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中途半端な存在3-2


 ぼくの挙動を見ていたデアーグがそう声をかけてくる。

 さっきとは一転、穏やかな目をしてる。


 切り替えが早い。まるで別人のように優しくなった彼の言葉に、安堵からか手の力も自然と緩む。


 こういうところは昔から変わってない。ぼくの機微を察して、ぼくの望む言葉をくれる。こういうところがあるから今も嫌うに嫌えない。我ながら単純だと思う。いつでもこんな人だったらいいのに。


「そうだ。お前はあれらとは全然違うものだ」


 まあ、二人の根本にあるのは女嫌いだけど。


 ぼくは別に女は嫌いじゃない。ぼくが女じゃないだけで、その存在自体には二人のように憎悪や嫌悪を抱いたことはない。


 でも、「女じゃない」その言葉はおとーさんは最期までくれなかったから、やっぱ嬉しい。


 あの人はいつだって、女ということをぼくに強要したから。


 ぼくは女じゃないのに。

 ぼくが大嫌いで憎んでる叔父だって、ぼくに選択肢を与えてくれたのにね。おとーさんは最期まで、ぼくのことなんて見ずに否定ばかりした。


 ………………カイはぼくのことを知ったら、どう思うんだろうか?


 冗談だって思われるかな?

 女として扱われるのかな?

 意味分からないって突き放されるかな?

 気持ち悪いって嫌悪されるかな?


 どれも嫌だ。


 やっぱ、今のままが良い。何も知らずに普通の友達としての現状が……それも駄目か。


 だって、ぼくは他にも中途半端なところだらけで、醜くて、酷い人間だから。綺麗なものはこちらの世界に巻き込んではいけない。

 せいぜい学生時代の友達。擬態利用相手程度に留めておかないと。胸は痛むけど事実だし仕方ないことだ。


 下手にぼくが依存しちゃって離れられなくなったら、カイが悲惨な目に遭う。エヴァンズ一家はぼくの所為で壊された。


 これ以上、綺麗な人は傷つけたくないもの。赤は依存が酷いから、適度な距離を保たなければ。


「エル、急に黙り込んで険しい顔してどうした?」

「なんでもありません。大丈夫ですよ」

 ぼくはそう微笑む。


 二人に今考えてたことを言ったら、寝た子を起こすようなものだ。せっかく、カイのことを取り付けたのに意味がなくなってしまう。


「ならいいが……お前気をつけろ。特に紫には」

「紫?」

「分かってはいるだろうが、あそこは感覚機能が異様に優れている。侯爵家以上の子息には下手したらお前の体のこともバレる」


 クラスメイトの20人中、7人は紫系の子息だが、いてもせいぜい伯爵クラスだ。侯爵となるとSクラスのあの首席と、学年三位くらいだ。つまり、Sクラスの方には近づかなければ良いってことか。


「あー、それなら大丈夫ですよぉ兄上」

 デアーグがそうヘラヘラ笑う。


 珍しいな、フェンリールが忠告してくる時ってデアーグも念を押してくるのに。


「何故?」

「今回の菖蒲戦受けたのもそれが理由ですから。紫はルールに従順だから『君にナイフを返しに来た子について、何があっても口出し厳禁』って勝者の特権を使わせて貰ったんですぅ。向こうはよく分からない命令で首傾げてましたけどね」


 菖蒲戦の勝者の特権と言うのは、『敗者に一つだけ命令が出来る』というものだ。


 勿論、「死ね」「殺せ」などの生死に関わるものは駄目だが、大抵のことなら通る。過去には仲が最悪なもの同士が菖蒲戦を行って、勝者が敗者に自主退学を命令した。


 それほど、勝者の特権が凄いものだから、勝負の受け手は菖蒲戦を拒否することも許されているし、勝負内容を決めることが出来る。申し出る方は一種の博打なのだ。そもそも相手が受けるか、相手の提示した勝負内容で勝てるか。


 今回、負けた紫の侯爵子息も相応の覚悟をしてから、仕掛けただろう。負けた後もどんな命令かと緊張してただろう。なのに、命令内容は一生徒についての口出し厳禁、はっきり言って拍子抜けだし意味が分からないだろう。


「だから、ぼくが行った時に『そういうことですか』とか言われたんですね……」

「分かっちゃう奴には先手必勝だよぉ。鼻が良い子は体臭で分かるみたいだからね。あと、もう一人の紫系の侯爵子息が鋭いのは聴覚だから、気づかれないと思うよぉ。あ、でも来年はどうしようかなぁ、公爵子息はヤバイから兄上なんか考えておいてくれませんか?」

「分かった」


 デアーグが菖蒲戦を受けたと聞いた時は、まさかと思ったが納得だ。体臭か、それは隠すのが難しいな。なんか匂いをごまかすものでも持つべきか。何もともあれ、対処してくれたことは助かった。


「お気遣い感謝します」

 深々と礼をする。


 決してカイのことは忘れた訳じゃないけど、ぼくの為にこの人が動いたのは事実だ。


「どういたしましてぇ。エルも気をつけるんだよ? ……騒ぎになったらすぐにでも連れ戻すから、元から俺はそっち派だしね」


 前半と後半で言葉の響きが全然違う。


 本当、切り替えが早い人だ。今はおそらく情緒不安定とかではなく意図的にやっている。どちらも本音には違いないだろうが、無邪気に笑ってからの、真顔は落差が酷い。怖い人だ。


「そこら辺にしておけ。デアーグ、こちらが指示を出す前に手を打っといてくれて助かった」

「兄上はエルに帰ってきて欲しくないんですかぁ?」

「約束は守るものだからな。期限までは待つ」

「ほんっと、兄上はエルに甘いですねぇ。そうやって放っておくとすぐにどっか行っちゃいますよ?」

「大丈夫だ。最終的に帰ってくる」


 異様なまでにぼくを連れ戻そうとするデアーグも恐ろしいが、ぼくが必ず戻ってくると信用してるフェンリールの方が正直恐ろしい。


 デアーグはぼくを疑うが、フェンリールはぼくを信頼する。

 彼にとって、ぼくが戻ることは確実なことなのだ。そして、それは実現する。逃げること自体に現実味が無い上に、彼の信頼がぼくの行動を縛る。疑われている方が動きやすい。


 あと、彼の上手いところは、彼自身も妥協をしてる点だ。自由な時間も与えるし、我儘も多少は聞くから、最終的に戻ってきてと最大限まで妥協をしてくれる。その代わりぼくも要求を跳ね除けることができない。


 そして、総じてこれらが計算じゃないところが凄い。全部、素だ。


「それまでは、遊んでいても構わない」


 そう優しげに長いまつ毛の下にある赤い目を細める彼に、ぼくの心は雁字搦めにされる。


 「赤氷(せきひょう)」と貴族内で囁かれるほど、明るい表情や穏やかな表情を浮かべないことで有名だが、彼は身内だと判断した相手には時たまそういう表情を見せる。


 フェンリールはぼくに甘い。優しい。赤特有の無茶苦茶さもそこまでない。常識もある程度弁えている。ぼくを叱らない。あっても忠告程度。

 デアーグのような暴走もほぼない。身内以外の扱いは軽いかもしれないが、何か手出しする時はある程度の道理が成り立ってはいる。少なくとも感情論だけでは殺さない。


 悪人とも善人とも言い切れない、ただぼくを大切にして、信頼してくる人間。


 だからこそ、この人から逃れるなんて出来ない。彼の右目下の傷は過去にそれを証明された結果だ。


「あと、久し振りに歌ってくれないか?」

「兄上、それはやめた方が良いと思いますよ」

「大丈夫だ」


 今だってほら、効果が薄いとはいえ、心理操作が可能な歌も平気で頼んでくる。


 一度、子守唄で眠らせて、寝首をかこうとした前科や、デアーグのぶっ壊れ具合を知っているのに平気で頼んでくる。

 過去二回も殺気を向けてきた相手にここまで無防備になれるのは、ぼくには結局殺せないという確信があるから。


「いいんですか?」

「いい。エルは良い子だから、何もできない」


 絶対的な信頼。何より強固な鎖だ。


 ぼくにはフェンリールから離れられないし、殺すこともできない。


 殺せばきっと全部とは言えないが、かなりのしがらみから解放される。だけど、無理な話だ。ぼくにとって、彼も大切な人だから。


 なんならデアーグもなんだかんだで殺せない。腹が立つし、滅茶苦茶で冷酷な奴だ。でも彼は壊れている部分があるだけで根が純粋で優しい面もあるから、殺すことはできない。


 幼い頃の思い出や恩が、今でもぼくに優しくするその態度が、それを許さない。


 中途半端な覚悟しかない奴が、絶対的な信頼を持つフェンリールに敵うわけがない。


 ***


 帰りはデアーグがついてきた。ついでに帰り際にフェンリールに直接頼まれた仕事も済ませたが、ぼくの方法に「相変わらず、優しいねぇ」と感想をこぼした。


 久しぶりに最小限の被害で終わった仕事だが、それでも優しいもクソもない。この手が血で汚れているには変わりない。


「兄上がねだるのも分かっちゃうなぁ……だって、歌ってる時のエルはカラビト様みたいだもの」


 一つ上の彼がそんなことを言うもんだから、ぼくは一瞬息の仕方を忘れそうになった。ぼくの歌に対してデアーグがカラビト様みたいだなんて言うなんて、皮肉か? いや、それにしては悪意は感じなかった。意味を掴み損ねたぼくは遠回しに探ることにした。


「天を信仰してない貴方がそれを言いますか?」

「綺麗さの表現だよぉ」


  ただの言葉の綾だったようだ。まあ、彼がぼくの歌を褒めるというのもそれはそれで複雑だけれど。


「天もカラビトも信仰なんてしないよぉ。だって、それらは俺も兄上もエルも助けてくれなかったしね。なんで、そんなもの崇めないといけないの?」


 確かにそれらは助けてくれない。ぼくも信仰してない。天なんてものは崇めない。


 だって、何もしないで放って置くだけだったら、誰でもできる。

 ぼくらがどん底に落ちている間に、それらは傍観を貫き、結局自力でぼくらは何とかした。カラビトなんて尊敬しない。


 大昔の建国を手伝っただけの気まぐれな存在に何を求めるのだろうか? いつだって、世の中は不平等だ。誰かが救われてる最中でさえ、別のところでは誰かが絶望に突き落とされている。


  よく分からないものに助けを求めたって、意味がない。そんなことをしてるくらいなら、自分で動くべきだ。そんなのは幼少期で既に学んだ。


「そうですね。天もカラビトも崇める道理がないです」

「でしょう? でも、国教はそれだからぁ、信じてるフリはしないとねぇ?」

「はい」


 変な会話内容だ。自国の神を崇めないと二人で言い合ってるのだから。


 犬がそんなぼくらを注意するかのようなタイミングで吠える。番犬だ。


「やっぱ、犬は匂いに敏感だねぇ」


 そうデアーグは言うと、その犬に近づいた。真っ黒な大きな犬は途中まで吠えていたが、デアーグと目があった後は急に静かになった。


「物分かりが良い子は嫌いじゃないよぉ」


 犬に微笑むと、ぼくの手を引いて彼は走り出す。血の臭いがするぼくを連れて彼が走る。細い道を迷うことなく、風を切って進んでいく。だが、そんなことはどうでもよかった。


『犬は臭いに敏感だねぇ』


 その言葉でぼくはあることを思い出した。


 嗅覚の鋭いものにはぼくの体のことはバレる。紫の嗅覚が鋭い侯爵子息はデアーグが封じた。だから、問題はないだろうと大して気に止めてなかった。


 だけど鼻が効くのは何も紫系の上位貴族だけではなかった。


 サドマという友人の仕事仲間は、犬の雑種だ。


 カイが挙動不審になったのは連休後……これで気づけない程、ぼくは馬鹿じゃなかった。


「? エル、どうしたのぉ」

 掴んだ手だけで違和感を感じたデアーグが立ち止まって、振り返る。


「どうしてそんなに顔が真っ青なの? 犬苦手だっけ?」


 カイに――ぼくの体のことがバレてるかもしれない。



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