17 オレってやつは
オレの言葉におじさんが困った顔をする。
聞かれるとは思ってなかったみたいだが、あれほど意味深に言われりゃ気になるのは人の性だろ。
「まあ、君なら言っていいかな……君はエルくんの生い立ちについてどこまで知ってるかい?」
結構判断するの早いな、おい。
そんなホイホイと教えていい内容なのか?
んで、なんだっけ? エルの生い立ちだっけか。
「確か……両親いないようなこと言ってたな、あと出身地は黄の領地だけど小さい頃母親の都合でこっちにきたって」
あいつさらっと言ってたけど、結構大変な身の上をしてると思う。
案外、普段ニコニコしてる奴に方が苦労してるってこと多いからな。あいつはそんな典型だ。
いっつも余裕ぶって飄々かつ平穏そうにしているが、重度のシスコンブラコン持ちな上に、女みたいと言おうものならブチギレ、思考回路も意外と脳筋でバイオレンスだ。ぜってぇ、一般的な環境でこんなカオスな奴は出来ねぇ。
「そうなんだよ。多分、エルくんが今のロキくんくらいの頃、こっちにやってきてね。お母さんが病気かなんだでエルくんはあんまり母親といれなくて、よく一人でいるのを見つけたフェイスちゃん達と仲良くなったんだよね」
ふーん、こっちに来たのは大体四年前くらいか。この国の人って遊牧民でもねぇから、移住してくるのって珍しいのにな。
母親の都合って言ってたから父ちゃんが亡くなって、母ちゃんが病気だから遠縁に引き取られたかなんかか? にしても一人でいたって事はあんまいい目に遭ってなかったんだろうな。
「その内、エルくんがあの年で一人暮らししてたのを心配したフェイスちゃん達のお父さんお母さんとも交流していってね。なんかもう、エルくんもエヴァンズ家の子供みたいだったね。エルくん、礼儀正しいし、良い子だし。上手くいってたんだよ」
10歳くらいで一人暮らしってヤバいだろ。
スラムのガキとかでいるけどさ。でも、神殿に預けるとかそう言う手段も取れたんじゃねぇの?
つーか、エルって不思議だなほんと。親がいないにしても、うちの学校の学費や生活費には困ってねぇから、金だけはある奴に引き取られたとかか?
なんにせよ、良い人に出会えたのは良かったな。
そう明るい感想を持ったところで、店主の話すトーンが低くなる。
「でも、もう一年以上前になったけど、フェイスちゃんのお母さんとお父さんが火事で亡くなったんだよ」
ああ、そう言えばあいつ、妹は両親がいねぇから嫁には出し難いって言ってたな。
でも、火事で二人同時にかそりゃ……つれぇや。折角、良い人に出会えたのに二人同時に亡くしちまうのはきっと滅茶苦茶つれぇよ。オレはエルじゃねぇからエルの気持ちを分からねぇけど、それでも簡単に忘れちまえるようなもんじゃねぇのは分かる。
「運良く子供三人は外にいて助かったみたいだけど、フェイスちゃんは燃えてる中に両親を助けようと入ろうとしててね、エルくんが必死に止めてたんだ。その後も二人が泣いてるのを抱きしめて『ごめんね』ってずっと言ってたんだよ。エルくんは何も悪くないのに、泣くのを堪えてずっとずっとね」
その光景を見たんだろうこの店主は、握った拳が震えているのが分かった。
「僕はただそれを眺めることしか出来なかった。葬式とかその後の暮らしとかの手伝いはしたけど、それでも大した力にはなれなかったんだろうね。エルくんは一度も泣いてないんだ」
泣いてない、その言葉に息を呑む。
泣くという行為は溜まった感情を爆発させる行為だ。それがないって事はエルはその凄まじい悲しみを自分の中で押さえ込んだって事だ。
「それどころかしばらく経って、笑うことが増えた。ロキくんやフェイスちゃんの前では疲れた顔なんて絶対見せない。いつも安心させるように笑ってるんだよ」
ああだから、ロキくんはあいつの体調不良に気づかなかったんだ。オレにでさえ気丈に振る舞うのだから、あの姉弟の前じゃ尚更だろう。
「過保護になったのもその火事からだね」
エルはきっとこれ以上、大切なものを失うのが怖ぇんだ。
だから、あの姉弟のことになるとすぐに感情的になる。守ろうと必死になる。おまけに妹ちゃんが首絞められたことまで遭ったらそりゃ怖いだろう。
オレはエルみたいに両親も健在だし、身内で死んだ人はいたけれど病死だったからある程度受け止める時間があった。生まれ育ちも平民の中じゃかなり良い方にも入る。
だからオレには知ることができねぇ。両親はいないも同然で、一人暮らしをしていて、せっかく大切な人を見つけたのにその人すらも死んでしまったエルの悲しみが。
「……オレ、ちょー無神経じゃん」
何も知らねぇくせして、ズケズケ言って、怒った。
そりゃ確かに暴力を振るうことはダメだけど、あんなキツく言っちまったし、オレもオレで無茶苦茶なこと言った。あいつが暴走するにはそれ程の訳があった。赤の他人って言われちまうのも当然だ。むしろ、あいつはそれで動揺してくれたんだからめちゃくちゃ良い奴だ。なのにオレは……。
自分のあまりの無神経さに打ちひしがれていると、おじさんがポンとオレの肩を叩く。
「いいや、君のやった事は別に悪くないよ。知らなかったんだし、それにエルくんがあんな子供らしくしているのは久しぶりだったからね」
「それでも、オレは結構キツイこと言ったし……」
「いいんだよ。僕達はあんまりエルくんに口を出せる立場じゃないし、君みたいに怒ってくれる人がいないと、エルくんはどんどん無理や無茶苦茶なことをするからね。だから……これからもあの子を見てやってくれないか?」
オレのことを気遣っての言葉かもしれない、だけど見つめてくるその顔が真剣だったから「はい」とオレは強く頷いた。
そのタイミングでだ。おじさんの真横に何かが勢いよく通り過ぎた。壁に刺さったそれを見ればフォークだった。
げっ、なんだこりゃ⁉︎
「おーじーさん。カイに余計なこと言わないでよ。気遣ってくれるのは嬉しいけど、ぼくは問題ないから」
微笑むその人は件の人だ。
つーか、フォーク投げるってやっぱこいつヤベェ奴だよ! おじさん、壁に刺さったフォーク見て硬直してんぞ。
「エル、危ねぇだろ!」
「ごめんごめん手がすべちゃったんだ」
「どんな滑り方したらそうなるんだよ馬鹿野郎」
「当てる気はなかったから安心してよ」
「やっぱ、わざとじゃねぇか!」
あれだ過保護は確かに今の話が原因なんだろうけど、バイオレンスなのはこいつ元からだ。まったく誰だよ、こんな暴力主義にした奴!
「おじさん、ありがとう。でも、そんなに心配しなくてもいいよ。ぼくは大丈夫だし、身の安全も自分で守れる。喧嘩だって強いよ」
壁に刺さったフォークを引き抜いた後、エルは微笑む。
その顔は相変わらず一部の隙もなく美しい。宗教画に書いてある天の使いカラビトだって、これには敵わないと思うほど完璧な笑顔だった。フォークにびびってたおじさんも、魂が抜けたかのように見とれている。
が、オレはその余裕そうな態度がなんとなく気に入らねぇ。完璧な笑顔なんて感想を抱かせる、そんな作りものじみた表情は、嫌いだ。
「お前より強い奴なんてたくさんいるだろ」
「まあ、いるだろうね。でも、ぼくを心配する必要はないよ」
「はあ? つーかたとえお前が世界で一番強かろうが、心配しちゃいけねぇ理由にはなんねぇだろうが」
心配に必要も何も、勝手にするものだし。自分以外にそれを禁止される理由もないだろ。おじさんが心配してんのだって、その優しさからだろ。
「別に心配しなくていいよ。ぼくなんかより他の人を心配してあげたほうが良いと思うんだ」
エルがなんて事の無いようにそう言った。当たり前のことのように。
悩みも躊躇も悲しみも喜びもそこにはなかった。
『ぼくなんか』その言葉を使うときは自分を卑下したり、嫌悪してる場合、又は周りには敵わないと思っている時に使う言葉だ。
だけど、エルの言葉の響きだと、こいつにとって自分の優先順位が低いのを当たり前としているように聞こえる。多分、それで間違ってねぇし、それにもう傷つきもせずに言えるエルが怖かった。
目の前で微笑む友人の柔らかな雰囲気は相変わらずで、それが酷く歪で、悲しかった。
「知るかっ、心配するのなんて人の趣味なんだから、お前はほっとけ」
今のこいつに自分のことを大切にしろと言っても多分届かない。届く程オレはエルのことを分かってない。
お前に何があったのかよく知らねぇ。お前が何を抱えてんのかも知らねぇ。お前の自己評価が低い訳も知らねぇ。
オレなんかじゃ役に立たないかもしれない、助けになれねぇかもしれねぇ、救えねぇかもしれねぇ。
だけど、エル。オレもみんなも、お前を一人になんかさせねぇからな。
「友達や知り合いの心配するなんて、こっちの勝手なんだよバカが」