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14 トラウマ

 偶然、レトガー様はその言葉を無表情で言ったのだ。


 そこにはなんも悪意も敵意も意図もない。無意識下に無表情になってしまっただけだと思う。そんなのは分かってる。分かってんだ。


 でも、ここは倉庫だった。


 あそこの倉庫とは別だから今までなんも気にしてなかったけれど、薄暗い倉庫だった。光が少なく、どこか埃くさくて湿っぽい。そんな薄暗い倉庫で無表情でその言葉――先輩の事件が、黄のクソ貴族のことが。


「ちがっ、いない。もう、いねぇから。違う違う。ちがっ、やめろ」


 目の前にいるのはレトガー様だ。

 あいつじゃねぇ。あいつじゃねぇから思い出すな。なんで、さっき一人で閉じ込められた時は全然大丈夫だっただろうが。エルが攫われた時だってもう少し落ち着いてただろうが。なのになんで。


 最近は忘れてたのにどうして、ああ駄目だ。考えれば考えれば考えるほどドツボにはまる。ああでも先輩のこと忘れちゃダメだ。優しいあの人のことは、オレを守ってくれたあの人のことは忘れちゃ駄目だ。でも、思い出すのはあの光景で、無表情であいつが先輩を虐げる最低最悪な光景で。


 それがどうしようもなく怖くて苦しくて辛くて。


「おい」

「やめろ違うって、やめろ。終わってるよ、終わっちゃったよ。終わっちまったよぉ!」


 現状と状況が違うと、終わったことだと自分に言い聞かせるように喚くが、あの事件の終わりは先輩の崩壊を意味することも認識したせいで悪化する。


「おい、どうしたんだ」

「――っ」



『抵抗しないのか?』


 そう言った加害者の空虚な横顔は忘れようにも忘れられない。そいつに組み敷かれて首を締められていた先輩の顔も忘れられない。先輩の傷も打撲痕も火傷も、よく分からねぇ匂いも、やり取りも、味わった絶望も恐怖も、オレが何も出来ずにいたことも、全部、普段は思い出さねぇようにしてるだけで覚えてる。


『まあ、そうだろうな。お前は私に逆らえない。続きしよっか』

 抑揚の無いその問いかけに先輩が小さく呻いた。


『……お前の可愛い後輩も来てるようだよ。やぁ、はじめましてカイ・キルマーくん』


 ぼーっと焦点が合わず虚空を見ていた水色の目がオレに気づいた瞬間、悲痛に歪む。


『丁度いいから、そこにいようか?』


 オレはそこで叫ぶなり、走るなりして、助けを求めるべきだった。

 だけど、声が出なかった。奴の言う通り走るどころか立つ事も維持出来ずに座り込んだ。あ、足が動かない。声どころか息もまともに吸えてるか分からない。


 なんで声が出ないんだろう?

 なんで足が動かないんだろう?

 なんで止められないんだろう?

 なんであいつの言う通りになってるんだろう?


 あいつが貴族でオレは平民だから?

 オレが喧嘩に弱いのを自覚しているから?

 同じ目に遭うのが怖いから?

 現状を理解するのも怖いから?


 分からない。だけど、先輩は苦しんでいるのに、嫌がっているのに、オレ動けないんだ。


 オレ……何も出来ない。


 オレは何も出来ない。


『カイ、目を瞑れ! 耳を塞げ! そうすればなんともない』

 先輩がそうオレに言った気がしたから、オレは目を瞑る。オレは耳を塞ぐ。先輩が言うんだから何もねぇんだ、きっと。


 何も、何も起きてねぇよ。怖いことなんか起こってねぇぞ。誰も苦しんでねぇよ。


 目を瞑っていれば何も見えねぇよ。


 

 ………………ごめんなさい、先輩、ノア寮長。オレ弱いから何も出来なかった……むしろ傷ついている先輩にオレを守らせた、ごめんなさい。




「キルマーっ‼︎」

「っ⁉︎」

 大きな声と肩への揺さぶりで現実に帰る。


「……あ、レトガー様」

 生気のある空色の鋭い獣のような目と合い、安堵する。


「お前、大丈夫か? いきなりなんか喋り出したと思えば、そんな隅っこで耳を塞いでガタガタと震えて」


 ………………そんなことになってたのか。オレ、めっちゃヤベェ奴じゃん。


「お、驚かせてすみません! ははっ、オレって時々悪戯でこう言うことすんですよ」

「お前、今の演技だったら、ボクは赤の領地の劇団に推薦するぞ」


 なんとか愛想笑いで誤魔化そうとしたが流石に無理があるか。



 でも、レトガー様にあのこと知られんのは嫌だ。


 あの事件ってほんの一部しか知らねぇからな。平民では結構広まってるかもしれねぇが、貴族の連中はほぼ知らねぇだろう。なんつーか、レトガー様みたいな真面目な人に同じ貴族がそんなことやったって言ったら、何か行動を取ってしまいそうだ。


 もう、誰もオレが知っている人があいつに会って欲しくない。


 あいつはダメだ。あいつに会ったら、壊される。


「……発作かなんかか?」

「まあ、そんなもんです」

 向こうが勝手に推測してくれたのでそれに乗っかる。


「大丈夫か? さっきのが原因か? だとしたら悪い」


 この人おそらく模擬刀を突きつけたことを言ってんだろうな。確かにきっかけの一つはそうかもしれねぇが、それでレトガー様が悪いかと聞かれれば違う。あんなんきっかけになるとは思わねぇだろうし、偶然状況が重なって似ちまっただけだ。


「レトガー様のせいじゃ無いです」

「……なら良いが、ボクに文句がある時は言え。ボクがいつも正しい訳ではないからな」

「え?」

「なんだその反応?」


 不思議そうにされているけど、いっつもあんな高飛車口調で話してるから、自分に随分自信があるんだろうと思ってた。オレのような平民ペーペーなんぞ雑草のごとく見てるかと。


 が、これは間違っても口に出したらいけねぇ。いくらなんでも普通に人として失礼すぎる。


「……大方、意外とでも思ってるところだろう」

 思わず目を逸らす。ほんと、心でも読んでんのかな。


「すみません」

「別に謝らなくていい。そう言う印象に取られる態度を取っているのはボクだ。お陰で下からの受けが悪い」

「話し方変えればいいのでは……」

「ボクがそれをやると色々厄介でな。実力が兄上ほどあるわけでは無いから下手すると舐めてかかられる」


 色々事情があんだな。レトガー兄弟ってほんと不思議だな。印象がレトガー様といい、オリス様といいコロコロ変わる。


「苦労されてるんですね……」

「さっきのは置いといて、普段のお前ほど呑気ではないからな。少なくとも自分の敵は認識して対処しなくては無事じゃ済まない。相手が」

「な、なんで相手が?」


 今の話の流れ的にレトガー様の方じゃねぇの。


「放置しとくと兄上が対処してしまうからな。今はそのようなことは無いが、昔は結構酷かった。弱者を守るのはうちの系統の暗黙のルールだからな」


 緑系統ヤベェな。いや、ルールの根本は悪くはねぇと思うんだけどよ、なんか違和感。


「ボクはそんなのはごめんだが、兄上はな」

「オリス様は?」

「兄上は貴族として邪道だが、うちの系統としては正統派だからな。あそこまで行くと、緑系統の下僕だ。だからそう言う嫌味を込めて呼んでいるのに、兄上と来たら下僕呼びに応えないどころか、ボクをご主人様呼ばわりだ」


 んんっ? オリス様から聞いた話と少し違うぞ。どっちが本当なのかわからねぇけど。なんにしてもレトガー様がなんか可哀想だ。


「大変ですね、レトガー様」

「だからどちらもレトガーだとさっき言っただろうが。ボクの名前は?」

「テ、テレル様です」

「覚えとけよ」


「っち、余計な時間を取られた。ボクは今からクロッツ卿と手合わせするんでな、二度と閉じ込められるなよ無能。ボクが来なかったら昼休みずっとここにいるつもりだっただろう、三食キッチリ食べないと体に悪いぞ」

「はい」


 相変わらず口は悪いけど。なんつーか、レト、おっとテレル様って良い人だよなぁ。

 

 朝の出来事からのモヤモヤや、過去のトラウマ思い出したりしたけど、この人と話したらなんか少し気が楽になった。

 そりゃ厳しいことは言われたりもしたけどよ、でもなんかすげぇんだあの人。生き方がきっぱりしていてかっけぇんだ。


 そんでそんな人がオレと真っすぐ話してくれて、心配してくれて、自分の欠点だと思ってることも口にしてくれて、何故だか分からねぇけど少し嬉しかったんだ。

 口悪いけど厳しいけど、見てて気持ちいくらい真っすぐなんだ。



 だからこそ、あいつに一生会って欲しくない。

 あんな真っすぐなテレル様があいつに壊されることなんかあってはならねぇから。



 つーか、昼休みまでペアと練習とか偉いなぁ。

 



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