34 違和感
目を開けたら木目が見えた……多分、天井だ。
天井? なんで、オレがいるのは競技場で屋外の筈だろ? 見えんのは空の筈だ。
「あ、カイくん目がさめたー?」
状況を掴めずにいると、耳に呑気な声が入ってくる。
それに対して体を起こそうとすれば、痛みがはしって「うっ」という情けない声が出る。柔らかい布団の感触と、その痛みの差に頭が混乱する。
「あーあー、無理しないでー。きみ、体ボロボロなんだから」
ガタリと慌てて一瞬椅子から立ち上がる音が横から聞こえる。
「もー、カイ君無理してさー。テウタテスに観客席まで吹っ飛ばされたの受け止めてから、すっごくいそいで医務室の来たんだからねー。体中あざだらけでさー、医務室にいた係の子がびっくりしてたよー」
「オリス様っ、試合はっ、エルはっ!」
情報はまだ飲み込めてない。
けど、これだけは聞かなければと横にいた人物服の端を掴む。
そうすれば落ち着くようにその手を握られる。
「試合は終わったよ、場外で君らの負けだけどさ……テウタテスがよく分かんないけど『合格だ』とか言ってたよ」
合格……つまりには賭けにはオレの勝ちってことで良いんだろう……良かった。これでエルは退学させられなくて済む。
でも、エルは無事だろうか。あんなこと仕掛ける奴らだ。場内にまだいたエルが何かされていないとは限らない。
「エルくんは……無事だよ。今は多分試合後の後処理やってるから安心して」
心配を察したオリス様の優しい声での報告に、ホッとしてオレは息を吐いた。そして服から手を離す。
「なんか色々、ありがとうございます……」
「いえいえ、むしろうちのが迷惑かけてごめんねー」
オリス様曰く場外に吹っ飛ばされた?らしいのを受け止めてくれた事といい、
終わったことの報告といい、 こんな一言では収まらねぇ程の恩があっけど、
とりあえず礼を口にすれば、予想外の返しをされ困惑する。
うちの……ああ、きんきら頭のことか。別にオリス様は同じ系統なだけで責任はねぇだろ。
「いや別にオリス様の所為じゃ……」
「ほんとに、ごめんねー。迷惑かけて、守れなくて」
「え、いや、だからオリス様の責任じゃ――」
「ううん、おれの責任だよ」
オレの言葉を引っ込めさせるように、オリス様は力強く断言するもんだから、さっき服を掴んで離して宙ぶらりんになっていた手を引っ込める。
『ありがとうございます』『どういたしまして』で終わる、もしくはオリス様がずっと『いいよいいよそんな言わなくたってー』っていってるのに対してオレが必死に感謝し続けるとかになると思ったのに、なんで謝られてんだし。
「テウタテスのあれを止められないのはおれの力不足だし、君があの二人によって追い詰められてたのに助けられなかった。気づいて止めることだってきっとおれは出来た」
「オリス様……」
オリス様にしては真剣なトーンの言葉に、オレはその顔を見ようと首だけ動かすが、長い前髪によって見えない。けど、椅子に座って組んだ手の隙間の無さが、その顔の代わりにオレに彼の心境を伝えてきた。
でもよ、今回の件は本当にオリス様には全然非がねぇし、むしろ色々と助けて貰ってばっかな気がする。オリス様が落ち込む必要は反省する必要は全くねぇ。
そう分かりきってるのに、オレはそれを口に出来ねぇ。言ったところで、届かないのが容易に想像つくんだ。
「強者には弱者を守る義務があるのに。そうするって決めたのに、おれはそれすらも出来なかったよー、ごめんねー」
「………………」
語尾はいつも通り呑気に伸ばされている、声の調子は明るいものに戻った。でもそれは、オリス様の手を見たオレの顔を見てのことだろう。
誤魔化せてないことを悟ったのか、オリス様はオレの手を掴んで握手してくる。
「反対に君は凄いね……すっごい頑張ったね。みんなさ、君に圧倒されてた。君に心を動かされた」
なんだろう、褒められてるのに、嬉しくねぇ。なんかさ、胸に引っかかるんだ。
「ただ強いだけの奴じゃなくてさ、君らみたいな子が、みんなにとって必要なんだよ」
力が強い筈なのに、細心の注意を払っているせいか少し強く握られてる程度に感じる、オリス様の手の暖かさに泣きたくなる。
褒められて嬉しいからじゃねぇ、なんか悲しくて泣きそうになる。今は褒められれば、褒められるほど、優しくされれば優しくされる程、なんか悲しくなる。
「テウタテスもだから納得したんだろーな。うん、すごい! 君はすごいよカイ君!」
オレは単純で、褒められたら調子に乗るタイプだってのに、なんでか今は笑えねぇ。
ずっと何かが引っ掛かってる。
でも、それをうまく言語化出来なくて「ははっ、ありがとうございます」なんて引き攣った声で返すことしか出来ねぇ。
もやもやの正体をはっきりする為にも、思考を巡らせていると、あることに気づく。
「オリス様……オレの次の試合なんじゃ?」
確か試合の順番表ではそう書いてあった。
時計は見えねぇけど、吹っ飛ばされたオレを保険室まで連れてきて、目が覚めるまで付き添って、目が覚めてからは状況説明って、相当時間取られてる。まず、次の試合には遅刻せずにはいられない。
「あれれ、バレちゃったー?」
手を離して、くるりとそんな風に回ってふざけ始めるオリス様に唖然とする。
「バレっ、じゃなくて、ここに居て大丈夫なんですか! もう終わってるとかですか?」
「ううん、まだー。ずっと行かなかったら試合放棄で負けるんじゃないかなー」
「負けって、それは駄目ですよ! すみません、オレのせいで時間とってしまって」
これは不味いと慌てて起きあがろうとすれば、額に人差し指をやられ起き上がらせないようにされる。
「カイ君の所為じゃないよ。医務室に連れたらすぐに行けば良かったんだからねー」
「今からでも行きましょう! きっとまだ平気です! ごめんなさい、本当にご迷惑を」
武闘大会の試合を遅刻、それどころか放棄は不味いにも程があんだろ! ぐだぐだオレの相手をさせずに会場にたたき出さなきゃならねぇ!
「だからカイ君は試合には関係ないってー、むしろ口実ありがとうって感じー」
「はい?」
そう口元に笑みを浮かべたオリス様に、思考停止する。
「おれ、次の試合放棄したかったんだー」
そんなオレのことをお構いなく、オリス様は両手をパンと合わせて機嫌良さげにする。
一際強い風に頬をぶん殴られたことで、ハッとする。
「だ、駄目ですよ!」
思考停止したけど、そんな暇はねぇ。このままこの方を留まらせちゃいけねぇ。
さっさと試合場に送り出さねぇと。というか試合放棄したいってどういうことだよ。意味分からん。
この人、優勝候補だって自覚はあんのか?
そうでなくても緑系統の上級貴族が試合放棄だなんて大事件だ。
「そうかなー? 別にそれでも良いとは思うんだけどなー」
「良くないですよ! オリス様優勝候補だし、ペアの方や、試合相手の方……」
言いかけてる最中に、ある事実が頭をよぎる。
――オリス様の次の試合相手って、テレル様だ。
そんでテレル様は随分前に色々と手段を尽くして勝ってから、オリス様が自分との勝負を避けてるって言ってた。点と点が繋がれば、オリス様の考えは簡単に分かる。
「……もしかしてテレル様との試合を避ける為ですか?」
「うん、そう」
恐る恐る聞けば、そうあっけらかんと肯定され、反射的に起き上がってしまう。そうしたものだから、体に激痛が走る。
オリス様も「無理しちゃダメだよー」と言ってるが、そんなの気にしてる暇はねぇ! 一度起き上がったら、また寝転ぶのも痛ぇしな!
「ますます駄目です! だってテレル様はオリス様と勝負したがってます!」
「知ってるー、だけどさー、おれがテレルと戦って勝っちゃうと不都合なんだよねー」
「不都合って……」
オリス様の言う不都合って言うのは、緑系統に強い方が上に立つっていう傾向のことだろう。
もうオレと赤の貴族といい、テレル様とオリス様といい、なんで武闘大会の試合には、こんな場外で色々面倒なことが起きてんだよ。意味、分かんねぇ。
普通に、大会だーっつって、みんな戦って、誰それが強ぇってやればいいのによ。
「上に立つのはテレルの方が向いてる」
「……テレル様はオリス様の方が向いているって言ってましたよ」
「そりゃそうだろうねー。テレルは自分の価値を分かってないからさー。でもさ、第三者である君ならテレルの方が向いているってわかるでしょー」
貴族のことを平民のオレにそんな断言口調で聞かれてもよ……。
どっちがトップに立つとか、二人ともお互いの方が向いてて自分が向かねぇって言ってるし、でもオレから見ればどっちもすげぇし。分からねぇよ。
でもさっきも考えたように、この大会での試合ってそんなに考える必要あっか?
難しく考えるせいで色々ややこしくなってんだろ。
「おれにはどっちが上に立つなんか難しくて判断つかねぇです。でも、これは分かります。試合には出た方が良いです」
どちらが上に向いてるか分かんねぇけど、次の試合にはオリス様は出た方が良い。
理由は優勝候補であるオリス様が試合棄権は不味いだろうってのも大いにある。
けど、それ以上の理由もある。オレはそれを伝えなきゃいけねぇ。
前髪で隠れて分かんねぇけど、目があんだろうっていう位置を真っ直ぐ見る。
「テレル様はずっと、平民の、関わりの少ないオレにだって、それが伝わるくらい、オリス様との勝負を望んでいるんです」
テレル様がオリス様との勝負を渇望しているのを、オレは見たから、聞いたから。
「試合に負けたらテレル様はきっと悔しがります。でも、戦えたことに、真剣に相手してもらえたことに喜ぶんです。悔しくても、あの方はきっとそれも次に挑む力にします」
テレル様は別に上に立つことを完全に諦めてる訳じゃねぇ。あの方は自分にも上に立つ権利があると納得してから、上に立ちてぇんだ。だからオリス様と闘いてぇと、向き合いてぇと願うんだ。
それがほんの少し関わったオレにも伝わってくるから、オレはあの方も尊敬すんだ。
あの方がオレに向けてくれた期待に、奮い立たされたんだ。
「この試合を放棄することは、テレル様にとってすっごい悲しいことです。あの方の思いを踏み躙ることと同じです!」
このままオリス様が勝負から逃げ続けた結果、テレル様が上にたっても、あの方自身が一番納得がいかないに決まってる。あの方自身が自分を許せないに決まってる、
「だから、お願いです! 試合に出て下さっ――いったぁ!」
くっそぉ、やっぱオレじゃ決まんねぇや。
肝心なところで、頭下げた途端に情けねぇ声が出ちまったわ。でも痛ぇ。
それでもしばらく痛みに耐えながら頭を下げ続ける。
オリス様が溜息を吐いた後、オレの肩を押してそれをやめさせる。
「分かったよ。君にはテウタテスの件で負い目があるしね……」
オリス様はらしくない弱々しい声でそう口にすると、医務室の扉の方ではなく、ベッドを飛び越えて、窓枠に乗る。
まず見かけることのないそんな突飛な行動にオレは目を見張る。
が、まあ神出鬼没で変わり者なオリス様ならやるかとすぐに事態を呑み込み、試合に出てくれるんだと胸を撫で下ろす。
オリス様の影響でレースのカーテンが開いた窓の外は、相変わらず晴天で、日差しが強くてオレは目を細める。
「でもさ、君がそう思っても、テレルが闘いを願っても、バケモノがもたらすのは結局破壊なんだよね」
「え……」
オリス様の言葉を掻き消すかのように突風が吹く。
その突風によってオリス様の普段前髪で隠れている両目が露わになる。
以前エルと喧嘩した時に見たのと同じように、テレル様と同じ色で、同じ形の目をしている。
けど、瞳が揺らいでいるせいか、以前抱いたような頼もしさや安心感は感じねぇ。
「どう頑張っても、バケモノには英雄は出来ないから」
隠すように彼は目を閉じて笑うけど、それも歪で
なんか言葉をかけようとするものの、その前にオリス様は窓枠を蹴っておそらく試合会場に行ってしまった。