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中途半端な存在7

 

 机の角にぶつけた肩を抑えて、閉められた扉のすぐ側で座り込む。

 陽当たりが良い部屋だ。窓から入ってくる陽の光は優しい。寮の備品である真っ白な寝具は、同じく寮の備品であろう木製のベッドの上に綺麗に畳まれてある。ぼくが肩をぶつけた勉強机には、紙が散乱している。


 守らないといけなかったのに。


  一番小さいぬいぐるみを再度殴る。可哀想とか言われたけど、ぼくはこの小さいぬいぐるみの存在が大嫌いだ。


 赤が基調の、大中小で出来が良いけど不気味で、心理的負荷を与えるぬいぐるみを作る奴なんて、ぼくは一人しか知らない。


「デアーグ……」

 小さな声でその名を言葉にする。


 呪いのぬいぐるみ、そうカイは言ったけれどあながち間違ってない。

 このぬいぐるみには有りっ丈の憎悪と殺意でできていると言っても過言ではない。芸術を通して恐怖心というものを意図的に誘発させることなんて、赤の侯爵子息、しかも母親が元、赤の公爵令嬢なんて血が濃かったら簡単に出来る。


 なんなら、ぼくだって形は違えど出来る。ぼくらはそういう能力を持って生まれた。


 一般人に赤の能力を悪用するなんて、フェンリールが聞いたら流石に怒るのに。

 今回、ぼくがおかーさんの血筋の方で勘が働いたから良かったけれど、もし今日来てなかったらと思うとゾッとする。


 短時間なら、恐怖だけで済む。だけど、長時間、あれの悪意に晒されると正気を保てなくなる。


 とはいえど、赤はぼくを含め、初代からその能力を悪用しているか。

 今日はその自分の能力で中和するだけだけど、普段の使い方は――よそう。余計なことを考えると後で歌う時に支障が出る。


 デアーグはぼくに酷く執着している。別にそれはもう構わない。


 だけど、カイを傷つけないでよ。

 憎悪も殺意もぼくに向けなよ、カイはなんも悪いことしてないもの。全部全部ぼくが悪いから、カイを傷つけないでよ。

 ぼくの所為で、大切な人が傷つくなんて、もう嫌だ。


 ぼくの所為でおとーさんはおかしくなった。

 ぼくの所為で村の優しい人達が巻き込まれた。

 ぼくの所為でおかーさんもおかしくなった。

 ぼくの所為でフェンリールもデアーグも歪んじゃった。

 ぼくの所為で緑の小鳥は囀れなくなった。

 ぼくの所為で沢山の人が屍になった。

 ぼくの所為でエヴァンズ夫妻は殺された。

 ぼくの所為でフェイスもロキも狙われてる。

 ぼくの所為でカイが傷ついてる。


 全部、ぼくの所為だ。


 幼い頃は、天やカラビト様が救ってくれるなんて甘えたことを考えていたけれど、そんなものはいない。居たとしても、ぼくは縋らない。


 だって、もう分かっているから、誰が悪いのか、何が駄目だったのか。



『生まれてくるべきじゃなかった』

 


 生まれてくるにせよ、中途半端な身ではいけなかった。異常じゃ駄目だった。


 ぼくがまともな状態で生まれれば、普通だったら、最初から誰も傷つかなかった。

 ぼくが我儘じゃなかったら、羨まなかったら、求めなかったら、誰も狂わなかった。


 どこかで、ぼくは諦めれば良かったのかもしれない。だけど、ぼくは中途半端で自分勝手な奴だから、『男』だということにしがみつき続けている。


 お腹が痛い。体が怠い。定期的に来るそれがぼくに諦めろというふうに、女の体という事実を主張してくる。限界があるって示してくる。


『お前は女の子だろう』


 おとーさんは、そうぼくに言った。ぼくはそれが嫌だった。

 でも、もしぼくが我慢して、何も主張しなかったら、きっと誰も傷つかなかった。狂わなかった。


『エルは女じゃない』

『エルは女じゃないでしょぉ』


 赤の兄弟はそうぼくに言ってくれる。嬉しいよ。

 だけど、もしぼくが女の子だったら、彼らは女という存在に希望を持てたかもしれない。『女の子?』と聞いた彼らに『そうだよ』と答えていれば、女というカテゴリーごと嫌わなかったかもしれない。


 ぼくは男だ。そう心が主張する。

 それでも、ぼくが耐え忍べば、誰も傷つかなかったし、狂わなかったかもしれない。


 完全な男だったら、そうよく考える。


 でも、女だったらとも考えることもあるのだ。

 そして、物事が一番上手くいきそうなのは、ぼくが女だった場合なのだ。


 そして、それはぼくが諦めるだけで、成立するのだ。

 でも、どうしても、自分が男ということは諦められないのだ。出来るもんなら、最初からそうしてる。出来なかった。ぼくには出来なかったのだ。


 だって、ぼくは女じゃない!


 生まれた時に、男でもいい、女でもいい、どちらかであれば良かった。

 中途半端にだけ生まれて来なければ良かった。

 心と体の性別が同じで生まれるというこの世間での当たり前のことが、ぼくには出来なかった。ぼくはこの時代で普通じゃなかった、異常だった。


『生まれてくるべきじゃなかった』


 よく思うけれど、誰にも言ったことがない言葉だ。そう言えばきっと周囲は「そんなことない」と言うのが分かるから。みんな優しいのは知ってるから。


 ぼくの所為で苦しむ人は、ぼくの所為とは決して言わない。おかしいでしょう? ぼくが悪いのに、責めない。ぼく以外に矛先がいく。なんで、なんでよ。

 ぼくが責められるべきなのに。


 紫の第三子はぼくを責めるけど、奴に責められたってなんも意味がない。

 だって、あいつも同族じゃないけど、似たような存在だから。似た者同士で責めあったって意味がない。ぼくと奴が互いに憎悪しあったってどうにもならない。


 大切な人に認められると嬉しい。そんなん当たり前だ。

 だが、ぼくは本来、その人達に憎悪されるべき存在だ。遠ざけられるべき存在なんだ。


 そんなこと分かってるのにっ


 ぼくはどこまでも、中途半端で自己中心的で汚い奴だからさ、その立場に立てない。ずるずると周りに甘えてしまう。だからこそ思う。


『生まれてくるべきじゃなかった』


「はは……堂々巡りじゃんこんなの」


 苦しい、生きるのがただただ苦しい。


 だけどさ、表にそれを出すな。カイが気を使っちゃうじゃないか。今ならまだ。一週間教えたのに覚えてない友人への苛立ちだと勘違いして貰える。


  彼は優しくて綺麗な人だから、迷惑かけないようにしないと。彼の優しさにぼくは甘え過ぎてはいけない。彼の隣でただ綺麗なものだけ見ているのは息がしやすいけれど、駄目だ。


 ただでさえ迷惑かけてんだ、これ以上甘えるな。甘える暇があったら彼を守れ。


 彼に殺意や敵意が届く前に、ぼくが全部へし折らなきゃ。


 デアーグに傷つけさせてたまるか。フェイス達と同様に彼を狙うクズ野郎どもも近づけさせるな。全ての殺意や敵意に彼が気づく前に、ぼくがそれらを全部対処するんだ。


 クズの相手はクズであるぼくで充分。カイは何も知らないでくれれば良い。


 だから笑え。彼に悟られるな。

 彼とぼくの周りの適切な状態は『少し騒がしいけれど平和』なんだから。カイにとってもそれが良いし、カイの周りだってそう願ってる筈だ。

 じゃなきゃ、わざわざ彼に嫌われるような役割を演じる人なんていない。ぼくは知ってる、本当に危険で頭の回る奴は擬態していると。逆に目に見えて危険な奴は馬鹿か、それかわざと危険なフリをしているか……すごいなぁ、ぼくは大好きな人に嫌われる役割なんて演じられない。


 優しいカイには優しい世界が似合う。


 そんな中でぼくがこんな弱気になってたら不自然でしょう? カイに心配をかけさせてしまうでしょう? それは駄目だ。



 ぼくはカイの机の上に置いてある紙に少し目を通した後、

「カイー、なんでいつまでも外にいるのさ?」

 ドアを開けると、そう友人に文句を言う。


 さぁて、ぼくへの心配なんて全部忘れさせましょうか。


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