鍵5 赤と緑の少年は分かり合えない
誰の視点でもないです。三人称視点の筈です。
走り去っていく平民の少年の背中を見て、オリスは「頑張る子たちは好きだよー」と頬を緩める。
しかし、先程から警戒していた、そいつが動こうとするのがが分かると、舐めていた飴を噛み砕く。建物の陰に隠れていたそいつに向かって「だから、邪魔しちゃ駄目だよー」と声をかけ牽制する。
そいつは無視して、さっきの平民の少年を追おうとするが、その前に眼前の地面がオリスの拳によって破壊され、後退する。
「邪魔は駄目って言ったんだけど、なんで無視するのー、デアーグ卿」
「なんのことかなぁ? 俺はただ、教室に戻ろうとしただけだよぉ」
どちらも間延びした声で話しているが、その雰囲気は逆に緊張感に満ちていた。
「仕事道具持ってる癖に何言ってんのかなー」
そうオリスは赤茶髮の少年が帯刀している長刀を指差す。少年は誤魔化すのが面倒になったのか一言、
「平民の一人くらい別にいいと思わなぁい?」
「それ、おれに通じると思ってないよねー。一般人を殺しちゃ駄目なんだよー」
オリスは拳をぎゅっと握る。血管が浮き上がるその様子に、デアーグはめんどくさいと言うように舌打ちをする。
「もちろん通じるとは思ってないよぉ、でもこの前みたいに守るの失敗しないかなぁって」
「あー、やっぱ狙ってたんだねー。随分舐めた真似をするねー」
「自分より弱い存在を守るのが君の信条だからねぇ、この前の相当悔しかったんだぁ? あ、それとももっと前の事ぉ?」
挑発するようにデアーグは笑うと、刀を一線させる。
もちろん、オリスは自分に刃が届く前にバク転して回避した。
回避してなかったら、胴体から真っ二つにされたであろう剣筋には、怒りが込められていた。それが分かったのか、オリスは口角を上げる。
「そう言う、卿は何か怒ってるのかなー」
「分かってるなら、話が早いよぉ。エル、返してよ」
真っ赤な瞳が、真っ直ぐオリスを射抜く。普通だったら今にも腰が抜けそうな怒気もオリスにとってはどうでもよかった。
「やっぱり、エルくんって赤の関係者なんだねー」
「うん。だから返して、エルは退学して俺らのところに帰ってくるの。兄上ほど俺は待ってらんないからぁ」
その返事にオリスは溜息を吐きたくなった。エルラフリートが以前、パーティー会場で見た『幻の美少女』と同一人物ということは分かっていたが、赤の上位貴族に肯定されると、改めてとんでもない子だと再認識した。
「あの子は何者かなー? それと、人はものじゃないよー」
「さあね? あと、ものじゃないってことは分かってるよ、それでも俺らのに権利があるけどねぇ」
じっとりとした執着、赤系統の人間によく見るその執着をオリスは嫌っていた。
「相変わらず赤は執着が酷いねー、学習すればー」
「何を?」
「大切な人を傷つけちゃ駄目だっていうことー」
なんでそんなことも分からないのかなーと呆れたオリスに、デアーグは真っ赤な瞳をかっ開いた。
「は? 俺や兄上がエルを大切にしてないって言うの?」
「フェンリール卿はどうだか知らないけど、少なくとも卿はそうじゃないかなー。エルくんの友達を狙って、酷いんじゃ――」
オリスが言い終わる前に、長刀が振られる。飛び抜けた身体能力でどうにか横に避けたが、最初の一線より更に速度の上がった太刀筋に、オリスはごくりと息を呑む。
「だから……部外者って嫌いなんだよ」
それは明確な殺気だった。
最初の一撃も確かに、避けなかったら死んでいた。けれど、それは避けられる程度に加減はされていた。でも、今はそれがなかった。オリスじゃなかったら避けられなかったであろう、本気の一撃だった。
流石にこれにはオリスも、デアーグの逆鱗に触れてしまったことが分かった。
「俺も兄上もエルを大切にしてるのに、どうして部外者が文句言ってくるの? 何も知らない癖に横からごちゃごちゃ言ってきて、エルのこと取ろうとして、なんなのさぁ」
威嚇以外での攻撃を加えるのはなるべく避けたいと思っていたオリスだが、そこまでは手を抜いていられないと覚悟を決める。
今はここらに人が来てないからいいが、真剣を持っているのを誰かが見れば、流石に教官が止めに来ない訳がない。その場合、どうなるかオリスは分かっていた。
止めに来るのが誰であろうと、頭に血が上ったデアーグはそいつを殺す。
「いっつもそうだ。エルが綺麗だからってみんな、俺らから取ろうとする。エルのことを分かってないくせに、勝手に酷いって喚いてさ、取っていくんだ。あの姉弟もさっきの平民の奴も、お前も、お前の弟も、みんなみんな、図々しく入ってきて何様なの? エルには俺と兄上がいればそれでいいんだよっ!」
狂気、まさに狂気だった。そのあまりの歪みっぷりにオリスは哀れんだ。
「よく分かんないけどさ、卿がエルくんの周りを傷つけても悪化するだけだよー」
「危険な奴と、惑わす奴を消して何が悪いのかなぁ?」
「カイくんを殺す気?」
「兄上もエルも駄目って言うけどねぇ。でも、いいんだ。何もかも終わればエルも兄上も分かってくれるから」
一転、にこりと無邪気に笑った赤の少年とは相容れないなとオリスは呑気に思う。そして、次期赤系統のトップを任せられるフェンリール卿の意見が、流石に目の前の少年とは違うことに安堵する。兄弟揃ってこれだったら、流石にオリスだけの手に負えない。
「デアーグ卿は怒ってる」
「うん、そうだねぇ。脳筋緑」
「でもね……おれも実は怒ってるんだよねー。ずーっと前から」
「へぇ」
そうデアーグが赤い目を細める。オリスの口元は笑みを保ったままだが、その小さな体からは闘志が漏れていた。
「レトガー侯爵家の長男として、国民を守るのは絶対。だから、おれのいる限りデアーグ卿の好き勝手にはさせないよっ」
オリスの存在が消えた。正確にはそのスピードが速すぎて、人間の感覚での認識が追いつかなかった。
化け物じみた跳躍力で自分より背が高いデアーグを飛び越えて、背にまわる。しかし、見なくなった途端に、反射的に背後に向かって剣を振ったデアーグには大して効果がなかった。
振られた刀に、宙にいるオリスはなす術もないかと思いきや、建物の壁を蹴って届かない位置に下がる。
「「良い判断だねー(ぇ)」」
歯を見せて笑い合う二人の目はどこまでも冷たい。
学生だと言うのに、似つかわしくない実力とその雰囲気に、近くの木に止まっていた鳥が生命に危機を感じ飛び立つ。
またもや、オリスの姿が消える。今度は一瞬で低姿勢になった為だ。しゃがんで低い姿勢での、足を狙った攻撃をデアーグは避けられなかった。しかしデアーグもただではやられない、走る痛みに耐えながら持っていた刀で、蹴りを食らえてきた足に振り下ろす。
攻撃直後で体勢が崩れたオリスはそれに一瞬、目を見張ったが、緑系統、しかも侯爵家の長男。生まれつき持っている化け物じみた身体能力で回避に成功する。
そして、回避した流れでそのまま、デアーグの手首を一瞬で掴むと刀をもう片方の手で奪って、遠くに投げ飛ばす。
武器をなくしたデアーグはそれでも抵抗をしようとするが、体術で緑系統に敵うわけがない。いつに間にか、手を後ろ手にされ、うつ伏せに倒されて、乗っかられていた。
オリスは身長がない為、大した体重はないのだが、どうしてか乗られたデアーグはそこから抜け出せない。
「っち、馬鹿力め」
しばし、抜け出そうと頑張っていたが、流石に緑相手じゃ部が悪いと判断して、抵抗をやめる。
「褒めてくれてありがとー、卿も随分頑張ったんじゃない?」
「褒めてないよぉ、化け物じみたその身体能力はっきり言って、人間やめてると思うよぉ」
挑発するように言えば、オリスが更に力を込める。
「それ、おれ以外の緑系統に言わないでねー。次に言ったら骨折るから。一応手加減したんだから感謝してよねー。分かったら返事しようねー」
「なに、緑系統の人間は化け物扱いされることがあるから、悲しんでるんだっけ? でも、君ら実際その身体能力は正直言って化け物じゃ――っ‼︎」
「骨折るって言ったよねー、おれ宣言したからには本気だよー、相手は君だし」
オリスがデアーグの左手人差し指を折る。一応先ほどの蹴りも加減はしていて、本来なら大した怪我は負わせないつもりだった。
緑系統の上位貴族には、自分の人間からかけ離れた身体能力を化け物と言われ、傷つくものが結構いるのだ。過ぎる強者は弱者の恐怖の対象になる。自分が守った存在に怯えられた目で見られて、傷ついた子息が過去にも現在にもいる。化け物と誹謗中傷され、自分の力を嫌悪してる存在もいる。そんな彼らに向かって、化け物とは耳に入れたくないとオリスは思っていた。
それでも、利き腕じゃない方の人差し指の骨で譲歩はしているのだ。オリスは学生として校則を破る気もなかったし、デアーグも一応国民なので、過度な危害を与える気もない。
「おれのテリトリーで、誰かを傷つけることは許さないよー。緑系統のみんなも、この学校のみんなも、おれの目の届く範囲にいる国民には手を出させないよー」
「それはそれは大層なことだねぇ、そんなことしても君に利益があるのかなぁ? 化け物」
指とは言え骨を折られた相手にデアーグはまだ減らず口を叩くが、化け物と言われたオリスは怒らなかった。ただ、挑発にまじめに返答した。
「化け物でもおれはもういいんだよー、守れないことが一番怖いから。おれはレトガー家の長男だから、誰かを守ることは本能に近いから利益も何もないよー。デアーグ卿はそんな風にしか考えられなくて、可哀想だね」
オリスのわざとらしい哀れみに、デアーグは憎々しげに反対する。
「憐れまないでくれるぅ? 腹立つんだけど。それに、守る守る言ってるけどさ、そんな広範囲を守れる訳ないよねぇ。俺って、綺麗事大嫌いなんだけどぉ」
「綺麗事?」
「そう、綺麗事。どうせ、オリス卿はカラビト信じてるでしょぉ」
「? 信じるも何も、カラビト様はおれらを守ってくれる存在だよー?」
天の使いであるカラビトを、信じるも信じないもオリスにはなかった。
天やカラビトを疑うなんてこと、オリスには出来ないし、しようとも発想できない。
歩くのと同じように、息をするのと同じように、天やカラビトを信仰してきた彼にデアーグの言葉は分からなかった。
そんな、彼をデアーグは嘲笑う。
「ほぉら、だから俺は君らに口なんて出されたくない。理想論や夢物語ばかり信じるもの。カラビトなんて信じてなんになるんだろうねぇ。俺は信じないよぉ。それらは何もしてくんない」
「随分と信仰心がない人だねー、そんなんだから、赤は歪むんじゃない?」
「ほら、分かんない。俺らのことなんて分かんない。そういう奴らが俺らに口を出さないでよね……君らは自分らの破綻も自覚してないしねぇ……いや、直視できないだけかぁ。あーあ、やになっちゃう」
自分に乗っている人物にどこか拗ねた口調でそう言った。先程までの狂気とは違った、純粋な何かにオリスは首を傾げる。
「君は何でそんな悲しい声を出すのー?」
「悲しい? 笑わせないでよ。俺は君らみたいな能天気な奴らが嫌いなだけだよぉ」
そう答える声にも、狂気や嫌悪以外の何かを感じオリスは不思議に思ったが、考えてても解決しないだろうから、考えないことにした。
だが、その一瞬の思考の間で隙が出来たのか、デアーグはオリスの下から抜け出した。そして、先程投げ飛ばされた刀を取りに行く。
オリスはその行動をぼーっと眺めた後、不敵に笑う。
「まー、いいや。とりあえず、手は出させないから」
跳躍すると、赤の少年に向かって攻撃を仕掛ける。
もとから、緑は複雑なことを考えるのは苦手だ。全て、真っ直ぐにぶつかって、勢いと力で押し切ろうとする。
反対に赤は深く物事を考える上、卑怯な手でも汚れた方法でも、使えるものはなんでも使う。おまけに酷く内向きだ。そして執着心も強い。
そんな両家の二人が、噛み合う訳がない。