挿話6₋2 願掛け
「デアーグ、どうした? 疲れたのか?」
大きなぬいぐるみに顔を埋めたまま突っ立って動かない弟に向かって、マイスター公爵家の長男はそう優しく問いかける。
「ううんまだ疲れてないよぉ。ねむくもないよぉ。ねむくなんかないんだよ。それより兄上、早く見つけないと。きっとさびしくて泣いてるよぉ」
赤系統の伯爵家管理下の街で赤茶髮の子供は、自分の兄の元にそう強がりを零しながら近寄る。
「いやどうせあの子のことだ。一人でけろっとしてるに違いない。どちらかといえば泣きそうなのはお前の方だなデアーグ 」
「なんで平気なのぉ、俺めっちゃかなしいし、兄上も心配してるのに」
「あの子はあの子、俺は俺、お前はお前だからだ」
「意味分かんないよぉ……俺はいつだっていっしょにいたいのにぃ……だって一人でいたら危ないでしょぉ」
デアーグの持っているうさぎのぬいぐるみは持ち主の感情が高まるたびに、強く抱きしめられれたせいかくたびれている。
「時には一人の時間が欲しくなる人もいるから仕方ない。けれど一人で街にいるのは確かに危険だ。早く見つけなければ」
そう言うや、フェンリールはさっき見た人影とは反対方向である川の上流側に弟の手を引いて向かう。
彼らの立場上、人に遭遇するのは望ましくない為、人気の少ない道を進むしかないのだ。
「ぅぅ……どぉして何も言わずにかってに一人で出て行くのさぁぁぁぁ」
デアーグとフェンリールはエルを探していた。大人達の用事で赤の領地の主要都市にある伯爵宅に泊まっていたのだが、エルが勝手に部屋から居なくなってしまったのだ。
「早く見つけような。そうして三人で怒られよう」
「俺たち悪くないもん。エルがまどから抜け出したのに気づかない奴のがいけないんじゃん。現に俺たちがかってにさがしに行っても気づかないしさぁ!」
「警備を出し抜いた側が警備に文句を言うのは奇妙な気がするが、一理はある。伯爵宅の警備にしては甘すぎる」
客人、しかも貴族の子息が勝手に出て行くのに気づかないでいるというのは流石にザル警備だ。
「まあ、いるのがあのクソ令じょうなら守る気も失せるかぁ……」
「デアーグ、そんな風に伯爵令嬢のことを貶してはいけない。お前の場合、結婚相手になるかもしれないんだし……」
当たり前のことのように伯爵令嬢のことを貶した弟をフェンリールは嗜めるが、効果はない。むしろ更にデアーグは拗ねる。
「兄上、俺けっこんしたくないよ。だって、うちの配下のはくしゃく家の女の子たち、みんなマイスター家の悪口言ってたよ……あの女と同じで、うちに悪いえいきょうもたらすだけだよ……」
「デアーグ……」
基本的に侯爵家は直轄配下の4つの伯爵家から婚約者を選ぶ。同じ系統の公爵令嬢が婚約者になることもあるが、現在公爵令嬢は不在となっているため、伯爵家以外の選択肢はない。
「うちに来たくないやつが来ても、お互いいいことないよ……俺もあいつらだいっきらいだもん。女なんてみんなろくな奴じゃないもん」
「……そうか、でもエルの前では言わないでくれ」
フェンリールは屈んで目を合わせて、そうデアーグに頼む。
「なんで?」
赤色の瞳を真ん丸にして不思議そうにする自身の弟を見て、フェンリールは少し言葉に詰まらせる。
「………………エルは母親が大好きだから、それを聞いたら悲しむと思うんだ。自分の母親もデアーグにそう思われてるのかなって、デアーグに嫌われてるのかって」
「そうなの? でも俺、じっさいエルの母親のこともきらいだよぉ」
デアーグの言葉にフェンリールの赤い瞳が揺れる。
「何故? デアーグは会ったことがないだろう」
「でもきらいだよ……エルはっ、俺や兄上といっしょにいても、『おかーさん』のところに行ける時はすぐにいっちゃうもん。エルが好きって思う奴はっ、大切にする奴はっ、兄上以外みんなきらい。それにきっと悪い奴だもん……」
黒い兎のぬいぐるみに顔を埋めて、泣き言のようにデアーグは零す。フェンリールはそれを見て一瞬困ったように眉を下げるが、すぐに元の感情の読みにくい顔に戻る。
「……デアーグはエルが大好きなんだな」
「うん大好き、大好きだよぉ! 兄上と同じくらい大好きっ!」
ぱあっと輝くような笑顔を見せる弟の頭をフェンリールはぐしゃぐしゃと撫でる。
「そうか、でもなお前がエルにエルの母親を嫌いって言うことはエルにとって、俺がデアーグ に『エルを嫌いだよ』って言うようなもんなんだ」
「兄上はエルのこと嫌いじゃないよぉ! 大好きだよぉ!」
声を張り上げてデアーグは主張する。それを聞いた彼の兄は少し目を見張ってから、静かに頷く。
「ああ、これはあくまで例え話だからな。でもなデアーグ、お前のその発言はエルにとってそういうことなんだ。エルの母親と俺たちの母親は違う。きっとあの人はエルにとって良い存在だから……エルの前で悪く言うのはよそうな」
「………………うん」
渋々といった様子でデアーグは頷いた。それを確認しマイスター家の長男は歩き出す。
フェンリールはその後しばらく自分に置いていかれないように足を動かす小さな弟を眺めた後、黙ったままもどうかと思ったのかゆっくり口を開く。
「デアーグにとってエルはなんなんだ?」
「俺にとってのエル?」
「そうお前にとってエルはどういう存在なんだ」
「うーんと、家族かなぁ? 俺よりチビだから多分弟。でもそれだけじゃ足んないなぁ、なんだろう?」
「つまり身内か」
「うん、そうなんだよぉ」
デアーグは会話の中で少し思い悩んだものの、兄の言葉が聴き心地が良かったのか、最後は納得したように一つの答えを肯定してみせる。
「逆に兄上にとってエルはどういう存在なのぉ?」
「……俺にとっての、エル?」
兄弟揃って同じ問いに同じ言葉を返すが、その調子はどこか違う。
デアーグは純粋に質問の意図を飲み込めず聞き返したようなものだが、フェンリールのは自分に同じ質問が返されると思っていなかったのか驚きと、何かを恐れるような響きを含んでいた。
しかし幼いデアーグはそれに全く気づかない。
「そう兄上にとってのエル――エルだ!」
話し途中でデアーグは探し人を見つけ、喜びの声をあげる。
そのままずっと抱きしめていたぬいぐるみを放り出して、デアーグは探していた相手の元へ一直線に走る。
件の迷子は小川の脇でしゃがみこんで川の流れを眺めて行く様を見ていたが、聞こえてきた声に反応して顔を上げて立ち上がるが、
「デア――おわっ」
「見つけたぁ!」
デアーグが止まることなくむしろ地面を蹴って飛びついた為、二人揃って小川に落ちる。
幸いそこまで水深はない上、流れも穏やかな為溺れる心配はないが、水飛沫が大きく飛び散る。
呆然とそれを眺めていたフェンリールはきかれた問いの答えを出すのをやめて、放り出されたぬいぐるみを拾う。彼はどこかほっとしたような顔をした。
***
「それで、どうして勝手に外を出たんだ?」
二つ下の弟を背負ったフェンリールは自分の横を歩く紅茶色の瞳の持ち主にそう質問をする。
デアーグはあの後、しばらく騒いだと思ったら疲れが一気に来たのか眠ってしまった。
「ごめんなさい」
フェンリールの質問に対して、デアーグの持ってきたウサギのぬいぐるみを抱えたエルはそう謝罪する。
「別に謝罪して欲しい訳じゃない」
「あ、えと、ごめんなさい。あ……」
だが、謝罪は不正解らしくフェンリールに否定される。困ったエルはまたも謝罪を口にしてしまい、しまったと顔に出す。
「そうではなくて、違う。そうではないんだ。別に俺は怒ってはいない。ただ理由が知りたくてな。お前は何も考えずに抜け出すような奴ではないだろう」
その様子を見てフェンリールは気難しいうな顔をしながら必死に自分の質問の意図を伝えようとする。
ようやく意図を理解したエルは少しほっとしたような顔をする。
「う、うん……ぼく、願い舟がしたかったの」
「願い舟はこの前やった筈だが?」
最近の出来事を思い返してから、フェンリールはそう指摘する。
「確かにそうなんだけどね。この前のだけじゃ足りなかったの」
「後から思いついたのか?」
「ううん、そういうわけじゃなくて……デアーグがぼくのねがいを聞いたらふきげんになるだろうなってこの前はできなかったの」
ちらりと眠っているデアーグのことを確認してから、エルはそう小さな声で言う。
「デアーグに対して攻撃的な内容でも願いたかったのか?」
「そんなことしないよ。ただぼくは……『お母さんが元気になってくれますように』って、『友だちが出来ますように』ってねがおうとしただけで」
「なるほど、確かにデアーグが不機嫌になりそうだ」
先程の会話を思い出し、フェンリールは自分が背負う弟を反射的に確認する。エルもその紅茶色の瞳で眠っている一つ上の少年を見つめていた。
「おかーさんのことや昔あそんだこととか話すといつもデアーグふきげんになるから、デアーグの前では口に出せないなって。だから、いないとこでねがおうって」
「そうか……でも別に願う内容は口に出さなくても良いぞ。もしくは別の願いを込めたふりをすれば良い」
エルのたどたどしい説明に、フェンリールは何とも言えない顔をしたものの、すぐにそう優しく提案する。
「おかーさんが口に出した方がきっと叶いやすいって昔言ってたから……フェンリールは言われなかった?」
質問を投げ掛ける側になったエルの目がフェンリールをとらえる。大きく身長差がある彼と目を合わせるその姿は年相応か、年よりもっと低い、幼さを感じさせる。
「その手の話は聞いたことがあるが、別に気にしてはいなかったな」
「あれ? でもこの前マイスター家の近くでやった時は口に出してなかったっけ?」
「あれは、父上が参加する行事だから少し誤魔化したな」
「フェンリールのねがいごとってたしか『おのれのせきむをまっとうに果たせること』だよね。あれはウソだったの?」
エルはそう口にしつつ、小さな右手を三つ年上の少年に差し出す。ぬいぐるみは左腕だけで抱えることにしたようだった。いくら合わせてくれているとはいえ、なかなかその歩調に自分の足だけでついていくのが難しかったのだろう。
「嘘というのは少し違う。あれも本心だが、一番願いたいことは口にしなかったから誤魔化したと言った」
置いてかれまいと手を繋ごうとする小さな子供の姿を目にしたフェンリールは足を緩やかに止め、弟を背負い直すとともに、左腕をなんとか自由にする。
「ふーん、なにが一ばんだったの?」
「大切な人が望むような俺であれること」
強張った声で願いを口にし、フェンリールは伸ばされた手を掴んで、再度歩き始める。
「なんかちょっとふしぎなねがいだね」
繋いだ手を見ながらそう漏らされた感想に、フェンリールは一瞬目を細める。
「ああだから、避けたんだ。父上が混乱する。分かりやすく模範的なものにした方がいいだろう」
「もはんてき……フェンリールはえらいね。ぼくはそういうことは考えてなかったや」
視線を下げて、エルは足元にあった小石を蹴とばす。
「いや、むしろそれで正解だ。そういうものは計算づくでやるものではないからな。自分に正直な方が趣旨にあっている……そういうエルは友達が欲しかったのか?」
バッと顔を上げたエルの紅茶色の瞳とフェンリールの赤い瞳がその時ばちりと合う。




