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中途半端な存在3-1


 闇の中を全速力で駆けていた。

 途中にあった王都の上層に行くための検問所も警備にバレないように通り抜けた。普段ならもう少し普通の行き方をするが、今はそんなことを考えてられなかった。一刻も早く行かなければならない。


 最後に急な坂を駆け上がると、大きな屋敷が見える。暗闇で今は見えないがピンクの屋根をしていることを知っていた。黒い柵の門は閉まっていたが、どうにかよじ登って侵入した。


 南側の二階の部屋がまだ明かりがついているのを確認すると、その近くの木に登る。

 そして、その木を使って、その部屋についている割と小さなバルコニーに移る。部屋の中を覗き込めば、目当ての人物がやたらぬいぐるみだらけの部屋の隅の机で書類仕事をしていた。


 赤に黒ばっかで目に痛い部屋だ。

 ぬいぐるみだらけでファンシーかと思いきや、拘束具や武器のコレクションまであるから、アンバランスで気味が悪い。部屋の主をよく表してはいる。


 別邸であるこの屋敷でもそうとは思ってなかったので、目眩がしたが、そんな呑気にしてはいられない。


 ポケットに入れていた鉄の棒でそのままピッキングすれば、結構時間はかかったものの解除された。


 そして、そのまま部屋に入ると、作業しているその人に近づく。


「……デアーグ様! 今日のあれどういうことですかっ」


 そう言って机に向かって何やら書いてたその人に掴みかかろうとするが、逆にあっさりと手首を掴まれる。

 ぼくと比べて少し高めの体温をした彼の手の力は強かった。


 それでも抵抗をしていると、側にいた使用人らしき男が止めようとする。それを更にデアーグが止める。


「手は出さないでね。ん、なぁに? エルラフリートはわざわざそれを言いに来たのぉ?」

  彼がわざとらしく首を傾げれば、彼の左耳のピンクのピアスも揺れる。


「そうですけど、何か?」

 手が駄目ならば足技と思うが、そんな考えは読まれていたようで、逆に思い切り足を踏まれる。しかも丁度小指あたりで呻き声をあげそうになる。


「そうだったら、ムカつくなぁって思ってさぁ……あと、足癖悪いよぉ」


 足癖悪いのはお互い様だし、ムカついてるのはこっちだ。踏まれたの痛いし。


 試合の内容は大事は無かったから別にどうでもいいし、試合前のやつも相変わらず女嫌いだなと思っていただけだ。


 だけど、試合後のあれは許せなかった。


 周りはあれを本気でうっかりだと思ってたけど、ぼくにはちゃんと分かった。


 最初からクロッツ様じゃなくて、カイを狙っていた。


 試合前にこちら側を見た時から嫌な予感はしたけど、最悪だった。


「一般人だってご存知ですよね?」

「うん、知ってる。怪我なかったんだからいいじゃん」

「あれはっ、ぼくがとっさに動いたからであって! 何もしなければ大事になっていましたよ‼︎」


 ぬけぬけと言い放つデアーグにぼくは怒鳴りつける。が、向こうはどこと吹く風どころかむしろ不機嫌そうだ。


「だって、ムカつくもん」


 はあ? そんな理由で怪我させられたらたまったもんじゃない。怒りを通り越して呆れになりそうだ。が、その一瞬で隙を突かれたのだろう。いつの間にか床の絨毯に背が付いていた。


「兄上呼んできて」

 そう使用人の男に命令した後、彼はぼくにのしかかる。赤い瞳にぼくの顔がうつってる。


 逃れようとするが、手を押さえつけられてる上、抜け出せないような力の掛け方をされてる。肩を負傷してるっていうのに、相変わらず手も足も出なくて悔しい。


「エルが守るのなんて分かっての行動だよ。だから、あのスピードで投げたしねぇ」

 確かに、この人ならぼくが反応できない速度でも投げられた筈だ。が、だからと言って許す訳にはいかない。


「スピードは関係ないです!」

「関係あるよぉ。エルが守らないければその程度の存在。守れば大事にしてる子って訳。結果、大事にしてる子だったからムカついた訳」

「っ」


 低いトーンになった声とギラギラと光る赤の瞳を見て、ぼくは口から出そうになった反論を飲み込む。


 こっちも怒っているが、向こうもあまり機嫌がよろしくないようだ。下手に刺激するとカイが危ない。一度、引こう。


「……あの場で何か起こしてもそちらにも外聞が悪いでしょう?」

「今更、機嫌とろうとしないでよ。それに外聞なんてもうとっくに悪いからいいもんねぇ」


 んべっと悪戯っ子のように舌を出してみせた彼から目を逸らす。


 駄目だ。全部見透かされてる。しかも、顔を逸らすことすらも許してはくれない。空いている方の手でぼくの顔を掴んで強制的にわざわざ不機嫌全開の顔を見せてくる。


「ほんっと、ムカつくなぁ、あの平民」

「なんでですか? 別にデアーグ様に何もしていないでしょう?」


 そう聞けば、彼は黙り込む。


 攻撃する理由くらいは教えて欲しいものだ。そうすれば、どう守るのかが考えられるし。カイに何か不穏要素があるのなら潔白を証明する。綺麗な彼をぼくらの世界に巻き込ませたりはしたくない。


「俺も兄上もエルが大事だよ」


 駄目だ。会話になってない。とりあえず「そうですね」と返しとく。


 急に真面目な顔をされても困る。まあ、デアーグの見た目はどちらかといえば男らしいから、視覚的にはそういう表情の方がしっくりくるけれど。髪もくせっけだけど短髪だからきりっとした表情をされると随分雰囲気が変わる。


「兄上はエルに甘い。だけど、俺は甘くない。だって、甘くするとエルはすぐにどっか行っちゃうもの。その度に兄上が悲しそうにするの知ってる?」


 確かに目の前のデアーグより、その兄のフェンリールの方がぼくに甘い。というか、目の前の彼が厳しい。厳しい上に基準が何かも分かりにくい。


 それにしてもフェンリールの悲しそうな顔とは、想像がつきにくい。あの人、基本感情を表に出さないからな。でも、なんか知らないけど、悲しませるのは嫌だな。あの人は酷いこともするけど、ぼくに名前をくれたし、ぼくに融通もしてくれるから。


「エルも兄上大好きだねぇ。いいのいいの、それがいいの」

 ぼくの顔を見て、デアーグは満足そうに子供のように笑う。


 別にこの人も他の赤に比べて嫌いじゃないが、今回の件で嫌いになれそうだ。小さな頃はあんなに優しかったのに。ここ最近どうしておかしくなっているのか知らないが、物事には限度がある。


 が、目の前で幼い頃と同じ無邪気な笑顔を見せられて、どうも闘志が削がれる。


 駄々っ子のように振舞って見せれば、悪戯っ子のように舌を出し、急に真面目な顔をしたと思えば、子供のように無邪気に笑う。情緒不安定でコロコロ調子が変わるものだから正直ついていけない。どうしようかと考えあぐねていると、


「デアーグ一体なんのようだ……エルラフリート、何故ここにいる。とりあえずデアーグ降りろ、エルが潰れる」


 今しがたこの部屋に入ってきたフェンリールは、真っ赤な瞳はデアーグそっくりだが、見た目も雰囲気も彼とは違って落ち着いている。

 それでも、ぼくら二人の様子を見て、優美なその顔の眉を顰めて見せる。


 状況がよく理解できないのも当然だ。ぼくは不法侵入してきたから。


 あと、デアーグが乗っている状況はぼくにもあまり理解できない。そんなんでも、ぼくから退くように言ってくれたことは本当に有難い。正直言って、自分より背の高いデアーグが乗っかっているのは重い。


 実の兄に言われたせいか、あっさりデアーグはぼくに乗るのをやめて立ち上がる。


「あ、兄上、エルが遊びに来たんですよぉ」

「デアーグ様に物言いをしに来たんであって、遊びに来たんじゃありません」

  自分も立ち上がってから、ふんと顔を背ける。


 今の彼とは会話になる気がしない。情緒不安定な時に、真面目に反応してはいけない。


「何があったのか知らないが、説明。まずエルから一人ずつ」


 話が早くて助かる。流石、次期公爵家当主に抜擢されるだけある。


「今日、学校でデアーグ様と紫のシュリーマン侯爵子息が菖蒲戦をしたんです。結果はデアーグ様の作戦勝ちでしたが、その後に自分に刺さった短剣を返すとかで、投げたんですよ。まあ、建前でしたよね。向かったのはこの前の時にいたあの一般人の少年の方で、どう考えても狙ってました。それで一般人を狙う訳が分からなかったので、文句を言いに来ました」


 もし、定規を持ってなかったらと思うと寒気がする。

 オリス様もどうにかしようとはしてたけど、位置は遠かったし、テレル様はそんなすぐに反応できない。

 

 カイはかなり危ない状況だった。手で庇ってたはいたが、失明くらいなら余裕であり得た。あの投げ方だと防ぐより、弾かないといけないし。あの、藍色の瞳が見られなくなるなんて考えたくもない。


 なるべく理性的な説明をしたかったが、どうも感情が滲み出てしまう。仕方ない。それ程、腹が立った。


「デアーグ、弁明は」

「ムカついたからぁ」

「それじゃあただの犯罪者の言い分だ。訳を聞いてるんだ。訳を」

 

 全くもって彼の言う通りだ。訳も話してくれないのは本当どうかと思う。ま、でもどんな理由でもカイを攻撃する理由にはならないけど。


「変な噂が学校にあるんですよ」

「「変な噂?」」

「なんで、エルラフリートもそっちに混ざってんのさぁ」

「どれが変な噂か分かんないんです」


 学校の噂なんて腐るほどあるから。カイとかはそれとか、嬉々としてまとめてるけどさ。やっぱ、一口に噂と言っても多すぎる。


「で、どんな噂なんだ?」

 そうフェンリールがきけば、デアーグは苦虫を潰したような顔をする。


「エ、エルが……」

「ぼくが?」

「カイ・キルマーっていう平民と付き合ってるって噂」


 部屋が沈黙に包まれる。

 

 ちらりとフェンリールを窺えば、硬直してる。元からリアクションとか薄い人だから何かあっても動かないのは珍しくはないのだけれど、指の先まで石になったかのように固まっている。

 

 それか、ぼくも聞いたことあるけど、放置したな。いやだって、その手の勘ぐりって下手に手を出したらむしろ炎上するし。


 でも、これでデアーグがキレた理由が分かった。

 彼はぼくが平民やこちら側の人間じゃない人間に肩入れすることを酷く嫌う。その噂も嘘だとわかっていても、さぞ嫌だったに違いない。


「エルラフリート、どういうことだ」

 咎めるようなフェンリールの視線にぼくは目を逸らしたくなった。


 そうなりますよね。予想はこの一瞬でもつきました。ぼくだって、ロキが角のパン屋の息子と付き合ってるって聞いたら同じ反応するもの。


 だけど、ぼくにもカイにもやましいことなんてない。噂を放置してたのは失敗だった。こんなことになるなら噂の発生源を黙らせてたのに。ぼくが先に手を出しておく方がまだ被害がマシになる。


「変な勘ぐりをする連中がいるんです。ただの友人関係を恋愛関係として見る奴らがいるんです。あいにく、そう言った関係ではありませんので、ご心配なく」

「じゃあ、なんでそんな噂が流れるんだ。火のないところに煙は立たない」

「お昼はいつも一緒な上、放課後になれば迎えに来るそうですよぉ」


 どうやって、説明しようかと考えている内に先に言われてしまう。フェンリールからの視線がますますきつくなった。


 もう、こうなったら噂を立てた奴らも、ぼくやカイをそういう意味で狙ってくる奴らも自業自得だ。でもカイはどう考えてもずっと被害者だ。弁護するのはどっちなんて明白だろう。


「ぼくもカイも男にそういう意味で狙われやすいんです。自衛手段で二人行動してたら、そんな風に噂が広まったんです」

「……そういうことか。なら仕方ない」


 納得したように彼はそう言ってくれるが、もう一人はそうはいかない。


「えぇー、兄上は本当にエルに甘すぎますよぉ。後で後悔しますよ?」


 それはそうだ。デアーグはそもそも、ぼくがカイと、友人としてでも、又は利用相手にしてでも、仲が良いことが駄目なんだ。この人はいつだって、自分達側にぼくを常に置きたがるから。


「自衛と擬態の為なら仕方ないだろう」

「確かにそうですけど、そうやって許しちゃうのあの姉弟の時と同じじゃないですかぁ?」


 体がびくりと震える。あの姉弟はフェイスとロキの事だ。ぼくの大事な大事な妹と弟。

 緩い口調の代わりに、デアーグの目は今にでもカイとあの二人を殺したいと言っている。


 赤い目だ。血の色をした目だ。ずっと昔はこんな色じゃ無かったはずなのに。優しい色をしていたのに。とっても臆病な人だったのに、いつからか変わってしまった。攻撃的で、狂気的で、冷酷な赤に染まってしまった。


「それでも約束は守るものだ。お前は無駄に手を出すな。その代わりエルも最終的には戻ってくるから」

「……ならいいですけど」


 不満そうだが、兄の言うことを聞くだけまだマシだ。まだ、完全に染まってない。そのことには安心したが、「戻る」という言葉に恐怖を感じる自分もいた。


「エルラフリート、お前も約束は守るだろう?」


 念を押すように、フェンリールはぼくにもそう言ってくる。


 こういうところは本当に抜かりない。ぼくが過度に行動しないように、自分達以外に手綱を握らせないようにする。


 いや、違うな。この人は計算でこれをやってるんじゃない。

 素でぼくの存在を縛る。


 だからこそ、タチが悪い。打算や利害でこの言葉を言うのではなく、信頼と親愛を込めて言ってくるから、ぼくはこの人を嫌えない。逃れられない。


「はい。お二人が約束を守って下さるなら」

 そう答えるしか出来ない。


「ならいい。だから、デアーグも手を出しては駄目だ。エルに謝れ」

「ごめんね、エル」

「はい、いいですよ」


 こう返すのが正解だ。謝るのは、ぼくにじゃないとか突っ込んではいけない。


 だって、そうすればきっと二人はカイを過度に注視するから。本当は一発でもいいからデアーグを殴ってやりたかった。カイを狙ったこともふざけんなって今でも思う。でも、それを口にすれば事態が悪化するのなんて明白だ。


 これ以上、ぼくの所為でカイを危険に晒したくはない。


「二人とも良い子だ」

 ぼくとデアーグ二人揃って撫でられる。


 大きい掌で粗雑に撫でられる。


 三つ年上の男の手、ぼくには手に入れられないものだ。


 ふとそんなことを思ってしまい、自分の手を見てみれば、細くて長いが滑らかな輪郭を描いている。それが嫌でたまらない。ぎゅっと握りしめた手の内側で爪が刺さる。


「エル、大丈夫だよ。エルは女の子じゃないよ」


 

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