29 オレからはねぇ
「あ、ごめん何かお取り込み中だった?」
「だ、だだダイジョーブ! ぎゃくにおれがごめんすぐいなくなるごめんなさい! あでっ」
大きな身振り手振りでエルの言葉に反応した後、ブープはエルから一気に離れる。
熊かなんかと遭遇したように背を向けないで後ずさったせいで途中段差でこけて、その後は「お、おれトイレ行く!」とダッシュで逃げていく。
寮の便所スリッパを片足だけ履いて、片足裸足で。
おおよそ人に出くわした時の態度には相応しくねぇが、まあブープにしては意味のある言葉を口に出せて、かつこの場を離れる建前も作れてる時点で上出来だ。
とはいえ初めてこれに遭遇したエルにはそれが理解出来ねぇだろうし、何か言っとかないと自分が何かしたかと気にするだろうからな。
「あいつは美形相手なら誰でもああだから。ある種のアレルギーみてぇなもんだから。さっきもテレル様に対して奇声上げて離れてたから」
「そうなの……驚かせて悪いことしちゃったな」
走り去っていったブープを怪訝そうに見ていたエルにそう教えれば、眉を下げる。
「そういやテレル様といえばあっちでフェイスちゃんと話してるけど」
「知ってる」
背もたれ側に身をひねって二人のいる方を一応教えとけば、そうかえってくる。まあ当然か普通ここにくる前に後ろの通路見えるもんな。
でも確認する限り、相変わらずフェイスちゃんとテレル様が和やかさとは程遠い雰囲気で会話してるもんだから、不思議に感じる。
「シスコンの癖に放置とは珍しぃな」
「テレル様なら大丈夫だろうから。それよりカイ、君は色々大丈夫?」
そう言ってエルは客席をいくつか飛び越えて、オレのすぐ側に立つ。
クラスメイトなだけ結構エルはテレル様とも信頼を築いているのだと、その言葉で今更ながら気づく。
放課後とか一緒にいることが多いから勘違いしがちだが、エルはなんだかんだオレ以外にもテレル様みたいに信用、信頼してる奴がたくさんいるんだろうな。
「エルはさ、テレル様とペア組んだ方が良かったろうな」
つい、そんな言葉が口に出てしまい、オレは慌てて自分の口を塞ぐ。こんなこと言ったらまたエルがオレのことを心配してしまう。
大丈夫かって聞かれたのに、碌に答えになってねぇし、なんでこんないかにも不穏そうな返事をしちまったんだ。
せめてエルの前では能天気な奴でいるべきだってのに。
「確かにそうした方が幾分かマシだったかもしれないね……」
エルが客席に座ったオレの前に跪く。
「そうすればカイを困らせずに済んだだろうから」
オレのことを見上げる瞳がなんとも言えない色を湛えていて、オレの名を呼ぶ声が震えていて、それでも綺麗だった。
どんな顔したって、どんな格好したって、綺麗なのがエルラフリート・ジングフォーゲルだった。
綺麗すぎて、現実離れしすぎて、優しい声すぎて、すぐにでもどこか消えてしまいそうだった。
「別に一緒に出るのを最終的に決めたのはオレだぞ」
「でも君を誘ったら拒否しないのは簡単に分かることだし、ここまで悪目立ちさせたのはぼくだもの」
きっとオレのことを気にするが故にそんな顔をするのだろう。
まただ、またエルに心配させてしまった。
今はオレの方がエルを退学させねぇようにしねぇといけねぇのに。見てらんなくて俯いて視線を地面に落とす。
申し訳ないと言うように頬を撫でてくる手が優しくて甘ったれてしまいそうだ。
「ねぇ、カイ。重荷に感じたらぼくなんかすぐ突き放して良いんだからね」
「それは……それだけは嫌だ」
がしりとエルの離そうとした手を掴む。
オレは何も出来ねぇ。
出来ねぇけど、エルのその言葉だけは絶対に受け入れたくなかったし、酷く引っかかった。
『カイ、お前は良い後輩だ。だからもう僕には近づくな。お前だけは逃げ切れよ、お前が無事ならそれでいいから』
また、また、オレを心配するが故に誰かが今の生活を捨ててしまう。離れていってしまう。そんな気がした。
そんなの嫌だ。
ノア先輩の時と同じように、オレを守るが故に誰かが何かを失ってしまう。オレもオレのことを大切に思ってくれる人を失ってしまう。
「お前はオレにとって重荷なんかじゃねぇ友達だ。突き放すとかさ……何言ってんだよ」
「ぼくの所為で君辛そうじゃん。ぼくはカイを苦しめたくないから、ぼくに無理に付き合わないで突き放したって良いんだよ」
優しい柔らかい声、オレの知る限り一番耳障りの良い声、綺麗な声、その声にオレは今とても不安にさせられる。
儚くてさ、悲しくてさ、すっげぇ不安になる。
置いて行くな、消えて行くなよ。
お前と一緒にいることが、オレにとってマイナスだと思い込むな、そう祈るように両手で握ったエルの手を下げた額より上にあげる。
「だからオレを守るために、オレからお前を突き離させんじゃねぇ。お前がオレを嫌になってなら悲しいけど仕方ねぇよ。でもそうじゃねぇならオレからはぜってぇ離れてやんねぇ」
エルがさ、弱くてどうしようもないオレみてぇな奴いらねぇ、自分の友人に相応しくないって言うんなら、その通りだから、すっげぇ悲しいけど受け入れるぞ。
けど、エルが今言ってんのはきっとその逆だ。
いつも通りの自虐的な思考で自分のことを下げて、オレのことを思って言ってんだ。それだったら納得いかねぇや。
だってそれ、オレがエルを見捨てる話になってんじゃねぇか。そんなんおかしいだろ?
オレが見捨てる見捨てない決める立場じゃねーし、オレ側から見捨てる突き放すっつー考えは元から思いついてねぇっつの。
オレはお前が望むのなら、烏滸がましいかもしれねぇけど、周りにも不相応って言われるけど、友達でいてぇよ。
凡人のオレが特別なお前の周りをうろちょろしてんのはおかしいかもしれねぇけど、特別なお前がそれを望むのなら、それが嬉しいというのなら、あの時みたいに笑うのなら、それでいいじゃねぇか。
特別なお前が望んでくれる事実だけで、凡人のオレには充分だ。
「でもさ、ぼくがカイを今大会のペアにしなければ、今みたいな状況は生まれてないでしょう? カイも苦しんでないでしょう?」
「オレが今なんつーか苦しんでんのは、オレの実力不足で、お前の所為じゃねぇんだから。オレが苦しんでんのはオレの実力に見合ったことで、勝手にお前の所為にしてんじゃねぇ」
「この大会に出て、カイが得したことないでしょう?」
「何言ってんだよ……得してんだろいろいろ。実技の成績とか、なんつーか周りがうらやむ様な大会に出れて」
エルの言葉を辿々しくも否定していく。放っておくとこいつはどんどん自分の所為にしやがるから。
「でも、カイは大してそれらを望んでないでしょう? むしろそれに伴う嫉妬ややっかみ、プレッシャーが負担で、君は疲れ切ってる」
オレに掴まれていない方の手でエルはオレに顔を上げさせる。
「……そんなことねぇよ」
紅茶色の瞳と目が合い、声が震える。
強く強く否定したいのに、すべきなのに、紅茶色のエルの瞳を見ているとどうも言葉がすらすら出てこねぇ、強く言えねぇ。
以前エルを見て、夜中に皇国の神殿に行った時のことを思い出したことがあった。
この国の宗教関連の施設に行けたことがねぇし、エルに習ったこと以外はあんま知らねぇけど、エルのことを見た奴がカラビト様が頭に浮かぶと言ってたのを何回も聞いたことがある。
友達が元同室の奴があいつは他の平民と違うとさっき言ってた。
そういうのは多分、こういうところからなのだろう。
特別とはこういうことで、だから凡人のオレは呑まれてしまう。けどそれじゃあ駄目だ。
「うん、君は優しいからそう言ってくれるね。だけど、分かるんだよ。ぼくはそのつもりがなくてもね、異常な奴だから周囲の人達を不幸に突き落とすんだ。だからさ――」
「だから勝手に全部お前の所為にすんなよ! オレはお前に不幸にされた覚えはねぇ!」
お前自分になんつー評価してんだよ。
そんな酷いこと自分に対して思ってんのかよ。朝も同じようなこと言ってたけどよ何がお前にそうさせるんだよ。
自虐的とかそういうレベルじゃねぇくらい、エルの自分に対しての評価は最悪だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!
ダックスがエルのことを悪く言ってんの、全ての元凶みてぇにいってんの聞いてるのも嫌だった。
だけど、それ以上にエルが自分で異常な奴だからとか、周囲を不幸に突き落とすとか、言ってんのはもっと気分が悪かったし、納得がいかねぇ。
じんじんと胸に鈍い痛みがする。前にエルと喧嘩した時と同じように、何故かエルにも怒りの感情が向いてしまう。おかしいだろ。
そんなこと思うんじゃねぇよ。
異常な奴ってなんだよ! 周囲を不幸に突き落とすってなんだよ!
そりゃ変わってるとこはあるかもしれない。でも、異常だなんて言い方するようなもんじゃねぇ。
不幸に突き落としてる訳ないだろ。そりゃ今オレは落ち込んでっけど、それは自分のツケの所為だ。色々きっかけとか理由はあったけど、オレはお前と一緒に居てぇから、馬鹿やりてぇから友達でいるんだ。
前に喧嘩した時とか、今日の朝とかも「不幸を引き寄せる」とか「不幸にする」とか言ってたけど、ついに「不幸に突き落とす」までいきやがった。
なんでお前自分のことそんな悪い奴みたいに認識してんだよ⁉
叫んだオレを見て、エルは目を細めた。
それを見てオレは嫌な予感がする。
オレの爆発したような感情とは、反対のその落ち着いた仕草から、エルの自分自身の評価の深刻さを思い知らされる。
「そう……やっぱカイは優しいし綺麗だね。すっごい綺麗だね」
その言葉にオレはビクついてしまう。その凪いだように穏やかな表情が怖くてたまらねぇ。
エルに綺麗だって言われるのはあんま好きじゃねぇ。
いや褒められたらオレは単純だから嬉しいけどよ。エルに綺麗って言われても「お前が言うか?」ってなるし、何よりエルがオレを綺麗だと言う時に誤魔化されている気分に、遠ざけられている感覚に陥る。
以前みたいに綺麗だって言葉で何か隠そうとしてんじゃねぇかって疑ってしまう。
誤魔化そうとしてんじゃねぇのって思ってしまう。
今更ながら感触からオレが握っている手に包帯が巻かれているのにことにも気づいてしまう。
鏡割ったって後にしばらく巻いてたけど、少なくとも冬休み明けの時点では完全にとれてたし、今日の朝もこんなところに包帯は巻かれてなかった。
よくよく見れば赤色が滲んで見える。
なんだこの怪我?
それが気になって手を離してよく見ようとしたが、手を離した途端にエルが立ち上がった。
怪我のことを聞こうとするが、それもエルに子供のように頭を撫でられてしまい上手くいかねぇ。
「ごめんね……だからぼくは君を守るよ。君を傷つけるものは全部ぼくがぶっ壊すよ。カイは何もしなくて良いよ」
「エル?」
何を物騒なことを言い出すんだってエルのことを呼ぶが、奴は全く気にかけやしねぇでそのまま続ける。
「だからカイはそのままでいて。次の試合まで迷子になられると困るし、そこで待っててよ。フェイスも話終わったらカイのとこ来るだろうし」
「お前は何してくるんだよ」
おいなんで背を向けてんだよ。
なんでこっちを見て言いやがらねぇ。
立ち去ろうとするエルの手を掴もうとするが、出来なかった。
意図的に、でも自然にするりと避けられた。
包帯越しの赤が今度は妙に鮮明に見えた。
「ないしょ、フェイスをよろしくね」
こういう時ばかりは、こいつの優しい声が苦手になりそうだ。




