10 クソ生意気な弟
あれからしばらく、エルのクラスメイトの方のレトガー様を見かける度に「不憫」と言いそうになるのを必死に堪えた。
他は授業受けて、エルと昼食とって、放課後は図書室行ったり、街に出かけたりして、寮に帰って宿題して就寝なんて、ふっつーの日々を過ごしてた。
そして、今日は連休初日、
「おいくそ兄貴、テメェ来るって伝えたのにも関わらず、出迎えもなしで寝てるたぁ、どう言うことだ?」
理不尽とはまさにこのこと、まだ日も出てないうちに弟の襲撃を受けていた。
どこから侵入したのか分からんが、人が寝てる上に容赦なく着替えもせずに乗ってくる弟は、相変わらず不機嫌な顔をしていた。
母親似のサラサラの長い髪を無造作に結んでいて、もったいねぇ。せっかくオレと違って跳ねないストレートなのに、雑すぎる。表情も凶悪だし。
「ハノ、流石にこれは早ぇよ」
寝起きで辛いのをどうにかして返事をしたが、うちのハノさんはお気に召さないようだ。
「はぁ? なんだよお前、迷惑だって言うのか?」
「おう」
「死ね! くそ兄貴!」
「静かにしろ! ここは寮だからオレ以外も隣の部屋に居んだよ」
そう注意すれば流石にこのじゃじゃ馬も大人しくなる。オレの上からはどこうともしないがな。
一人部屋で良かった。同室者がいたら起こしてしまっただろう。まあ、平民なのに一人部屋になった理由を思い返せば悲しくなるけどさ。
「久しぶり。母ちゃんと父ちゃん、それに商隊のみんなは?」
「父ちゃんと母ちゃんは城下町の役所で商業許可貰いに行ってる。他は準備と一部はじいちゃんと遊びに行った。んでオレは先にこっち来た」
「なんでお前だけで来させた」
両親以外にも大人はたくさんいるだろうが。少なくとも商隊で一番年下はハノだ。末っ子野放しにすんなよ。ま、どうせ勝手にこいつが行動したんだろうけどな。
「あ゛あ゛っ? なんか文句でもあんのかよ」
「いえ、別にないです」
うちの弟はどこのチンピラだ。思わず敬語になっちまったけど、反抗期にも程がある。もうあれだ、完全にグレてる。前より悪化してて兄ちゃんとして普通に悲しいぞ。
しかも最近、フワッフワのエルと一緒にいることが多いから、ギャップが辛い。なんでこいつこんなトゲトゲしてんの?
てかいい加減重い。
「やっぱ文句ある。ハノ、そこから退け、重い」
「ちっ、仕方ねーな退いてやるよ」
退いてくれたのはいいが、お前は何様だ。
でも、前よりは腹立たないな。多分、貴族様の高飛車や蔑みに慣れた所為だな。
なんか情けない気もするが、商人は基本下手に出て勝負するものだ。馬鹿にされようが商品を売って、金を貰えばこっちのもんだ。父ちゃんにそう言うとめっちゃ怒られるけどよ。
「つーか、お前だけでほんとに来たのか?」
「悪いか」
「悪いっつか、まだ暗いし、最近王都で連続殺人事件あるって自分で手紙で書いてただろーが。どうせ、父ちゃん達に一方的に言ってこっちに来たんだろうけど、危ないからやめろ」
ため息を吐いて注意すれば、流石にこちらは正論を言っているので、不服そうにしているが何も言ってこない。オレはこれ幸いと、ベッドから起き上がって着替えを始める。
今日はどうせ、この暴君に振り回されるだろうから、もっている中でも動きやすい格好を選ぶ。
緋色のタンクトップに黒のシャツを羽織って、暗い茶色のズボンを履く。
「兄貴が赤とか似合わねーな」
「なんだよ、いきなり」
「いやだってさ、いつも紺とか黒とか灰色とか茶色とか、地味な色ばっかじゃん。見慣れねぇ。王都に来てイメチェンでもしたのかよ。笑えるわ」
そう言うハノの今日の服装はハイネックの黒の長袖に細身の紺色のズボンだ。小さな頃からやたら紺色の服ばっか着ている奴に地味とか言われたくねぇが、黙っておく。
「してねぇよ。てかボロクソ言うな。なんか、最近赤も悪くねぇなって思っただけだ」
「あっそ」
素っ気なく返すと、ハノはオレの布団に潜り込む。おい、ちょっと待て。
「お前、何する気だ」
「寝る」
「早朝から襲撃、挙句着替えもせずに寝ようとするなんて、お前は何様だっつーの」
「ハノ様……」
「そうかそうか、ふざけんなって……もう寝てるし」
怒るに怒れない。一瞬で深い眠りについた弟は、相変わらず生意気な顔してる。よく、寝顔は可愛いとか言うけど、眉間にしわ寄ってる時点で可愛くない。
まあ、王都までの道中、商隊の場所で寝ていただろうから、まともな寝床にしばらくありつけてないのだろう。流石にそれを叩き起こすのは良心が痛むので、親切な兄ちゃんは寝かしてやるよ。
***
「おい、クソ兄貴。あれはどういうことだ?」
「なんでもねぇ」
「流石にそれはねーだろ。あれ、どう見ても狙われて――」
「知らねぇ」
「知らねーって、無理があるだろ。あの男『カイくん、今日こそはオレとベッドインしよう』って言ってたぞ」
「なんでもねぇ、知らねぇ、きっと幻聴だ。幻覚だ」
消えたい。
賑やかな王都でオレはひたすら弟からの珍しく無自覚の攻撃を受けていた。
純粋になんだあれって感じで聞いてくるのが一番効く。学校のやつらはもう慣れてて揶揄ってくるから、キレられるけど、ハノの場合は本気で戸惑ってる。実の弟にあんな変態に狙われてるだなんて知られたくなかった。
消えたい。もしくはハノの記憶か朝来た寮きっての変態を消したい。あんのスキンヘッド。
「なあ、兄貴」
「知らねぇ!」
「あ、やっぱその反応ってことは割とガチに狙われてんだ……」
うわぁという目で見られて心が痛い。違う。オレは悪くないし、何もしてねぇ。
「あそこまで過激なのはあいつだけだ!」
必死に挽回しようと主張すれば、ハノが「なのは?」と繰り返す。
あ、墓穴掘った。
あー、天気がいいなー。出かけるにはもってこいだー。あそこに売ってるのは隣国の連邦の工芸品か、うげっ値段高っ! あっ、魚の値段が低い、最近はよくとれてんのか? 安くなりすぎると困るけど、やっぱ食い物はあった方がいいよな。あ、でも生はあんま得意じゃねぇから、火が通ってんのがいい。
必死にハノと目を合わせないように、話を続けさせないように、大通りに並んだ出店を見ているフリをするが、残念ながらうちのハノさんはそんなオレの意図など完全に無視しやがりました。
「つーことは、あいつ以外もいんのか」
「そ、そんなわけねぇだろ」
「へー、そうなんだー」
棒読みの返事がほんとに辛い。
いっそ、揶揄え。そうすれば反応も返しやすいし、空気もこんなに重くならない。重すぎて、もう気を逸らすとか考えんのも面倒になってきた。
「兄貴、その……大丈夫か?」
「……おう」
なんで、いつもは暴君のくせして、今こんなに優しくしてくるの。やめろ、マジでやめろ。泣きたくなるから。
「無事?」
「無事!」
「良かったな。まぁ、これからはどうなるかはわかんねーけど」
「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよっ!」
マジ洒落になんねぇから。実際、オレの先輩は思い切り被害を受け、学校に来なくなってしまった。まぁ、なんも知らねぇハノに察しろと言っても無理だし、実情を教えんのも重すぎる。
でも、オレの反応を見て何かを察したのだろう。
急に真面目な顔をして、真っ直ぐオレと同じ紺色の目でオレを見据える。
「兄貴、やっぱ商隊に戻ってこいよ。元から軍人になる気はないだろうし、そんな目に遭うなら戻って手伝いした方が良いぞ」
兄ちゃん思いの優しい弟みたいに見えるかもしれない。
だけど、オレは騙されないぞ。今まで呆れるほどの回数、真剣な顔したハノに騙されてきた。
「お前、自分が楽したいだけだろ……」
「当然」
「知ってた。……それに、学校やめる気はねぇよ。退学なんて学費とか学費とか勿体ねぇし、貴重な文献たくさんある図書室に行けなくなるし、狙われる以外は良い場所だし、何より同じような目に遭ってる友達放っておけねぇしな」
喧嘩は強いけれど、貴族相手に暴力を行使できない時点でエルはかなり危ない。
誰かと行動を共にするだけでも、多少はその手の奴らを退ける方法になる。オレは貴族様の好みじゃないけれど、エルはどんぴしゃだ。オレが退学すれば、エルは今より危険な目に遭うのは間違いねぇ。友達見捨てて自分だけ危険回避したってなんも意味ねぇよ。
「友達まで同じ目に遭ってんのかよ……国立軍学校って男好きの集まりか?」
流石にそれは言い過ぎだと思う。
確かに男に走る奴は多いが、それでも十人中二人くらいの比率で、その上ほとんどは良識的な奴らか一瞬の気の迷いで、大抵は断れば引き下がってくれる。
問題なのはほんの一部の猛者、暴走者達だ。
「違ぇよ。一部が暴走してるだけだ。それに誰かを好きになること自体は悪いことじゃねぇしな」
だから、本当はそこまでこっぴどく振りたくはねぇけど、先輩の件のトラウマと一部の猛者達の所為で、生理的にどうも受け付けられない。
「え、もしかして兄貴も男が好きなのか?」
「違ぇよ。オレは男をそういう目で見ることは無理だ。恋愛対象は女だし」
「ふーん、じゃ友達の方は?」
「は?」
エルの恋愛対象なんて考えたことなかった。
男は多分ねぇけど、あいつから好みのタイプの女とかも聞いたことねぇし……そう言えば下ネタもあんまあいつとは話さねぇよな、去勢とか娼館とか言ったりしなくもないけど事務的で下品な内容にはならねぇし。
あれ? そもそもエルって恋愛とかすんのか? 性欲とかも無さそうだし……聖人かなんかかあいつ。あ、でも妹ちゃんと弟くんの話題は耳にタコが出来るほど言ってくんな。
「……ブラコンとシスコン過ぎて、恋愛感情消えてんのか」
「は?」
「いやオレの友達多分、ブラコンとシスコンが重度すぎて恋愛とかしねぇだろうなって」
我ながら出した結論が素晴らしいと思う。そうだ、あいつの頭には妹ちゃんと弟くんが7割とかそういう勢いだ。まだ見ぬ妹ちゃんの恋愛を父親のごとく心配してる奴が、自分の恋愛なんてやっていられるだろうか? いや、無理だろ。
「へぇ、兄妹がよっぽど可愛いんだろうな」
「おう、すっごい自慢してくるぞ。あ、でも血は繋がってないから、顔だけだったらエルの方が美人だろうな」
「へ、へぇ……兄貴、環境に毒されてねーか?」
「何が?」
「男に美人とか使わねーだろ」
うげぇと苦いものでも食べた顔をする弟の言い分は確かに分かるが、エルを表現するには美人という言葉が一番しっくりくるから仕方ねぇ。
「お前もあいつ見れば美人っつーのが分かるから」
そう言って自分より低い弟の頭に手を置けば、凄い勢いで跳ね除けられた。反抗期真っ只中だなこん畜生。
その後、二人でしばらく黙って歩いていると、前を歩いていたハノが立ち止まる。
「くそ兄貴、さっきからガキが一人でうろちょろしてるが、大丈夫かあれ?」
そう言って、人混みの中を指す。道行く人の腰より少し背が高い程度のガキがキョロキョロと辺りを見回していて、確かに不安になる光景だ。
ハノはオレには当たりが強いが、他には人並みの優しさを持ってんからな、気になるのも分かる。が、そのほんの一割でもいいからオレにも優しくすべきだ。
まあ、でも今はガキだ。いくら王都が治安いいとはいえ、ガキ一人でうろついてんのは危ねぇ。
最近王都じゃ連続殺人事件なんて起こってるし、この連休なんか祭りなのもあって外部から人がたくさん入ってきてるから、いつもより危険だ。明るい場所、騒がしい場所っつーのは目立つから、安全だと思ってると痛い目に遭う。
白昼堂々、喧騒の中で行われる犯罪なんざ、スリや暴力なんて序の口、最悪誘拐や殺人までもある。特に無差別に殺す場合には人混みの中で誰か刺してそのまま人の波に流れて去っちまうってのも聞いたことあんな。
「お前、迷子か?」
近づいて、しゃがみこんで問いかければ、ガキはびくりと肩を震わせた。綺麗な緑色の目は固まったかのように動かない。
「兄貴、怖がれてんぞ」
分かってる。警戒心が強い奴な上、オレは目つきがそこまで良いとは言えねぇ、おまけに肌も焼けてる方だから怖がれてもおかしくないんだが、それはハノ、お前も同じだ。
「ひ、人さらいですかっ?」
ハノが吹き出す。
やめろ、泣きたくなるから。目の前のガキに悪気はないのは分かってるけど正直これは傷つく。朝から襲撃受けて、弟に男から狙われてることがバレて、トドメにこれ、災難続きにも程があるだろ。
そして、人攫いですかって聞かれて「はい、そうですよ」なんて奴いねぇだろ。
身の危険を感じたら何も言わずにすぐ逃げるか、大声上げて助けを呼ぶのが正解だ。とはいえ、今その反応を取られるとオレは困るから、なんて言おうか?
「人さらいだったらどうすんの?」
ハノ、そこでふざけるお前の神経は正直言っておかしいと思うぞ。ってか、状況悪化したらどうすんだよ!
オレが否定する前にガキが口を開く、
「男だったら、容赦なく股間攻撃して逃げろってって兄さんと姉さんが言ってました」
反射的に股間を守った。
誰だ、そんなバイオレンスな兄ちゃん姉ちゃんは。特に兄ちゃんはどれほどの痛みだか知ってんだろうが。
兄弟揃って真っ青になっていると、不意にガキが首を傾げて
「もしかして……カイさん?」
「あ?」




