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中途半端な存在5‐2

 まともに息ができない状況に頭がクラクラしてくる。


「デアーグ‼︎」


 叱責が飛んでくる。すると、手が緩む。


「あ、あれ……? お、俺……ごめっ、違う! 俺、エルを傷つけたい訳じゃなくて……ごめん、こんなつもりじゃなくて。違う! 違うの!」

 ぼくの首を絞めたその手を呆然と眺めた後、そう彼は泣き崩れる。

 

 そんな間、ぼくは止められていた分の呼吸をするので精一杯で、上で泣きじゃくる彼に対して、なんも反応出来なかった。


 唯一冷静なフェンリールは、ぼくらの元に近寄ると、泣きじゃくるデアーグをぼくの上からどかし、ぼくに異常がないか確認する。


「何があったか、知らないが……とりあえず、デアーグは自室にいろ。医者も呼ぶから、大人しくしていろ。エルはそうだな、俺の部屋に来い」


 帰って来たばかりなのだろう、黒の外套を着たままの状態でしゃがんで、ぼくとデアーグの顔を覗き込んできた彼の顔は険しい。

 当然だ。帰ってきたら、弟がぼくの首を締めているんだから。


 デアーグは大人しく、頷くとその場を去る。後ろから執事がついていく。


 ぼくが落ち着いてきた頃、フェンリールが歩き出す。多分ついて行くのが正解だ。中央の大きな階段を登ると、左側に曲がって四番目の部屋に入る。


 この前、行ったデアーグの部屋は随分と物がごちゃごちゃしていたけれど、フェンリールの部屋は片付いていた。


 大きなベッドにサイドテーブル、執務用の机と椅子に、棚。細々としたものには、ペンやインク、鉛筆、書類やノート、本など実用的なものばかりだ。ぼくも似たような部屋にしているので、別になんとも思わないが、カイだったらこの前のように殺風景とか言いそうだ。


 だが、実際、ほかに何を置くと言うのだろう? デアーグみたいに、ぬいぐるみやら、ナイフやら、ロープやら集める趣味もないし。


「座れ」

「え、でも椅子一つしかないですよね?」

「俺は立つからいい」


 そう言われて、ぼくは戸惑う。仮にも侯爵家子息、しかも公爵家に養子入りが決まっている人を立たせるなんて無礼な気がする。


 まあ、それを言ったところで彼は不機嫌そうな顔をするだろうから、素直に座る。


 結構大きな椅子で、ぼくが座るとすっぽり包まれるかのような大きさだ。171あるぼくで、こうなのだ。ぼくが小さいんじゃない、椅子がでかい。これを使っているのが190あるフェンリールだから納得だけど。


「首は大丈夫か?」

 座る僕の前に片膝をついて、彼はぼくの首を確認する。


「ええ、問題はありません。ありがとうございます」

 

 彼が止めてくれなかったら死んでいたかもしれない。


「悪いな。デアーグはかなり情緒不安定みたいでな」

「それは分かります」


 元からデアーグはかなり感情的で暴力的な奴だが、ぼくやフェンリールに対して殺意を持ったことはない。今回のだって、殺気は感じられなかった。ただただ混乱が極まっての行動だ。


 それほど、ぼくが彼に対して言った言葉は、彼の中で不協和だった。彼の理想像と懸け離れていた。


「原因は分かるか?」

「分かります……でも」

「でも?」

 間違ったことは言っていない。むしろ、ずっと胸の内にしまっていたことを、言ってみただけだ。


「ぼくはデアーグの言うように、世界に悪い人ばかりだとは思えないんです。良い人もいます。その存在を否定しないで欲しかったんです」

 この言葉、デアーグに言ったらまた情緒不安定になられることは間違いない。でも、目の前にいる彼はそうならないだろうと、なんとなく思った。


 彼の右手が伸ばされたかと思うと、優しく頭を撫でられる。


「そうか……学校楽しいのか?」

 優しい声でそう聞かれる。何もかも見透かしてしまいそうな赤のつり目が細められる。


「はい。……調査が本来の目的なのに申し訳ないとは思っておりますが」


 本当は来年入学するフェイスをデアーグから守る為に、学園の調査として上に申請して途中編入したからには、一応職務を全うとしようとしていた。実際、いくらかの緑と紫の情報、あとデアーグが苦手とする女性達の噂も上へ流していた。


 加えて、王都に来てからずっとやってきた仕事の方も。最近は見せしめとして、対象のことを晒しものにしろとの指示もあったがそれもやった。


 でも、そんな暗い面を持っておきながら、ぼくは一般の学園生活というものを楽しんでしまっている。裏の世界の人間の癖して、未だに表の世界に憧れて、手を伸ばしてしまう。


 そんな自分は中途半端だ。分かってるそんな事。でも、どうしても焦がれてしまう。デアーグが怒るのも当然だし、フェンリールだって忠告してくるだろう。


 だが、フェンリールはどこまでもぼくに甘かった。


「別にいい」

「え?」

「俺は別に楽しんでもいい。友達も作ってもいい。この前、利用相手と言われて頷いたが、本当は友達だったんだろう?」


 口元に優しい笑みを浮かべる彼にぼくは唖然とする。


「……駄目じゃないんですか?」

「別に危険人物でも、狙う対象にもならない奴なら、友達くらいならなってもいい。デアーグは嫌がるだろうけど、説得してやってもいい」


 デアーグが幾度と「兄上はエルに甘いからねぇ」と言っていたが、その通りだ。


「どうしてですか?」

「俺はエルが楽しそうにしているのが好きだから。デアーグの考え方は随分閉鎖的だとも思うのもある」


 ずっとフェンリールは暴走はしないけれど、デアーグと似たような考えだと思っていた。でも、今の彼を見てそうは思えない。


「いい友達です……最近、ぼくの失態で体のことがバレてしまいましたけれど……それでも受け入れてくれたんです」

「バレた?」

「すいません。ぼくの失態です。でも、彼は言いふらすような人ではないので大丈夫です」


 カイにバレたことを報告した。どうせ、今日のデアーグもそれ関係を察知したんだろうし、後から言うより良い。少しでもいいから、彼が殺される確率は下げたい。


「ぼくのことを知ったからって彼のことを殺したりしないで下さい。黙れないような馬鹿じゃありませ――」

「そんなに怯えるな、大丈夫だ。騒がないなら一般人は殺さない。騒いだら殺す。危険人物と判断されたら殺す。いいな」


 後についた言葉は不穏だけれど、フェンリールはカイの存在を許してくれた。ぼくはコクリと頷く。


「ただし、友達だからだ。噂のような関係になったら殺す」

「ならないから大丈夫です」


 物騒な兄を持った気分だ。別にそんなことにならないから安心して欲しい。ぼくも、多分カイも、友達であって、恋人になる気は一切ない。確かにぼくもフェイスやロキが友達と呼んでた子と付き合い始めたら、平静でいることは無理だから、心配するのも分かるが、大丈夫だ。


「ならいい。たまにはご褒美だ」

「ありがとうございます」

 そう深々と礼をする。



 ――その後だった、ぼくが余計なことに気づいてしまったのは。


「エルは良い子だからな。ちゃんと6年経ったら戻ってこい。流石にそれ以上は人の目を誤魔化せない」


 いつもと大差ない言葉だが『誤魔化せない』その言葉がぼくを揺さぶる。



 そうだ、誤魔化さないと、ぼくは男として認識して貰えないのだ。


 6年、これでも彼は譲歩してくれている。ぼくは男だ。でも、どうやったってぼくの体は女で、少年時代はともかく年が経つにつれ誤魔化せなくなるのは分かってる。他にもぼくは色々と普通じゃない部分があって、それを胡麻化さないといけない。だから彼は、普通の男として生きるのは諦めろと、暗に言ってくる。


 それは、ぼくにとって、死刑宣告のようなものだった。


 かといって、ぼくには抵抗する術も気もなかった。だって、彼は悪意でこう主張してくるわけじゃないから。彼の言っていることは正論だ。本当は6年だって無理があるかもしれない。


 彼はぼくを大切にするし、ぼくのことを考えてくれる。でもやっぱりそれは、範囲を超えることはなくて、実現性が高いものしか提供してくれない。


 優しいんだよ。とってもぼくには優しい人ではあるんだ。


 でも、それがとっても残酷で、ぼく自身の限界を思い知らせてくる。


 ぼくは結局、中途半端で、普通にはなれない。ぼくの限界は決まっている。ぼくの最大の普通が今で、最大の期間が6年だ。それを超えることは出来ない。


 フェンリールは女とぼくをごっちゃにしないけれど、同じ男として見てくれない。


 いつだって、ぼくは守る対象で、決して対等ではない。線引きが明らかに彼にはあって、それがどうしようもなく苦しい。分かってる。彼は別に間違っちゃいない。でも、ぼくの気持ちは追いつかない。


 デアーグもぼくのことを保護対象として見てくるが、それはおそらく性別は関係ない。何故なら彼はフェンリールのことも彼が苦手な女性から守る。逆に助けを求めてくる場合も彼にはある。戻ってくるように言うのも、あくまで三人でいることが理想像であるからだ。

 

 さっきだって興奮してたとはいえ本気でキレて泣いてぶつかって、手加減はなしで、対等には扱われている気がする。フェンリールだったら、ぼくには手加減をする。


 ああ……そっか、だから彼はぼくに甘いんだ。


 さっきまでの彼の優しさの裏にあるものに、ぼくは気づいてしまった。


 彼は6年経ってない今だって、ぼくを男として見てない。知ってたよ、女として見てないけれど、同じ男としても見てないこと。でも、それが日常のぼくへの接し方にまで出てたと気づいてしまった。


 普通の男じゃないなんてぼくも自分で分かってる。でも、やっぱり、それを思い知るのは辛い。自分がどこまでも中途半端で未熟な奴だと、吐き気がする程、思い知らされる。


 悪意があっての行動だったら、相手に当たって多少は発散ができる。だが、フェンリールはぼくを大切に思っているからの行動で、そんな彼の優しさにこのように思ってしまう自分がますます嫌いになる。


 今できることは、せいぜい彼をこれ以上困らせないようにすることだけだ。


「はい、6年経ったら戻ります」


 笑え。傷ついている暇があるなら笑え。


 6年間は許可が出たんだから、むしろ良いだろう。


 6年間は精一杯生きよう。だから、笑え。全力で自分の理想像を叶えるんだ。フェンリールの行動の裏のことや、6年経った後のことを気にしちゃ駄目だ。だから、笑え!



 努力や苦痛、代償なしで、ぼくみたいな、醜くておぞましくて汚くて中途半端な奴が幸福を望もうなんて、甘い話はないんだから、多少の苦しみなんて受け入れるのは当然だろう。


 普通なんて望むな。ぼくは中途半端で異常な奴なんだから。


 これからの6年間、無駄にするな。カイが狙われる心配はないんだから、こんなぼくにでも、6年間の自由と、優しい友達と、可愛い妹や弟が、いるなら充分幸せだよ。今だって、身の程知らずに幸せなんだから。


 思うように見て貰えなくても、

 6年経った後の生活が籠の鳥でも、

 自分の手がいくら汚れようと、

 いくら傷つこうと、

 自分の存在が中途半端で大嫌いであろうと、


 6年間に許される幸福を思えば、大丈夫だよ。ぼくは大丈夫。


 ぼくは幸せだよ。


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