中途半端な存在16‐2
試合前に開会宣言と、緑の異端者と言い争っているところで、彼のことは見かけた。
でも、こうして改めて見るとばっちばちの緑系統の上級貴族だ。
緑系統の上級貴族の特徴で小柄なことがあげられるが、その小柄さと生まれ持っての身体能力で敏捷性も半端がない。
一瞬で距離を縮めたと思ったら攻撃、防御されたのちもすぐに態勢を整えて見せた。
「だが存在はどうでもいいというわけにはいかない。何故、うちの管理下にいない」
けど、レトガー兄弟の二人と比較してまとう空気が違う。
緑の異端者とも違う。まとう空気が冷たいし重苦しい。
こう比較してはなんだけど、仕事中のフェンリールの雰囲気に似ている。
「なんのことでしょうか? ぼくはヴァルダー様にお声をかけられるような立場ではないと思うのですが」
「どこの女の腹から生まれた?」
単刀直入にも程がある。
でも、やはりヘススと血縁関係があるのか。
腹というにからには、父親が一緒っていうことかもしれない。緑のヴァルダー侯爵家の人間が父親なら、ヘススのあの身体能力も納得だ。
「それはぼく以外の前でも話していい内容ですか?」
ぼくが普通の平民の少年だという設定を守るためか、ヘススがきつめの口調で問いかける。
「弱い存在なんて後でどうでもできる。いてもいなくても大差ない」
「いてもいなくても変わらないなら、席を外してもらいましょうよ」
「……庶子に指図されたくないな。そこの赤髪そこにいろ」
弱い存在、そんなことを言われるのはあまり気に食わない。
だが、緑系統の血を引いた彼らと身体能力差を考えれば弱いと言われても納得だ。
「それで侯爵子息様がボクに何用でしょうか」
「本来なら貴様なんざに用は無い。だが、管理漏れは捨て置けない。お前は誰に飼われている」
でも、いざという時にはぼくには二人の動きを止める術がある。
それを使うべきか迷う。ここで下手に歌っても、シャムロック卿にぼくの存在を怪しまれて、ヘススの行動が無駄になってしまう。
「……飼われて? ボクを犬かなんかだと勘違いされていますか?」
貴方の犬ですとか、以前ぬかしていた口で、いけしゃあしゃあとしらを切って見せるヘススに少しほっとする。
ここは無難に会話して興味を無くしてもらうか。
「急に何も知らないふりをされてもな。野良犬ってことはないだろう。野良犬にしてはお前の行動は不思議すぎる」
まばたきするかしないかの間だった――。
「っ!」
「なあ、そうだろう。赤毛」
一瞬、ほんの一瞬で距離を詰められ首元にナイフを突きつけられていた。
あまりの速さに風さえも切っていた。
「口を開くなよ。開いた瞬間に首の血管を切り裂く」
「っエ、か、彼はっ、先輩は関係ない筈です! 一般人にはボクの血のことは関係ないでしょうっ!」
しまった。
こちらも応戦できるような態勢をしとくべきだったのに失態だ。
最初に現れた時のスピードからこれも予測出来た筈なのに、普通の平民の少年を装うことに意識が行き過ぎた。
「一般人? 笑わせる。
変な眠気が襲ってきた後に、赤のデアーグ卿がまっさきに抑えにいった相手だぞ。一般な筈がない。
だから、いつでも黙らせられる距離にいさせたんだ」
こいつ、緑系統の癖して脳筋じゃない。
テレル様も実の兄に対して色々小技を使ったりはするが、それとも違う。
最初からぼく狙いで来たのに、ボクを油断させるためにヘススを狙うフリをしたんだ。
それに眠気ときたら、睡眠薬系を疑うと思うのに、試合中のデアーグの行動を見て、喋らせないことを重要視するのは判断力も優れている。
「はなから、糞の他所で作った子供なんざどうでもいいさ。そんなのは腐るほどいるし、うちからしてみればすぐ潰せる存在だ。混ざりものは、純血に比べれば弱いからな」
確かに、通常は上級貴族が血族以外と子供を設けた場合は能力の遺伝具合は弱まる。だから、ヘススもおそらくシャムロック卿に比べれば弱いのだろう。
それでも、すぐに潰せるとは相当自分の能力に自信があるのだろう。
「そんなことよりは、得体のしれない奴がいる方が問題だ。なあ、こいつは何者だ?」
……得体のしれない奴、なんて言い得て妙なんだろう。
ぼく自身も、ぼく自身がよく分からない。
まあこの痣持ちの緑の貴族はそんなことは聞いてないんだろうし、素直に答える気もないけれど。
というか、ぼくには聞いていないか。口を開くなって言われたもんな。
「何者も何も、エルラフリート・ジングフォーゲル先輩です。2年A組で、緑のテレル様と同じクラスです。同系統のテレル様が危険な方を放置すると思いますか」
「うちの三下のことなんざ宛にしてたまるか。問題はシュトックハウゼン家の方々にとって有害かだ」
……シュトックハウゼン家の方々にとって有害か、
そんなの答えが決まってる。
大抵の人間にとってぼくの存在は有害でしかない。
それに加えて、シュトックハウゼン家、緑の公爵家に有害かなら、ぼくは害の実績を既に積み上げてる。
『オクリビトさん』
緑の公爵令嬢、シグリ様からその声を奪ったのはぼくだ。
彼女を憎んでいた訳ではない。
彼女がぼくにとって邪魔だった訳でもない。
むしろ彼女と一瞬話しただけで、その人柄の良さを察した。
良い人だったから、ぼくが訪れた時に弱っていた。
でも、ぼくはその優しさにつけこんで罪を犯したのだ。
……おかーさんのことを守りたかったから。
赤の公爵が緑の公爵令嬢の声を奪うように命じたのだ。
いつもは大して喋らないくせに、その日は変に饒舌だった。
『緑の公爵令嬢がこのまま力をつけて王妃になるのは困るんだよ。
殺せとは言わない。この薬を飲ませて声を奪え』
普段の仕事とは違って罪を犯していない人間を害することには、勿論最初は拒否をした。
『それくらいの仕事も出来ないならお前の母親の身の安全の保障は出来ないよ。
まあそれでも構わないなら、それもありだ。
ほぼもう死んでるようなもんだしな、見捨てたっていいさ。
薄情で自分勝手な子供を持って、哀れな女が消えただけの話さ』
悪事に加担させられている、
貴族の勢力争いの道具にされている、
間違っている、
全部幼いぼくにだって分かってた。
でも、おかーさんと天秤にかけられたら、幼いぼくはそうするしかなかった。
その時のぼくにとって、おかーさんが一番大事だったから。
あの人を失うことを何より恐れていて、そんな世界は許せなかったから、選んだのだ。
「逆に、シュトックハウゼン家の方々の邪魔になるような存在は全て排除する」
ああでも、それが今こうやって返ってくる訳だ。
いや返ってくるならもっと酷くなるか。
目の前のシャムロックという緑の侯爵子息には覚悟がある。そしてぼくには彼に知られていないだけで、十分な罪がある。
「害だなんて無いです。彼は普通の平民の少年です。丁度、ボクと喋っていただけです」
ヘススが嘘を吐いてくれる。
ぼくを守ろうとしてくれている。だけど、これは当然の巡りなんだよ。
「これが普通か? 首元に刃物を突き付けられてこんな平静な奴が?
いくら軍学校所属だからとはいえ、実戦出たことのない筈の平民なら顔色を変えるくらいはするだろう」
まあ、そこは違いが出るか。
そうだよな、カイとかだったらこんな状況に真っ青になってるだろう。
カイじゃなくたって人の死が近くない人間は、死が迫れば大きな反応をしてしまうのだろう。やっぱ、ぼくは普通の平民の少年になれないんだなあ。
まあ、罪人がなれる筈ないか。
「……それどころか、抵抗や反撃、恐怖の意思も感じない。まるで生気を感じない」
そんな彼の言葉に、ヘススはぼくの目を見る。
ぼくの目は今どんな色をしているのだろう。
生気が無いね……そんなこと言われたってぼくには分からないや。
だって、ぼくがシャムロック卿に首を抑えられた時点で抵抗できる可能性はないし、
ヘススが不審な動きをすればシャムロック卿はすぐ喉を掻っ切れるタイプだって分かってる。
まあ、シャムロック卿が安易に平民設定の存在を殺すタイプかどうかは疑っているから、死なない可能性があるってのも分かってる。
でも、これで殺されたって、罰が、終わりがきたって話だ。
「道具として利用されすぎた存在か? なおさら消すべきだな。利用されやすい大きな力を持った道具なんざ消しとくに越したことない」
道具……ああ、なんて納得がいく言葉なんだろう。
ずっと、大嫌いな赤のあいつの道具だったんだ。
脳裏に浮かぶのは、父親と似た顔を持った、赤い瞳の男。
大嫌いだった、
許せなかった、
恨んでいたんだ、
だけど何時だって逆らえなかったんだ。
何時だって、あいつは、赤の公爵はぼくより上手なうえ強大な権力を持っていて、ぼくの大事なものを天秤にかけた。
でも、結局ぼくは弱くて、どうにもできなくて、天秤に乗っていた大事なものも結局失ったんだ。
何時だって利用されて最悪な結果を世にもたらす道具なんだ。
大きな力を持った赤の家の兵器みたいなもんさ。
そんな兵器がこの世に残ったところで、碌な結果を生まないだろう。
どうせ、ぼくが生きててもまた天秤にかけられたものも守れないで、結局失うんだ。
ぼくが死んだ方が多分上手くいく気がするんだ。
「せいかいかもね……」
「喋るなって言ったはずだ」
皮膚の表面がほんの少し切れた感覚がしたあと、生ぬるい何かが伝っている感触がする。
それが何故か、おかしかった。
オクリビト、ヒトデナシ、道具、兵器、災厄の終わりがこんなにもあっさり迫っているんだから。
中途半端なぼくらしいといえば、ぼくらしいけどさ。
通常ならデアーグがなんかしそうだけど、今彼は試合中だ。そういう時が、訪れてるんだろう。
僥倖だ。これなら、デアーグやフェンリールの優先攻撃対象が、カイにもフェイスにもロキにもいかないで、シャムロック卿にいく。
そして、こいつならデアーグとシャムロックに狙われたって長くもちそうだ。
殺されたって、身内が殺されたことに対して緑の上級貴族が何もしない訳がない。赤の連中に対しての警戒心と敵対心が跳ね上がる。
加えて彼らには、弱者を守るような傾向があるし、気に入った連中は可愛がるし、守ってくれる。
フェイスは緑の公爵子息になつかれているし、カイもオリス様に気に入られている。ロキも多分その恩恵を受ける。
なんだ。こんな簡単なことだったんじゃないか。
緑の貴族に自殺行為とみなされない方法で殺される。それが、ぼくの終わりの正解だったのか。
ぼく的にも割と満足な終わり方だ。
だって、最後まで赤の思い通りになるのも嫌だし、紫にはやられるのが納得いかないし、黄色はあまりにも接点がなさすぎる。
緑なら、彼らにはぼくを罰する権利があるし、赤の連中にも対抗する強さがある。彼らは天に好かれているから運も良いだろうしな。
そんなぼくの受容を見透かしたのか、ヘススが口を開く。
「カイ先輩は、こんなこと望んでないですよ」
「は?」
ヘススの急な問いかけに、シャムロック卿が困惑する。ぼくも正直、困惑した。
なんで、このタイミングでカイの名前が出るんだ。
というか出さないで欲しい。これでカイがこいつに手を出されでもしたらどうすんだ。
「エル先輩のご友人であるカイ先輩が、あの試合のあとエル先輩に二度と会えないって、貴族に殺されたって聞いたら、傷つきますよ。それはレトガー家のお二方も貴方のことを許さない筈です」
なるほど、緑のレトガー兄弟を絡めてシャムロック卿を止める気な――
「貴方はそれでもエル先輩を傷つけたいですか? 違うでしょう、あの方の優しさを笑顔を貴方は知っている筈だ」
緑の瞳が鋭い光を宿す。
シャムロック卿に基本は向けられていた視線が一瞬こちらを捉えた。
ヘスス……シャムロック卿に言ってるように見せて、本当はぼくに言ってるんだね。
それは効くな。
さっき、君はぼくのことを理解できていないと思ったけど、カイとは同室だからカイとぼくの関係性については理解してるんだ。
ぼくは彼には明るい世界で生きていて欲しいし、ぼくを照らしてくれたその笑顔と心が眩しくて仕方ない。
だから、彼の傷には、笑顔を曇らせる存在にはなりたくないな。
立つ鳥跡を濁さずじゃないけど、最期に会ったのがあんな試合で、そのあと何も話せずにぼくが殺されたんじゃ……優しい彼のトラウマになるに決まってる。
それは駄目だ。ヘススの言うとおりだ。
だって、カイにごめんって言えてない。
だって、カイに、ありがとうって言ってない。
カイにこれ以上迷惑かけないように離れるにしろ、さよならとごめんとありがとうは言ってからにしないと駄目だよね。カイが何か大きな負の感情を抱くような状況にしちゃいけないんだよね。
彼の眩しさを損なうことはあってはならないから、
ぼくが彼の前から消えるときは、猫の死期のように、静かに姿を消さなきゃな。
それに冷静に考えたらぼくが今死んだら、フェイスとロキの安全保障がなくなる。
ぼくが死んで自暴自棄になったデアーグと、約束はきちんと守るフェンリールのことだ。シャムロック卿を狙いつつも、しっかり約束の履行もする。
嫌だよ。
ぼくの大切な人たちには、優しくてぼくに色々与えてくれた彼らには、明るい日の元で幸せに過ごして欲しいんだ。それを曇らせちゃいけないんだ。
くそっ、ぼく自身は死んでもいいってのに。ぼくが死んだことで起こる事象が問題すぎる。
まだ、まだ、死ねる状態じゃないっ。
「あんな役立たず兄弟なんざどうでもいい。笑顔や優しさだって、あいつらのそれが役に立った試しがない」
死ねる状態じゃないけど、この状況をどうすればいい?
「そうでしょうか」
「ああ、そうだ。あの兄弟は役立たずだ」
今はこうしてヘススが時間を稼いでくれてるけどどうすればいい。何か糸口があるか?
「オリスは弱者どもを放っておけばいいのに放っておかない。その腰巾着も主張の声だけが強い雑魚だ。だからいつだって道を誤る」
シャムロック卿のナイフを持つ手への意識が一瞬、逸れた気がする。
「道を誤ってる人間が、あんな人の心掴みますか?」
「心を掴む。それが良いことだと思ったのか? 違うな、あいつの、テレルのそれはっ――」
もう一度訪れたほんの一瞬のすきに、
ぼくはナイフを突きつける手からナイフを払いおとしてから、距離をとる。
その間にヘススがぼくとシャムロック卿の間に立つ。
ぼくが歌ってそれが効くのが早いか、
シャムロック卿がぼくとヘススを制圧をするのが早いか、
賭けだなそう思った時だった、
――鈴の音が響いた。
それも一度だけじゃない。
連続して鳴り続けた。
その音に反応するように、シャムロック卿は急にその音をする方へ向かう。
ぼくらもつられてその方向を見れば、
少女が落ちてきた。
亜麻色の髪をした少女が、おそらく建物三階分以上は確実にある競技場の淵から落ちてきたのだ
事態を飲み込む前に、シャムロック卿がその少女を受け止め何故かほっとする。
でも、その安堵はすぐに消え失せる。
だって、落ちてきたのは緑の公爵令嬢、
ぼくが昔、声を奪った相手
シグリ・レトガー・シュトックハウゼンだったからだ。




