4 周囲
そう、もいだのだ。
ぬいぐるみの首と胴体の間から白い綿が出てくる。
「………………」
躊躇もクソもない。
まるで当然の事かのように不気味なぬいぐるみの頭をもいだエルに、オレや副寮長を含む寮生は呆然とする。
エルはといえば、もいだぬいぐるみを観察している。
オレ、エルの友達だけど、流石にこの行動は理解できねぇ。
だから、寮生の野郎ども視線でオレに説明を求めんな。
「ははっ」
いきなり笑うな! 怖い!
ぬいぐるみも怖いけど、いきなりぬいぐるみの首もいで笑い出すオレの友人も怖い。
たまにこういうの見ると闇が深いって思っちまう。
最初の頃は穏やかとか思ってたけど、第一印象を裏切ってくるのがオレの友人だ。
「エ、エル? どうしてぬいぐるみの首をもいだんだ?」
「手が滑っちゃった」
オレの質問にエルはそう振り向いて穏やかな笑顔を見せる。
慣れてない寮生達は先程の奇行を一瞬で忘れたかのように見惚れている。ああ、美人って罪。その内エルの奴が「やめて、ぼくの為に争わないで」と言う日も来るかもしれない。
だがな、オレは耐性がある程度ついてるから流されねぇよ。
「お前、それなんでも誤魔化せる言葉じゃねぇからな」
「ちょっとした冗談だよ」
そう言ってエルはぬいぐるみをこちらに投げ――ぎゃああああ‼︎ こっちに投げんなそんな怖いもの! 嫌がらせか⁉︎ 嫌がらせなのか?
ぽてり、人形がオレと副寮長の間に落ちる。
オレは足を引こうとするが、副寮長はぬいぐるみを見つめている。まさか副寮長までエルの同族に……って、あれ?
「なんか怖くなくなったな!」
そうなのだ。
副寮長の言う通り、さっきまで感じていた恐怖が嘘のように消えて無くなってる。
落ちてるぬいぐるみも不気味な見た目をしているが、先程までなんで怖がってたのか分からねぇ。首がもがれたことで見た目の不穏さは増してる筈なのに……。
恐る恐るしゃがみこんで、つっついたりしてみる。柔らかい……ぬいぐるみだから当然か。
よくよく見ると出来が良いこのぬいぐるみ。
縫い目に粗がねぇし、パッチワークの組み合わせもバランスが良い。たかがぬいぐるみだけど、そう言ってしまう訳にはいかない程出来が良かった。残念なところはエルに首をもがれたところ。一種の芸術品でも見てる気分だ。ま、オレには芸術なんて分かんねぇけど。とりあえず縫い目が綺麗。
「ね、ただのぬいぐるみでしょう?」
エルがオレの近くにしゃがみこんで、そう首を傾げながら同意を求めてくる。
「ああ、お前に首もがれて可哀想な見た目になっちまったけど……って、殴るな。お前、ぬいぐるみに危害与える趣味でもあんのか」
三体繋がってる不思議なぬいぐるみだが、エルはその内、頭をもいだ一番小さなぬいぐるみを殴ってる。
「ねぇ、これが怖かったの?」
返事になってねぇ。
なんか知らんけど、少しぼーっとしてんのか? 殴ってる手に力は入ってねぇし、どこ見てんのかよく分からねぇ目をしてる。
「今はそのぬいぐるみを殴ってる、お前の方が怖ぇよ。ちっこいのばっか可哀想じゃねぇか」
そう指摘すれば、エルの手が止まる。
「八つ当たりしてるだけだよ……」
「オレのせいか?」
正直この一週間、エルにはストレスしか与えてなかった気がする。天学について何度も教えて貰ってんのに、てんで駄目だ。正直自分でも酷いにも程があるだろって思う。
「カイは原因じゃないよ……」
そう言ってエルはぬいぐるみをぎゅうと抱きしめる。
憂いを帯びた表情、でもいつもの大人びた感じのじゃなくて、まるで部屋の隅で毛布を被って蹲った子供のようだった。
「カイはなんも悪くないよ……」
しゃがみこんでる状態でそう言葉を零すエルの姿に寮生達が息を呑む。
普段、エルは飄々として隙を見せねぇけど、今の子供らしいエルは隙だらけだ。おまけに連日オレに教えて疲れてんのか、雰囲気もふにゃふにゃしてる。庇護欲も湧くが、一部の変態から見れば嗜虐心を抱くような、弱い姿。いろいろ溜まってる寮生にとって、今のエルは格好の餌に見えるだろう。
このままにしておくと、ヤバイ!
オレはエルに「いくぞ」と言って手を引っ掴んで立ち上がる。
奴はどこ見てんのか分かんねぇ目をしていたが「うん」と答えてオレに引っ張られるがまま移動する。早急に鍵を使って自室を開けてエルを放り込む。なんかぶつかった音したけど、そんくらいは気にする必要はねぇ。
扉を閉めると、オレは野郎どもに叫ぶ。
「はいはい、ぬいぐるみはもう大丈夫なんだし、もう良いだろ! 廊下にこんなに人がいたら鬱陶しいだろ!」
ほとんどがすぐに言う通りに退いてくれたが、戻る時に「やべぇな」とか「目覚めそう」とか言ってた奴が数人いた。
あーあ、厄介な奴が増えた。あと、元からエルを狙ってる奴はオレを睨んできた。睨み返したけど。
「はぁーあ……」
扉の前でズルズルと座り込む。
改めてエルを寮に連れて来るもんじゃないって思う。たまに弱味見せてくれるようになったのはいいけど、時と場所が悪すぎる。
「あれは……ノアより凄いかもな」
真正面の壁に寄りかかって、副寮長がオレを見下ろす。
この人が側にいたからほとんどの奴が潔く散ったんだろうな。
国立軍学校の男子寮の副寮長、ディーター・キュンメル。
座学の成績はあまり良くないが、実技は二年で四番手。棒術のスペシャリスト。毎日の食事は普通の男子の三倍、巨乳な女の子が大好き……余計な情報も思い出しちまった。
で、この副寮長が言ってるノアは、エルが編入してくる前に退学した三年の寮長。
黄の貴族に人生滅茶苦茶にされた先輩のことだ。
寮長と副寮長は同郷なのもあって、年は違えど友情的な意味でとても仲が良かった。だから、あの事件と同じようなことが起きるのを、オレと同じかそれ以上に恐れてる。
オレも本当にどうしようもねぇ時は寮監か副寮長に頼る。
「ほんと……馬鹿みたいに綺麗で危なっかしい奴なんですよ?」
「カイが一緒に行動しすぎてるからなんでか不思議だったが、あれは野放しにしちゃいかんな」
「あいつ、自分は自衛能力があるから大丈夫って思ってんですよ。体調とか崩せば、そんなんダメになるのに」
月一くらいで体調崩す機会あるし、その時は飯も食わなくなるからな。
ああ、なるほど情緒不安定だったし今日はそれだったか。
うわぁ、ますます寮に来んの止めれば良かった。なんなら早く家に帰らせるべきだった。
エルは男だけど体は女だ。
そんなことが万が一、寮でバレたらヤベェよ。今でも狙われてんのに、体のこと知られたら貞操危ねぇし。退学になるだろうし、噂にもなんだろう。なにこれ、社会的な死のフルコース?
「病弱なのか?」
「ええ、まあそんな感じです」
本当の事は流石に言えねぇから、嘘とまではいかないけど誤魔化す。
「そうか、なんかあったらワシに言え! 平民だったらもちろん、貴族でも気合いでどうにかする!」
副寮長はやっぱ良い先輩だ。
一人称の所為で寮生からは『じっちゃん』って裏で呼ばれてるけど、カッケェや。頼り甲斐があって、度胸もあって、筋肉もあって、背も高くて、男らしい。たまに暑苦しいとか言う奴もいるけど、オレは副寮長を尊敬してる。
この人って口先だけじゃねぇから格好いい。先輩の事件の時だって、隠蔽しようとした一部の教師どもを振り切って、黄の公爵令嬢に直訴しに行ったからな。んなこと退学どころか、下手したら気まぐれでぶち殺されたりするかもしんねぇのにだ。
多分、ノア先輩の件もオレがもっと早く先生たちじゃなくて、副寮長に頼ってれば、あそこまで精神ズタボロになってなかっただろう。
別に先生達が悪人って訳じゃねぇんだ。
圧倒的な権力に怯えるのは当然。事実、オレだってなにも出来なかった。だけど、圧倒的に不利な状況を打破するには、やっぱ勇気ある行動が不可欠で、それをしたのが副寮長だった。
「ありがとうございます。でも、エルはクラスメイトの侯爵子息のレトガー様も気にかけて下さってるみたいなんで、そこまで大事にはならないと思います。平民はオレがなんとかします」
「ははは! 良かった良かった、でもどっちのレトガー様だ?」
「弟の方です。でも、オリス様の方も正義感が強いです」
正直言って、エルは運が良い。
あの二人とよく話すお陰で貴族もそこまで派手な真似はしねぇ。初期の方にエルを拉致った赤もいたけど、あれはエルがどういう立ち位置にいるか定まってなかったからだ。
今考えるとノア先輩の件は、上級貴族との繋がりが無かったのも大きかった。
貴族に対抗できんのは同じ貴族だ。平民じゃ太刀打ち出来ねぇ。副寮長の決死の手だって、黄の公爵令嬢の力に頼るものだ。
先輩のいたEクラスには貴族がいねぇ。
オレのCクラスには貴族はいるけど、黄の侯爵子息を潰せる力がある奴はいねぇし、クラスメイトとオレの関係は悪くはねぇけど良くもねぇ。
オリス様にその頃に知り合って相談してたら、彼のことだからなんとかしてくれそうだけど、あいにく知り合いじゃなかったし、オリス様はあの事件のことを知らなかった。
あの事件って副寮長が直訴するまで、オレとノア先輩と犯人と一部の先生しか知らなかったからな。ひっでぇ話。なんなら今だって知らねぇ奴が多い。まあ言いふらすような内容でもねぇけど。
「一年の実技トップもか! それは心強い! ワシの代のトップはサボり魔だし、ノアの代のトップは自分より強い人にしか興味がない人だからな!」
ああ聞いたことがある。二年の実技トップは授業をサボりまくっってるしペーパーテストもドベでHクラス、まさに脳筋。三年のトップはペーパーテストでは第三席だが、やっぱ脳筋で戦闘狂。おまけに自分より弱い人は貴族平民問わず石ころを見る目だそうだ。オレらの年って相当恵まれてんな……。
まあでもオレらの親世代だと更にすんごくて、第一王妃様が大量虐殺してたとか、貴族の原因不明の失踪や死亡とか、呪いやなんやらで発狂死した奴が続出とか、もうさ貴族の恐ろしい噂が平民にまでたくさん出回ってたらしいから。
煌びやかで贅沢な生活してんのに、ドロドロぐちゃぐちゃの愛憎劇や権力争いして勿体ねぇの。
「自分でも周りに恵まれてると思います」
変態はいるけど、なんだかんだオレは周囲の人間に助けて貰ってる。権力はねぇけど、そう言う良い人に巡り合う運はあるんだよな。




