挿話5 夢見
ある日のことだった。
オレが朝、校門から登校すると、中庭の方がざわついているのが分かった。
「紅薔薇の君が眠っていらっしゃる」
「美しいご尊顔だ」
他の生徒がそんなことを言っているので、気にせず教室に行こうとしていた足が止まる。
普通同じ学生にご尊顔とか使わねぇだろ。神様とか王族じゃねぇんだからよ。なんにせよ、友人関係のことで騒ぎが起きてんならなんかはしねぇとな。
「ちょっと通してくれ」
人ごみをそうやって通り抜けていく。割とみんなさらっと通してくれるから親切だ。
抜けた先でエルは眠っていた。
木にもたれかかってこげ茶の革製の鞄を抱えてすやすや眠っている。良い夢でも見てんのか時おりにへにゃっと笑ってみせるものだから、何人かがその笑顔に悶絶して倒れた。
……何で朝っぱらから学校の中庭の木の下で眠ってんだか全く分からんが、さっさと起こさんとまずい。
別にただ眠ってるだけなんだから放っときゃあいいかもしれんが、エルをそういう意味で狙う奴がいるから結構危険だし、親切心で運ぼうとした誰かにエルの体のことがバレてもまずい。
眠るだけでこんなに人混みが出来るってほんとエルの奴はすっげぇな。友人ながら驚かされる。
みんな、エルに近づくまでは覚悟が出ないのか、エルの周りが半円状に空いている。オレはそんなの無視してエルに近づいて「起きろ」と声をかけるが反応はない。
この野郎、そう思いながらエルの前にしゃがみこむ。
相変わらず肌真っ白だな。顔色はそこまで酷くはないが、目にクマがあんな。となると正直起こさない方が親切かも知れんが、ここで寝るのは駄目だ。危ない。寝るにしても他のとこにこいつの場合すべきだな。
つーか、こいつもそんくらい分かってると思ってたんだけど、案外馬鹿だな。
「おい、エル起きろ」
「………………」
「おーきーろ」
「………………」
こんな近くで声かけても全然、起きねぇ。仕方ねぇから、手を伸ばして肩を揺らそうとしたが、腕を急に引かれてバランスを崩した。
気づけば視界が変わっていた。
木に寄りかかる友人を見ていたはずなのに、いつの間にかオレは木を真下から見ているし、背中は地面についている。おまけに首は掴まれているときた。
「っ」
さっきまで気持ちよさそうに眠っていた友人は、形勢逆転をして自分を見下ろしていた。薄く開かれた今は赤く見える瞳に息をのむ。
何を考えているかはよく分かんねぇけど、突き刺さるような尖った雰囲気が恐ろしくてたまらない。
「……カイ?」
「お、おう」
眠たげだが妙な物騒さを持った友人に首を捕まれたままそう聞かれ、恐る恐る小さな声で肯定する。
「ふあぁ……ごめん、いきなり声かけられたから反射的に」
「どんな反射だ⁉︎ 殺す気か!」
すっと手を首から離し、そう立ち上がって伸びをする彼に、愕然とする。
「カイを殺す訳ないじゃん。でも、眠ってるところに手を伸ばされたら、あのくらいは普通誰でもするよ」
誰もしねぇよ、んなこと。
お前の中の普通、バイオレンスにも程があんだろ。周りはエルの顔面の影響かあんま突っ込まねぇし、正気を保った一般人がオレしかいねぇ。
「当たり前の反応ですけどって顔すんな。声かけても起きなかった癖に」
「声は寝ていると耳に入る雑音になっちゃうから仕方ないよ」
「開き直るな、そんで雑音言うな」
差し伸ばされた手を掴んで、そう文句を言いつつオレは立ち上がる。
「ああ、ごめんよ。君の素敵な声を雑音呼ばわりして」
「その声で言ってくんのは喧嘩売るのと同然だぞ。冗談言えるくらい目が覚めたようで」
ガサツな声って言われたこともあるオレの声を、この世の最上級の声で褒めるな。嫌味にしか聞こえねぇから、こっちも捻くれた言葉を浴びせちまうだろうが。
「うん、覚めた。起こしてくれてありがとうね」
「どーいたしまして。まぁ、夢見良さそうだったから起こさない方が良かったかもしれねぇな。少なくとも、そうすればオレは首掴まれずに済んだ」
皮肉のようにそう言う。
実際、もし眠っているエルに害を与えようとした奴がいても、さっきのオレみたいになるだろうから、ほっといても問題なかっただろう。要はオレの余計な心配だった訳だ。
「首掴んだのは悪かったよ。あと、ぼくの夢見は大体、悪いか、良いと見せかけてあとでどん底に落ちるから、途中で起こされて助かったよ」
「そんなの分かるのか?」
「分かるよ。夢見ると大体そうだもの」
「そりゃ災難で」
胡散臭いと思って聞けば、結構真面目に肯定される。どんだけ夢見が悪いんだよ。
オレは最近、どんな夢見たっけなー。覚えてねぇや。
夢って、見たって思っても忘れることが多いし、最近は爆睡気味だし。去年とかは逆に色々とあって眠れなかったし。
エルの目の下のクマはもしかして悪夢を見るから寝るのが怖くなっちまって出来たもんか?
だとしたら、なんとかしてやらねぇと。
こいつただでさえ放っとくとメシ食ってねぇとかいう不健康状態になってる奴だからな……大丈夫か聞くと、大丈夫だよとか言うけど、大丈夫じゃないのは散々見てきた。だから、こっちが勝手に判断して、なんかしてらないとな。なんだろう……ちっさい子かなんかかな、こいつは。
そういやオレもちっさい頃とかは悪い夢見てしばらく怖くて眠れなかったっけ……あん時、結局どうやって寝たんだっけ?
最初、経理担当の連邦出身のグラフィラに泣きついたら現実の方が怖いぞってめっちゃ連邦関係の怖い話聞かされて悪化したなぁ、解決の方法考えた結果だったんだろうけど、方向性がおかしいんだよ。
父ちゃんと母ちゃんには忙しい時期だったから構って貰えず、結局じいちゃんに話を聞いて貰ったら眠れたっけ。そん時、じいちゃんはなんて言ってたっけ? えーと、確か……。
「夢ってさ、頭ん中ごちゃごちゃしてんのを直してる最中に見るもんだって、じいちゃんが昔、本かなんかで見たらしくてさ、現実に良いことあったらきっと良い夢見られるって言ったんだ。で、それ聞いてめっちゃ遊んだオレは割とましな夢見られたぞ」
「へえ」
そうなんだとばかりに、エルの紅茶色の目が見張られる。まつ毛なっが。
「だから今日の放課後、オレと一緒にフェイスちゃんやロキくん誘ってご飯でも行けば良い夢見られるんじゃねぇの」
こいつ凄まじいブラコンとシスコンだし、あの二人と鶯屋のおじさんとこ行けば、良い夢見られそうだ。ちなみにオレが加わるのはフェイスちゃんと刺繍技術とかの商談をする為だ。
「……なるほど、じゃあ言い出しっぺのカイが奢ってね」
「なんでだよ⁉︎ てか、オレ金欠なんだけど……どうか割り勘で頼む」
じゃないと、オレの昼飯が一週間抜きになる。四人分の外食なんてオレの懐にとっては凶悪な存在だ。父ちゃんがオレを試すかの如く仕送りをかつかつにするからな。
「冗談だよ。カイは今日の帰宅時間の引き伸ばしを寮に提出しといてよ。さっき首掴んだお詫びと、起こしてくれたのと良い夢見るためのアドバイスくれたお礼って事で、奢ってあげるよ」
「よっしゃあ! エルくんってば太っ腹!」
くすりと笑ってそういう友人を見て、オレはガッツポーズをする。
エルって金遣いが潔いんだよな。お金にあんまり困ってなさそうだとは、鏡殴って割る時点で思ってたけどよ。
「君って本当に単純だね。教室そろそろ行かないとね」
「おう、今日の放課後めっちゃ楽しみにしてんぞ!」
タダ飯ほど美味いもんはない。
ズーハオはタダほど高いもんはねぇとか言うけど、今回の場合はアドバイス代だしなーなんて屁理屈でねじ伏せる。
スキップしながら教室に戻っていたもんだから、途中で出会ったテレル様に「頭、大丈夫か?」と言われた。そこは何か良いことがあったんだろうなで片付けてくれよ。
真面目な顔で真面目な人にスキップ注意されると、なんかたかがスキップなのに悪いことした気分になるから。
寮の連中も夕方出ていこうとすると「彼女か? 彼女なのか?」と誰かが言い始め、阿鼻叫喚となって大変だった。どうせ彼女なんか出来たら許せねぇ連中の杞憂だなと思って「彼女じゃねぇし、エルと飯食いに行くんだよ」と本当のことを述べれば、騒ぐ人数は減れど、一部の連中が更に騒いだ。
何を言えばオレは良かったんだよ。
つーか、朝っぱらから中庭で爆睡し、人の注目を集めてた上、起こそうとしたオレの首を反射的に掴んだという友人はオレ以外に全く突っ込まれていないというのに、なんでただ浮かれてスキップしてたり、友人と夕飯を食べに行こうとする俺の方が突っ込まれるのかよく分からん。
***
生き物である以上、睡眠は不可欠だから基本悪夢だろうが、いつも義務的にとっている。
他人に強制的に歌で眠りをとらせているくらいなのだから、このくらいはするべきだろう。
でも一際酷い夢を見たもんだから、ここ最近眠るのを避けていた。だけど、やっぱり体は睡眠を欲していて強烈な眠気に襲われた。
だから、あの木の下で眠ることにしたんだ。
正直、目覚めた時の人だかりには表には出さなかったが呆れた。
人が眠っているだけで、こんな集まるのかと。まるで自分が珍しい生き物にでもなった気分だった。でも、同時に自分があんな開けた場所で眠っていたら、人々の興味を惹くのも自覚してたから「あー、こんくらいか」とも思ったのだ。
カイには「危ないからもう少し眠るところ考えろよ」と後で注意されたけど、考えた上であの場所だった。
堂々と目立った方が異変や危機があった時に自分も他人も気付きやすい上、なにかぼくにやらかそうとする奴には人目の多いところで白昼堂々とやるタイプは少ないだろうから逆に安全だ。
目立たないところで寝ようものなら、寝首を掻かれる可能性がぼくにはある。それに加えてぼくの寝首を掻こうとした人が、デアーグに到底直視出来ない有様にされる可能性もある。
高い可能性では無いが、そんな物騒な可能性は下げられるだけ下げといて悪いことはないだろう。
ぼくにとって、睡眠はとらなくても調子が崩れないなら、一生とらなくたって良いってくらいだ。夢にしろ、無防備になることにしろ、時間が削られることにしろ、デメリットが多過ぎる。
カイの話していた通りの理屈で夢を見ているなら、ぼくの夢見が悪いのは当然のことだろう。そうじゃなくたって、ぼくは夢見が良くなるような善い行いをしてない。
灰や煙ででせき込んでしまうほど激しい炎も、
手足を染める赤いぬるぬるとした液体も、
鉄の塊越しに伝わる鈍い感覚も、
自分以外の生者がいない薄暗い空間も、
空虚になった瞳の持ち主に一生懸命声掛けても返答が返ってこないのも、
だだっ広い空間に置き去りにされるのも、
ぼくを神のように崇拝する愚者に囲まれるのも、
お前なんて生まれてこなければ良かったと罵声を浴びせられるのも、
ぼくの夢に出てくるのは全て必然だ。
――だけど、
「ロキくんは偉いなぁ、好き嫌いとか全くねぇんだな。オレがロキくんくらいの時は野菜が食えないのなんのって」
「食べられるものは全部おいしいです」
「カイさんってたまにじじくさいですよね」
「ロキくんたくましいな。そんで、フェイスちゃん、じじくさくない。オレは14。つーか、年相応じゃねぇのはエルの方がぜってぇひどい」
「エル兄さんは大人びているって言うんです。カイさんは基本、年相応ですけど、たまにじじくさいです」
「へいへい、ブラコンに無駄なことを言いましたよ。ったく、みんなしてエルには甘いんだからよ」
目の前で和気藹々とする彼らの姿は、ぼくの心をどこまでも穏やかなものにしてくれる。
たとえこの後、良い夢を見なくてもぼくは構わない。カイはぼくに良い夢を見て欲しいんだろうけれど、この時点でもう充分だ。
だって目の前のこの光景がぼくが見てきたどんな夢よりも、夢のように素敵なものであるから。
別に他の人たちから見たらどうってことのない光景かもしれない。カイもそう思うかもしれない。
でも大切な人たちが楽しそうに笑ってる光景はぼくにとって、何よりも美しく、眩しく、幸せなものだから。
だから、この素敵な光景を何十年先にも見ることが出来たらなと叶わないことを願ってしまうのだ。