3 穢れさせない
「今日のお弁当は妹と弟が作ってくれたんだ」
「ふーん。ってかわざわざ報告する必要あるか?」
「ないけど、自慢!」
「うーし、そのお綺麗な顔面殴らせろ」
「やなこった」
1週間経った昼時、オレはエルと一緒に中庭で昼食を食べていた。まあ、仲良くなるのは当然だ。同じ目に遭うもの同士だ、協力は大切。1人でいると狙われ易いしな。貴族様らに睨まれたりもするが、諦めよう。
「てか、妹とか弟とかうっせーな。シスコンかつブラコンかお前」
「もちろん!」
勿論じゃねぇよ。生き生きした顔すんな、うぜぇよ馬鹿野郎。無駄に顔良いし。
オレにも弟いるけどこんなんにならねぇぞ。あんの弟クソ生意気だからな。母ちゃんが「お兄ちゃんに似たのね」とか言ってたけど、んなこと知るか。
「そういえば、カイはいつもパンだけど飽きないの?」
「寮だから弁当作れねぇし、ここの食堂はバカ高ぇし、パンが一番無難なんだよ」
「ああ確かにここ馬鹿みたいに高いよね。でも栄養偏らない?」
「他に方法ないんだから、しゃあねぇだろ。お前はオレの母ちゃんか」
「違うけど……あっ、そうだ! 一ついる?」
そうやってエルはハンバーグを差し出す。貰えるもんは貰っとけっていうのが信条なので大人しく貰う。いくらか視線がきつくなったが、もう知らね。そもそも、そういう邪念があるから近づき辛くなるんだ外野どもは。
「うめぇな」
「でしょ。ぼくの妹と弟は凄いんだから」
「そうだな。これなら充分どころかかなり高値で売れるぞ」
「褒め方がおかしいんだよなぁ。まあ、カイだからね」
素直に感想言っただけなのに、笑われる。最近わかった事がある。美人はどんな顔でも美人。でもって笑顔の破壊力は計り知れない。
「お前、あんまそういう顔してると食われるぞ」
「カイの前だから大丈夫でしょ」
「まあ、オレは女が好きだからな。それより、ほんっと気をつけろよ。お前狙われてる自覚しろよ」
「分かってるよ。カイはぼくのお父さんかな」
「違ぇよ、バァカ」
いつかの先輩みたいになって欲しくないだけだ。
あの先輩もエル程じゃないけれど、えらく綺麗な顔をしていた。……あんなことを繰り返してはいけない。同士は守る、絶対にだ。絶対に、絶対にだ。
「ほんっとお前、美人だよな。あれだよな、貴族は美形が生まれやすいらしいけど、その貴族ばかりのクラスにいてもお前目立つもんなぁ」
「あんまり嬉しくないなぁ。そう言うカイも綺麗な顔してると思うけど?」
「どこがだよ。色白でもねぇし、そばかすだってあんだぞ」
そう言ってパンを齧る。パサパサしてるし、硬いし、あんま美味しくない。でも仕送りの量的に贅沢はできないし、やっぱ小銭稼ぎしねぇとなぁ。
「目は切れ目で綺麗。口から見える八重歯は元気印。少し焼けた肌は健康的。ガチムキ体型ではないけど、痩せ過ぎず太り過ぎず健康的な体。生意気な態度も可愛い」
「おい、キメーこと言うんじゃねぇよ」
「って、通りすがりに寮の連中が噂してたよ」
「わざわざ報告してくんじゃねぇよ!」
ゾワっと立った鳥肌をさすれば、エルはさらに面白がる。
「オヒメサマだってね」
「それ言ったら、お前は紅薔薇の君とか呼ばれてるぞ」
「………………」
エルがふざけたこと言いやがったから、こちらもやり返してやれば苦虫を潰したような顔で黙り込む。
「ほら、お前も似たような立場だろ。紅薔薇ちゃん」
「なんでよりにもよってそんな呼び方、ぼくは赤も薔薇も大嫌いなのに」
「そこかよ」
でもまぁ、赤の家のシンボルマークが赤薔薇なのに、よく紅薔薇なんて近しい呼び名を平民のエルにつけたよな。下手したら侮辱罪とかなりそうだ。
まあ、なんにせよ男にそんな呼び名つけるなよな、気持ち悪い。
しかも赤関係ってことは、赤系の貴族の野郎のマーキングじみた行為のように思えてゾッとする。穏健派だけど、どっか粘着質なところがあるな。
貴族は粘着質なのかもな。平民のそっち系の奴と貴族のそっち系の奴はやっぱ雰囲気が違う。こっちはまだカラッとしてるんだけど、向こうはねちょねちょしてて面倒くさそうだし、怖い。
確か先輩もそういう貴族にやられたんだよなぁ。苦い記憶を思い出して、その不快さに眉を顰めれば、エルが「パン、美味しくないの?」と声をかけてくる。
「不味くはねぇが、美味しくもねぇ。もうちょい分けてくんね」
誤魔化すために本気じゃないことを言えば、あっさりと今度はオムレツを口に入れられる。
「やっぱ、うめぇな。妹ちゃんスゲェや」
「当然でしょ」
嬉しそうに笑うエルを見て、やっぱこいつは穢させちゃいけねぇなって心から思った。
***
ある日の放課後、いつも通りエルとの待ち合わせ場所に行けばそこには彼がいなかった。いつもなら正門近くの木の下で待ってくれてるのに、あの赤茶の髪は見えない。
「なあ、エルどこにいんのか知らね?」
周りに問えば皆、目を逸らす。何でだ? オレ、ただエルのこと聞いただけなのに。
なんか嫌な予感がする。
それにどこか既視感もある。なんだっけ、待ち合わせ場所にいなくて、探して、先輩いなかったから今日は先に帰ったんだなと思って――最悪な光景が脳裏に蘇る。
薄暗い部屋に、ボロボロのシャツ、体液とよく分からない液体が伝う体には、傷や打撲、焼け跡まであった。オレのことを優しく見守ってた水色の瞳は焦点が合わなくて。
いや、でもまさかそんなこと……でも。
信じたくなくてもう一度聞く。
「エルどこにいるのか知らねぇって聞いたんだけど」
「………………」
「黙ってねぇで、なんか言えよ。分かんないなら分かんない。分かるなら教えろ。んな簡単なこともできねぇのか?」
音が止む。随分とキツい口調で言ったものの誰も反応しねぇ。
沈黙が一番怖い。
軽いノリで即、「先帰ったよ」とか「俺見てないけど、まだ教室とかじゃない?」とか言われるのが一番ほっとする。とはいっても、階段降りる前に見たAクラスは無人だったから教室にいるってことはねぇんだけど。
長い静寂の後、平民の一人が恐る恐る口を開く。
「わりぃ、カイ。俺たちには言えねぇ」
ガンと頭を殴られたような衝撃に襲われる。
その一言だけで心が急速に冷やされていく。
それでも答えてくれた彼には感謝すべきだろう。最大限の協力なのはすぐに分かった。言えないって言うことは貴族関係だ。充分すぎるヒントだ。
エルに近づいた貴族を頭で整理し、その中で一番無茶をやらかす可能性があるのは、あの赤系の伯爵子息。穏健派だと思って油断していた。やっぱ粘着質な奴は駄目だ。
舌打ちをすると、すぐに走り出す。後ろからさっきの奴に「おい!」と言われるが無視する。
分かってる。オレを止めようとするのはオレが危険な目に遭わないようにする為だと。仲間思いのいい奴だよな、分かってる。貴族相手に喧嘩売るなんて馬鹿なことだと、でもだからってエルが食われるのを許す訳にはいかない。だって、また先輩みたいな目に遭う人が出てくるなんて嫌だから。
あの時は何も出来なかったけど、今度こそは。
急いで校内の馬車置き場を見れば、あの伯爵家のものは残っていた。ということは校内にまだいる。校内で人気の無いところは、図書室の書庫に、校舎裏の訓練場、あと倉庫もある。貴族様の傾向として野外はないだろうから、書庫か倉庫のどちらかだ。
近いのは書庫だ。急いで階段をかけ上がって、図書館の書庫を見るが、そこには何もない。すぐに引き返すと、オレは倉庫までダッシュする。畜生、無駄に広いんだよこの学校!
嫌だ。
もう嫌なんだ。仲の良い人が死んだ目で絶望した目で「お前だけは逃げ切れよ」なんて言うのなんて聞きたくない。
もともとオレは女の子が好きだ。でも昔はもう少し今より寛容で男に告白されて最初は戸惑ったものの、好意を表明して気持ち悪がられたら悲しいよなって思って、そこまでこっ酷い振り方してなかった。でも、今は違う。どうしても嫌悪感が消えなくて、消す気もなくて、ただただそういう意味で同性に見られることが気持ち悪い。
きっかけは多分、一個上の先輩の事件。
先輩の時もこうだった。待ち合わせ場所にいなくて、おかしいなって思って、で見つけた時にはボロボロで目の焦点が合ってなくて……色々あって、それで、お保健室に連れて行ったけど、次の日から先輩学校休んだ。
相手は黄系の貴族だった。だから学校側も大したことはできなくて、現場には薬品まであったのになかったことにされた。なんとか先輩が学校に通い始めてもその貴族に囲まれてて近づけなかった。やっと、隙が出来て先輩に話しかければ、あの人は儚げに笑った。
「向こうはこっちのことなんてどうでもいいんだ。泣こうが喚こうが興奮の材料にしかならない。僕達平民には貴族には何もできない。できるのは諦めることだけ。お前は相手は平民だけど、油断はするな。何が起こるか分からないから。カイ、お前は良い後輩だ。だからもう僕には近づくな。お前だけは逃げ切れよ、お前が無事ならそれでいいから」
先輩は、尊厳も自由も何もかも奪われた。許せなかったけどオレも所詮平民、先輩も平民、泣き寝入りするしかなかった。
救いなのは、最近になってそれを知った救護科の黄系の公爵令嬢が貴族の恥だとお灸を据えてくれたことだ。まあ、その時には手遅れでもう先輩は壊れちゃってたけど。その後からだ。黄系が大人しくなったのは。先輩が犠牲になったから黄系は大人しくなったのだ。
別に同性を好きになっても構わない。オレは先輩の件からかなり苦手だけど、自分にさえベクトルが向いてなければ当人が幸せなら別にいい。
だけど性別問わず無理矢理だけはダメだ。
証拠に平民の奴らにオレが最悪の事態にさせられてないのはそこが違うからだ。同じ人間として見てるから、モラルは守ってくれる。守らなねぇ奴もたまにいるけど他が止める。でも、貴族の一部はこっちを人間として見てねぇ。最初は奥手だけど、後になるほど恋い慕うほど手段を選ばなくなる。地位が高い奴は誰も止められない。
気持ち悪ぃ、ほんと気持ち悪ぃよ。勝手にてめぇらの欲望押しつけんな。好きなら大切にしろよ。相手が嫌がるのも構わず欲望押し付けて、蹂躙して、んなもんオレは許せねぇし、好意だなんて認めたくねぇ。
オレもエルも先輩も、そんな下衆どもに弄ばれる為なんかに生きてねぇ。
だから、今度は穢させねぇ。触れさせねぇ。貴族、んなもん気にして肝心なもの守れないなら意味ねぇだろ。
エル、どうか無事でいてくれ。
倉庫の扉をぶつかるようにして開けるとオレは彼の名を呼ぶ。
「エル!」