鍵6 緑の少年の守りたかった人
オリス君視点です。
一番最初に怪我させたのは、テレルだった。
確かちょっとした物の取り合いで手を出したら、弟の骨が折れたって、母上はおっしゃっていた。
その時、おれは3歳にもなってないような子供だけど、緑系統特有のバカ力の片鱗を見せていた。
おれの馬鹿力のことを認識した父上はすぐにそれを公爵に伝え、おれが五歳になると王都に連れて行った。馴染みの領地から離れることにぐずってたらしいけど、弟のテレルも一緒に行くという条件をつけたら、渋々従ったらしい。
それで連れてかれたのは、シュトックハウゼン公爵家が王都に所有する屋敷。そこには、おれと同じく、人間離れした身体能力の貴族子息が何人もいた。
侯爵家の子息六、七人、伯爵家のテウタテス。そして公爵家の長男、アルフレッド様。
緑系統の侯爵家以上の家には、身体能力が異様に高い人間が生まれやすいらしい。弟のテレルも人と比べれば身体能力が高いそうだが、おれや他に公爵家の別邸に呼ばれた子達に比べれば、全然一般人みたいだった。
幼少期に王都の公爵家の屋敷に呼ばれるような子は、その中でも飛び抜けて身体能力が高い子らしい。
おれもその一人で、集められる理由としては、身体能力を制御する為らしい。
実際、おれはよく押すと引くを間違えて、ドアをひっぺかしてしまったことがあったり、軽いノリでテレルをどついたら医者を呼ぶ騒ぎになったりしていた。その度におれは大声で泣くし、自分の馬鹿力が怖かった。
力加減がことごとく上手くいかないのだ。
一個下の公爵子息のアルフレッド様も別に制御が上手いわけでもなかったが、おれみたいにびーびー泣きわめかなかったし、持ち前の明るさで乗り切っていた。
他に呼ばれた侯爵子息やも、自分の力加減が上手くいかないことを怖がっていたが、その中でもおれは一番怖がってたし、すぐ泣いた。
でも、公爵家の使用人といえども、おれみたいな馬鹿力が泣いても、慰めに行くのは怪我しそうで怖かったのだろう。みんな、遠巻きに見ていた。
弟のテレルや、アルフレッド様も、おれが泣くたびに慰めたり、遊びに誘ってくれたりしたくれた。テウタテスはよく分からないけれど、木の上から泣いているおれをずっと見ていた。
だけど、テレルには巻き込んだり怪我させたりと、迷惑掛けっぱなしだと思うと申し訳なくて、
アルフレッド様は位は上の方といえど、年下に心配されるなんて酷く情けなくて、
テウタテスが何を考えておれが泣いてるのを見ているのか、分からなくて混乱して、
ますます涙が止まらなくなった。
そんなおれを変えてくれたのが、一つ上の公爵令嬢、アルフレッド様の姉君のシグリ様だった。
「泣いてなにか変わるの?」
泣いてばかりのおれに、彼女はそう言った。当時七歳のおれはその現実的な言葉にまた涙が出てきそうになったが、彼女は更に続けた。
「何をそんなに泣きたいことがあるのかしら?」
「だって、力いっぱいあって、おれ、すぐものこわすし、けがさせるし、きっと、バケモノなんだ、です」
おれは影で一部の奴らにおれらが言われている、バケモノという中傷を知っていたし、その通りだと思っていた。だけど、シグリ様はくすりと笑った。
「あら、泣き虫のバケモノなんて、ずいぶん弱っちいバケモノがいたものだわ」
弱っちい、だなんて初めて言われた。
今まで、強いとかバケモノとか、人間じゃないとか、言われてばっかだった。だけど、シグリ様はおれに弱いと言った。
「おれ、弱いんですか?」
「ええ、弱いわ。すぐ泣くもの」
「そうだけど、それはかんけいないとおもいます」
今、思うとずいぶんと無礼な振る舞いだけど、シグリ様は許してくれた。
「いいえ、関係あるわ。あなたは自分の力が大きいことがこわいって言ってるのよね?」
「はい」
「そこがまちがっているの。力が大きいことはもんだいじゃないの。もんだいは、その力でものをこわしたり、人をきずつけてしまうことでしょう」
「なに言っているのかよく分かりません」
我ながら理解が遅い子だったと思う。でも、シグリ様は根気よく説明してくれた。
「たとえば、ナイフがあるでしょう? それを料理に使うか、人をころすのに使うかでぜんぜん意味はちがうわ。料理に使えば、ナイフは便利でいいものでしょう?」
「はい」
「あなたの身体能力もそれといっしょなの。良いものにも使えるのに、マイナスなところばかり気にして、泣くだけ。これを弱いと言わずになんて言うの?」
良いことにも使える、そんなこと考えてもみなかったおれにとって、シグリ様の言葉は正に光だった。
なにもシグリ様はおれを責めるためにキツイことを言ったわけじゃない。おれを助ける為に、彼女はおれのことを批判したのだ。
幼いながらも、本能でそれを察したおれは、
「じゃあ強くなりたいです」
「そう……だったら、良いように使えるようにがんばりましょうね」
そう渡された飴の中身はすぐ食べてしまったけれど、包み紙は今でもとってある。
***
シグリ様と話してから、おれは泣きそうになった時、飴玉を舐めるようになった。
そうすれば、泣く前にがんばらなきゃと思えるから。
泣かないようになったのと、考え方が若干明るくなったのもあって、体の使い方がだんだん分かるようになってきた。
泣いてパニックになっているより、冷静に判断した方が上達が早いのは当然だ。
おれの泣き虫がほとんどなくなった頃だ……シグリ様が笑わなくなった。
シグリ様を慕っている子供はおれの他にもいた。
というか、公爵家別邸にいた貴族の子息はみんなシグリ様が大好きだった。彼女より年上に子にとっては大切な妹みたいな子で、彼女より年下のおれらとっては面倒見の良いお姉さんだったから。緑系統の子以外でも、紫の公爵家子息のヴァルファ様も慕っていた。
だから、彼女が笑わなくなった時、もちろんみんな心配した。でも、シグリ様がなんで笑わなくなったか分かんなかった。
シグリ様は昔から口が達者だったから、その頃にはもう社交界の令嬢達の中でも圧倒的に力があったし、緑と紫の令嬢や婦人からも期待されていたし、黄や赤の令嬢や婦人からは『口撃姫』と恐れられていた程だった。まだ、十二歳だったというのにだ。
お陰で、緑系統の権勢はますます強くなったが、パーティーに出る度にシグリ様は憔悴していった。
ある日、おれはシグリ様に聞いてみたのだ。
「どうして、笑わなくなったんですか?」
「あら、オリス……ごめんなさい。心配させてしまったわね。オリスは最近泣かなくなったわね」
「シグリ様のお陰です」
「なら良かったわ……でも、私は駄目ね。あなたに力は使い方とか言っているのに、肝心な私が人を傷つけてしまっているのだから」
溜息をついた彼女の姿は今でも目に焼き付いている。
今にも消えてしまいそうなその儚さに、おれはそれまで考えてたこと全部真っ白になって、
「違います! シグリ様がいなければ、おれは、おれは……」
ポロポロと涙が止まらなかった。とても優しい人で、大好きな人なのに、こんなにも傷ついていて。おれはどうすればいいのか分からなかった。
そんな時でもシグリ様は優しくて、おれの頭を撫でてくれた。
今、思うに優しいシグリ様のことだから、別勢力である赤と黄の令嬢であろうと、傷つけたくなかったのだろう。
最初にその名が広まった時も、配下の夫人が侮辱されて彼女を助ける為に必死だっただけで、相手を完膚なきまで潰すつもりではなかったのだと、助けられた夫人の話を聞いて思った。
『口撃姫』としての名が高まる程、それは向こう側の令嬢方を潰したってことで、彼女はそんな自分が嫌いだったのだろう。でも、彼女が大人しくしていることは、周囲は許さなくて、自分の望む姿とどんどんかけ離れていくことが、苦しくて、彼女は笑わなくなったのだ。
バカなおれは、そんなシグリ様を守れなかった。
***
シグリ様が喉を怪我されたと聞いたのは、それから二週間経ってからだった。
事故で、偶然使っていたナイフで首を負傷。即神殿に運び込まれ司祭様が処置して下さったお陰で死んでしまうことはなかったが、声は失った。
最初、それを聞いた時は心臓が止まるかと思ったし、みんなも似たような反応をしていた。
でも、怪我してから、初めて彼女に会った時、彼女は笑っていた。もう声を出せないというのに笑顔だった。
みんなは彼女が元気そうで喜んでいたけど、おれも嬉しかったけれど、違和感がどうもあった。
そして、それは的中していた。
「シグリ、お前の喉は傷が原因じゃないだろ」
夜中にどうしても眠れなくて、邸内を歩いていた時だった。彼女の怪我を心配して領地から早馬でやってきた公爵の声が聞こえた。
数センチ開いたドアから覗き込めば、ベッドの上のシグリ様を公爵が険しい顔で見つめていた。
彼女は父親の態度に微笑むと、頷いた。
「だろうな、傷が浅すぎるし、お前がそんなヘマをするとは思えん。それに、メイドが言うにその三日程前から声を出していないそうじゃないか。司祭様にも確認を取ったが、お前の声は外傷によるものではなく、特殊な毒によって出なくなったと言っていた」
毒、子供ながらにその言葉は衝撃的だった。事故じゃなくて、毒が彼女の声を奪った。
その後、おれは先を聞くのが怖くて、その場から逃げた。
***
だけど後日やっぱり気になって彼女に質問した。
「シグリ様は毒で声を失ったんですか?」
彼女はおれの言葉に目を見開いたけど、少し経つと頷いて、紙に何かを書いた。
『ええ』
「なんでですか? わざわざ、偽装工作までして、何がしたかったんですか? 毒って、なんのために? シグリ様は死のうとしたんですか?」
『いいえ、死のうとはしてないわ。死んでも別に良かった気ではいたけれど』
『死んでも別に良かった気ではいたけれど』、その文字におれは顔を上げる。シグリ様はそんなぼくに申し訳なさそうに微笑んだ。
ああ、彼女はそこまで追い詰められてたんだ。なのに、おれは何もできなくて、むしろ泣いて困らせた。
彼女の白い手は新たな紙に文字を書く。
『ごめんなさいね。あなたには強要した癖に、私は逃げてしまったわ』
「いいんです! おれはシグリ様がいいのならば、シグリ様が笑って下さるなら、いいんです。おれのことなんて気にしなくていいんです」
『オリスは優しい子ね』
「シグリ様の方がずーっと優しい方です」
シグリ様がいなければ、ずっと泣いてばかりで何もできなかった。彼女がおれに道を示してくれた。おれはそれで助かった。シグリ様は自分だけ逃げたと嘆いていらっしゃているようだが、彼女自身が幸せならいい。彼女の声が聞けなくなったことは悲しいけれど、声を失ったことで彼女が幸せに生きられるなら………………おれは良い。
『本当に良い子ね。オリスには約束破ったお詫びに、本当のことを教えてあげるわ』
「本当ですか?」
『ええ。父様にも報告してない事だけれど、秘密に出来るかしら?』
「できます」
公爵も知らないようなことを知らされて、おれみたいな奴が隠せると普段なら思わないけれど、相手はシグリ様だ。約束を破ることはないと断言出来た。実際、未だに誰にも漏らしてないし、バレてもない筈だ。
『私、とても綺麗な子に会ったのよ。その子が私の声を貰ってくれたの』
「とても綺麗な子?」
おれは彼女の灰色の瞳を見つめると、そう聞き返す。
『ええ、とっても綺麗な子が来て、最初は不審だから問い詰めたんだけど、その子も随分苦しんでいてね。どうしても私から『声』をなくしたかったらしいの。私も丁度いらなかったから、あげてしまったの』
少し不思議な言い方をされて一瞬混乱したけれど、用はシグリ様は誰かに毒を盛られて、犯人も分かっている。それどころか、捕まえたというのに訳を聞き、逃して、毒を飲んだと、なんとなく時間をかけて理解した。
シグリ様はその通り、声だけ失った。でも、
「死んでしまうような毒なら、どうする気だったんですか?」
『別にそれでも良かったの。私は誰かを救いたかったの、誰かを守れるような人になりたかったの』
真っ白な紙に書かれた、綺麗な文字がおれの目を刺す。
ああ、どこまでも彼女は彼女のままだった。出会った頃から変わらず、優しい。
そして、どこまでも緑の貴族のトップに君臨するべき令嬢だった。
誰かを守りたい。
これは陸軍を受け持つおれ達の本能だ。
非戦闘員の女性とはいえ、それには変わらなくて、彼女は誰であろうと守りたかったのだ。
おれは、そんな彼女に救われた一人で、おれも彼女を救いたかった。でも、救えなかった。
だから、おれは変わろう。
彼女は周りの幸せを願う。
だったら、おれは自分の目の届く人たちを不幸なままにはさせない。
誰かを傷つける自分を嫌う。
だったら、彼女が傷つけないで済むように、先におれが何とかする。
誰かが傷つくと悲しむ。
だったら、少しでも被害が減るように守る。
泣き顔よりも笑った顔を見たがる。
だったら、泣かないで笑顔を見せる。
おれが強くて優しい奴になって、目の届く範囲全てを幸せにすれば、シグリ様が苦しまないで済む。
大好きなシグリ様が幸せなのが、おれの幸せだから。おれは、自分の為にも目の届く限りの人は幸せにする。
そんなことは不可能だって分かってる。でも、少しでもいいから良くしたい。
おれを救ってくれたシグリ様を守りたいから、おれは強くて優しいみんなの救世主になりたい。
***
泣き虫だったおれはもういない。
怖がれたり、話し辛くなったりしないように、ゆっくりとした口調で話して、
話しかけやすいように出来るだけ穏やかな表情を浮かべて、
貴族として変とか礼儀知らずとか思われても、弱い人たちの危機を察知できるようにたくさんの人と関わって、
少し変かもしれないけれど優しくて穏やかで、でもいざとなったら頼りになる。そんな強くて優しい救世主になる。
「オリス様って、変だけど、優しいし格好いいし、親しみやすいよな」
そんな言葉を聞くたびに、おれは嬉しくなる。
弟のテレルは色々言ってくるけど、テウタテスは馬鹿にしたり突っかかってくるけれど、良いんだ、おれはこれで。
そんなおれは今日も飴玉を舐める。




