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中途半端な存在9‐1

 

 冬休みが始まって五日後、ぼくはデアーグと共にマイスター侯爵家の本家に来ていた。


 山の斜面にそびえたっているその屋敷の屋根は雪に覆われている。黒のレンガに今は隠れているがピンク色の屋根は、可愛らしい配色かもしれないが、そこに住んでいるのが処刑を受け持つマイスター家の人間だと聞くと不気味に見えることだろう。


 事実、マイスター家は領地にあるこの屋敷では何かを催すことはない。客も配下の家のものと、度胸のある商人くらいだ。


 それも、当然だ。この屋敷に住む貴族は人を殺すことが仕事だから。ここから三十分ほど歩けば、重犯罪者の収容所や処刑場もある。


 天気は折悪しくも曇り空でそれがますますぼくの気分を悪くした。

 それを感じ取ったのか、乗っていた栗毛の馬が耳をぴくぴく動かす。この雪の山道を乗せてきて貰った馬に不安な思いをさせたことに申し訳なく思いぼくは「ごめんね」と言う。


「久しぶりに帰って来れたぁ!」


 そう言って黒い柵の門の内側に入ると、デアーグは茶色の馬から降りて伸びをする。彼はぼくよりは久しぶりではないだろう。彼は少なくとも一年以内には帰ってきている。


「デアーグ様、お帰りなさいませ」


 家令が屋敷の中から出て来て一礼すると、屋敷の扉の両サイドにずらりと並んでいた他の使用人たちも「お帰りなさいませ」と声を合わせて一礼する。

 マイスター家に仕える女性比率が少ないのが一目瞭然になる瞬間だ。数少ない女性も年配がほとんどで、若い女性はいない。あれ? 前はもう一人居たのに。


「ただいまぁ、今回はエルも連れてきたのぉ」


 ぼくは道中共にしてきた使用人たちに混ざって入ろうと思っていたのに、デアーグがわざわざ申告してしまう。

 せっかく、端の方で気配を殺していたのに、家令がぼくのところに駆け寄ってくる。まあ、駆け寄るにしても品のある動きだけど。


「これはこれはエルラフリート様、大変お久しゅうございます」

「ご無沙汰しております」

「エルラフリート様、私めのような使用人にそのような言葉遣いをなさらないで下さい」


 品のある家令にそんなことを言われ、ぼくは戸惑ってしまう。

 ぼくはデアーグと違って、貴族じゃない。少なくとも、根っからの貴族ではない。だけど、ここで否定したら、家令もデアーグも全力で否定し始めて騒ぎになるだけだ。


 というより、それ以上に気になることがあった。


「デアーグ様、本当に知らせてなかったんですね」

「うん、だって兄上が知ったらわざわざ長い道中移動させるのは心苦しいとか仰るもの。だったら、知らせずサプライズってことにした」

「本当にぼくが来る必要はあったんですか?」


 ぼくは今年もここに来るつもりは無かったのに、そのフェンリールの話と、デアーグの機嫌の問題で来ざる得なかったのだ。


 デアーグは真っ赤な瞳をこちらに向けると、

「あったよぉ。兄上の手紙の文字見ると、ストレス溜まってるなぁって分かるもの。公爵家の養子入りする前にうちで色々しなきゃいけないことがあるから大変だよねぇ」

「ぼくが居たらむしろ悪化するのでは?」

「しないしない。むしろエルでもいないと休憩時間無しでぶっ通しでやって倒れる運命しかないからぁ」


 フェンリールは真面目だ。だから、仕事をぶっ通しでやることもあるだろう。

 けれど、ぼくが居たところで休憩になるのだろうか? 逆に無駄に気を使わせてしまいそうだ。昔からそうなのだ。フェンリールはぼくに甘いから、すぐぼくに時間を割いてしまう。むしろ妨害と気力の消費をしているのではないだろうか?


 デアーグが「いかないと、兄上が倒れちゃう」と散々喚くものだから、今回来たのだ。

 倒れられるのは嫌だし、デアーグの機嫌を出来るだけ取っとかないと困るから了承したのだが、ここに来るまで本当に行くべきかと葛藤していた。


「というか、少し前に会ったじゃないですか?」


 今まで一番合ってなかった期間より、全然短い。最後にフェンリールに会ったのはカイとドタバタし終わった頃だから、数か月しかたってない筈だ。


「エルは兄上と会いたくないのぉ?」


 デアーグの眉間にしわが寄ったことから機嫌を損ねたことを察する。


 デアーグはぼくが、彼と彼の兄と仲が良いことを望む。今の言葉だと確かにぼくがフェンリールと会いたくないように聞こえる。実際、ぼくはここ数年自分から彼に関わることはしていないけど、彼を嫌っている訳ではない。だけど……。


 デアーグは適度に会わないと暴走するし、苦情を言う為に自ら会いに行かざる得ないけれど、フェンリールは別に会いに行かなくとも支障が出ないから自主的に会いに行くことがないのだ。合った時に仲良く話せればそれでいいと思う。


 むしろ、ぼくに会うことで疲労をためたり、デアーグやおとーさんのように狂ったりしたらと思うと、怖い。


「いえ、そういう訳では。ただ、これだけ短い期間でどうしてそんなにストレスを溜められたのか不思議で」


 誤魔化しで言った言葉に、デアーグが眉を顰める。


「……俺がいないのをいいことにメスが兄上に接近するチャンスが増えちゃったんだよ。この前の夜会も兄上だけだったしねぇ」

「うんわぁ……」


 フェンリールは美形だ。

 カイ曰く貴族は美形ばかりらしいが、その中でも飛びぬけて顔が良いのがフェンリールだ。貴族の若い男の中では、フェンリールと紫の公爵子息が双璧をなすとまで言われるほどだ。


 おまけに文武両道だし、侯爵家の中から公爵家に養子入りして赤系統の次期トップとなるし、婚約者もいない。女嫌いで、処刑担当だからといって「穢れの赤」と言われるマイスター侯爵家の出だということを考慮しても、優良物件中の優良物件である。だから、近づこうとするのも普通のことだ。


 しかし、フェンリールは凄まじい女嫌いというか、女性と関わることを体が受け付けていない。


 随分前のことだけれど、肩を触られただけで、数時間後にゲロを吐いてた。一応、本人の前や公衆の面前では吐かないように堪えていたのは偉いと思う。

 本人も気にしているらしいのだが、何年経とうが治らない。一種の病気だ。それも心の、幼い頃のトラウマが彼に女性という存在を嫌悪させる。


 普段はデアーグが代わりに対処するのだが、そのデアーグは学校の方に来ていたからフェンリールが無理をしたのだろう。


「だから兄上を困らせたメスは今度特定して、制裁加えてやるんだぁ」

 にっこりと笑うデアーグにぼくはげんなりする。絶対、碌なことが起きない。


 デアーグも女嫌いだが、フェンリールとは方向性が違う。

 彼は女性と関わることが出来る。というか、敵意をぶつけまくっている。だから、しばしば口論になっている。と思えば、甘言や体を使って、取引したり、騙して女性を貶めたりする。


 彼にとって女性は敵かつどんな扱いをしても構わない存在なのだ。


 一番酷かったのは、婚約者のいる令嬢を誑かして、その気にさせたところで表ざたにして、その令嬢を貶めたことだ。婚約者以外の男性と二人で、しかも下着姿でいた彼女は社交界から消えた。貴族の令嬢には貞淑であることは必須なのだ。

 デアーグは咎められなかったのかといえば、彼自身は服を着ていたし、演技も上手かったので「一人で休憩していたら、婚約者のいる令嬢にいきなり関係を持ち掛けられた侯爵子息」ということで話がついていた。ちなみに当時の彼の年齢は一二歳だ、相手は十六歳だったらしい。この年齢差に身分差とデアーグ自身の過去も相まってデアーグは被害者としか見られなかったのだ。そしてそれを計算づくでデアーグは最初から動いていた。


 「あそこの二家で結婚されて連携強くされると困るじゃん」フェンリールが不審に思い問い詰めた結果、帰ってきたのがこの言葉だ。

 当時のぼくはフェンリールがデアーグに怒っているということに気を取られていたが、今考えるとハニートラップというものを十二歳の少年がしていたのである。怒るに決まっている。


 おまけに「そこまでする必要はないだろう」とか「家の情勢で個人の尊厳をそこまで貶めるのはやりすぎだ」とか「自分を含め、人を大切にしろ」というフェンリールの至極真っ当な意見に。「でも、婚約者がいるのに引っかかったのは、結局はあれが貞操観念死んでるビッチだったのが原因じゃん。それにぼくはちょぉっと冗談を言っただけだよぉ」と返したものだから更に怒られていた。


 ちなみにフェンリールがぼくの教育に悪いと思って、すべてのやり取りの最中、僕の耳を塞いでいた。が、あいにくとぼくの耳は普通の人の何倍もいいので全編ききとれてしまったのだ。隠そうとされると逆に気になるしね。


 ともかくデアーグは女性に対する扱いが酷いし、手段を選ばない。そんな彼が女性に対して「制裁」だなんて物騒なことを口にしている。


「フェンリール様はそんなこと望んでないですよ」

 止めないのもどうかと思い、試しにそう提言してみるが、

「そんなの分かってるよぉ。これは俺の自己満足だからぁ」


 そうニコニコ返された。


 デアーグのこういう所が一番厄介だ。

 誰かの為にするとか綺麗ごとを使わず、自己満足とはっきり言いきってしまう。自分のエゴをエゴだと簡単に認められる。


「せめて軽くしてください……じゃないと帰りますよ」

「? もう既に帰ってきてるじゃない」


 首を傾げてこちらを見つめる赤の瞳は、どこか空虚だ。なんとなく怖くなって足を引こうとした瞬間、


「それとも違うっていうのぉ?」

 手首を引っ張られ耳元で囁かれる。


「ここが、俺らのいるべきところだよ。帰るところだよ。寒いのは難点だけど部外者があんま邪魔して来ない良い場所だよぉ。なぁに、エルはここ以外に帰る場所があるっていうのぉ?」

「っ」

「エルは特別なんだよぉ。この場所以外で今までやっていけたことないよねぇ?」


 デアーグが口にしたのは、ぼくに事実を確認させるだけの言葉だ。それなのに、何故だろうとても嫌なんだ。故郷の村はぼくのせいで無茶苦茶になった。エヴァンズ夫妻はぼくの所為で殺された。


 暖かくて優しい場所はいつも、ぼくの所為で壊れていく。


「エルは救世主なんだからねぇ、この果ての地で歌を歌って、俺や兄上と一緒に色々な最期を飾り付けてあげよう?」


 ぼくの所為で壊れた彼は、それでも壊し続けようと提案してくるのだ。無邪気に笑って、残酷なことを口にする。


 そんな彼を嫌だと思うが、そう思う自分も嫌だった。


 ***


「長旅で疲れただろうから休んでなよ。夕食の時間になったら呼ぶから」とデアーグに言われ、ぼくは部屋に向かう。


 通った玄関ホールや階段、廊下の内装に使われているのは、赤、ピンク、白、灰、黒、銀だ。緑や紫、黄色に青という色は一切ない。木材で出来ているものも、限りなく黒に近い色をしている。


 久しぶりに入ったその部屋は前より少し狭く見えた。とは言えど、王都のぼくの寝床や、カイの使っている寮の部屋よりは、格段に広い。

 昔は広すぎるこの部屋が不安だったのに、今見ると「こんなものか」と思える。広さより、色の方がなんなら気になる。


 黒い床に真っ白な壁。寝具やカーテン、ソファやクッションのカバーなど布が使われるものは大体赤。机や椅子、ベッドや棚といった大物の家具は黒っぽい木材。配色的に一番目に入るのはぼくの大嫌いな赤だった。

 防寒の為に閉めてくれていたであろう窓を開けると、赤は無いものの雪の城に枯れ木の黒、曇り空の灰色しかなかった。


「長旅お疲れ様でした。ヘススと申します。何か御用がありましたら何なりとお申し付け下さい」


 ぼく担当の使用人がそう定型文の挨拶をしてくる。前はぼくと同い年くらいの女の子だったのに、他の人に変わったみたいだ。しかも知らない顔だ。というか、前髪長くて目が見えてない。何年もここに来てないのだから知らない顔があっても当然だけれど、前の子はどうなったんだろう?


「うん、よろしく。前に居たジュリーは結婚でもしたの?」

「彼女は、不慮の事故で怪我をしたので仕事を辞めたそうです」


 怪我で辞めたのか、割とぼくを甘やかさない人だったから貴重だったのに。

 というか、この家で女の子が不慮の事故って聞くと、なんか勘ぐってしまう。


「不慮の事故って、本当に?」

 つい口に出してしまった。


 デアーグやフェンリールは結構あれでもぼくに汚い面は見せないようにする。だから、当然使用人もぼくには黙っていることを望まれる。けれど今日、ぼくはいきなり来たから、そこら辺の口止めが行き渡ってないかもしれない。この質問に答えて彼が罰せられたら可哀そうだ。


「やっぱいいや、それより君、前髪邪魔じゃないの?」

 別の話題を振る。


 目の前の少年は年は多分、ぼくと大差ない。目は髪で隠れているけれど、顔の造形は多分良い方だ。なんかツタの模様みたいなあざが顔から首にかけてあるが、それは汚点にならない。前髪長い方が気になる。視力落ちちゃうしね。


「いえ、幼い頃からずっとこうなので」

「何か理由でもあるの? 無いなら視力落ちるから良くないよ、それ」


 日頃、オリス様にも似たようなことを思っているのだが、あの人に自分から関わりに行くなんてハードルが高いことは出来ない。色々、カイのことではお世話になってるけど、あの人はぼくのことをよく思ってないだろうしね。


「僕の瞳の色は緑なんです」

「へえ、そうなんだ」


 フェイスやロキと同じ色の瞳なんて羨ましいな。なんなら髪質はサラサラだから違うけど、カイと同じ髪色っていうのもなんか良いな。


「緑なんです」

「え、うん……それで?」


 ぼくは目の前の彼が何を言いたいのかさっぱり分からない。緑なのはもう分かってるって。


「ここは赤系列の侯爵家ですよ」

「知ってるよ……って、ああそういうこと。別にそういうの気にしないからいいよ」


 色に拘る貴族が結構いるからそれを気にしていたのか。


 四系列それぞれに合った色彩を持つものが、その関係者に居ることが多いせいで、別の系列の色を持つものが邪険に扱われることは結構ある。



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