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鍵14‐2 平民の観客者の嘆き



 テレル様と自分の人間性の差に打ちのめされて、俺はしばらく呆然と生きていた。


 学校をサボることはしなかったが、人と会話するのは避けていたし、訓練や筋トレはやめた。

 朝ご飯や夕ご飯は急いで食べて席を離れたし、昼食は人気の無いとこを探して食べ、空いた時間は睡眠に費やした。



 が、そんな生活してれば夜は全然眠れず、テレル様との会話を思い出し、劣等感に苛まれた。


 どうしようもなく惨めで、でも打ちのめされている自分を他人の目に晒すことも出来なかった。


 それが俺の弱さだった。俺が特別になれないのは、弱者たらしめるのは、己の弱さを醜さを受け止められないところだ。


 それが分かっていながら、まだ足掻いていた。


 足掻いていたかったんだ。




 けど、


「なあキルマーって凄くね……」

「まぐれで出てたのもあるだろうけど、あんなの見せられたら見直しちゃうよなぁ」

「くそビビリで貧弱なカイが、カイが、あんなにな……でもあそこまで追い詰めたあのペアは糞だな」

「それはそう。あいつボロボロじゃん。大丈夫かよ、ほんと」

「あれはやりすぎだよな。つかあれがルール違反にならねぇのは滅茶苦茶だ。いつか死地に立たせるからとはいえリンチみたいなの容認するのは違ぇだろ」

「そのやりすぎに対して、降参しなかったんだぜ!」

「無理は推奨するもんじゃないけど、凄いのは間違いない。でも寮長ぶち切れであのペアの実家に殴り込むとか言って周りの先輩に止められてた」



 競技場のはじの方の観客席で、ざわめく平民寮の生徒達の声を聞いていた。


 聞いていたというか、聞きたくもないのに耳に入ってきた。

 耳も目も本当は塞ぎたかった。でもやっぱりそれは出来なかった。

 周囲には俺の劣等感も絶望も羞恥心も悟られたくなかった。


 けど目と鼻のあたりがむずむずして、それさえも維持が困難になってんだ。


 俺の足掻きだなんて馬鹿らしくなる程、鮮烈なものを見せられて俺はもうどうしようもなくなったんだ。


 あんなに馬鹿にしていた、下に見ていたキルマーまでもが、俺を置いていく。お前とは違うというように、成長していった。


 いや、俺なんか眼中にも入ってないか。



 悪名高いあのペアに虐め抜かれても、ボロボロにされても、決して諦めずに立ち向かい続けた。

 特別であるジングフォーゲルの力に頼ることをやめ、むしろ助けようと救おうとした。


 俺が蔑み攻撃しようとしていた存在が、どれほど尊く立派なものであるか示されてしまった。


 俺が、俺自身が世界で一番醜く弱いということを思い知らされてしまった。



 誰か、俺を殺せ。罰してくれ。

 俺はあの尊い存在に害をなそうとした。敵意を持った。蔑んだ。



 そう思っても表には出せない。表に出したところで、誰も得はしないし、嫌な思いをさせるだけだった。


 俺は特別にも主役にもなれない。敵役にすらなれない。批評家にすらもなれない。何者にもなれない。


 何者にもなれず、影が差した観客席で呆然とするしか出来ない。涙を堪えるしか出来ない。時が過ぎ去るのを待つしか出来ない。


 幸いにも、俺はキルマーのように人気者でもないから、声をかけられることはない。



 キルマーの周りにはいつも人が集まる。

 あいつはよく顔に出て分かりやすい正直者だから、人付き合いが上手いから、人に頼り頼られるから、弱味も強味も晒すのが上手いから、勉強が出来るから、バランスがいいから、何度転んでも立ち上がる強さがあるから。



 ああ、そっか、キルマーのことを蔑んでいたのは、自分にはない才能ばかりを持っていたあいつが眩しくてこき下ろしたかったからだ。

 今まで自身の平常心を保つ行為すらも、どうしようもない憧れからくるものだった。


 こんなおかしな話はあるだろうか!



 誰か、誰か、誰か、俺を罵れ、罰せよ。俺の醜さを弱さを裁いてくれ! そうでないと納得がいかないんだ!


 ……テレル様なら俺のことを裁いて下さるだろうか。


 いや、そんな手間をかけさせる訳にはいかない。あの方はこちらを見向きもせずに真っ直ぐ自分の道を進まれるのが正しい。


 俺には、そんな価値はない。



「オリス様戻ってくんの遅いなー」


 無価値な自分だけで世界を完結させようとしても、どうしても自分の欲が反応して情報を拾ってしまう。


「まあ、カイを医務室に運んでくれてるらしいからな。同じ貴族なのになんでこうも人格の差が出るんだか」

「貴族なのにすっげぇ。そんなのやっても同じ貴族から馬鹿にされねぇのはやっぱ実力があるからだよな」

「オリス様は実力もあって気さくだから平民からも貴族からも好感度高ぇよ。今回のだって評判高くなるだけよ」

「カイはビビリ散らかしてそうだけどな」

「間抜けな声あげた後に平謝りしてそうだよな……そんくらい元気であるといいな」



 でも惨めだ。

 俺が憧れている存在といかに程遠いか、俺が傷つけようとした相手がどれだけ人に愛されているか、まざまざと聞かされる。


「だ、大丈夫だろ。面白いやり取りしてそうだよな。そんでオリス様もニコニコしてそ。なんだそのほのぼの空間は」

「騒がしい小型犬があわあわしてんのを、微笑ましく見てる図だよ」

「にしても遅くね。あんま遅いとオリス様、次の試合を棄権扱いされんじゃね」


 もう、他人からどう見られてもいいから耳を塞いでしまおうとした時だった。



「一部の貴族の連中、嫌な笑い方してんな」

「馬鹿にしてんだろ。また相手にして貰えないんじゃねぇかって」

「まあ、テレル様だって今日相手にされるとは思ってねぇんじゃねぇの」



 やめろ。


「え、なになに? つかテレル様ってどっちで、なんで笑われてんの?」

「明るい髪の方。テレル様はオリス様の双子の弟なんだよ。で、実力差がすっげぇ差があるんだけど無謀にも真剣勝負を申し込み続けてるんだって」

「え、オリス様と勝負とか正気? あ、でも兄弟だから全然聞かねーけど強いとか?」

「驚くよな。テレル様は別に弱くないけど、他の緑の上級貴族みたいに人外じみてねぇよ」



 『弱くない』そんな言葉でテレル様のことを表現して欲しくなかった。


 何度負けようと、何度馬鹿にされようと、あの方は努力し続ける、あの方は挑み続ける。


 実力だって、そりゃ緑の上級貴族連中に比べれば劣るかもしれない。

 けど、武闘大会本戦に上がれる実力もあれば、オリス様が手加減したり当人も色々な手を使ったらしいが勝負で勝ったこともある。


 そんな方を今、この観客席でヘラヘラ笑っているお前らが『弱くない』だなんて評するな。



 テレル様は、強くて誰よりも格好いいんだ。誰よりも眩しいんだ。

 それはもう、俺が直視出来なくなるくらい、意識の外に置きたくなるくらい。



「変な方なんだなぁ」

「変わった方だよな。オリス様とかは勝負するとかそういう次元にいねぇの。貴族で賢い筈なのにやっぱ脳筋緑だよなー」



 分かってる。こんなのはあの方をよく知らない有象無象の評価だと、別にあいつらも貴族の連中と違って馬鹿にする意図はないと、それでも無性に腹が立つのだ。



 平民はレトガー兄弟の事情を知るものが少ないからまだマシだった。


 貴族の観客席の連中ときたら、テレル様に対して、同情、憐れみ、呆れ、蔑み、どれにしてもテレル様の気高い折れない意志に相応しくない視線を容赦なく向けていた。



 ……俺がどれだけ惨めであっても、もういい。


 でも、真っ直ぐで揺るがない、俺が誰よりも憧れた、誰よりも鮮烈だと認識している、あの方が惨めな目に遭うのは納得がいかない。



 我慢出来なくなって俺は憮然と立ち上がり、観客席の最前列に人を押し除けていく。

途中で誰かが不満を口にしたが「悪い」と義務的に言うだけで顔も見ることもしない。


 有象無象はどうでもいいから。俺がどう見られたってどうでもいいから。


 人が落ちないようにある縁をぎゅっと握りしめながら、俺は競技場に堂々と立つテレル様を両の目に焼き付けるように見る。



 相変わらずその空色の瞳は揺らいでないのだと確信出来る。

 それくらい、その立ち姿は美しかったし、相手選手が出てくる入場口を向いたまま微動だにしないのだ。


 こんな時でも、自分の目標に対して諦めず揺るがない。

 俺が知っている中で誰よりも気高い。有象無象の声や反応を気にかけることなんざない。


 だからこそ思うのだ。

 世界がいかに理不尽でも、あらがい続けるあの方が馬鹿にされるような状況に置かれるのは違うだろ。


 今なら、平民から人気のあるオリス様だって罵ってしまう。

 だって、だって、貴方の兄弟はあんなに揺るがず切実に戦いたがっているのに、それを貴方の無駄な気遣いで蔑ろにしようとしてるんだ。


 オリス様は強くて優しい。けど、その優しさがあの気高い方の願いを踏みにじっているんだ。


 来ないなんて裏切りだ。


 いや違う。俺が今するべきなのは、他の連中同様、オリス様は来ないだろうと思うことではない。テレル様がそうするように、オリス様が来ることを諦めないことだ。


 来い! 来い! いや、来て下さい! 来て下さい! 来る! 来い!


 身を乗り出して両手を組んで願う。


 天よ、お願いします。オリス様のことを引っ掴んででも連れて来て下さい。

 天よ、天よ、お願いです。貴方だって、テレル様の願いは聞き入れるべきだと思うでしょう。天に願いが叶えられるべき人間だと思うのでしょう。



 いくらでも俺にとっては理不尽でも不平等でもいい。けどテレル様にそれが適応されるのは納得がいかない。


 お願いだよ、俺はあの方が、テレル様がへし折れるところだけは見たくない。


 お願いだ!


「オリス様が来たぞ!」




 ***




「テレル様、格好良かったです! いい試合でした! ありがとうございます!」


 とんでもない手の平返しじゃないか。

 ほんの少し前にあんなに真っ向から罵った相手に、なんでこんなことをするんだ。



 そう自分で思いつつも、俺は試合が終わって観客席に戻る途中のテレル様に、そう声をかけずにはいられなかった。


 ほら、テレル様だって驚いて目を見張っているじゃないか。

 思わず立ち止まってしまっているじゃないか。


 あんなに揺るがなかった空色の瞳が、揺らいでいるじゃないか。

 揺らいでる……ああ、そっか貴方でも揺らぐことがあるのか。俺みたいなちっぽけな奴でも、貴方を動揺させることがあるのか。


 そう分かると尚更止まらなかった。


「すっごいすっごい格好良かったです! いや今もすっげぇ格好良いです! あ、言葉遣い今すっごい失礼なことになってると思います! でも抑えられなくて、格好良くて!」


 試合が終わったテレル様の姿は、土まみれで、傷だらけで、髪も服も崩れていて、貴族の証である左耳のピアスも血塗れだったけれど、その気高さは変わらないどころか、増していた。

 あんな試合をした後なのだから、当然だ。


「い、いや言葉遣いはとりあえず後で注意するが、お前にはこの前ので嫌われたかと思ったんだが? 少なくとも慕われるような性格をボクはしていないのだが……」

「そうなんですか? 厳格で不正を許さない公平さを持っていて、努力家で滅茶苦茶格好良いです」

「そ、そうなのか? 変な奴だな」


 いつもは澄ましていたり、険しかった表情が、ほんの少し和らいだ。

 そのことに安堵する自分が信じられなかった。でも悪くはなかった。むしろ、清々しかった。


「変ではないです。俺の他にもきっとテレル様を格好良いって尊敬してる人はいると思います……ただテレル様が称賛をあまり求めてないように見えるので」

「まあ、自分から求めはしないな。求める必要性がない」


 そうつっけんどんな返事をしながら、テレル様の口角は少し上がっていたし、いつも釣り上がっている眉も緩やかになっていた。


 あ、この人素直じゃない。

 というか多分、自分で自分が褒められたことが嬉しいって気づけていない。己を研鑽することに極振りし過ぎて、自分の感情にも鈍感なんだ。



 俺は褒められたら、冷静な顔しておきながら「そうだろ」って内心ではしたり顔してる。

 けど、テレル様はきっと身近にいる人が凄いのと、自他に厳しい性格もあって褒められても反応や受け取りが上手く出来ないんだ。


 貴方にも弱さがあるのか。苦手な部分があるのか。


「あとこの前は止めて頂いてありがとうございます! 色々と失礼を働きながらなんですが、俺、将来貴方の下で軍人になりたいです! 貴方の部下になって武功をあげたいです!」

「そ、そうか。まあお前のような優秀な人材がそう言ってくれるのは有難いな」

「お、俺のこと優秀だって思っていたんですか?」


 予想外のことに俺は目を丸くしてしまう。

 それに対し、テレル様は気に食わないというように眉を顰めた後、そっぽを向く。


「見所はあると思うぞ。鍛錬は欠かさないし、負けず嫌いだ。努力の方向性を間違えなければ成長し続けると思った。だからそれが歪もうとしているのが気に食わなかった」

「………………」

「だから口を出した。もう間違えるなよ」


 軽く手を振って去るテレル様に、「はい、肝に銘じます」と敬礼した。



 俺の態度の変化や心変わりは身勝手すぎるものだろう。自分でもそれは分かってる。



 キルマーには色々と悪い感情を抱き捲った挙句、危うく手にかけてしまうところだったけど、テレル様が止めてくれたし。本人が鈍感なおかげでバレてない。

 そしてわざわざバラす意味もない。


 だって、あのお人好しのキルマーのことだ俺が勝手に妬んで怪我させようとしたなんて聞いたら、気まずいし怖い思いをするだろう。


 それにあいつは謝られたら許しちまう気がすんだ。



 対して、俺のしようとしたことは、簡単に許されちゃいけないもんだ。



 自分勝手な感情で他人を傷つけようとした俺の弱さは、

 一生俺が抱えていかなければならないものだから。




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