25 なんで
胸倉を掴んでいた手が離される。
一気に力を抜かれたな……いや、抜けてしまったのか。ふらりと一歩後ろに引いたエルの顔は絶望一色だった。
ああ、やっぱ傷つけちまった……。
顔色は血の気が引いて真っ青だし、瞳や手も小刻みに揺れてる。いつものように誤魔化して笑ったりもしねぇ。ただ泣きそうな顔をしていた。
でも、オレはなんて声をかけたらいいか分かんなくて、黙っているとエルは今度は儚く笑った。
綺麗で、でもすぐにでも壊れてしまいそうな笑顔だった。
「……サドマさん?」
それが答えも同然だった。声の調子は何故か落ち着いてた。
なんでサドマの名がすぐに出てくるんだとかはどうでもいい。
エルは女だ。それを暗に肯定され、覚悟はしてたとはいえ、ガツンと胸にくる。
「ああ、サドマがエルの匂いは女の子だって言ってた」
「やっぱり……それで最近変な感じだったんでしょ」
「ああ」
「そっか、混乱させてごめんね」
そう謝ってきた。それがなんか嫌だった。
確かにオレは混乱した。でも、それで謝ってほしい訳でもない。分かんねぇけど、エルに罪悪感なんて抱いて欲しくねぇよ。
「なんで、謝るんだよ」
「カイは優しいなぁ……怒ったっていいんだよ。騙されたって」
「はあ?」
訳が分からない。なんで今の流れでオレが怒るんだよ。
オレ、別にエルに怒ってねぇし、責める気なんてねぇよ。なのになんで、お前は勝手にそう思いつめてんだよ。訳分かんねぇ。
エルは相変わらず綺麗な笑みをたたえてる。
どっちかって言うとその態度の方がムカつく。なんで、いつもいつも無理に笑うんだよ。感情を抑え込むんだよ。
「ぼく、退学するから。カイは気にしないでよ」
「は? 何言ってんだよ」
聞き捨てならねぇことを言われたので、オレは椅子から立ち上がる。
深刻な内容だろうから、なるべくこっちも落ち着いていようと思った。だけど、いくらなんでもエルが言っていることに納得がいかねぇ。なんでいきなり説明もなしに退学とかそう言う言葉が出てくるんだよ。
「だから、ぼくは退学する」
「だから、何言ってんだよ!」
オレはエルの胸倉を掴んだ。女だろうが、関係ねぇ。オレはエルの態度が気にくわねぇ。オレが頭に血が上ってんのとは反対に、エルはきょとんとした顔で。
「だって、ぼくはいない方がいいでしょう? 迷惑になるでしょう?」
ああこれだ。オレはこいつのこう言うところが嫌いだ。何を抱えてんのか知らねぇが、こいつは自分のことを大切にしねぇ、自分の存在を軽く見る。それが物凄く気に入らねぇ。
「誰がそんなん言ったかよ、馬鹿野郎!」
分かってる。冷静でいるべきなんてこと。話す前に覚悟も決めたと思ってた。
でも、これは違う。女かどうかなんてことじゃねぇ、こいつがこうも自暴自棄みたいになってるのが気に食わねぇ。
「うん。カイはそんなこと言わないよ。優しいからね。でも、大丈夫だから」
「何が大丈夫なのか知らねぇが、オレはお前に退学してほしいとか一切思ってねぇぞ!」
「そっか、やっぱりカイは綺麗だね。でも、迷惑になるからいいよ。退学するから、ぼくのことは忘れて」
『綺麗』とエルはオレに向かってよく言う、その度になんだこいつとか思ってたけど、今回の『綺麗』は今まで以上に不可解だし、腹が立った。
「意味分かんねぇよ! なんで迷惑とか退学とか、いきなりそう言う話になるんだよ! オレは別にそう言うつもりで話したんじゃねぇよ!」
「分かってるよ。カイは綺麗で優しい人だからね。でも、ぼくはカイを困らせたくないんだよ」
会話が噛み合わない。
オレ、エルの言っていることがよく分かんねぇよ。なんで、なんでだよ。
違うんだ。オレはお前を遠ざけたいとか思ってねぇのに、なんでお前はそんなに遠ざけようとするんだよ。オレはそんなつもりでエルが女かだなんて聞いてない。
そりゃ、悩んでる時に女だったら学校辞めさせるべきかとも考えたけど、でもやっぱりそれなりに理由がなきゃこんな状況になってねぇだろうし。それにオレ個人の気持ちとしてはエルに学校を辞めて欲しくねぇ。
だってこいつは退学したくてする訳じゃねぇ、なんか知らないけどオレに気を遣ってるんだ。
「エルはオレのこと嫌いなのかよ……」
「そんな訳ないよ。だって君はとっても良い人だもの」
「じゃあなんで退学とか言い出すんだよ」
「カイに迷惑がかかるから」
確かに混乱するし、気は使うかもしれねぇ。
でも訳も碌に話さずに退学とか言い出すなよ。それに迷惑なんて、人が関わっているんだから掛かったってしょうがないだろう。拒絶とかじゃなくて、本気でオレのことを気にしてそう思ってるのが気に食わねぇ。
「迷惑なら掛ければいいだろ」
「ほら、君はそんなに優しいからますます駄目だよ。安心して、気にしなくていいから」
安心できる要素が全くない。分っかんねぇよ、オレ、エルの考えてることが全然分かんねぇ。碌に話もせずに、一人で完結させようとしてるけど、オレはそんなん嫌だし、納得いかねぇ。
「退学なんて許さねぇぞ」
「だから気にしなくたっていいよ。ぼくは最初からいなかった者として扱ってよ」
それがとどめだった。
こいつ話する気が全くねぇ。
もう、こいつの中では退学することを決めちまってんだ。それどころか今までのこと全部無かったことにする気だ……だけど、そんなん許せる訳ねぇだろ。
言葉より先に手が出た。
バチンとエルの頬から結構痛そうな音が鳴ったが、当然叩いたオレの手も痛い。
「誰がそんなことできっかよバァカ! 退学なんてぜってぇ許さねぇからな! お前が退学したらオレも退学してやる!」
「え、ちょ、なんでカイまで」
「オレだって意味分かんねぇよ! でもお前さっきから退学とかいない者として扱えとか言いやがるから!」
「だって、そうした方がいいんだもの」
「ほら、意味分っかんねぇ!」
会話にならない。本当に会話にならない。エルの方もだけど、自分もヒートアップして冷静に物事が考えられねぇ。
どうして、こうなったんだろう……普通に聞いて、訳聞いてどうにかしようと思ったのに、それが全然出来ねぇ。
「とにかく退学なんて絶対許さねぇからな‼︎ 今日はもう話になんねぇから、今度また話すことにする。じゃあな、エルの大馬鹿者‼︎」
そう最後に言い放つと、オレはエルの家から出て行った。
勿論、道が分かんなくて迷子になった。
警備隊とか出店の人が道教えてくれたお陰で、なんとか門限ぎりぎりには寮に帰れたけど、
……いや、ほんと何してんだよオレ。




