36 どっちも英雄
自分でもびっくりするような大声が出た。腹から声を出したせいで痛い。
でもその痛みを飲み込んでオレは続ける。
「力だけなんかじゃねぇです! 誰も救えなくなんてないっ、オレは何度も貴方に救われたっ、助けられました! 貴方の優しさに何度も救われた!」
エルが学校で倒れた時、
エルと喧嘩した時、
赤の貴族に絡まれた時、
今日の試合、
すぐに頭に浮かぶのだけでもこんだけある。
有象無象扱いしたって良い平民のオレに対して、オリス様はいつも手を差し述べてくれた。心配してくれた。
本人が言うような力だけの化け物なんだったら、そんなことしない。オリス様の人柄が優しさがあったからこそだ。
「でもテレルの方が絶対に君やエル君には良い影響を……」
ごちゃごちゃと色々と抜かすオリス様に腹が立って、オレはベッドから降りて、胸ぐらを掴む。
「どっちもすげぇです! どっちにも救われました! それじゃあ駄目なんですか!」
オレの剣幕に、オリス様がついていけないのか大きな瞳をパチクリさせる。
その様子にオレは少し溜飲を下げる。
「オレは、お二人に救われました。全然違うけど、それぞれの良さを持ったレトガー兄弟の救われました」
テレル様にもオリス様にもオレは救われたことがある。
全然思考も在り方も違うけど、そんな二人だからこそ救われた。
そこにどっちはよくてどっちが駄目なんてなくて、オレはただただ二人に感謝してる。尊敬してる。
「だから、自分自身のことそんなに悪く思わないで下さい」
テレル様とそっくりだけど、全然違った印象を抱く空色の瞳を真っ直ぐ捉えて、オレはそう伝え手を離す。
「すっげぇ、自分勝手なんですけど、オレがすげぇなって思ってる人が、自分なんかって思ってるの見るとつれぇんです」
本当に自分勝手だって分かってる。
オレだって、自分なんかなんてしょっちゅう言っちまうし、思っちまう。
他人のこと言う前に自分が直せって話だが、それでも伝えたかった。
いや、ちげぇな。こんなにすげぇ人でもオレと同じようなことで苦しんでんなら、伝えたいって思ったんだ。
「悲しいんです。オレも、オレなんかって思っちまうこともあります」
似たような過ちをしているからこそ伝えたかった。
バケモノどうだかはもう根深い認識の問題だから、どうにかはすぐに出来ない。
「自分なんかって、能天気な方のオレでも思うんです、責任なんて大してない癖に思うんです」
オリス様はオレから目を逸らさない。
ただただ幼い子供が親の言いつけを聞くように、真剣な色でオレのことを見続ける。
「オリス様もテレル様も、オレよりもずっと責任があって、だからこそ色々考えて、だから自分自身に厳しいのも分かるんです」
見続けてくれるから、オレは言葉を紡ぐことをやめない。
だって、この方はオレみたいなぺーぺーの言葉だろうが、相手が真剣なら本気で受け止めて下さる方だから。
だからオレは、この方を尊敬すんだ。この方に前を向いて欲しいんだ。
「でもっ、自分自身を褒めて欲しいんです! 大切にして欲しいんです!」
オリス様が動揺したように肩を揺らす。
「悪いとこばっかに目が行くのも、他人の凄いところに目が行くのもわかります。でも、自分の良いとこにも目を向けて下さい。
良いことを言われたら、それを素直に受け止めて下さい。
最初は難しいかもしれねぇけど、相手はあなたにその言葉が届いて欲しいから、感謝を尊敬を伝えたいからそれを口にしてんだ!」
どんなに賞賛されても今のこの方じゃ、すぐにテレル様のことや、試合放棄した人、守りきれなかった人のことを思い出して、苦しみに変換してしまう。
テレル様も同じだ。兄上は凄いから当主に向いていると言って、自分への賞賛を素直に受け取らない。
「自分を否定する材料に自分の大切な方をあげないで、それって悲しい」
お互い相手がすげぇと思ってんのに、お互い認めあってんのに、それぞれが自分を否定するせいで、側から見てもすげぇ苦しい状態になってんだ。そんなのおかしいだろ。
「オレはテレル様もオリス様も、全然別々の方向ですけど、すっげぇと思ってるんです。凄いのは、どっちかじゃなくて、どっちもなんです」
言いたいことは言い切った。
さぁどう言う答えが返ってくるかと身構えていると、オリス様はしばらく何も言葉を発さずぼーっと突っ立っていた。
見える方の空色の目は、まるで人形のガラス玉のように感情が読めない。それでもたまにまばたきをする。
そして急に吹き出して、笑い出した。
予想外の反応に、オレは風が吹く中、呆気に取られるしか出来ない。
窓開けっ放しだし、ドア壊れたでめっちゃ風通し良くなってんだよなこの部屋。
変なこと言ったかなとも思うが、オレは真剣に言いたいことを言ったし、平民のオレが貴族のオリス様にこんな物申すのはそもそもおかしいとかは今更すぎる。
そんなオレを他所にオリス様は笑い続ける。
笑い続けて、笑い過ぎて立てなくなってる。尻餅ついてお腹抱えて大爆笑してる。
いや、別に面白い話どころか、真剣に訴えかけたのになんでこの人こんなに爆笑してんの。
「どっちもっ……、そっか、そうだよっ、バカみたい、そっかバカだった、おれ……」
あんなに言ったのにまた自分への貶し言葉を口にしているが、どうもさっきまでの雰囲気とは違う。
一通り、爆笑し終わった後、オリス様はオレのことを見上げると笑う。
「カイ君はすご、いやカイ君も凄いね!」
カイ君も、それだけでオリス様にオレの言葉が届いたんだって分かった。
「おれら、自分のこと褒めてあげるの下手くそだったんだねー」
口元だけでなく、目を閉じて照れ臭そうに笑うその姿に、オレはこの方がオレと同い年の少年だと言うことを思い出す。
「きみみたいに、どっちも凄いって言ってくれる良い子もいるんだね。比べて片方褒めて片方貶されるってのが思い込みで染み付いてたや」
はっとする。
どんなに凄くても、身分や能力の差があっても、オレと同い年の少年だ。悩むし、苦しむ。周囲の言葉を気にする。
それが序列のはっきりしている貴族社会なら猶更だ。
次期当主の選定などの関係もあって、レトガー家の二人は比べられやすかったのだろう。
いや、比べられるだけじゃ済まなかったかもしれない。だって、貴族の跡取り争いでは時には命の取り合いになることもある。
本人達が望まなくたって、自分の都合の良い人間を当主にしようと画策するやからが出てくることもある。
そうじゃなくたって、当主という座は一つしかないから、どっちかが肯定され、否定される。
幼い頃からそれを聞いてきたんだ、当主ということ以外の全てでも、それが自分達に適用されていると思い込んだっておかしくない。
「どっちかを否定するんじゃなくて、どっちも肯定するのが良かったんだね。どっちもいるよって……必要だよって、言って欲しかった」
発せられた言葉に、握られた拳に、そんな自身の手を見つめる彼の姿に、テレル様とオリス様の兄弟がどんな風に比べられて生きてきたのか、それがどんなにオリス様にとって悲しかったのか伝わってくる。
「言って良かったんだよね。やっと、気づけた」
言って良かったですよ。
言って良いに決まってる。
そんな思いを込めて平民のオレが無責任にそう頷けば、オリス様は「ありがとねー」と口にする。
だって、あなたもテレル様もすげぇ方たちだから。
どっちも眩しくて鮮烈で、どっちもお互いや周りのことをよく考えて行動する優しい方だから。
だからあなた方には報われて欲しい。そんな思いが伝わったんなら、オレは嬉しい。
「せっかくテレルが褒めてくれるのに、すごいって言ってくれたのにおれ違うよって否定し続けた。テレルもその逆だった。おれのこと兄上の方が凄いって言って、努力してる自分の凄さに気づかないでいた」
テレル様はオリス様と違って、淡々としているから一見問題があるように見えないけど。やっぱ自己評価が低い気がするし、頑固なんだよなぁ。
本人はまだまだ自分は未熟だから努力するって言う方向に持っていってるけどさ。
テレル様は意志が鋼鉄すぎて口挟む隙さえ与えてくれねぇし。
「それって悲しいね。お互い相手をすごいと思っても、相手は自分を否定し続ける。そうやってなんだかんだ相手を語る裏で、自分のこと貶めてた」
でも、現にオリス様はテレル様の自身の才能を認めない姿に、ショックを受けている訳だし。
なんつーか、当主関係の二人のいざこざ見てると、テレル様の頑固さに合わせてオリス様が躍起になって滅茶苦茶になってる気がする。
不意にオリス様は自分のポケットの中から、棒付きの飴を取り出す。
緑色の包装紙に包まれたそれを両手で持って見つめる様子は、どこか幼かった。
「……おれね、大切な人に自分自身のことも大切にして欲しかった」
何を、誰を、思い出しているのかは分からない。でもその声は優しくて、悲しかった。
「大好きだから他人の為に自分を犠牲にするのを見てるのが辛かった。でも昔も今も色々考えてはっきりと言えなかったよ。言えたテレルが凄いと思った」
テレル様じゃない、別の方。
これまでずっとテレル様とのことを話してたから、少し驚いたが、その方もきっとオリス様にとってすっげぇ大切な方だとは分かる。
大切な方で、きっとなんかあって深くその方は傷ついたのだろう。そんでそれを見たオリス様も傷ついた。
「だけど、おれ自身もおれのこと大切にしなかった。それはきっとおれを大切に思う誰かもおれと同じ思いをしてた」
自分の経験から、他人の気持ちを推し量れるオリス様はやっぱり優しい。
優しくて、優しすぎて、だから今まで傷ついてきたんだなって思う。
すっげぇ強くて、地位も才能も人望もあるけど、すっげぇ優しいから周りのことをいつも優先して自分を守ることを忘れてしまったんだ。
「おれ、誰も泣かなくて済むような世界を作れるような英雄になりたいんだ。小さい頃からの憧れでさ」
ああもう! 貴方っていう方はどこまで眩しいんだ!
優しくて格好良くて今の時点で充分すっげぇ英雄なんですけど⁉︎ すっげぇ憧れるんだけど⁉︎
いやでも泣かせないは無理だわ。
存在が太陽みてぇで涙腺が刺激されるんだが。いやでも今は意地でも泣いてたまるか。これで泣いたらオレは今日だけで何回泣いてんだって話になる。
「だからね、カイくん。おれはおれのこともちゃんと大切にするように頑張るよ。気づかせてくれてありがとう」
いやでも泣くってこんなん、嬉し泣きで!
貴方みたいに凄い方に、しかも何度も世話になって助けて貰った方に、少しでも力になれたってんなら嬉しくて飛び跳ねて歓喜すんぞ!
まあ今は怪我人だから飛び跳ねるどころか、ベッドで仰向けになっている以外の状況だと痛みで悶え苦し――そういや、オレ今立ってんじゃん……。
思い出した瞬間、痛みが襲う。
いや多分今までもあったんだろうけど、今までそれ以上の情報処理で気づかなかったんだと思う。
痛みで悶え苦しみだしたオレに「カイ君!」とオリス様が心配そうに名前を呼びながら、そーっとお姫様だっこしてベッドに戻してくれる。
うぅ、やっぱなんかオレは決まらねぇな。
「ごめんねー、カイ君おれのせいで無理させちゃったねー」
「いえ単にオレが自分の状態忘れて突っ走るアホだったせいなんで……」
そう返すと、オリス様は「そっかー」とあんま考えてなさそうな返事をした後、急に何か思い出したように笑った。
「痛みを忘れて人を助けるのに必死になるなんてカイ君も英雄みたいだねー!」
「いや人助けも何も、オレは言いたいことを口にしただけで――ぐえっ」
話途中にオリス様に持っていた飴玉を口に突っ込まれる。
「でもおれは、それに救われた」
真剣な目つきと飴玉を強制的に突っ込まれた衝撃で何も言葉にできない。
「おれはあんま分かんないけどきみはおれに救われた。きみも自覚してないけどおれを救ってる。いいよ、それで! 英雄いっぱいじゃん!」
にっと歯を見せて笑うオリス様はどこまでも無邪気でどこまでも眩しい。
――うん、この笑顔に反論なんて出来ねぇわ。
「ねぇ、カイくん。おれと友達になってくれない?」
「はぇ?」
「ううん違うや。ずっと前からおれはきみのこと友達って思ってたから、これからもよろしくね! じゃあ治療されてくるから、カイくんもお大事にねー」
でも無茶苦茶過ぎんだろ!
風のように友達宣言し去っていた方にそう言いたかった。
でも追いかけるにはボロボロすぎるし、複雑だが悪い気はしなかったので「オレで良ければ……はい」という弱々しいし相手には聞こえねぇ返事だけ医務室の中に響かせた。
つーか、この飴、何味? ずっと舐めてもわかんねぇんだけど。あと、毛布と床に血痕が落ちてるって!