中途半端な存在11
フェイスがカイに放課後相談していると聞いて、最初はなんでぼくには相談してくれないんだろうと悔しく思った。
けれど、ぼくは少し単独行動をとらなければならなかったのでカイとフェイスがセットでいてくれることは都合が良かった。
それに、カイの方がぼくみたいな人でなしより相談相手には合っていると思う。
まぁ、それでも2人の安全を確保する為にあの子に頼ってしまったけど。
***
「僕はエルラフリート様の為に入学しました。僕は貴方の犬です」
ぼくの耳は壊れたらしい。そう跪いた彼からぼくは正直逃げたかった。
緑の瞳に、カイと同じ色だけどさらさらな髪。前髪はあの時切ったままなのかぱっつんのままだった。目の下から首筋にかけてあるツタ状の痣も相変わらずだった。
でも、左耳のピアスだけは無くなっていた。貴族がピアスを外しっぱなしなんて滅多にないのに。それこそ貴族の権利を剥奪された罪人くらいだ。
「な、何言ってるの? そもそも、君はなんでここにいるの?」
入学式後、荷物を取りに二年のAクラスの教室で待ち構えていた彼に、ぼくは度肝を抜かれながらもなんとかそう問いかける。
「フェンリール様がエルラフリート様に従うようにとご命令がありました」
「なら、いいよ……ぼくがフェンリールにそんなことしなくていいって言うからさ」
デアーグみたいに過激になってまでぼくを守ろうとはしないけれど、人を送ってくる時点でフェンリールも大概だ。
今まで、別にぼくに部下なんて寄越してなかったし、ぼくも望まなかったのになんでこんなことを。
しかし、ぼくの言葉に「僕は……いらないですか?」と心細そうに彼が言うもんだから、ぼくは言葉に詰まった。
ここで「いらない」と言ってはいけない気がしたのだ。向こうに居た時にも思ったけど、この子は仕事に真面目なせいか、仕事がないと心底ショックを受ける。それにぼくだって「いらない」と言われたら傷つく。
「別にいらない訳じゃないよ……でも、ぼくなんかじゃなくてデアーグの助けとか――」
「デアーグ様ではなく、ぼくはエル様の為に存在しています。エル様の為に何か出来ないのであれば僕の存在価値はありません」
立ち上がってきっぱりそう言い放った彼に再び恐怖のようなものを感じる。
向こうにいる時に薄々そうじゃないかと思っていたけれど、ただ仕事中毒なだけかなと自分を誤魔化した。でも、彼はマイスター侯爵家の次男であるデアーグより、ぼくを優先するようなことを言った。
ぼくの為に存在する、同じようなことを言った人は目の前の彼が初めてじゃない。
その人はぶっ壊れて、どうしようもなくぶっ壊れて、自分も他人も傷つけてまで、ぼくを守ろうとする狂人になってしまった。
そこまでして守られる価値はぼくにはないのに。取り返しのつかないくらい、思わず見て見ぬ振りをしたくなる程、あの人はぶっ壊れてしまった。
ぼくがあの人を狂わせた。ぼくがあの人を壊した。
そして、目の前にいるこの子も何故か同じ道を辿ろうとしている。あの人がぼくを守ろうと必死になる原因はなんとなく分かるけど、この子がそうなろうとする理由は分からない。
ぼくは、自分の知らない間にこの子も壊したのだろうか? ああ、だとしたらぼくはバケモノだ。
昔のぼくがきっと、あの人と同じように、ヘススのことも気づかないうちに狂わせてしまったんだ。
遥か昔の文献に乗っていた、人を歌で惑わすバケモノと一緒だ。
頰が引き攣りそうになるのを堪える。
落ち着け。まだ、彼を正常に戻せるかもしれないだろう。自身の存在価値をぼくに仕えることなんてさせちゃいけない。
「そんなことないよ。そもそも君、子爵家の子でしょう? 人に仕えなくたって」
「母が浮気した結果出来た子ですから、向こうもぼくも子爵家との繋がりは無くたって構いません。目も緑ですし、僕は邪魔者扱いですから」
まずった。マイスター侯爵家の使用人という時点で訳ありだってことは簡単に予想がつくのに、色々パニックになって余計なことを言ってしまった。ハッとして口元を押さえたぼくに彼は柔らかな声で言葉を紡ぐ。
「別にお気になさらず。ぼくは望んで使用人になりました」
「でも、ピアス……」
「あれは色々都合が良かったからってだけですよ。エル様に仕えられるのなら僕はあんなのどうでもいいです」
「ぼくは君にそう思われるほどの奴じゃないよ……」
本心から漏れ出た言葉だった。しかし、それに彼は緑の目を見開いた。
「いいえ。エル様は素晴らしいお方です。そんな卑下をなさらないで下さい」
ああ、嫌だ。ぼくはそんな大層な存在じゃないのに。むしろ、世にもおぞましい存在なのに。
「卑下じゃないよ……君は、君は、ぼくの何を知っているの? ちゃんと知ってたらそんなことは言えないよ。ぼくはそんな大層な人物じゃないよ」
「いいえ、貴方様はご自分の価値に気づかれていないだけです。エル様は救世主です」
『救世主』という言葉にぼくの心臓は氷漬けにされる。何か言おうとしても何も言葉が出てこない。
どこまであの人と一緒なんだ。
「デアーグに……なんか言われた?」
やっとその言葉を口にした時には、ぼくの足から力は完全に抜けてしまって、教室の床にへたり込んでいた。彼の制服の裾を掴んで俯くぼくの姿はさぞ情けなかっただろう。
自分がどうしてその言葉を口にしたのかはよく分からない。ただ、可能性として考えられることを口にしただけか、その言葉に肯定して欲しかったからか、またあの人の所為にしてしまえば楽だったからか、分からないけれど。
「いいえ」と彼がその後、言ったことにぼくは絶望したんだ。
お願いだから、ちゃんとぼくという人間を見てくれ。ぼくという人間をちゃんと見て、ちゃんと知れば、ぼくに従属なんてしないから。
***
ただ、彼にはデアーグと少し違うところがあった。
「エルラフリート様、今日もお二人の無事を確認しました」
「うん、ありがとう。ヘスス」
音も立てず、図書室裏の木の上にいた、ぼくのところにやって来たのはヘスス・センテーノ。カイの寮の同室者で、一年Aクラス所属の平民と表向きはなっている。
「お役に立てて何よりです」
無表情ながら弾んだ声でそう言う彼は使用人なだけあってぼくに従順だった。おまけに暴走はしない。ぼくに盲目的な態度には恐怖を感じるが、それ以外にあまり危険性は感じない。
デアーグみたいに、カイやエヴァンズ兄弟に牙を剥いたりしない。むしろ、ぼくが望むなら彼らのことを守ってくれる。
あの日、床にへたり込んでいたぼくに彼は言った。
『僕は貴方の味方です。貴方の望みを叶える為の犬です。貴方が誰かを殺せと言うなら殺します。守れと言えば守ります。悪行でも善行でも、貴方を傷つける以外の望みならなんでもやります』
なんとなくフェンリールが彼をぼくによこした理由が分かった。なんだかんだあの人はデアーグが暴走することを見越していたのだろう、その対抗策に何故かぼくに盲目的な彼をよこした。
デアーグはぼくのことを大切に思うが故に暴走する。しかし、それがぼくにとって辛いものだと分かってるから。ぼくでは彼への罪悪感もあって上手く止められないのが分かっていたから、ヘススをよこした。
フェンリールはやっぱりぼくに甘い。そして、他に冷たい。
「ねぇ、ヘスス。君はなんかやりたいことないの? 毎日、ぼくのお願い聞いて大変じゃない?」
「いいえ、これ以上なく幸せですよ」
淀みなく言ってみせる彼は正直異常だと思う。
一つ年下の少年が、ぼくの道具になることを分かった上でフェンリールはきっとこの子をよこした。フェンリールから見ればヘススは使用人の一人に過ぎないから。
まあ、いちいち貴族が使用人に気にかける方がおかしいか。
目の前の彼からぼくに盲目的なことを除けば、もう少し自由で幸せな人生を歩めたのではないだろうか。
カイから寮の同室の二人についての話を聞くたびにそう思う。最初はカイに危害を与えたりしないか心配してたけど、最近は寮にいるヘススは自由なのだと思うようになった。
ぼくと紫の公爵家の第三子との確執の所為で、もう一人の同室者とはよく諍いを起こしているようだが、それもカイが緩衝材となってくれてるみたいだし。カイの口から語られるヘススは結構生意気な子みたいだし……きっと、それが彼の本来の姿なのではないだろうか。
「本当に? 何か我慢してない?」
「何も我慢してないですよ」
彼の緑の瞳はどこまでも静かで凪いでいて、穏やかなのにぼくはどうしてか落ち着かなかった。
「じゃあ、なんかぼくにお礼でして欲しいことはない?」
「お礼なんて大丈夫ですよ」
「でも……」
一つしか年が変わらないけれど、彼のような少年がぼくの命令をこなす為に青春を奪われていると思うと、申し訳ない。使っておいてなんだけど、せめて、何かお返しが出来たらいいけれど、ぼくは彼に何か与えられるだろうか。
「では……質問してもいいですか?」
「勿論、いいよ」
どうして質問するのか分からないけれど。彼が望むなら答えてあげよう。
それにしても一体、なんのことだろうか。貴族関係のことはぼくよりデアーグやフェンリールの方が知ってるしな。となると、ぼく自身のことになるだろうけど。ジュリーの代わりにあの家でぼく担当を任されていた訳だし、ある程度は知っていると思うんだよね。
「何故、武闘大会の本戦まで勝ち上がったのですか? 何故、紫と緑の公爵子息にフェイス・エヴァンズに興味を持ってもらうように仕向けたのですか?」
「……どうしてそんなことを聞くの?」
予想外のことを聞かれ少し動揺する。
直近のぼくの行動のことばかり聞いてくる。……もしかして、フェンリールにぼくのことを報告する為か? いや、それなら何も言わずに黙って調査するか。
いやでも、ぼくに堂々とフェンリールに言われて来ましたと報告してるから最初から疑われていると考えるか……うーん、分からない。彼がいつも無表情なのもあってますます彼の真意が分からない。
「武闘大会の方は、僕も勝ち上がっているので何か考えがあるのならそれのお手伝いを出来ればと」
顔に出ていたのか、ヘススがぼくを気遣うようにそう口にする。
「大した考えはないよ。デアーグがそんな恐れなくてもいいくらいぼくが強さをアピールできたらいいなと思ったのと。カイがぼくを傷つけられる程、強くないことの証明にならないかなって」
ぼくはもう考えるのも面倒で、本当のことを答える。カイについては結果的に申し訳ないことをしたと思う。いつもぼくは道を間違えるんだ。守るとかいって結局ろくに守れていないし、いつも巻き込んでばっかだ。
「完全にデアーグ様対策ですね」
「まぁ、それだけじゃないけどね。僕自身が普通に自分の強さに挑みたかったのもあるし、あと司祭様とやらにあってみたかった」
武闘大会の上位者には最高司祭に会う機会が与えられる。
神殿の連中には会うなと散々、デアーグにもフェンリールにも、なんだったら赤の公爵にも言われている。けれど、だからこそ会うべきだと思ったのだ。
「そうですか……では、本戦で当たったら負けましょうか?」
さらりと放たれた言葉に、ぼくは彼の腕を強く掴む。
「それは絶対にやらないで。ぼくは相当カイのくじ運がいいってのもあって勝ち上がったけど、君、あの激戦区勝ち上がったんだったら相当強いでしょう。君に負けた人の為にもぼくの為にもワザと負けるなんて絶対に許さないよ」
「すみません。エルラフリート様がそうおっしゃるなら本気でやります」
マイスター侯爵家だから弱いとは思って無かったが、一年の予選の結果を見る限り、滅茶苦茶この子は強い。手を抜かれるのは自分のプライド的にも嫌だし、何より卑怯だ。それに――、
「……君の実力ってどんくらい?」
彼の実力が知りたい。口頭でも今聞いてみるが、それ以上に実際に本気の彼を知って、いざ敵に回った時に対抗策を打てるようにしておきたい。武闘大会ってのは実力をみるためにも丁度良い機会だ。
なんだかんだでフェンリールの指示でこちらの来ているから、「ぼくの犬」を自称してようが、ぼくの行動を邪魔する可能性だってある。
正直疑うのはどうかと思うが、それでもカイやフェイスやロキに害をなす可能性が1パーセントでもあるなら、警戒しとくに越したことはない。
「緑の侯爵家の血の影響が少しあるのでデアーグ様より少し強いか互角か――大丈夫ですか⁉︎」
危うく木から落ちるところを、ヘススに引っ張りあげられる。
「ちょ、緑の侯爵家ってどういうこと?」
赤系統の子爵家との繋がりは聞いてたけど、予想外のところ出てきたんだけど。
緑、しかも侯爵家となると相当な家柄じゃないか。
レトガー家、ジッド家、ヴァルダー家、グライナー家のどこかってことか。
っていうか、緑と赤ってどういう接点でくっつくんだ? 基本貴族は同系統と結婚するし、色違いの結婚があったらぼくが知らない訳がない。
「ああ、赤の子爵家のあばずれが若い頃に、緑の侯爵酒で前後不覚にして誑かした結果生まれたのが僕なんですよ」
そういや浮気で自分が出来たって言ってた。にしても、侯爵家の血を引く子が使用人っておかしいと思う。いや、緑と赤は敵対関係に近いから、良い扱いにはならなそうだけど、流石に使用人はない。
「君、なんで使用人やってんの?」
「貴方も似たような、というより僕以上におかしな立場ですよ。理由なら貴方と同じです。貴方が平民であることを望むように、私もこの立場を望んでいるんです」
淀みない言葉に、ぼくは返答に困る。
確かに、ぼくの今の状況ってのは常識に当てはめて考えれば、相当おかしいことになってる。
そして、それがぼくの意思と、赤のあいつや、フェンリール達の思惑が混ざり合った結果であるのも承知している。
だけど、ぼくは平民。貴族に逆らえないとはいえ自由な身を望んでいる。
しかし目の前の彼は使用人という上のものに逆らえない立場な上、縛られ続ける身を望んでいる。
「……そっか。あと、質問はなんだっけ?」
「何故、あの公爵子息二人の興味をフェイス・エヴァンズに向けさせたのかですね……今までは貴族と関わらせることを出来るだけ避けていたでしょう?」
「君……どこまで知ってるの?」
可愛い妹分の名が出てきて警戒を強めるぼくに、彼女に似た緑色の瞳をヘススは細める。
「これでもマイスター家の使用人ですよ? あ、安心して下さい。僕は絶対的に貴方の味方なので質問の答えを誰かに言ったりしませんから」
優しい声音でそう言う彼にどう返すべきか正直迷った。
「………………カイとオリス様を見て、どうせフェイスは目立つのは分かってるから中途半端に目立って狙われるより、上級貴族の中の性格いい奴らと行動して貰った方が安全だと思ったから。デアーグも公爵子息二人には敵わないしね」
迷ったけれど、質問に答えないでいれば、彼が独自に探りそうだし、嘘をつけばなんとなくバレてしまう気がする。
「エルラフリート様は本当にカイさんやエヴァンズ姉弟が大切なんですね」
「……うん。だって、良い人達だもの」
「良い人かどうかは僕には分かりませんが、エルラフリート様が楽しそうならいいです。僕にとって貴方が幸せなことが一番ですから」
ヘスス・センテーノ。
彼がぼくが困るようなことをする可能性は今の話を聞く限りかなり低い気がする。
でも、ぼくについて多分ぼくが思っているより知っているにも関わらず、ぼくを嫌悪することなくむしろこんなにも慕ってくる彼が、おそらく彼をこんなにした自分の何かが怖くてたまらなかった。
彼は異常だ。
でもそれ以上にぼくは異常だ。
ぼくという異常なバケモノは、他人に不幸を招き、他人を傷つけ、他人を壊して、他人を惑わして、にも関わらず未だに幸福を求めようとしていると悍ましい生き物なのだ。
本当に罪深い。