうけど」


 サドマの呑気な反応にいつの間にかズーハオから離れていたハノがボソリとそう零す。


「ハノはそう思うんだね! でも、おいらね、この二人はこうしといた方が早いかなって! おいらが干渉すると水面下で長引く! 言うこと言ったし!」

「えぇ……なにがはやいんだよ」


 そういうハノも自分で止める気配はない。彼にとって大きな二人の喧嘩に割って入るのが怖いというのもあったが、何より兄とのやり取りで疲れていたのもあった。


「じゃあ、帰ろっか」

「ふね……」

「あにき、めんどくせー、あきらめようよ」


 早く帰りたいという態度をハノは全面的に兄に示してみるが、カイの視線は未だに川から離れない。


 その様子を見ていたサドマは少し考え込んだのち、何か思いついたのか、尻尾でカイの頭を撫でる。


「うっ、なんだよサドマ……」

「舟はカイが回収して海に連れて行けばいいんじゃないかな!」

「なるほど! 次は港のあるところ行くもんな!」


 カイはサドマの提案に藍色の目を輝かせる。よっぽど嬉しかったのか「えーと、どこの港だっけか? きれいなとこだといいなー」と海に思いをはせ始める。


 そんな兄の様子を見たハノは安心したのか伸びをする。


「やっとかい決した……」

「そうだね! じゃ帰ろうか」

「あれズーハオたちは?」

「あのままでいいやー。カイははぐれないようにおいらの尻尾追ってね」


 ハノの質問に短く答え、迷子の心配が一番あるその兄に指示を出すと、サドマは川沿いに来た道を引き返す。


 道中、カイが思い出したかのように体をサドマの尻尾で拭こうとするが「おいらの尻尾はタオルじゃないよ!」と伸ばされた手から尻尾を逃し続ける。それが面白かったのか、追いかけ続ける兄の掛け声を聞いて「なんでそんな体力のこってんだし……」と文句を言いながら、ハノは舟がないかと川を窺いながら歩く。


 その内、舟を見つけたハノが「あにき」と声を掛ければ「おお、あった! ハノ、ありがとな!」と川のふちにしゃがみ込む。


「あり? 二つ舟あったのに一つになってる……」

「たしかに一つ無くなってるね!」

「しずんだんじゃ?」

「そっか、ざんねんだけど。見つからねぇなら仕方ねぇや。こいつ持ってく」

「さっきまでのなぞのこだわりはどこ……?」


 散々兄の謎の拘りに振り回されてきたのにあっさり拘りが消え失せたことへの不満と、これから長引くことは無いという安堵で、ハノはなんとも言えない顔をする。


「カイがいいならそれでいいよー」

「これでいいぞー」


 手を伸ばして川からとった葉っぱでできた舟は近くで見ると、恐ろしいくらい精巧に出来ているのが分かって、カイは「すげぇ、オレこんなのつくれねぇや」と感心したように色々な角度から眺め始める。


「あにき、見つけたんなら行こうよ」

「おう……そういや、グラフィラ達は?」

「いまごろ聞く?」


 自分とサドマがさっき二人について話していたと言うのに、兄は全く覚えておらず、呑気に聞いてくるもんだからハノは呆れる。


「あの二人は迷子にならないから大丈夫だよ! おなか空いたねー!」

「ならいいや。屋台のくしやき食べたい」

「くそマイペースだ。二人とも」


 舌打ちをしたハノの頭を、サドマはぐしゃぐしゃと撫でる。


「ハノはえらいねー! ずっとカイと一緒にいてはぐれないようにしてたんだね!」

「……オレはあにきとちがってしっかり者だから」


 照れたように、けれども兄を馬鹿にする様にハノは口にする。ちらりとどんな反応するのか兄を窺うが、兄の方はまた持っている舟に集中しているのかそこまで気にしてないようだった。


「たしかに、ハノはしっかりものだよなー、ってうわ石あったぁ⁉︎ あぶね!」

「あにきがしっかりしてねぇんだもん……しょう来グレたら、あにきのせいだからな」


 小石に躓きそうになった兄の姿を見て、喧嘩を売る気も失せたハノはそう愚痴を零した。



 ***



 ――数日後


 グラフィラとズーハオが何故か置いて行かれた時に意気投合したらしく二人で港の酒屋に飲みに行き、

 二人が仲良くはなったのはいいものの置いて行ったことを根に持たれたサドマはハノにひっつき暑がられ、

 そんなことを全く知らずにカイは呑気に港の漁師のおっちゃんと沖に出て、舟を海に放ちましたとさ。



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