挿話19 迷子の癖
「カイさんカイさん! 僕、分かったんです!」
鶯屋の中に子供の無邪気な声が響く。来店音の鈴の音の中、その無邪気な声の主と、その子に手を引かれたエルが入ってくる。
「お……おう、何を分かったんだロキ君?」
唐突なことに、オレは向かいに座っていたいたフェイスちゃんに一瞬視線をやる。
が、彼女は適当に返事をすればというようにオレをじっと見た後、弟に視線をやるものだから、とりあえずそう質問をする。
「カイさんの迷子中の癖です!」
「うお……ん? 迷子中の癖?」
ロキ君は駆け寄って、オレの膝に両手をついてそう覗き込んでくる。
緑の瞳は今は姉ちゃんそっくりで、好奇心旺盛で意思が強そうで爛々としていたが、オレはその子が発する言葉と態度に困惑することしか出来ねぇ。
そんなオレの様子を見て、エルがしゃがんでロキ君に「興奮しているのは分かるけど、ちゃんと言わないと伝わらないよ」と耳打ちをした。
「はい! カイさんの迷子は正直、ひどいです!」
エルに良い返事をしたと思ったら、唐突な罵倒。
いや、罵倒とは違ぇか?
罵倒を言ってる割には、目が澄み過ぎてるし、良い笑顔すぎる。
「他に類を見ない程です! 道を歩けば迷子です!」
「そんなに言わなくてもよくね?」
他に類を見ないは置いといて、流石に道を歩けば迷子って程、オレの迷子は重症じゃねぇ筈だ。
多分、きっと……オレ、レベルに道を迷う奴には出会ったことはねぇけど。
「だから、僕は疑問に思ったんです。何が原因でそんなに迷子になっているのか?」
「はぁ」
オレの混乱をおいといて、話を進めるロキ君にそう適当に返事をするしかなくなる。
状況整理は多分、今の時点じゃ情報が少な過ぎて無理だし、ロキ君に喋らせるだけ喋らせるか。
「そして原因がわかれば、カイさんの非効率でムダな、迷子になる時間を減らすことが出来ると思ったんです!」
「オレの迷子のこと、非効率で無駄だって思ってたの? いや間違ってはねぇけどよ……」
周囲からの視線が集まっているのも、相手が子供相手なのも分かってるが、流石に突っ込まずにいられない。
「だから、僕はここしばらくカイさんのあとをつけて記録しました!」
「何やってんの⁉︎ てか、オレつけられてたの⁉︎」
良い笑顔から放たれるとんでもねぇ発言に、声のボリュームが自然と上がる。
うるさいというように耳を塞いだエルがこちらを見てくるが、これは仕方ねぇだろ。
「はい、でも僕一人じゃ流石に難しかったです」
「そうなんだ……」
オレの驚きをよそに、ロキ君はマイペースに話していくものだから、もう呆然とするしかねぇ。
「だから姉さんやエル兄さん、鶯屋の常連のおじさん達にも協力してもらいました!」
「ロキ君⁉︎ 割とむちゃくちゃなことやってんな! てか周りはなんで協力してんだ⁉︎」
撤回、呆然とする暇もなかった。オレ以外はロキ君の言葉への反応が薄いなとは思ってたけど、全員グルか。オレのプライバシーは何処に行った!?
何やってんだと周囲を見回す。
「姉さんとエル兄さんは頼んだら二つ返事でしたし、おじさん達も少し迷いましたけど『ロキ君もお父さんと似て学者さん気質だね』って協力してくれました」
「みんなロキ君に甘すぎだろ! 誰か止めろよ!」
みんなしてオレから目を逸らすな、床を見るな。
父ちゃんに似て学者気質だからって流されんなよ!
つか、フェイスちゃんとロキ君の父ちゃんって学者って、平民で割と珍しい職業してんの初めて知ったのに、その事実すらも今の状況があると割とどうでもよくなるわ。
「『カイさんなら、まあ大丈夫』ってみんな言ってました!」
「舐められてる! てか、一番協力を願い出るべきだと思うのは当事者であるオレじゃねぇの?」
「はい……それは僕も考えました。当事者に協力をお願いするのは必要じゃないかと」
深刻そうにそう口にするロキ君に、オレは少し胸を撫で下ろす。よかった……いくらエルやフェイスちゃんに囲まれて生きていても、二人ともそこら辺はしっかりしてるから大丈夫か。
「でも、知らせてからだとデータに影響が出るかと思いまして……事後報告にしました!」
「オレは実験動物かなんかか⁉︎」
「いえ、観察対象です! 普段の姿から分析したかったんで!」
「大して変わんねぇ!」
なんでオレは自分の迷子癖を、友人の弟分に観察され、分析されてんだ⁉︎
「お陰でいいデータがたくさん集められました!」
「ううん……いい笑顔で言うことじゃねぇな」
あまりにも異常な内容を、ロキ君が未だにご機嫌にオレに話し続けるものだから、もう闘志のようなものが折れる。
「で、カイさん、データを分析した結果なんですけど」
「そんなふうに話を進めてかないで、オレの頭がおいつかねぇ……」
かといって、自分自身が深く関わっているものだから放置も出来ねぇ。
「すみません。分かりにくかったですか……えっと、カイさんの迷子減少を目的に、みんなの協力のもと行動を記録して、分析してその結果を……」
オレの語気が弱まったのを感じ取って、ロキ君は心配気にそう説明を続けるが、そういうことじゃねぇんだ。
「いや言葉の意味は分かってんだ。分かってんだけど、理解したくねぇんだ」
「そうなんですか……」
「どうして、そんな澄んだ目をしてんだよ。オレ、今ロキ君が怖いよ」
十歳くらいの子供に怖い発言は、色々な意味でどうよとも自分でも思うさ。
けど当事者に告げず、人の行動を分析するのも、人のあとをつけるのも、相当ヤベェからな。どうしてやってる側のロキ君がこうも堂々としてんだ。
「「ロキは怖くないよ」」
「ブラコン二人は黙ってろ」
エルとフェイスちゃんのブラコン発言には、流石にそう注意する。
この二人は多分ロキ君に対しては全肯定な気がする。
「すみません……一度気になったら調べずにはいられなくて……」
オレを見つめていたロキ君がそう俯く姿に心が痛む気もしなくはねぇが、流石にこれはな。
「ロキ君は昔からそうだもんなぁ。だから早く終わらせる為にも協力せざる得なかったというか……」
「どさくさに紛れて責任逃れしねぇで下さい」
鶯屋の常連のおっちゃんの一人がそう口にするのには、釘を刺す。ロキ君の行動を増長させてっからな。
「……今度同じようなことやる時はちゃんと当事者に許可とるようにな。好奇心のまま動き過ぎて危ねぇ目に遭うかもしれねぇからよ」
溜息を吐いた後、ロキ君にそう注意すれば彼は素直に頷く。
好奇心強くて、色々分析すんのが好きみたいだから、全部やめろってのは多分無理だ。けど、ロキ君の安全を確保するために、許可取れるような相手に許可取ってからにしろとは言っとく。
この調子だと、ヤベェ奴とか研究し始めて怒らせかねないし、危ねぇ場所とか生きかねねぇ。
そんで、後から知った身としてはひたすら怖ぇ。
「ロキに危ない目になんて遭わせないよ」
「エル、お前、ロキ君が非常識になったらどうすんだよ」
過保護と全肯定は、教育に良くねぇぞ。
自分の意思を持てなくなったり、逆にすっげぇ我を通す奴になったりすっから。
感情任せに怒り過ぎんのは良くねぇけど、駄目なことはきちんと叱らねぇと。
「大丈夫、ぼくがどうにかする」
「……ロキ君、あれが非常識だ」
ああもう、どうしようもねぇブラコン野郎だ。
そんなことを思いながら、エルを指差してロキ君に説明をする。
「はい! 流石に分かってます!」
「分かってるんだ……」
ロキ君もロキ君でブラコンだから、てっきりエルのことを肯定すると思いきや、勢いよくオレの説明に頷く。
「分かってますよ。姉さんもエル兄さんもどちらかと言うと変わってます! だから常識人を目指すのにカイさんを参考にしようと思ってます!」
「そ、そうなんだ」
まだ小さくても、フェイスちゃんやエルが、割と世間から見ると変わってることは理解してんだな。
でもって一般人を目指してて、それでオレを参考にしてると……まあ、いいんじゃねぇか。
「はい。ですが、カイさんにも特殊な迷子の部分があるのでそこを解析してからにしようと」
「うん、ロキ君。君はエルやフェイスちゃんよりも、よっぽど変わった子である可能性があるよ」
「そんな! 僕は常識人を目指しているのに!」
「オレがそんなって言いてぇよ……」
初めて会った時、なんて素直で良い子なんだって感動したけど、この子ヤベェわ。
いや、多分素直で良い子なのも事実なんだが、なんかネジが外れてる。エルやフェイスちゃんとは別方向でぶっ飛んでる。
「まあとにかくデータの分析をして思ったんです。カイさんは多分天に見放されてるんだと」
「ロキ君、常識人は今の流れで、そんなこと言わない」
常識人を目指していると言ったすぐに、知り合いの兄ちゃんに向かって、神様に見放されてるなんて口にすんな。そんであの話の後で分析結果を意気揚々と発表し出すな。
「うーん、でもカイさんは自分の迷子の分析結果気にならないんですか?」
「気になっけど、その前の過程がそもそもおか――」
「気になりますよね! これ見て下さい!」
ロキ君がテーブルの上に地図を広げ始めたのを見て、もう諦めようと結論づける。
「赤い線がこの地域での第一回の観測、青い線が第二回、黄の線が第三回、緑の線が第四回です! 塗りつぶしてない丸は出発地点で、塗りつぶしているのは到着地点です」
そう地図上の道をグニャグニャとなぞる線を説明される。色とりどりの線は、どうしたって理にかなってない。なんで、そこを曲がってんだとか、同じ道を辿りすぎだとか、そういうのばっかりだ。
多分、これがオレの実際に歩いた道なんだろうけどさ……こう見るとひでぇな。時には真っ直ぐ進むことも出来ねぇのかっていうのもある。
「一見、無秩序なんですけど、実はあることが共通してるんです」
「あること?」
「カイさんは、教会の近くには絶対に通らないんです」
「いや、それは単純に……その時に用がないだけで」
そもそもこの国の宗教を信仰してる訳じゃねぇからとは流石に大衆の前で口には出来ないので、そうぼかしながら主張する。
宗教を信仰してねぇオレは用がねぇから、この国の教会に行ったことは全然ねぇな。他の皇国とか連邦とかのは割と行ったことあんのにな。
爺ちゃんがあんまこの国の宗教好きじゃねぇからか?
あ、でも、小さい時に国境近くのこの国の教会を覗きに行ったことあったっけ……そん時の記憶が残ってねぇってことは、そこまで面白くなかったんだろうな。
小さい頃の記憶なんてよっぽど印象的なもんじゃねぇと忘れてくから。
「いえ、カイさんは用のない場所の近くはよく歩いています。むしろ歩き過ぎてます。道という道全てを通る気なんじゃないかと一時は思いました」
「そんな?」
「そうですよ。でもこの地域でも他の地域でも、カイさんはどこかに向かう際に絶対に教会周囲の道だけは通らないんです」
まあ確かに、この地図見ると教会の周りの道だけ線が引かれてねぇな。
「だから僕はカイさんは天に見放された迷子なんだと思ったんです」
「でも、カイって、随分前にカラビト様に気に入られるって言われてなかったっけ?」
***
兄貴が初めて迷子になった日を、オレは今でも覚えている。つか、それがオレ自身が覚えている記憶の一番古いものだ。
あの日、兄貴は皇国との国境近くにある教会を見に行ってた。そんで、なんでかオレやみんなとはぐれて、見つからなくて、大騒ぎになったんだ。
そんで兄貴はスッゲェ綺麗な奴によって抱えられて帰ってきた。
呑気に爆睡している姿に、愕然とした覚えがある。
スッゲェ綺麗な奴は爺ちゃんとなんか話してた。
……何を話してたのか覚えてねぇけど。オレは凄く怖くて仕方なかった。
真っ赤な髪したスッゲェ綺麗な奴の人間離れした雰囲気も、
そいつに向かって怒鳴る爺ちゃんも、
騒がしい中不自然なくらい眠ってる兄貴も、
怖くて仕方なかった。
だってのに、当の兄貴は翌日、なーんも覚えてなかった。
「なんかあったっけ?」と不思議そうにする兄貴を見て、二度とその日のことは口にしないと心に決めたっけ。