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中途半端な存在16‐3

 


 長い亜麻色の髪に、緑の硬質なデザインのドレス、それは今朝の開幕宣言でも見ていた。



 でもこの距離だと、その灰色の瞳は勿論、

 喉を覆うようなデザインのチョーカーも目に入った。




「シグリ様っ、何を考えていらっしゃるんですか! 頭から落ちるだなんて」

「は、ドレスだから? いえ、そもそもあの高さから飛び降りないで下さい」

「いや、勿論シグリ様にお怪我をさせるようなことはありませんけど……危険は少ないに越したことはないです」

「何故離れたか……それは、身内の試合について余計なことを口にしそうで」

「はい、誤魔化しです。失礼致しました。管理下にない血縁者を見つけたので対処を」


 シャムロック卿が彼女と話をしている。

 さっきの冷たくて重い雰囲気とは打って変わって、非常に人間的だ。


 だけど彼女の声は聞こえない。


 遠いからではない。

 この距離ならぼくの耳なら勿論、ヘススでも何か喋ってると認識できる程度に声が聞こえる筈だ。




 でも、聞こえない。だって彼女は声を失っているから。ぼくが奪ったから。




 シャムロック卿と上手く意思疎通ができているようだが、そのために彼女は身振り手振りが大げさだし、たまに彼の手のひらに文字のようなものを書いたりしている。




「上級貴族の管理下には入っている? 何故、分かるので――ちょっ、お待ちください! シグリ様!」


 シャムロック卿のひときわ感情の乗った声が聞こえたと思えば、彼女がこちらに向かって歩いてくる。

 亜麻色の長い真っすぐな髪が、風によって少し靡く。




 なんで、

 どうして、


 罪悪感と困惑が混じって足を引きそうになる。でも、それも出来ない。


 だって、ぼくの被害者かつ恩人である彼女の意向をないがしろには出来ないっ。




 ヘススが警戒態勢に再び入ろうとするので、「下がって、彼女は大丈夫」と声をかける。




 そう、彼女は大丈夫。

 むしろ、ぼくが彼女にとって危険な存在の筈なのに、なんで来たの。

 なんで、そんな穏やかな顔をしているの?



『ひさしぶり』


 ぼくの動揺に気を遣ったのか、彼女は少し距離をおいたままそう口にした。


 音はなかったけど、声はなかったけど、そう口が動いたのが分かったのだ。




 それだけで胸が痛い。

 でもその痛みは何故か悪い感じだけじゃなかった。だって、緑がかった灰色の瞳はどこまでも凪いでいたから。



 怒ってないの? 

 恨んでないの? 

 怖くないの? 

 なんでっ、貴方を傷つけたぼくがそんな表情を向けられるの?



「お久しぶりです。どうしていらっしゃったんですか、しかもあんな風に……」



 どんな返しをすればいいか分からず、そんなことを言葉にしてしまう。


 それはきっと全部、今この場面で言うことじゃない。

 お久しぶりなんて、言ったらシャムロック卿にも不審に思われるだろうに。現に彼もまた臨戦態勢に入ろうとする。


 だが、彼女はそんな彼に『まて』というように手で示した後、ぼくに更に近寄る。




 そうして、ぼくの片手を掴むと、その手のひらに文字を書く。



『貴方は私の恩人だから』



 恩人、事実とは真逆の言葉を彼女はぼくに伝える。



 嘘じゃないかとか、間違いじゃないかとも思った。

 自分の都合の良いように勘違いしていないかと思った。




 でも、彼女はとてもゆっくり文字を書いてくれていたし、ぼくは自分の五感に感覚についてはあまり疑えないのだ。



 その衝撃にぼくが硬直すると、彼女は紙とペンを胸ポケットから取り出して、少し書き加えてぼくに渡す。



『ありがとう。

 貴方のお陰で私は今は生きやすくなったの。

 我儘で重荷を背負わせてごめんね。あと守れなくてごめんね。

 その礼には足りないけど、貴方に対して緑系統の人(うちの子)たちからはもう手を出させないから。

 貴方の幸せを願っているわ』




 重荷を背負わせて、礼、貴方の幸せを願う、どれも自分犯した罪に対してかけられる言葉じゃない。




 おかしいよ。

 無茶苦茶だ。

 なのに、彼女が本気でそう思ってることがその緑がかった灰色の瞳の真剣さから伝わる。





 でもっ、でもっ、ぼくは貴方に感謝されるような存在じゃないんだよ。


「なんでっ、ぼくは貴方の声を奪ったのに、貴方を傷つけたのに……なんでっ」




 真実を口にしたぼくに向かって、

 シャムロック卿が対処しようとする。


 が、シグリ様はそんな彼からぼくを守るように立ちふさがった。



「シグリ様っ‼ どいてください‼ そいつは始末しなきゃいけない存在だ‼」


 そう叫ぶ彼の痣は怒りを示すかのように真っ赤に染まっていた。

 当然の反応だ。



 だけど彼女は――そんなシャムロック卿に容赦なく肘鉄を入れた。


 想定していなかったのだろう、彼は崩れ落ちる。



 というかぼくやヘススも想定外の動きと、令嬢らしからぬ暴挙に唖然としてしまう。

 でも彼女は緑の公爵家の人間だ。弱いはずがない。




 彼女はその後、何事もなかったようにそこらへんに落ちていた木の枝を拾うと、地面に文字を大きめに書く。



『それが緑の公爵令嬢としても正しいかもしれない。

でも私は昔より今の方が笑えてるの。

だから私はこの子を傷つけたくない』



 最後ににっこり笑ってるマークまで書かれる無邪気な文面が信じられなかった。


 こちらに、大丈夫よというように微笑む彼女が幻覚にも思えてくる。




 傷つけたくないってなんで? ぼくは貴方を傷つけたことのある存在なんだよっ。


 でも彼女の言葉はきっと嘘じゃない。

 だって、そうじゃなきゃ自分の系統の子息に肘鉄を入れない。

 それにさっき、鈴を鳴らしてから頭から落ちてきたのも、シャムロック卿からぼくへ攻撃をいれることを防ぐためだ。







 でもおかしいよ。色々おかしいよっ!


 なんで昔より今の方が笑えてるの? 

 ぼくのせいで不幸になったんじゃないの? 

 どうして、そんなすがすがしい様子で笑えるの?



 ぼくは貴方から声という、

 意思疎通の大部分の方法を、

 貴族や令嬢の武器を一生奪ったんだよっ!!



 

 口撃姫と言われるくらいだったんだから、相当その声帯は人々に必要とされていた筈だ。

 敵対する勢力には奪うように願われるような、強力で大事なものだった筈だ!


 それ抜きにしたって、貴方の声が好きだった人がいた筈だ。

 貴方からかけられた言葉で救われた人もいた筈だ。


 貴方自身も大切な人との関係を築くために、日々使っていた筈だ。

 貴方にとっても、ぼくが奪った貴方の声は、とっても大切なものだった筈だ!





 緑がった黒髪の少年も理解できないのか、苦々しげな顔でぼくを睨む。

 痣はまだ微妙に赤い。


 それでも彼女の発言は絶対なのか、「……それがシグリ様の意向なら従います。まてが出来ずに申し訳ありません」と口にする。




 大人しくなった自分の系統の子息を放って、彼女はまたぼくに向き直って、またぼくの掌に言葉を紡ぐ。



『貴方のことはよく知らない。

貴方もきっと暴かれたくない。

でも、貴方の悲しみと優しさの一部を知っている。

貴方も私のそれを知っている。

だから、私と貴方はずっと共犯者なの』




 そんな、そんな、ぼくにとって都合がいい話があってたまるかっ!



 そんな筈はないだろう。

 ぼくは自分のエゴの為に、貴方が弱っていたところをつけこんだんだよ。



 違うって言葉を紡ごうとしても上手く声が出なくて、首を横に必死で振る。

 しかし、シグリ様のもう片方の手が頬にあてられる。



 彼女は緑系統なだけあって小さな掌だし、背丈も低いので若干無理をしてその行動をとっている。




 でも、その存在はとっても大きかった。




 ああこの人の下だから、レトガー兄弟みたいな存在がいるのだろうし、彼らはついていくのだろう。

 緑系統の人間は無茶苦茶だけど変な歪み方をしてないのだろうって、分かる。



『貴方は嫌がるかもしれないけど、貴方は私なのよ。

 そんな貴方が私の声をなくしてくれたから、私は今笑えるの。

 だから心から貴方も笑える日を願っているわ』



 貴方から笑顔を願われるような立派な存在じゃないのに、今度は首を横に振ることも出来ない。

 ぼくが貴方のことを嫌がることはないよ。


 母親が子供に向けるような笑みに、ぼくはもう腰が抜けて座り込んでしまう。



 恐怖じゃなくて、暖かい感情からそんなことになる。





『でも今日の大会見て分かったわ。

 貴方、良いお友達が出来たのね。

 良かったわ』





 どこまで……この方は眩しいんだろう、優しいんだろう。


 声を奪いに来た時からずっとそれは変わらない。

 だからこそこの存在から大事なものを奪ったことは罪深いのだ。



 カイとはまた違った眩しさだけど、でもやっぱり眩しい存在は、ぼくみたいな存在な心も照らすのだ。

 やっぱ眩しい存在は、眩しい存在のことをしっかり認めてくれるのだ。





 なんでって、思いはやっぱりある。

 だって、ぼくが犯した罪に対しての反応が感謝なのはおかしいから。



 でも彼女は幸せになったと言うから、

 心底笑って見せるから、

 違うと否定するのはきっともう違うんだ。


 笑っている彼女に物凄く自身が安堵しているのも分かる。




 だけど、やっぱりこの結果になったのは、

 シグリ・レトガー・シュトックハウゼンという少女が

 とっても寛大で心優しい人物だっていうのが、大抵を占めているのも分かるんだ。




 そんな優しい彼女が、

 ぼくのことを許して、感謝して、


 ぼくのっ、こんな不幸をもたらすバケモノみたいなぼくの幸せを願ってくれるのだ。

 カイみたいな良い友達がいることを良しとしてくれるのだ。




 滅茶苦茶だよ。

 滅茶苦茶だけどっ、やっぱ嬉しいんだ!


 素直に本当は喜んじゃいけないのに、やっぱ嬉しいんだ。

 意味が分からないし、なんでそんなことを思ってくれてるのか、全く分からないけど嬉しいのだ。




 ――だって彼女は、ぼくが望んでいたことを、

 良かったって認めてくれるのだから。



 

 ぼくはもう彼女になんて言葉を返せばいいのか分からず、

 何が正しいのかも分からず、

 何が起こってるのかも分からず、



 それでも、やっとのことで口を開いて、


「はいっ、ありがとうございます」


 ただ、そう感謝を告げた。



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