26 そっか
あぁ、やっちまった……。
昨日あんなことがあって、放課後、エルを迎えに行くのはどうしても気が向かなくて、オレは図書室近くの木の下で寝っ転がってた。日陰で寒いけど、どうでもいい。
あんなに、覚悟した気でいたのに、全然話が出来なかった!
そりゃ、エルの発言はムカついたさ! 今でも退学なんてふざけんじゃねぇとか、なんでそんな自分を大切にしねぇんだよとか思う。思うけど……自分も自分で冷静じゃなかったよなって思う。
エルの奴だって別にふざけてああ言ったんじゃねぇだろうし、何か考えた上であの発言だった筈だ。
オレに会う前に退学届取りに行ってたところからも、エルはオレが性別について知ったことも覚悟してきたんだと思う。
その上での退学発言だ。
あいつだって多分、考えてた。悩んでた。あいつだって、たぶん切羽詰まってた。オレばっかが別に必死だった訳じゃねぇ。
分かってるよ、んなこと。でも、あいつ笑うから。辛いのに笑って隠すから。
いつも飄々としてたり、ニコニコしてたりするから分かんねぇけど、あいつはきっとオレが想像つかない程苦しいことを抱え込んでる。普段から顔に出してない奴の方が案外、悩んでたり、辛いことを抱えてたりする。
うちの商隊の奴らにも、暗い過去とかあんのに、そんなの見せないで笑ってる奴はいる。
サドマなんて、今も姿を見られる度に酷い目に遭うのに、オレらの前で楽しそうに笑ってる。
前、苦しい時はそれを見せてもいいんだぞって言ったけど、サドマは「こんなのもう慣れてるから大丈夫! それにカイ達がいるし!」って笑った。
サドマの言葉に多分嘘はねぇ。
本当にオレらといるのが嬉しいのか尻尾をぶんぶん振ってた。
でも、人に悪意を向けられるなんて辛いことなのに、サドマはもう慣れてしまった。麻痺するくらい、酷い目に遭った。それが悲しかった。だからこそ、オレらがあいつを大切にしてやるんだって思ってる。
エルのブラコン、シスコンだって、過去に身近な人が亡くなったのと関係してる。でも、あいつはそんなの見せねぇ。多分、酒場のおじさんが教えてくれなきゃ分かんなかった。
あいつはずっと苦しんでる、そして隠してる。
女なのに国立軍学校に男として通ってるのだって、多分単純な話じゃねぇし。
女みたいとか言われる度にブチギレてんのも、ただバレるかもとかそういうのじゃねぇと思う。
エルの様子からして、『女』って指摘した時、ただ男装がバレたって感じじゃなかったと思う。
なんか知らねぇけど、傷ついた顔してた、でもって、そのあとは諦めてた。
ごめん、ごめん。オレ、お前のこと傷つけたくなかったけど、やっぱ傷つけちまった。
オレはオレでしかないから、エルの気持ちは分かんねぇ。
あいつが何を抱えてんのか、分かんねぇ。
笑ってる裏でどんだけ苦しんでんのか分かんねぇ。
だって、オレは心を読めたりしないから、言葉とか態度に出してくれねぇと分かんねぇ。
いや、出してくれなきゃ分かんねぇとか思ってる時点で駄目だ。あいつが隠すのなんて分かっていたことだし、隠すのにも訳があるはずだ。
なのに、熱くなってブチギレて、勝手になんか言い残して出て行った。
本来なら、あそこでエルに訳とかきくべきだった。
そうすれば、もう少しあいつのこと理解できたかもしんねぇし、退学なんて言わせないで、どうにか出来たかも知れねぇ。
今だって、本当はエルのところに行ってまたきくべきなんだ。
でもさ、本当にエルから聞き出して良いのかなって不安が押し寄せるんだよ。
誰にだってそっとしといて欲しいことはある。
エルだって、無意味に隠してる訳じゃねぇ。きっと、必要だと思うから、そうしてる。だから、それをオレの感情論だけで、暴きに行くのもどうかと思うんだ。
隠したいから、隠す。本人の意思で隠したそれを暴くのは、傷つけるのと同義かも知れない。女かどうか聞いた時、あいつ傷ついた顔したもん。
話す前は、傷つけても微妙になるよりはマシだとか意気込んでた。でもさ、やっぱ怖ぇよ。傷つけたくねぇもん。だから、聞きに行けねぇ。何が正しいか分かんねぇ。
かと言って、やっぱこんな微妙なままも嫌だし、エルの退学も嫌だ。
どうすれば、良いんだよ畜生!
「カイくんは相変わらず木の下で百面相するんだねー」
深刻に考えているオレに、呑気な声がかかる。
はっ、と体を起こしてあたりを見回せば、木の上にオリス様がいた。
「オリス様……」
本当に神出鬼没な方だけど、今、そんな呑気に声をかけられる気分じゃない。
それでも、オレにお構いなく「やっほー、テンション低いねー」と間延びした声で挨拶して、木から飛び降りてきた。
テンション低いって分かってるなら、その高いテンションで話しかけないでくれると嬉しい。
「……確かに低いかも知れません」
「低いよー、ジメジメしてる。エルくんのことで、そうなってんのー?」
うぐっ、いきなり核心ついてきたこの人!
容赦がねぇっつーか、無神経っつーか、なんにせよ、心に刺さる。
でも、この方はこう見えても侯爵家子息だ。最低限の礼儀は必要だ。
「そうですね」
「やっぱ、そうだよねー、何、性別のことでも聞いたの?」
「⁉︎」
心臓が飛び出るかと思った。え、な、なんでこの人、エルの性別のこと知ってんの⁉︎
「ななな、なんで知ってるんですか?」
「おれとテレルはねー、エルくんが女の子の格好してるの見たことがあんのー」
「え」
さっきから呑気な口調で語られる内容が、全然呑気な内容じゃねぇ。え? 何? エルが女の子の格好したのを見たことがあるってどういうこと⁉︎
「でも、その反応だと本当に女の子なんだー。テレルは女装かと思ってたけど、やっぱりおれの当たりかー」
一人で納得してるように、うんうん言ってるけど、オレには全く理解できてません。訳が分からず、口をパクパクさせることしか出来ない。
「それで、カイくんはどうしたのー?」
「どうしたって、え、その……」
「エルくんの性別で悩んでんの? あ、それとも退学しようとしてること?」
どこまで驚かせれば気が済むんですか、どこまで知っているんですか。
心読めるって言われても、納得できる今なら。
しかし、このまま戸惑っているのも失礼なので、どうにか口を開く。
「どっちもというかなんというか分からないんですけど……オレ、これからどうすればいいのか分かんなくなったんです」
オレの発言にオリス様は「うーん」と言ってから、新しい飴を取り出し舐め始める。
「考えすぎじゃない?」
「え゛?」
あっさりと放たれた言葉にオレは驚かざる得ない。
「別に国立軍学校は女の子がいちゃいけないって訳でもないしー、退学するのも本人の自由だよ」
「え、でも、問題とかにならないんですか? いや、オレ、エルに退学して欲しい訳じゃないですけど」
「今まで大丈夫だったから、なんとかなるんじゃない? なった時はなった時でなんとかすればいいし。それにカイくんはエルくんの退学いやならそれでいいじゃん」
雑! いや別に相談乗ってもらいたいわけじゃないけど、予想をはるかに飛び越えた、とんでも回答にオレはびっくりだ!
「え、でも」
「カイくんはエルくんをどう思ってんのー?」
か、会話にならない上に、よく分からない質問を唐突にされた。なんだよこの人!
相変わらずゆっるい態度だし、飴舐めてるし、いやそりゃあ貴族だから平民のオレのことなんてどうでもいいんだろうけどさ、それくらいなら口を出さないでくれた方が嬉しい。
思わずムッとしてしまったが、飴を舐めている口元が笑ってないのに気づく。
――この人、ふざけてる訳じゃない。
真面目にきいてるんだ。そう分かった瞬間、自分の口から言葉が零れ落ちる。
「めんどくさいとこもあるけど、大事な友達です」
「そっか、エルくんが女の子だとしても、何者だとしても変わらない?」
「はい。そりゃあ驚いたりはするし、混乱もするけど、あいつめんどくさいけど良い奴だし、友達です」
「他には?」
「退学はしないで欲しいです。あと、色々聞きたいことあるけど傷つけたくないです。でも、やっぱり気になります」
「うん」
「あと、頼って欲しいです。そりゃあオレ凡人だから心もとないだろうけど、一人で抱え込まれてるとやっぱ腹たちます」
「うん」
「あいつすぐ無理するし、隠すし、オレ全然分からないんです。もっと自分を大切にして欲しいです」
「うん」
「迷惑かけてごめんとか言われも困ります。オレはあいつと友達でいたいし、一緒にいて楽しいから一緒にいるのに――」
そんな風にエルについて話していく。オリス様がただそれを聞くだけだった。
でも、そうしていく内に、自分の中で整理できていくのが分かった。今まで誰にも言えなかったから。言葉にすると改めて自分の気持ちが分かる。
オレが言い終えると、オリス様は笑った。
「それを言ってあげればいいんだよ」
ざあっと風が吹く。
オリス様の前髪が舞い上がって、空色の釣り目が見えた。どこまでも真っ直ぐで穏やかな瞳。それを見て、オレはなんだかホッとした。
「エルくんもきっと君のことを大切にしてるから、だいじょーぶ。色々溜め込んでる方が人間って拗れるから、正直に言えばいいよ」
「でも、あいつ傷つけたら……」
オリス様はそう言ってくれるけど、やっぱ傷つけるのは怖い。臆病だと自分でも思うけど、どうしようもなくそう思うのだ。
弱音を吐くオレを安心させるように、優しい声で彼は更に言う。
「今、聞いた限り、酷い言葉はなかったし、カイくんは優しい子だと思うよー。たとえ、エルくんが傷ついたって、カイくんの優しさは分かると思うし、エルくんだってカイくんが自分を大切にしてくれることが分かるからだいじょーぶ」
「……はい」
「それに、エルくんだってきっとカイくんが大切だよ? お互い大切ならだいじょーぶ。傷ついても、きっと平気だよ。難しく考えずに、単純に細かいことを気にせずに、真っ直ぐぶつかっていきなよ」
緑系統は単純だ。でも、その単純さが今はとても輝いて見える。弱肉強食で単純で本能のままに生きているその姿に、歪みはなく、強い。
「君らは友達なんでしょ」
ああ、なんか知らねぇけど、今めちゃくちゃ涙が出そうだ。悲しいからじゃない、怒ったからでもない。単純にスッキリしたのと安心したから。
ずっと、怖かった。ずっとぐちゃぐちゃ悩んでて気持ち悪かった。でもさ、やっぱ自分の根っこは単純で、エルと友達でいたいって心が叫んでいて。ずっと、苦しかった。
オリス様は単純に考えていいって、言ってくれた。大切なんでしょ、友達なんでしょ、なら大丈夫って言ってくれた。
関係が壊れてしまうんじゃないかって、傷つけるんじゃないかって、ずっと怯えてた。でも、オリス様に大丈夫って言われて、なんか安心した。
一人でずっと悩んでたから、怖かった。
話が話だからずっと抱え込んできたけど、なんだこりゃオレもエルと同じじゃねぇかよ、バカみたいだ、ほんと。オレもエルもバカみたいなことやってる。
「オレ……エルと話してきます!」
そうオレは決意を表明した。
「なら良かったよー、仲良しが一番!」
返事をするオリス様にとって多分オレは、弱い者の中の一人。平民の中の一人。それでも嬉しかった。
オレみたいなペーペーに気にかけて、背中を押してくれる貴族なんて到底いない。いや、貴族じゃなくたって、こんなに行先を示してくれる人なんて滅多にいない。
「オリス様、ありがとうございます!」




