鍵14‐1 平民の観客者の嘆き
とある平民の少年視点です。
生まれた村で、俺はずっと一番だった。
走るのも、力比べも、跳ぶのも、言葉を喋り始めた時期も同じ世代に生まれた中で全部一番だった。天が特別にお前に目をかけてくれたんだろうって両親もよく言っていた。
俺が一番で世界の中心だった。主役だった。
そんな俺は出身の村のみんなから期待されて、俺も俺の人生を終えるのはこんなちっぽけな農村じゃないと王都の国立軍学校に入学をした。きっとそこでは俺に相応しい輝かしい日々が待っているのだと疑わなかった。
でも俺みたいのは国立軍学校ではごろごろいた。
同じくらい走れる奴も、力がある奴もいた。なんなら俺より出来る奴も居た。
それでもここにいる奴らはみんな上澄みだから、自分と同じ特別だからと自分に言い聞かせてた。今は俺よりできてる奴のことも追い越せば、この中で頑張れば、俺はもっと特別になれるだろうと奮起した。
だけど、違った。
「みんなー、下がっててねー!」
オリス・ドロッセル・レトガー様
亜麻色の髪を持つ侯爵子息の存在に、特別だとはこういうことだと教えられた。
本人は別にそんなことを口にされてはいなかったけれど。
でも学校に侵入してきた不審者達を俺らから遠ざけて地に沈めた彼の強さや速さ、幼子に話しかけるようなその言葉、心強い笑顔、割れた地面、それらを見聞きして打ちのめされた。どこかの英雄譚や冒険譚の人物が現実世界に飛び出たような方だった。
圧倒的な才能だった。
俺がどんな風に努力したって、どんな風に生きたってこの人のようにはなれない。そんな方の存在を知ってしまった。
持っているものの差を、縮めるということも馬鹿馬鹿しい程の実力の差が世の中にはあることを知ってしまった。
あの方のような特別がいるこの国はおろか学校内でさえ俺は決して特別にはなれない。俺はあの農村に居たからこそ特別でいられたんだと分かってしまった。
それでも慣れれば大丈夫だった。
俺と同じような奴らは腐るほどいたから。酷い奴だと受け止めきれなく学校やめてく奴もいて、俺はあそこまで馬鹿じゃない、弱くないと思った。
それに軍学校には馬鹿で弱っちい奴もいた。分かりやすかったのが、カイ・キルマーだった。
座学は結構な出来らしいが、平民の軍学校の生徒にとって大事な実技が全然だった。それでもへらへら笑ってるような呑気でプライドの低い奴。
ああ、おれより全然下だなって思った。こんな奴が居て良いなら、俺だってこの学校に残れて当然だ。
その呑気さであの寮長に関われてたり、Cクラスに居たのはちょっと分不相応だとは思ったが、馬鹿な連中とつるんで騒いでたり、揶揄われてんのを見ては溜飲を下げていた。
とはいえ俺の心の奥底では納得がいなかったらしく、あいつが貴族に酷い目あわされたって話を聞いた時にはスカッとした。
ああ、ちゃんと天は見てるんだって。実力ないくせに、大したことないくせに、Cクラスに所属なんかしてるからだ。あの寮長に目をかけて貰ってるからだ。
傷ついて、部屋に閉じこもって、泣き叫んで、馬鹿にされて、オヒメサマだなんて言われちまって、相応だなって思った。
ざまあみろって、弱い癖して、大した才能がねぇ癖に、へらへら調子乗ってるから天が罰をあたえて是正したんだって思った。まあノア寮長がいなくなったのはよく分からなかったけれど。
勿論、奴へのそういった感情を俺は表に出すことはなかった。
馬鹿な連中はそういった感情を剥き出しにしたり、ぶつけたりしていたが、それが醜い行動だってのはわかっていたから心中に留めていた。自分自身でも歪んでんのは分かっていたから。
それから休み明けにはもう立ち直っていたのには、驚いたけれど、それは本人の勝手だしもう罰は受けたし別に構わなかった。身の程はあの時に思い知っただろうから。
けれど、立ち直った先のことは許せなかった。
エルラフリート・ジングフォーゲル
その人を見た時に、カラビト様が地上に降臨されたのかと思った。
特別な存在以外の何物でもないと思った。同じ人とは信じ難い程に、何かが違った。その衝撃は初めてオリス様を見た時以上だった。
同じ平民らしいが、そんな情報吹き飛ばすくらいの、美貌と存在感と実力を持っていた。上級貴族の多いAクラスに所属だと聞いても、まあ当然だと思った。それどころかこの人はもっと上のとこでもおかしくないと思った。
普通の奴じゃ、近づくのもおこがましい程の特別だった。平民には不可侵領域、聖域のような存在だった。
オリス様が英雄譚や冒険譚から抜け出たような方なら、ジングフォーゲルは神話や伝説で出てくるカラビト様のようだった。
なのに、カイ・キルマ―はそこに侵犯した。
ずけずけ話しかけて、何故か気に入られた。
理解し難かった。なんであいつが、お前はジングフォーゲルに関われるような奴じゃないだろ。元寮長の時も納得がいかなかったけれど、ジングフォーゲルにも同じとは思わなかった。
おまけにあのオリス様とも関わるようになって、
ジングフォーゲルの力でみんなの憧れの武闘大会の本戦に出場して、
あいつはヘラヘラ生きてるだけなのに得していった。
***
階段を降りようとしたら、カイ・キルマーの背中があった。
今は、Sクラスのジングフォーゲルは側にいない。
俺と同じ、茶色の制服を纏った後ろ姿は頼りない。軍学校に通っている癖に、薄っぺらい体型にぎりっと歯噛みする。
なんでこんな奴が武闘大会本戦に出場すんだ。
俺は毎朝走りに行って、食後も筋トレして、休日は訓練場で剣の練習して、それでも大会本戦には出られなかったってのに。
大した努力もしてねぇのに、特別な存在に気に入られたってだけで本戦に出られた。
大したことない癖に、へらへらしてる癖に、特別な存在に特別構われている。
当人は特別じゃないのに、俺より格下なのに特別な存在に気に入られただけで良い目にあってる。
なんで、なんで、なんで、お前は格下の筈なのに。俺と比べても大したことのない奴なのに、ただその呑気さでジングフォーゲルに気に入られただけで
偶然、くじ運が良かっただけで、
偶然、カラビト様に見そめられただけで、
どうして、大したことのない、弱いお前が、あの大会に出られるんだ。
しかも、本人が熱量をもってんならまだしも、違うんだ。キルマーは惰性で試合に出続けている。
分かるんだ。現寮長と大会の話してる顔みれば、あいつに大した熱量はないってのは。
この大会は、上官となる貴族達に、自分達の実力を見てもらって、将来的にその能力を買ってもらう為にもあるんだ。
それなのに、実力も、熱量もないお前が、なんで勝ち上がってるんだ。
馬鹿な連中のように陰口を叩くわけでも無い。
群れて害を与えようとも思わない。
それが愚かだって分かってるからだ。自分のキルマーへの感情が碌でもないと知ってるからだ。
嫌悪や悪意を表に出すのは褒められた行為じゃ無いのは分かってる。
けど、けどよ、なんでお前なんだよ!
お前は俺より格下の筈だろ!
お前みたいな奴がなんで、そんな良い思いばっかするんだ。
おかしいだろ。
警戒心も何もないその背中に手を伸ばす。ほんの少し押すだけで、キルマーのような鈍臭い奴なら、押された勢いで階段から足を踏み外すだろう。
それで、怪我でもして大会に出られなくなるだろう。
うん、いいな。それ、いいな。それがいいな。それがきっと正しいな。
あともう少しでその背中に触れるって時だった――、
「おい」
凛とした声が階段下から聞こえて、キルマーの背中に触れようとした手をビクッとしてから中途半端に引っ込める。
視線も、キルマーではなく、その声の方に自然とうつってしまう。そして亜麻色の髪の下、空色の瞳に囚われた。
その色は最初こそ無感情だったが、俺の様子を捉えてから、なんともいえないものに変化した気がした。
それだけで、俺は中途半端に引っ込めた手を下ろすことも出来なくなった。
何もなかったことには出来ない。
誤魔化すことも出来ない。
ここから逃げることも許されない。
ただ、断罪されるのを待たなければならない。そんな気がした。
テレル・ドロッセル・レトガー
その瞳に宿る清廉さに息が詰まりそうになる。
放心状態の俺をテレル様は人の少ない校舎裏に連れて行った。
そしてそこで俺のしようとしたこと、それをしようとした理由を、鮮明に詳細に白状させられた。
テレル様は俺ただ真っ直ぐ見つめて、たまに一言、二言質問を投げかけただけだった。
けど、それだけでもう俺は全てを述べる以外の選択肢を無くされた。
口にするだけで嫌になる自分の罪やその行動原理に、俺の自尊心はもうズタズタだ。
精神状態ぐちゃぐちゃで、顔にも様子にもそれが出ていただろうに、構わずテレル様はただ淡々と聞き出した。もう尋問だ。いや、尋問の方が脅しなどが入るからマシかもしれない。
そうして全てを吐き終えた俺を見て、数秒考えこんだ後、テレル様は口を開いた。
「で、どうしてさっきの行動に繋がる? 自身にマイナスになるような行動をしても、最終的にお前のなんの糧にはならないぞ」
だから逃げたかったんだ。だから怖かったんだ。
反論しようがない正論を突きつけてくるから。
俺のちっぽけさを、弱さを、醜さを、容赦なく突きつけてくるから。
自分の中で問答していたそれを他人にまで指摘されたら、心が折れるから。
「っ、みんなあんたみたいに、走り続けてられないんだよっ!」
感情が決壊して、侯爵子息に、憧れの人の弟に、自暴自棄になって掴みかかる。
こんな時でも、見開かれる空色の瞳にはどこまでも曇りがない。
それが悔しい。淀みがない真っ直ぐなこの方を見ると苦しくて仕方がない。
オリス・ドロッセル・レトガーの存在を知った時には圧倒された。
エルラフリート・ジングフォーゲルの存在を知った時には崇拝した。
二人の話を聞く度に、圧倒された。別の世界の住人だと思った。
カイ・キルマーの存在や在り方を知った時には安堵し見下した。
あいつの話を聞く度に、自分より下であれと願った。
目の前にいる憧れの人の兄弟、
テレル・ドロッセル・レトガーの存在や在り方を知った時には、見なかったことにした。忘れようとした。
この方の話を聞く度に、心に何か突き刺さるような感覚を抱いては逃げた。
「自分の行動が間違ってんのも!
自分の感情がクソみてぇなのも分かってる!
けどよ、どうしようもないんだよ!
自分より下って見下す奴がいねぇと!
嫉妬して貶めるような行動しねぇと!
そうじゃねぇと俺は俺自身を見下さなきゃなんねぇ!
俺は俺自身を否定しなきゃいけねぇ!
そうしなきゃ俺は立っていらんねぇ!」
醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い。
自分自身に吐き気がする。
自分自身が大嫌いで仕方なくなる。
情けなくなる。死にたくなる。殺したくなる。
テレル様は俺に胸ぐら掴まれてんのと、背が低いのもあって、今足は地面についてない。
そんな状況だってのにっ、涼しい顔で俺にされるがままだった。
俺がこんなに必死だってのに、テレル様は平静だった。それも悔しいし、惨めな気分が増幅される。
「どんなに頑張っても、努力しても、どうにもならない時にまだ諦めんなって? 上を見続けろって? 無理だ!」
俺は諦めた。
この学校に来た時に、
オリス様を見た時に、
ジングフォーゲルを知った時に、
諦めた。
敵わないと、関係ないと、持っているものが違うと、線を引いた。
だってのに、
キルマーは俺より下の筈なのに、俺が線を引いた相手にも普通に関わるから。
テレル様、あんたが届かない筈の相手に無謀にも挑み続けるから、
線を引かないから、
諦めないから、
俺はくるしくなるんだ。
俺の諦めが、挫折が、線を引いたことが間違っていると突きつけられている気分になるんだ。
「それともあんたはどうにかなるまで頑張るってか? オリス様には一生届かないって分かってるのにか⁉︎」
だからお願いだから、あんたも折れてくれ。
打ちのめされてくれ、歪んでくれ。かき乱されてくれ。キルマーも特別に関わるペナルティーを食らったり、切り捨てられたりしてくれ。
テレル様が双子の兄の名前にピクリと眉を動かす。それに少し安堵する。自分を保つためにはもっと追い討ちをかけなければとおもった。
「みんな言ってる。どんなに挑もうが、あんたは実の兄に敵わないと。あんただって分かってんだろ! 最初から持っている才能が違ぇんだ!」
この方は天才(オリス様)に勝負を何度も申し込んでいる。
なんなら学校に入る前には何度も挑んで、何度も返り討ちにあっていたらしい。
テレル様は時には常人だったら死ぬだろってくらいのことまでやんのに、オリス様の態度は足元にいる子犬を怪我させないように気遣っているかのようだって聞いた。
それくらい双子だってのに実力が違う。
平民の身でもテレル・ドロッセル・レトガーのことを知ろうと思えば、そのことはすぐに分かる。
貴族の嘲笑混じりの噂話を陰に隠れて何度も聞いた。
「どんなに努力したって、その努力の分を自分の兄弟は元から余裕で超えてるって。人間ってカテゴリーで括られようが、べつもんだっ……」
気に障ったのか、胸ぐらを掴んでいた手を勢いよく振り払われ、じんじん痛む。
音も無く着地したテレル様から浴びさせられる強い視線に足を一歩引いてしまう。
それに対してテレル様は足を一歩出す。
また足を引きたくなるが、すんでのところで踏みとどまる。僅かに残ったプライドが俺にそうさせる。
たとえそれでするのが負け犬の遠吠えだったとしても、
理想を見続け負け犬の遠吠えもしない目の前の奴に、現実を受け入れさせたかった。
「才能も実力も運も不平等だ! 何もかも持ってる奴もいれば、何も持ってねぇ奴もいる。悔しいけど、理不尽だけど、そうなんだよっ!」
残酷な世界の真理を知って、俺と同じように折れて欲しかった。
なのに、空色の瞳の持ち主は揺らぐことが無かった。
俺の渾身の魂の叫びに対して――首を傾げた。
「平等な訳がないだろう? 不平等に決まってる。
ボクは物心ついた時から知っている。
そんなことを理不尽、つまりは正しくないと納得できないと思っていたのか?」
「は」
俺の言葉に折れるどころか、逆上して熱い理想論を語ることすらもしない。
むしろ、残酷な世界の真理を当たり前のように受け入れていることを示された。
ゆらりと揺れたテレル様のピアスを妙に鮮明に捉えてしまう。
オリス様とお揃いのそれはこの人にも釣り合っている。
「なるほど、世界は平等ではないが、平等であるべきと思うから妬むんだな」
そんな俺の動揺をよそに、テレル様は納得したように頷く。
妬むんだなって、貴方は妬んだことは無いのか……同じ日に生まれた兄弟が才能と実力の塊でも、嫌にならないのか、どうして同じようなものを持ってなかったのだと世を呪いたくならないのか。
「しかし天や建国伝説から分かるだろう。この国で平民として生きているんだろう。完璧である天はお前が不平等で理不尽だと思う世界をあるべき姿としたんだ」
左右対称の整った顔立ち、寝癖一つない亜麻色の髪、第一ボタンまで閉じて切られている制服、そんな整った姿で、彼は歪みを肯定してみせた。
こんな、どうしようもない差がある、どうしようも出来ない世界を、あるべき姿だって?
でも天が完璧なのは揺らぐことのない事実だ。
じゃあ、天が許しているこの世界の在り方も、自分には理解できない完璧さがあるってことだ。けど、けど、
「これでは伝わらないか……そうだな、草食動物が肉食動物に食われるのが、鳥達が求愛行動して成功する個体、そうじゃない個体がいるのをお前は理不尽だと思うのか?」
「人と動物じゃ――」
「そうやって分けて考えることには違和感はないんだろう。
天やカラビトという上の存在を崇め、同種である人を特別視することに、お前は理不尽さも不平等さも感じないだろう。
不平等も理不尽も、所詮そんなものだ。元を正せば、ただ物事は存在するだけだ」
人間と動物じゃ話が違うだろうと突っ込もうとしたが、それを途中でやめる。
そんな言葉を口にしたって通じないくらい、動じないくらい、目の前の人物の意志が思想が硬く揺るがないものだと分かるから。
自分の意志はそれに敵わない、晒すのも馬鹿らしく惨めになるくらい薄弱なものだと分かっていたから。
「お前が不平等で理不尽だと思おうが、
この世界で、自分の手札を使って伸ばして必死に自分の目標に向かって生きていくのが人生だろう。
必死に生きるのが生物としての在り方だろう」
そんな救いようのない世界で生きてけっていうのか。
そんな救いようのない世界だって分かっていながら、なんであんたはこうも揺るがないんだ。眩しいんだ。
「止まる理由を、歪む理由を探すより、進む理由を真っすぐに生きる理由を探す方が、自分にとって有意義だろう」
どうしようなく、眩しくて。
だからこそ、俺はテレル・ドロッセル・レトガーという存在をいつも意識外に置きたがるんだ。
平民と貴族なんだ。そんなの簡単な筈だったんだ。
なのに、なんで声を掛けたんだ。しかも、俺が一番堕ちた時に、声を掛けてきたんだ。
俺は必死に線を引いて分けていたのに、なんでそれを止めるんだ。
あんたは俺に何を求めるんだ!




