17 大会当日朝
オレでも緊張で食べ物が喉を通らないことってあんだ………一時期メンタルやられた時もメシは食ってたのにな。あの時は早く席から離れたくてむしろ勢いよく食べ過ぎて喉詰まりそうになったことはあっけど。
寮の食堂で目の前の朝飯を見つめてオレはそんなことを思う。
「あんた足邪魔なんっすよ!」
「ああ、すみません。貴方が短足なの忘れていました」
「足も身長も俺の方があんたより全然長いっす! あ、失礼したっす目が悪くて正確な長さが分からないんっすね!」
「残念ですが、僕は目は良い方です。冗談ってことも分からないで話を進めるとは思いませんでした」
ビトくんとヘスス君が目の前でいつも通り机の下で周りに被害を出さないように器用に蹴り合いしているのを見て、今日だけは見習いたいと思った。
どこからくんだその余裕。
あと今の話の流れにその発言だと、ヘスス君思いっきりブーメラン刺さってる。
フォークを持ったまま食事に手をつけないオレを不審に思ったのだろう、ビト君に一発蹴りを決めたヘスス君がこちらを見る。結構痛そうな音したぞ。
「カイ先輩、食べないんですか?」
「お、おう。なんか緊張して全然駄目で……」
そう正直に言えば、緑色の瞳を見開かれる。
「カイ先輩が緊張なんてするような繊細な精神の持ち主だとは思いませんでした」
相変わらず丁寧な口調で人を貶すなぁ、この子は!
「それもそうっすね。俺とこいつが喧嘩してようが普通に寝られるくらいっすから」
珍しくビト君まで便乗するし。いや、別にこの子は貶す気とかはないんだろうけどよ。
夜寝る時間になるのにも関わらず喧嘩を続ける当人がそれを言うか?
毎回どっちが先に目を瞑るかとか、睡眠中に不審な動きをするなとか騒がしい。お互いに警戒し過ぎだろ。もう、ここまでいくと仲が良いように思えてくる。
つーか、最初の方は眠れなかったからな。怖いし、うるせぇし、危ないしで、でもな……不思議と人間って慣れるんだよ。
オレが何言ったってこの二人は変わんねぇだろうし、ま、こんだけ元気にドンパチやってくれればうっさいけど、変態避けにはなるから諦めよう。
「オレでも緊張くらいするぞ……武闘大会で一番雑魚な自信あるしな」
「そうっすね、戦績見ても、カイ先輩は本戦出場者の中でドベを争ってたっす。ペアと、あとくじ運が良かったっすからねー。多分、予選で一番楽なところっすよ。まあ、記念だと思って気楽にいけばいいっすよ」
ビト君がオレを貶したいのか、励ましたいのか分からない。
彼が言うようにオレも気楽に行こっかなとか考えたこともあっけどよ、予選で敗退した本選出たかった組にそんなん知られたら刺される。
つーか、今、ドベを争ってるって言ってたよな。つまり、オレと同じようにペアと運で勝ち上がった奴がいるってことか。
「オレの他にも戦績悪い奴いたのか」
「オリス・ドロッセル・レトガー様のペアは今のところ何もしてませんからね。突っ立っているだけで全試合終わってます」
ヘスス君すげぇ、一年なのに二年のことよく知ってんな。つか、突っ立っているだけってそれは流石にオレの方がマシじゃね? オレより酷いってことはねぇだろ。
「流石に防御とかしてんだろ」
「しなくて済むんですよ。レトガー様が試合をすぐに終わらせてしまうから」
オリス様、味方が防御することすらせず全勝って半端ねぇな。ま、二年は同じリーグにオリス様がいたら負け確ってくらいだもんな。
「別にそいつがクソ雑魚な訳ではないと思うんっすよ。まあ、強くはねぇっすけど。先輩よりは強いと思うっすよ。けど、なんすかねー、ペアのあまりの強さに完全に呑まれちまって、自分が動く意味を感じられないんでしょうね……」
「レトガー様のペアは本戦勝ち上がったということでは運が良かったですけれど、経験を得るということでは完全に運が悪かったです。戦う意思を完全に無くしましたから」
二人とも二年の話なのにオレよりなんでそんなに詳しいんだろ。あと、ヘスス君の言葉はオレにも見事に突き刺さ――いや、オレはペアが誰であろうと戦う気はねぇか。
目の前の二人は、本当に熱意や実力があって本選まで勝ち上がったんだろうな。
だってオレみたいに萎縮しねぇし、自信もある。出場する連中のことを違う学年の奴らまで把握している。
そう考えると自分が情けない。
だけどオレは情けないと思うだけで、なんもしねぇ奴だ。ただ思うだけでそれで終わり。いつだってそうだ。
先輩の件だって散々、自分の駄目っぷりに無力さに打ちひしがれた。打ちひしがれただけで、相変わらず無為に時間を潰した。
辛いことは嫌だ。怖いことは嫌だ。自分に合わないことは嫌だ。いつも、自分の好きなことを見て聞いて、好きなことを、得意なことをやって呑気に生きてたい。
嫌なことからずっと逃避して来た。だって、何だかんだオレはそれでまかり通ってきたから。時が何とかしてくれた。周囲が何とかしてくれた。それに対してヘラヘラ笑って生きてんのがオレだ。
逃げることが全部が全部悪いって訳じゃねぇと思う。時には逃げないとやっていけねぇ時もある。逃げんのも一種の手段でもある。
けど、逃げて逃げて、見て見ぬふりして周りに頼って、甘えてばかりいたら、オレは自分の足で立てなくなっちまうのだと思う。
先輩の事件の時から自分のその傾向は強くなった気がする。あの時、自分は何も出来なかった。叫べなかった、動けなかった、立ち向かうなんてもってのほか。
エルと会って、あいつが貴族に攫われた時、もしエルが先輩の時と同じようなことになっていたとしたら、オレは多分あの時と同じように動けなかった気がすんだ。あいつが、エルが自分で何とか出来るような凄い奴だったから何とかなっただけだ。
この前の倉庫の件でそれが分かった。
最近、そこまで危険な目とかに遭ってねぇし、エルやオリス様とかが助けてくれるから、意識しないで済んでたけど、オレは嫌なことに直面すると目を瞑って耳を塞いでそれを通り過ぎるのを待つしか出来ない。誰かの助けを待ってしまう。周りに甘えてしまう。
あの時、エルに何もなくてホッとした。でも、それはエルが自分でなんとか出来たからだってだけで、オレは安心して泣くだけだった。
なんで、あの時泣いたんだ? ホッとしたから? いや、多分それだけじゃねぇ。
オレはきっとあの日のやり直しがしたかったんだ。先輩が壊れた日に巻き戻ることは出来ねぇけど、似たようなことがあった時に何もなかったから、オレは悪くねぇと自分で自分にそうずっと思い込ませたかったんじゃねぇの。
……あれ? オレ、エルと一緒に居ていいのか?
冬休み前に一個上の貴族の金髪頭に「寄生してる」って言われて否定したけど、案外あの人の言うこと間違ってねぇかもしれねぇ。
だってオレ、エルに助けて貰ってばっかだ。エルに優しくして貰ってばっかだ。
オレは単純だから、その場その場を感情のままに生きて、エルに迷惑かけてんじゃねぇの?
オレはエルの為になんかしてやれたか?
「カイ、どうした? 朝から辛気臭い顔して」
「いっ⁉︎」
バシンと思いっきり背中を叩かれ、現実に引き戻される。
「飯も食ってないじゃないか! 食わんとただでさえひよっこいのに力が出ないぞ!」
「りょ、寮長……」
オレと同じく武闘大会の出場者である寮長が片手で持っていた朝飯を机に置くとオレの隣に座る。
「その……緊張して喉通らなくて」
「そっかそっか、でも食わんと力が出ないぞ。どうせ、今日一日だけだし、そこまで気負わなくていいんだぞ」
そう寮長が陽気に話しかけてくる。オレが元気なさそうなの見て気にかけてくれてんだろうな。本当に昔から面倒見がいいなこの人。
「ギジェンとセンテーノはそこんところは大丈夫そうだな! 毎日元気にやってるし、当たったらよろしくな!」
「よろしくお願いしますっす!」
「お相手に充分かは分かりませんが、今回の大会は本気でやらせて頂く所存です。まあ最初に当たるのはジングフォーゲル先輩とカイ先輩ですけどね」
ヘスス君の言葉に思わず肩が跳ねる。
そうなんだよな……初戦ヘスス君なんだよな。ああどうしよ。どうにも出来ねぇけど。
ただでさえ舐められてんのに更に舐められるだろうな。いや別に尊敬されるような素晴らしい奴でもねぇからいいんだけどよ。同学年や先輩の寮生からしばらく弄られんのが確定だ。
「わしは一試合目は同じ三年の連中倒すと、あのアルフレッド様と当たれるんでな、楽しみだ!」
緑の公爵子息のアルフレッド・レトガー・シュトックハウゼンは地上最強と言われる程、強い。
緑系統でよく行われる武闘大会であのオリス様が準優勝の時は、優勝者は彼だ。オリス様も大人達を差し置いて買ってる時点で相当すげぇけど、その上がいるから世の中不思議なもんだ。
寮長はそんな相手と当たるってのに、元気だな。なんつーか、オレとは心の持ちようが違う。そういや……寮長のペアって誰なんだろ。
「そうですか、そういや寮長って誰とペア組んでるんでしたっけ?」
「わしのペア? わしのペアはあいつだぞ!」
寮長が指し示したのは輝くスキンヘッドのあの変態………………だからオレに情報が来なかったのか。
***
競技場には沢山の人が集まっていた。出場者らしき連中が、胸を張って選手用の入場口に入るのを見て、胃がひっくり返りそうになる。
無理無理無理、あんなとこにまざれねぇ。
「クソザコ君見―っけ!」
「⁉︎」
名前を呼ばれてはいないが、自分に向けられた嘲りであることは本能的に分かった。
そしてすぐに眼に映るきんきらの髪。確か冬休み前に絡んできた一個上の実技トップで緑の貴族、テウタテス様だっけか。
「ビクビクしやがって情けねーの。まぁ、当然だよなぁ? おこぼれだもんなぁ?」
挑発するようにそう言われるが図星過ぎて何も言えない。
「へっ、何も言い返せねーな。だっせぇ。言い返す程の強さもねーとは呆れるわ」
貴族相手に言い返すとか自殺行為にも等しいし、言われてる内容にも異論が出てこねぇ。
つーか、大会当日にも制服とか規定の運動服着てこないで来るような不良で、かつ緑の貴族なんてオレが相手になる訳ねぇだろと恨めしく思ってしまうが、そんな自分が情けねぇ。けど、なんでオレみたいなクソザコにこの人は構うんだよ、なんのメリットもねぇだろ。
頭ん中がそんな風に無意味に思考が塗れるが、そんなことしてても事態は改善しない。
「失礼、ぼくのペアに何かようですか?」
お前は白馬に乗った王子か。それともヒーローか。
何にせよ、イケメンな態度で現れた友人にオレはホッとしてしまう。これだから駄目なんだよ。
「あ、そいつに弱いって言ってただけだぜ。お前、エルラフリートだっけか、よくそんなんと組んでんな」
「誘ったのはぼくからです。彼だって彼なりに頑張ってぼくに付き合ってくれているのだから、そんなこと言わないで下さい」
なんだろう、弱いのは肯定された気がする。事実だから良いんだけどよ。つーか、貴族相手にこんな態度のままじゃエルが反感買って危ねぇ目に遭うかもしれねぇから、止めないと。
「……エル、別にいいぞ、事実だし」
「この人、オリス様が仰っていた冬休み前の人?」
「え……ち、ちげぇよ」
なんとなく、肯定しちゃいけない気がしたから否定したみたいだが、オレの言い方で察したのか、オレを自分の背中に隠す。
ど、どうしよう、マジでオレ、ヒロインポジションだ。
「おうおう、そんな寄生系ザコ庇って優しいねぇ。エルラフリートくん」
「別に優しくないですけど、時間にもなりますし先輩はそろそろ競技場に行かれたらどうですか?」
「平民なのにオレ様に指図するたぁ、生意気だなぁ」
「失礼しました。指図ではなく提案したつもりだったのですが、誤解を与えてしまったようですね。では、ぼくらは先に行かせて頂きます」
そういつかのゴロツキに絡まれた時と同様にオレの手を引いて、立ち去ろうとした時だった。
「ふーん、ジングフォーゲル君はぁ、そんな生意気な態度とれる子だったんだぁ」
テウタテス先輩ではない新たな声に対して、エルの足が止まる。
どこかで聞いたことのある声だが、誰だか分からない。
「あんまりにも遅いから呼びに来たよぉ、テウタテス」
「悪ぃな、デアーグ」
声の主は、以前オレが見た菖蒲戦に出場していたデアーグ・エルピス・マイスターという侯爵子息だった。
この方が手を滑らせて危うくナイフがオレに刺さるところをエルが守ってくれたのを今でも覚えている。つーか、本当にオレはエルに守られてばっかだな。
「入学式の時の生徒代表同士で会った時は結構大人しかったんだけど、意外と生意気なんだねぇ」
オレの手を掴むエルの手が震える。
「弱いペアがちょっと文句言われたからって、貴族相手にそんな生意気な口叩けるなんて、凄いねぇ? 平民の筈なのに」
赤い目をかっ開いて、そうゆっくり語る一つ上の少年にオレもエルと同じく恐怖を感じたのか、足をほんの少し引いてる。それでもオレと彼らの間にはいる。
エルに対しての言葉なのに、どうしてだろうオレにも敵意がビシバシ伝わってくるんだ。むしろ、エルを通り越してオレに敵意があるんじゃねぇかって程。
「でもまぁ、時間はたしかにギリギリだしありがとうねぇ、ジングフォーゲル君。君もそろそろ入場しなきゃ間に合わないよぉ」
エルがその言葉に無言で頷いたのに少し不満そうにしながらも、二人はオレらの前から去っていった。
妙な空気になって、オレらはしばらく動けずにいたが、時間が迫っているのは本当のことだ。
「え、エル、ありがとな……オレたちも時間だし、そろそろ行こうぜ」
「……ごめん、カイ」
「な、なんで謝るんだよ……お前にはむしろ助けてもらったばっかだろ」
「違うんだ、カイ……ぼくは凄い悪い奴なんだよ。いつも周りを不幸にしてばかりなんだ、傷つけてばかりなんだ」
周りを不幸にしてばかりって以前にも似たようなことを聞いたような気が――ああ、エルと仲直りした時か、相変わらずネガティブだな。
「別に文句言われたのはオレが弱いのが原因だろ。お前のせいに勝手にすんじゃねぇよ。それ以上、自虐してみろ、こっちも延々と自虐仕返してやるよ。そうすれば自虐を延々と聞かされる立場が分かるだろうしな。今ならたくさん自虐ネタあるしな」
むしろ自虐ネタしかねぇ。最近、自分の情けなさを、弱さを痛感してばっかだ。
それでもオレが自虐をすれば、エルはオレを必死で慰めるのだろう。今、以上に甘やかすのだろう。
テレル様だったら、容赦なく「その通り」だとか言って追撃するだろうけれどエルは違う。
目の前のエルの顔が正にそれを証明している。
それじゃあ、オレは駄目なんだ。
オリス様も、エルも、現寮長も、寮の連中も、元寮長も、オレを甘やかす。そんでオレはその甘さに浸かり続けてきた。でも多分……それじゃあ駄目なんだ。
甘さに浸かりっぱなしじゃ駄目なんだ。それじゃあ、オレは駄目なんだ。先輩の時みたいに誰も救えないで、ただ嘆くだけしか出来ないままになってしまう。
駄目だと……こんなにも思ってるのになぁ。どうしてオレは未だに成長出来ずにいるんだろう。どうしていざっていう時になっても何も出来ないんだろう。
さっき、エルが珍しく怖がってたのにオレは動けなかった。
無言で頷いたエルの横顔は真っ白だった。それほど怖がってたのに、エルはそんな状況でもオレを守ろうとしていた。
エルは強い、そんでオレは……弱い。
「なーんてな、あんくらいで傷つくような柔な神経してねぇっての。さっさと行こうぜ本当に間に合わなくなっちまうぞ。言い出しっぺが遅れてどうすんだよ」
そんな弱いオレがかろうじて出来たのは、せめてこれ以上エルに心配かけねぇように、エルに笑ってもらえるように、全然気にしてねぇよって笑うことだった。
それだけじゃあ、駄目だってのにな。




