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30 問題の試合の開始

 足が震える。


 武者振るいでは無く、恐怖と緊張で震えているのは自分や隣にエルには勿論、対峙する赤と緑の貴族にも明白なことだろう。


 心配するようにこちらを見つめるエルも、

 小馬鹿にしたような顔をしたきんきら頭も、

 気に食わないと言うように眉を顰めたマイスター様も、

 全部オレのそんな姿を見ての反応だ。


 ここに来る前にエルが青白い顔で、「次の試合の相手はヤバいから、今からでも棄権しよう」と言っていたけれど、もし棄権したらそれも向こうに敗北宣言とみなされ、エルが退学させられてしまうかもしれないから却下させて貰った。

 ……却下したってのにこのザマだ。


 すり鉢状に近い会場の底にいるだけあって、大衆の目に晒される。

 好奇の目、見下すような目、馬鹿にするような目、観客席にいる全員に不相応な場にいるオレは嗤われてんだろう。

 今は晴天の空にも見られているような気がして、唾を飲み込む。


 模擬刀を握る手に変に力が入る。


 こんな弱気じゃ駄目だと気合を入れる為、これから闘う相手を見据えようとするが、きんきら頭がバリバリと飴玉を複数噛み砕いたのを見てますます気分が落ち着かない。

 オレはこんなんだってのの、向こうは飴ちゃん食うくらい余裕なんだって。


 強い風が吹いている。砂埃が目に入って痛い。だから涙が出そうになるのは恐怖からじゃない必死に自分に言い聞かせる。


 なのに、どうすりゃいいんだって不安が頭から消えない。

 そんなのオレが降参って言わなければ良いだけって答えは決まってんのに、どうすればいいんだろうってずっと考えちまう。

 もっと他に方法はないのかって願ってしまうから。

 自分が傷つくことを恐れてしまう、我が身が可愛くて仕方ねぇ。


 だってオレは臆病だから。弱い、何もできない凡人だから。


 審判が試合開始の掛け声を叫ぶのを、どこか舞台の観客のように見ていると強い力で後ろに手を引かれた。


「カイ! 走るよっ!」


 そう呼びかける紅茶色の瞳の声にハッとする。


 訳が分からねぇけど、とりあえず言われた通りに腕を引かれるまま走る。

 掴んでくる手は細くて冷たいけれど、特別なエルが言うことだ、オレより強い奴が言うんだから従う他は無ぇ。きっとそれが正しい。


 数秒もしない内にエルが舌打ちをして、オレのことを強く引き寄せて抱きこんだ。


 と思えば――オレら二人の体が進んでいた方向に対し真横に吹き飛んだ。


 地面に落ちた時にエルの顔を伺えば、綺麗な顔が苦痛に歪んでいた。でもオレと目が合えばニコリと笑ってみせる。それでわかった。


 ……オレ、今、エルに庇われたんだ。

 だって今のオレには痛みなんて全然無ぇから。


「やばっ、キルマーに当てるつもりだったのになー」


 そう声がすると、倒れていた体を起こしてエルがオレとその声の主の間に立つ。

 右手は攻撃を食らっただろう横っ腹を抑えるも、もう片方はオレを庇うように模擬刀を構えていた。


「緑系統の方なんですからまず強者から潰しましょうよ、先輩」

「ジングフォーゲル君、それはオレ様には正解じゃねぇぞ。オレ様は弱者から潰す派なんだ」


 派手な金髪と真っ赤な瞳のそいつがそう言って近づいて来る。チリンチリンと鈴の音が鳴っているように聞こえるのは気の所為か。


「それでも差があるから、耳の良いジングフォーゲル君のハンデとして試合前に鈴付いてる髪紐に変えたんだぜ。これで場所の把握にも役立つだろってか、もう役に立ってるか。じゃなきゃさっきの庇えねぇもんな」


 ああ、やっぱさっきエルはオレのことを庇ったんだ。

 今現在オレに見せてるエルの背中姿もそれが現在進行形なのを示している。


 オレはエルに守られている。

 おかしいよな、この試合ではオレがエルを退学させられねぇように頑張らねぇといけねぇのに、なんでオレ、エルに守られてんだろう……オレが弱いからか。


「あと初手の対策で逃げるを選んだなお前。違うぜ、お前がやるべきことは反則行為だったんだ。でもお前が弱者にそれが出来ないのは分かってたことだけどな」

「反則行為を推奨するとは悪い先輩ですね。ま、そんなの知ってましたけど」


 そう口にするや否や、エルはきんきら頭の喉元に向けて鋭い突きを繰り出す。


「ほんと、お前らの系統って頭に血が上りやすいんだな。相手はオレ様だけじゃねぇんだぜ」


 だが向こうは簡単にそれをしゃがんで避けた上、その行為さえも助走にしてエルに接近して荷物のようにひょいと抱えて跳んだ。


「なっ、しまっ、カイ降参って言え! ぼくはそれで全然構わないっ」


 連れ去られたエルの言葉を呑み込む前に、鼻先スレスレに模擬刀が突き刺さる。心臓が止まりそうになる。


「降参してもいいよぉ。賭けは負けだけどねぇ」

「い、嫌だ」


 悠然とした足取りでこちらに来るもう一人の赤い瞳の持ち主に、オレはそう言う。

 彼の左耳についている濃いピンク色の宝石が日の光を浴びて怪しく光っていた。


「そうなら嫌って行動で示しなよ。何、ぼーっとしてんのぉ」

「がっ」


 座り込んでいたオレは顔を左から右に蹴られて、顔を両手で抑える。

 一瞬の激しい痛みがあった後、おさまったかと思えば気の所為で、じんじんと鈍い痛みに変わっただけだった。


 肌の上に生暖かい感触が走り、手を顔から少し離して確認すれば、血が付着していた。しかも手を離したせいか、地面にも血痕が落ちていく。鼻血だ。


 鼻血なんて二年前に躓いて転んだ時以来だ。

 なんだかんだオレ、鼻血出やすい体質でもねぇし、怪我することも少ねぇ方だ。


「折角武器落としたの拾って渡してあげたのに拾わないし」


 慌てて模擬刀に手を伸ばせば、上から「言われてからじゃ遅いよぉ」と利き手の右手を思い切りマイスター様に踏まれる。

 指先を狙ったように踏まれて「いっ」と声を上げれば、冷たい視線が向けられる。


 おかしいよな赤って暖色なのに、すっげぇ冷たく見えるんだ。


「なんでこんな奴が……」


 その顔、その声音、その言葉、その態度からオレへの嫌悪が伝わってくる。もうここまでいくと憎悪といってもいいかもしれねぇ。


「ねぇ弱虫で弱者の愚図、お前俺との賭けに勝つ気あるぅ?」


 屈んでオレの胸ぐらを掴む赤の少年の顔が丁度影になる。

 弱虫で弱者の愚図という言葉にオレは妙な納得感と、そんな自分への少しの失望を感じた。


 やっぱ、オレは特別にはなれない。

 でも賭けには負けられねぇ。それじゃあエルが退学させられちまう。


「負ける気は無いです……」

「ふーん、そっかぁ。じゃあ、なんでエルが最初あんな行動を取ったと思う。あ、一応前提条件としてジングフォーゲルにはこの賭けのことを教えたよ」

「え、エルは賭けのこと知ってん、知ってるんですか?」


 反射的にエルの方を見ようとするが、膝立ちの状態で胸ぐらを掴まれているものだから見えねぇ。


「うん、知ってるよ。知った上でどうして最初の行動があれなのか、知った上で君に何故それを君に伝えなかったか、君は分かる?」


 赤い瞳に問いかけられる。


 エルの最初の行動は……エルは試合が始まった直後オレの手を引っ張って走り出した。

 どうして? 分からない。よく思い出せ、エルはどこに向かって走っていた?


 ……ああ、入退場口だ。場外だ。


 試合を、賭けを、手っ取り早くかつオレが傷つかないように終わらせる方法をエルは試合開始直後とったんだ。


 エルは賭けのことを知った上で、オレのことを護ろうとしたんだ。

 エルが賭けのことを知っているとオレが分かっていたら、上手く連れて行けないと思って黙っていたんだろう。でも無理そうだと判断したのか、きんきら頭に連れ去られた際には降参って言えって、それで構わないって言ってた。試合前も棄権を勧めていた。


「結局お前はオヒメサマなんだよ。守られることが普通になった弱者。救ってくれるような誰かがいる幸福な世界の住人。それでも別に普段はどうでもいいんだけどねぇ」


 オヒメサマ、そのあだ名が大嫌いだ。

 でも、今のオレはそうでしかなくて、オヒメサマとも言われるのはまともに色々な義務をこなしてるオヒメサマに失礼だろって程、守られる他になんもしてねぇ奴で。


 オレばっか、エルに護られていて、おんぶに抱っこで、足を引っ張っていて、枷でしかなくて、無様でどうしようもねぇ奴だった。


 あの事件の時からなんも変わってねぇ。凡人にすらなれねぇ。

 周囲の人間の優しさに生かされてるような奴、

 周囲の優しさに甘えてヘラヘラしてる奴、

 周囲の人間に自分の負うべき苦労を背負わせている奴、

 随分前に言われたように、まるで寄生虫だ。


 先輩の次に、オレはエルに寄生先を変えただけなのかもしれねぇ。


「でもエルラフリート・ジングフォーゲルに関わるなら話は別なんだよねぇ。あの子に守られるだけの凡人なんて、将来的にはあの子を傷つける要因にしかなり得ないから」


 でもオレは凡人だから、凡人以下だから、特別じゃねぇから、ここから大きな変化をもたらすことは出来ねぇ。


 ここまで流されてきたんだ、だったらこの先も流されていこうぜ、楽な分も流されてきたんだから、苦の部分も流されて受け止めて行こうぜ。


 大丈夫、だってこれはあくまで試合でルールがあるんだから、死にやしねぇし、貞操の危機もねぇじゃねぇか。よくね? 

 ……いや痛いのも苦しいのも嫌だけどよ、そこんとこはまぁ、しょうがねぇよ。今までのツケの分だ。


「ほんっと、大っ嫌いだよ。お前みたいな奴、お前みたいな何もしない奴」


 真っ青な空と真っ赤な瞳の対比が目に刺さる。


 次の瞬間、パッと胸ぐらを掴んでいた手が離れたと思ったら、今度は正面から顔面を殴られた。


 殴る前、心なしか赤い瞳と胸ぐらを掴む手と声が揺れていたような気がするけど、多分勘違いだろう。

 こいつはきっとあの黄の貴族と同じようなバケモノなのだから、

 人の形をした天災なのだから、

 オレを玩具としか思ってねぇ奴なんだから。


 ああ、そうだ。あの黄の貴族とおんなじだ。多分今日は、オレの番ってだけだ。


 あの倉庫では傷を負わなかったオレが今回は傷つけられるだけって話だ。それでも先輩よりはきっと全然マシな方だ。

 ああそれなら、正しい流れなんだからオレはそれに逆らっちゃいけねぇ。こんくらいで済んで良かったじゃねぇか。


 何も起こってねぇよ。今度こそそれが正解だ。怖いことも痛いことも辛いことも気のせいだ。だから怖くねぇし、痛くねぇし、辛くねぇよ。


 殴られてねぇし、蹴られてねぇ、模擬刀で打撃も喰らわされてもねぇ。痛くねぇ痛くねぇ痛くねぇ。


 大丈夫、何も感じねぇよ。痛くなんかねぇから。痛くなんかねぇんだよ。気のせいだぞ。


 観客席からたまに嘲笑なんか聞こえてこねぇ、ざまあみろだなんて言葉聞こえねぇ。嗤われていたりしねぇし、憐れまれてもいねぇ。辛くねぇ。


 怖くなんかねぇ、涙も出たりしてねぇ、これはきっと汗だ。


「負けるならさっさと負けろよ。大した覚悟もない癖に惰性で綺麗事通そうっていうのは中途半端だし、最悪だ。期待を高めてから裏切るのは一番残酷だ」


 責めるような言葉も、加えられる暴力も、浴びせられる嘲笑も全部気のせいだ。


 何も起きてねぇから、時間経過で事が終わるのをオレは待てばいいんだからよ。この試合がオレの降参以外で終わるのを待てばいいんだからよ。

 それがきっと正しいんだからよ。


 正しいよな? 

 だって降参って言わなけりゃエルの笑顔はなくならねぇ筈だから。先輩の二の舞にはならねぇ筈だから。


 きっとなんとかなるから、だから全部気の所為だ。何もねぇぞ。


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