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挿話17 燃やされた本

 応接間の暖炉の前でぼくとフェンリールは燃え盛る炎を見つめていた。


 いや、フェンリールはコーヒーを飲みながらなんらかの資料を読んでいたから、違うか。


でも同じ空間にはいた。

同じ空間で、フェンリールは赤の次期当主としてこんな時間になっても活動していて、ぼくは何者でもなく何をするでもなくただぼーっと炎を見つめたいた。


 それ以外をするには今は心の余裕がなかった。


 火や炎自体は灯りや、ものを焼却する用途で日常的にも非日常的にも見ているが、こうやって暖を取るための炎を見るなんて随分と久しぶりだ。


 王都や平地、物流の盛んな地域ではこのような方法で暖を取ることは少ない。熱石という皇国産の特殊な石を硬いもので叩き割って熱を発生させるという方法があるからだ。


 しかし山奥にあるこの屋敷に皇国産の熱石を運ぶより、単純に山にある木を燃やした方がコストと労力的に利にかなっているから、薪を火にくべて暖を取る。


 幼い頃はそのそれが物珍しくて使用人の人達が薪を切ったり、持ってくる様子をついて見てたっけ。


 パチパチという音がぼくに安心と不安、矛盾した感覚にさせる。


 左の太腿に手を置けば、気のせいか熱を感じる。

でもそれはぼくの指先が冷たいから、単に普通の体温をも熱く感じているだけなのかもしれない。


 足の指先は分厚い靴下を履いているのに冷たく感じて、行儀は悪いかもしれないが1人用の赤いソファの上で膝を抱える。羽織っていた毛布に体が全部包まれるようにするが、微妙に足らない。二つ折りにしているのをやめればいいのだが、それだと薄いのだ。


「寒いなら、これも使って良い」


 バサリと無造作に黒い大きなブランケットを上から落とされ、視界が一気に暗くなる。


「ありがとうございます……けれど、フェンリール様は寒くないのですか?」

「問題ない。寒さには慣れている」

「そうですか」



 ***



「ういしょ、ここなら見つからないかな……。あ、ふぇんりーる!」


 応接間に外から重い扉を押して入ってきた小さな子供はそう声を上げると、名前を呼ばれた大きな子供がびくりと体を震わせた。


「あれ? ふぇんりーる、どうして本をもやしているの?」


 暖炉にくべられた本を指差して、大きな子供に問う。


 寒さから鼻を真っ赤にした小さな子供の問いかけに、ふりかえらず彼はぐっと唇をひき結んだあと、


「いらないから」

「いらないの?」


 硬い声で答える大きな子供に対して、小さな子供は柔らかい声で聞き返す。


「ああ、いらない。俺にもエルにもいらないんだ。無い方が……いい」

「ふーん」

 

 俯く彼を見て、小さな子供は駆けよろうとしたが、すぐに進路方向を変えて暖炉の前にしゃがみ込む。目には赤い炎がゆらゆらと映る。


 小さな子供はしばらく燃える炎を見つめたり、無謀にも消そうと息を吹きかけたり、手をかざして暖を取っていたが不意に飽きたのか口を開く。


「どんな本をもやしてるの?」

「……女の子が好きな本」

「たしかにいらないや」

「……いらないよな」


 小さな子供の言葉に大きな子供は顔を上げる。


「でもかってにもやしておこられないの?」


 そう言う小さな子供の手が火に触れそうになったので、大きな子供は自分の方へと引き寄せる。


「怒られない。父上は俺にこの位のことで文句をおっしゃる方では無いから。それより気をつけろ」

「うん気をつけるよ……あと、ふぇんりーるとであーぐのおとーさんは、2人ににてやさしいんだね」


 背後にいる彼の顔を見上げて小さな子供は無邪気に笑うが、大きな子供はその両の瞳を片手で覆う。


「うぅ……なんでいきなりぼくの目をふさぐの?」

「なんとなく……塞ぎたくなったから」

「ふさがないでよー!」


 大きな子供の手はずっと屋内にいたせいか暖かい手ではあったが、視界を塞がれるのは不愉快なのか小さな子供は抗議する。


「とれた! ふぇんりーるがふざけるのってめずらしっ……」


  小さな子供が小さな両の手でなんとか塞いできた手を剥がした時に見えたのは、大きな子供の、子供に似つかわしく無い、憂いを帯びた綺麗な笑みだった。


「――ふぇんりーる、かなしいの?」


 小さな子供がわざわざ大きな子供に向き直ってそうきく。

 大きな子供は赤い目を見張った後に、小さな子供と合わせるようにしゃがみ込む。


「悲しくはない。お前がいるなら。お前と一緒なら悲しいことなんてない」


 そうして小さな子供の頭を撫でた後、抱き上げる。


「ふーん、えへへ、ふぇんりーるがかなしくないならいいや」


 急に抱き上げられた小さな子供は、それに動揺せずに自分を抱き上げた子供の頭を撫で返す。

 小さな冷たい手で撫でるその様は慣れていないのは丸わかりで、撫でるというより叩いているに近かったが、それでも大きな子供は目を細める。


「あっ」


 しばらくすると、小さな子供が急に何かを思い出したかのように声をあげ、手を止めた。


 それに対し、大きな子供は「どうした?」と問いかけた後、落ち着きがなくなるのを見越して小さな子供を1人用ソファに下ろして座らせる。


 真っ赤なソファは一人用でも大きめに作られていたせいか、小さな子供が座っても全然スペースが空いていた。

 小さな子供はそれを良いことに自身は端っこに寄って、大きな子供にも座るようにと、服の裾を引っ張る。


 訳は分からないがとりあえず座った大きな子供に対して、小さな子供は悪戯っ子のように笑うと、人差し指を自分の口に当てて見せる。


「であーぐきてもナイショね」 

「どうして?」

「かくれんぼしてるの!」


 その言葉で大きな子供は、応接間に入ってすぐの場所から、角度や小さな子供と大きな子供の大きさを考慮すると、小さな子供の姿が見えないことに気づく。


「……そうか」

「うん、そう!」


 小さな子供はそう元気に返事をする。

 小さな子供は最近、かくれんぼにハマっている。理由は自分のことを見つけて貰えるから。


 大きな子供は小さな子供が床に着かない足をぶらぶらさせるのを見ていたが、途中である可能性に気づく。


「エルラフリート、お前はデアーグとかくれんぼをしているんだな」

「そうさっきいったじゃん」

「どこでかくれんぼを開始した? おそらく、外だよな」


 大きな子供は、付着していた雪が溶けて湿った小さな子供の靴を見ながらそう口にする。


「うんそうだよ。にわではじめたの。さいきんすぐ見つかっちゃうから、ここなら見つからないかなって」

「それは、まずい」

「え?」


 ソファの肘掛けに肘をついて頭を抱えた大きな子供に、小さな子供は不思議そうに声をあげる。


 が、大きな子供が頭を抱えた理由はすぐにやってきた。


「兄上、兄上!」


 ヒステリックな呼び声と共に、応接間の扉が勢いよく開く。

 小さな子供はその騒がしさに驚いて身を縮こまらせる。


「エルが、エルが、いなくてっ! かくれんぼしてたんだけど、庭にいなくなってて、わ、わるい女に連れ去られてたらどうしよう! みんなにも庭をさがさせたけどいないって」


 嗚咽混じりにそう途切れ途切れに口にしながら近づいてくる中ぐらいの子供と、混乱しつつもかくれんぼの鬼に見つからないように自身の影に隠れた小さな子供に、間にいる大きな子供は大きなため息を吐く。


「お前ら、範囲をしっかり二人で決定してからかくれんぼをしろ」


 とりあえず、大きな子供は小さな子供の頬を軽く引っ張った。



 ***



 バサリと黒いブランケットが赤い絨毯の上に落ちる。


「起きたか」


 触れられる前に反射的に掴んでしまった手の持ち主はそう表情を変えずに口にする。


 割と寝起きで加減もくそもない勢いで掴んだのに、びくともしない。

 

 いつかのカイの時は向こうは何も出来ずにされるがまま、ただ驚いてたってのに、流石に色々と慣れているだけある。


「ここで寝ると風邪引くから、そろそろ起こそうと思っていたから丁度いい」

「ごめん」


 そう謝りながら、掴んでいた手を離す。


 掴んでいた所だけ若干赤くなっているのが、フェンリールの肌が白いせいで分かりやすかった。でもこれはすぐに元に戻るものだ。


 視線を少し上げれば、端正な顔に対して、不協和音な消えない傷があるのが見える。

 ……この傷とぼくの存在は、きっと同じだ。目の前の彼の完璧さを一生損なう存在だ。


「謝る必要はない。こんな辺鄙な場所まで移動した日に、逆に付き合わせて悪い」


 そんなぼくを見て、先程の謝罪に付随する反応だと思ったのか、気遣うように彼はそう口にする。

 でもまあ、そう勘違いしてくれた方が都合がいいのでそれに合わせよう。


「フェンリールが疲れているって聞いてたのに、仕事している横で爆睡は流石によくないよ……」

「別に構わない。お前は今は休暇中だ。帰ってきてくれただけで充分だ。むしろデアーグにスケジュールを知らせなかったせいで、叔父上と鉢合わせてしまって申し訳ない」


 ああ、相変わらずフェンリールはぼくには甘いな。

 フェンリールはあいつに対しては悪感情を抱いていないし、むしろ養子になるくらいだから関係は良好だろうに、ぼくの心情を慮って、そんなこと微塵も表に出さないでくれる。


「フェンリールもデアーグもそれは悪くないよ。ぼくとあいつの問題だ」


 ああでも、ぼくはその逆が出来ない。あいつへの嫌悪や憎悪を完全には隠せない。


 妙な沈黙がぼくらの間に落ちる。

 それが居心地が悪い。ぼくの作った空気だってのに。


「そういえば、ここで昔燃えてた本さっ……燃やしちゃうのは勿体無かったかもね」

「どういうことだ?」


 空気を壊そうと咄嗟に口に出した話題も寝起きのせいか碌なもんじゃなくて、途中で選択ミスに気づくものも、口に出したのなら続けるしかなかった。


 ああ、本当にぼくは馬鹿だ。

 あの時のフェンリールの声を覚えてたのに、彼が自身の女性の嫌悪をよく思っていないのを知っているのに。


「誰かにあげた方が無駄が無いし、喜ばれたかなって」

「なるほど」

「カイが、ぼくの友達がねっ、本燃やしたって聞いてすっごくびっくりしてた」


 どうにか明るくしようと、出来るだけ話すトーンを高くして、ハキハキさせる。

 丁度名前を出した友人のカイが、好きなことや得意分野を話しているのを思い出しながら。


 そうすれば笑える気がした。マシになる気がした。


「本は高価なのにって、ああ鏡を壊した時も高いのにって反応してた」

「妙に価格に拘るな」

「カイはお金に厳しいから……でも、ぼくやフェンリールの金銭感覚が他の子達と比べてズレてるってのもあると思う」

「平民と貴族だからその可能性はあるな」


 別にフェンリールはなんの気もなしに、率直に意見を述べたのだろう。

 でもその言葉によってぼくの頭の中で境界線が引かれてしまった。


「そう……だね。ぼくは彼と違うから……」


 ぼくは彼みたいに普通の平民の少年じゃないから。

 普通の平民の少年にはなれなかったし、これからもなれないから。


「エル、悲しいのか?」


 急に語気が弱まったぼくを心配するように、長い睫毛の下で真っ赤な瞳が細められる。

 その瞳に映る自分の顔があまりにも情けなくて、ぼくはすぐに笑顔を取り繕った。


「悲しくないよ。悲しいことなんてないよ」


 フェンリールがいるなら、一緒ならとは言えなかった。

 だってそれは酷い嘘でしかないから。


 嘘を吐くにしても、そんな言葉を吐いたら更に辛くなるから。

 ぼくとフェンリールもきっと違うから。

 ぼくは何処に居たって、誰と居たって異端だから。


 そして今のフェンリールも、そんな言葉をきっと望んでいない。


 嘘をついたって、ぼくより常に大人で上手(うわて)な彼にはバレるだけだから。

 そんな言葉を口にしたら、彼にも酷い嘘を吐かせることになる。


 昔の彼みたいに優しい嘘を吐けない。軽い嘘しか口に出来ない。


「ただ、眠いだけだよ」


 昔はフェンリールと何の気なしにもっと上手に話せたのに、今はどうしてか凄い下手くそだ。



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