35 バケモノと英雄
結局試合の結果はどうなったんだとか、
そもそも試合は始まったのかとか、
オリス様の様子が変じゃなかったとか、
オレは一人医務室で悶々としていた。
バンッ! ガッシャン!
突然医務室とは思えない凄まじい音がしたもんだから、オレは反射的にびくりとしてしまい激痛が走る。
痛みでつむった目を開けば、カランという音と共に木片がベッド近くに転がってくんのが目に入る。
この木片……、もしやと思い医務室の入り口を見ればさっきまであった筈の引き戸が無い。
開いたっつーか、とんでもない勢いで開けられたせいで扉が粉々になってんだけど。
聞いたことない音するし、破片がこっちに飛んでくる訳だ………………うん、色々おかしいな。
「あー、久しぶりにやっちゃったやー」
そんな出来事の後にしては呑気な声がする。
が、この声の主が犯人だろう。つか、こんなこと出来んのは緑の上級貴族だけだ。
まあ、こんなことしでかしても相手はオリス様だ。
オレに危害を与えるような方じゃないからそんな恐る必要は――、
「でえええ⁉︎ こっ、だ、大丈夫ですかっ⁉︎」
左耳からぼたぼたと血が流れる様にオレの目は飛び出そうだった。
ひえええ、ピアスの銀のチェーンに赤いの伝ってるし、黄緑色をしているだろう宝石もよく見えない。左腕も打撲痕やら、切り傷やら、噛み跡やらで赤や黒にところどころ変色している。そんで長かった前髪も一部切られて、左目だけだが目が見えてるし、その下にもうっすらだが切り傷がある。刃物ねぇ筈だろ……。
見た目がホラーっぽいんだが⁉︎
「あー、大丈夫だよー、舐めとけば治るよこんなの、意地でも治す」
「治りませんし、舐められません。え、それテレル様にやられたんですか?」
「うん。でもおれはこの倍やり返したよ」
「へ?」
この倍っつーなら、テレル様の方がもっと医務室に来るべきでは?
いやでも医務室の先生いねぇか。今日は大会あるから競技場の近くの救護スペースで看護科の女生徒と一緒に待機してんだっけ、なら大丈夫か。
……そもそもオレが会場から離れた医務室にいるのがおかしいんじゃねぇか!
医務室には一応係の看護科の子がいるけど、メインは今日は競技場のそのスペースだよって説明されてたわ。
ガチでオレを口実にオリス様はテレル様との公式の試合バックれようとしてたんだな。
色々として貰っておいて失礼だが、どうも複雑な気分になる。
オレのそんな様子に普段のオリス様なら気づきそうだが、今日は気づかなかった。
左耳の耳とピアスを両手で押さえながら、眉を下げていた。
「テレルがね、本気でさ、このピアス噛みちぎろうとしたんだ……」
オレは貴族の習慣のことは噂で聞き齧った程度しか知らない。
でも家族の中で同じ宝石を使うのは決められているもののデザインは自由らしい。だから親子だろうが兄弟だろうがデザインは違うものにしていることが殆どだ。
けど、レトガー兄弟は全く同じピアスをしていた。銀色の鎖の先に黄緑色の宝石がついたピアスだ。
「おれらはずっと兄弟なんだよって……ずっと二人で頑張っていくんだよって、二つ職人に作らせて片方を昔あげたんだ……」
いつものんびりした口調のオリス様が辿々しい口調で語る。
「だけど、テレルはもう違うんだ。必死におれからピアスを、おれらの絆を壊そうとしてくるんだ」
テレル様の手に血が伝う。
止血した方がいいのは分かっているが、生憎オレも怪我人で容易に動けねぇし、何よりオリス様が止血させてくれる感じじゃねぇ……。
「挙句の果てにはっ、
『ボクが貴方の弟であるから、貴方は弱くなる。ならばボクは貴方の弱点でしかない』『この試合ボクが勝ったら、神殿に勤めることにします。そうしなければレトガー家の人間として生まれた意味がない』なんて言うんだっ‼︎
そうなったら頭に血が上ってさ……気づいたら公式戦で勝っちゃった」
神殿に勤める、つまり家に属すのをやめ、一生天に仕えるってことだ。
レトガー家に属する子息がオリス様ただ一人になれば、次期当主の座はオリス様になるもんな。
以前倉庫でテレル様と話をした時のことを思えば、真っ直ぐなあの方なら本当の実力主義で当主は決まるべきって考えで、そんな提案したっておかしくない。
そして頭に血が上って公式戦で『勝っちゃう』って、やっぱりそれ程の実力差があるのだろう。
他の人の口から聞いたら、勝っちゃうなんて鼻につく響きの言葉でも、オリス様の口から出たものはちゃんと悲壮感を持って聞こえる。
「いらないのは、おれなのに」
いつもの余裕な笑みを浮かべず、虚ろな目をしてそう言葉にするオリス様に、オレは言葉を失う。
……ああ、さっきオリス様に握手された時の違和感はこれだ。
この人、自分のこと嫌いだ。
自分の価値が低い。自己肯定感が低いっつーか死んでる。
すっげぇ強くて、いつも余裕そうにしてるから、その眩しさに目が眩んで本人が自分自身のことどう思っているかとかあんまはっきり認識してなかった。
すっげぇ、この人自身の中で価値が低い。
なんでだろうな、地位も金もあれば、容姿もいい。おまけに緑系統に求められる戦闘力も天性のものを持って、人望もあるのに、当人が自分に価値を一切見出せていない。
「テレルはさ、おれに勝てなくても誰かの|英雄《英雄》なんだ」
そんな自己否定を見せつけた後に、テレル様のことを少し明るいトーンで話し出す。
「今日もさ、試合終わった後にみんなキラキラした目でテレルのこと見てたよ! おれみたいなバケモノ相手に必死に食らいつく奴がいるんだすごいって、みんな憧れてた! すっごい英雄だった!」
テレル様のこととなるとオリス様は、大好きな英雄譚を読んだ後の子供のように語る。
それにテレル様が以前オリス様がちゃんと自分を見てくれないと言っていたのを、思い出してしまう。
双子の片方が人間離れした才能を持っていたら、対等に相手を見られず仰ぐしか出来なくなるのは力を持っていない方だと思っていたが、まさかの逆だ。
オリス様は自分のことをバケモノと下げ、テレル様を英雄と仰いでいる。
「もし、おれが生まれて来なければテレルはきっと適正な評価を受けられたんだろうな」
でもおかしいだろ?
普通強くて頑張る英雄みたいな奴よりもっと強い奴がいたら、そっちも格好いいってなんだろ。なのになんでっ……。
「バケモノはね英雄になれないんだ。人々の希望にはなれないんだ」
そんなオレの心情を見透かしたように、晴天のような色の瞳を彼は細める。
「おれの所為で努力を辞めた人を何人も目にしたよ。おれの所為で心が折れた人を何人も見たよ」
その言葉にハッとする。
予選でオリス様と当たるとわかった瞬間、本戦を出るのはもう無理だと諦めた生徒がいた。
オレも、本戦に上がったのはオリス様に当たってたら絶対無理だっただろうって思った。
「おれの力は天性のものだ。生まれつきのものだ。天からの祝福であって、誰かにとっては世の不平等を示しつけてくる呪いでもある」
呪いだなんて、オレは思ったことはないけど……この人に力で敵うことは絶対にないだろうなって思う。つーか、そもそも戦うとか想像出来ないくらい差がありすぎてさ。
「おれを見て大抵の人は圧倒されて力を抜くんだ。敵だけじゃなくて、味方もね。努力なんて馬鹿馬鹿しいってね」
でも、そんな大勢の人間の姿がオリス様にとっては辛かったんだろうな。
強すぎるが故に、天才が故に凡人の努力を霞ませてしまう。成長の意欲を削いでしまう。人間離れしすぎた強さのせいで、味方達を鼓舞どころか、意気消沈させてしまう。
才能持つものの贅沢な悩みって誰かは評するかもしれねぇ……でも、当人の悩む姿を、嘆く姿を見ると、そうは言えねぇ。
「それが当たり前なんだ。そんな中、テレルは子供の頃からずっと食らい付いてくれるんだ。幼い頃はそれが支えだった、希望だった」
んで、テレル様がすげぇって言うのも分かる。
だってその才能に心をへし折られている人がスッゲェいる様な状況でも、生まれてからそんな相手とずっと比べられて生きていても食らいつき続けるんだから。
「――でも今は違う。絶望にしかならないんだ」
何故かオリス様は笑顔を浮かべようとする。
すっげぇ辛そうなのに、いや違ぇか。すっげぇ辛くて泣きそうだからそれを堪える為に、隠すためにこの人は笑うんだ。
「その希望を蝕む存在が自分だって分かってるから」
でもよ、自分のことそんな風に言わないでくれよ……。
違ぇよ、やっぱなんか違ぇよ。確かにあんたの才能に打ちのめされている奴はいるかもしれない、敵わないとオレも思ってるよ。
あんたとテレル様はよく比べられてるし、それでテレル様の評判はおそらく他の系統に同じ実力でいる状況より良くねぇよ。けどよ、なんか違ぇんだ。
「英雄の敵にしか、障害にしか、おれみたいなバケモノはならないんだよ」
なんで、なんで、そこしか見ねぇんだよ。すっげぇ自分に関する事象で、悪いところだけ無理矢理注目してさ、それが自分の全てだと思ってんのさ。
「力しかないバケモノのおれじゃ、だれも救えない」
「違うっ‼︎」