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28 特別ではないから



「あれー? なんでカイの方が後から戻ってきてんの?」


 平民の後ろの方の観客席で明るい茶髪の少年がそう声をあげるや、一番後ろの席と低い壁を飛び越えて、オレとフェイスちゃんとこに駆け寄って来る。


「さっき罰ゲームでタオル取りに行く時に会って、おれその後、ゼーグがイジワルでタオルん場所分かんなくて学校とか寮とか探し回ってたのにおっせーのな。あ、でダックスも取りに行かせたのにいなくなってるし、そういう遊び? おれから隠れてあそんでんの? かくれんぼだ! でもゼーグはしてねーや。帰ってきたおれに『キキカイヒしやがって』って渡したタオル投げつけてきやがった。あいつ飽きちゃったのかな? 日差し暑ぃー! あと話題の女の子と一緒なのな、デート? カイに彼女出来たら色々とあびーきょかんになりそうだ」


 ペラペラと喋るし、言葉が危ういやら、話題もすぐに移るわで、碌に頭に情報が入ってこない。

 だがこれもこいつのぎょろっとした目の色が変わらず琥珀色であることと同じで、いつものことだ。


 少し息を吸ってから、さてどの情報から返答しようかと考える。

 まずは阿鼻叫喚だと思うぞと口にしようかと思ったが、めんくらってる隣のフェイスちゃんの姿を見てまずは互いに紹介と、関係性の訂正からかと思い直す。


「あーフェイスちゃん、こいつはオレの友達で一時期部屋も同室だったブープだ。で、ブープ、この子は知ってると思うけど一年のフェイス・エヴァンズ。エルの……妹みたいな存在でその関係でオレと知り合いなんだ」


 ブープにそう紹介すると、奴はフェイスちゃんのことをじっと見てから破顔する。


「フェイス・エヴァンズは知ってるー! すっごい女の子! ジングフォーゲル関係の知り合いで彼女じゃねーのな。ま、カイに彼女出来そうにねーもんな。さっきの試合おれ見られなかったけど、凄かったって聞いた。あとで使ってる武器おしえてー! おれブープっていうんだぞ。よろしくなー!」

「あ、はい。よろしくお願いします、先輩」


 両手で手を握られぶんぶんと振られ、フェイスちゃんはそう押されがちに答える。


「なあ、カイ。おれセンパイだって、センパイ!」


 自分のことを指差してそう自慢する元同室者はマジで嬉しそうだけど、ちょっと待て。


「フェイスちゃんオレは?」

「カイさんはここ入る前の会ってるんで先輩って言うより、カイさんって感じの方が強いんです。エル兄さんのこともエル先輩とは言ってないでしょう?」


 そう言われてなんとなく納得してしまい、オレは黙り込む。


「カイはセンパイって感じじゃねーもんな!」


 ケラケラとブープがそんなことを言うものだから、何か言おうとしたがふと止める。


 だって事実だ。


 先輩とか、そう言うのが似合うような奴じゃねぇもんなオレ。

 尊敬されるような存在じゃない。尊敬されるような何かを持っている訳じゃねぇ。


「ん? カイ言い返してこねーの? いつもならムキーってなるだろ」

 だが、逆に言い出しっぺのブープの方がオレの反応がねぇのに違和感を感じたようで、そうわざわざ確認してくる。


「……うん、まあ先輩って柄じゃねぇし」

「どうしちまったんだ? 今日はしょんぼりなのか。あ、おれがゆううつな顔見に来たってさっき会った時冗談で言ったからわざわざやってくれてんのか。別にやんなくていいぜ」


 珍しく眉間に皺を寄せて、オレのことを見る友人に「別にしょんぼりしてねぇよ。そんな呼ばれ方される程でもねぇかって思っただけだ」と言えば、「そうなのか? そうなのか? うーん」と何やら考え込んでしまう。なんなんだこいつ。


 妙な友人にそう思っていると、ふとフェイスちゃんが「カイさんって結構自虐的ですよね」とボソリと口にする。


「それ言う相手間違えてんぞフェイスちゃん。エルの方がよっぽど自虐的だ」


 オレのは自虐じゃなくて、正しい自己評価だ。

 エルみてぇに、スッゲェ奴なのに何か問題が起こるとすぐ自分の所為にし出すのとは違ぇ。


「いやエル兄さんのも酷いですけど、カイさんはなんと言うかふとした時に……さっきのだって私はカイさんのことを先輩としても見てないとは言ってませんし」

「へぇ」

「なんですかその薄い反応。さっきのは先輩としてよりは、エル兄さんの友達で相談のってくれるお兄さんっていう印象の方が強いからって意味です」


 フェイスちゃんは緑色の目をきっと釣り上げながら、そう言ってくれる。


「フェイス・エヴァンズだな」


 それに対しオレが何か言おうとしたものの、その前の彼女の名前が少し聞き慣れ始めた声で呼ばれる。


 尊大なその声に彼女の肩が跳ね、声の主の姿を目にしたブープが「びえっ」と奇声を上げる。オレもその声がここで今聞けるとは思ってなかった。


「テレル様」


 声のする方に向いてそう彼の名前を呼ぶ。


「なんだキルマーもいたのか? 一年主席とは知り合いか?」

「はい、まあ彼女エルの知り合いなので」

「なるほど。ボクは彼女に用がある」


 はきはきとした物言いには相変わらず威圧感があって、背筋もピンと伸びていて、表情も穏やかではない、いかにも平民が萎縮しそうな態度だ。

 けど、この人の場合は態度に対して割とこちらに敵意を持ってる訳じゃねぇからな。


 舐められないようにしてる態度だってオレはある程度把握しているから大丈夫だけど、貴族への敵対心が強いフェイスちゃんとの相性は最悪だ。一瞬で元に戻してたけどすっげぇ眉間に皺よってた。


 能天気なブープだって顔真っ青だしな……いやあいつに場合は美形アレルギーか。あいつ顔が良い奴苦手なんだよな。


「レトガー侯爵家の御子息、テレル・ドロッセル・レトガー様がただの平民である私に用とはなんでしょうか?」


 本人はなるべく剣呑な態度は抑えようと努力はしてんだろーけど、その緑の瞳はあの試合の時にしていたものと同じだった。


『私、恐怖より怒りや負けず嫌いが勝つんですよね。負けとか痛みより、こいつ叩き潰したい、舐められたのならそれを後悔させてやるって思考になるんです』


 そう彼女は言っていた。そしてその向けられた対象は主に貴族なのだろう。

 そんな強気な意思で彼女は貴族と対峙する。勿論覆い隠しはするだろうけれど、それでも伝わる人には伝わる。


「ほう」


 テレル様はそう口角を上げた。


 意外な反応だった。だって彼のことだ序列関係は結構気にしている。眉を顰めると思ってた。


 だけどよく考えてみると、テレル様らしい反応かもしれない。あの人、根性あったり、強気な人好きそうだもんな。

 彼自身、身近に凄いオリス様と言う存在に勝負を申し込み続けてるし。舐められないようにしてるし、めっちゃ強気でピシってしてるし。


 ……案外フェイスちゃんとテレル様って似たもの同士かもな、二人ともなんだかんだ特別だし。


 会話する二人の空色の瞳と緑色の瞳は真っ直ぐ交わっている。それを見て大丈夫だと思ったし、この二人の対話にオレはいらねぇと思った。


 テレル様が来てすぐに観客席の方に戻って、こちらを伺うように顔を少しだけ出しているブープの隣の席に競技場側を向いて座る。


「あれ? カイ一緒にいなくていいのかー?」


 行儀悪く椅子の上に膝をついて席の背もたれに手を乗せていたブープがオレの方を向く。


「ああうん、テレル様ならフェイスちゃんも大丈夫だろ」

「そうじゃなくてよ。カイは会話に混ざったりしねぇのかぁー?」


 琥珀色の瞳がそうじっと向けられるのに対し、オレは一息ついてから笑う。


「テレル様はフェイスちゃんに用があるって言ってたんだし、オレはいらねぇよ。特別じゃねぇオレが居ても邪魔なだけだ」

「トクベツじゃない?」

「うん、オレ何にも出来ねぇ凡人だから」


 そんなオレの言葉を聞いたブープは席を座り直して競技場側に体が向くようにする。

 とはいえど、靴を脱いで椅子の上で体育座りをしているから相変わらず行儀は悪ぃんだけどな。


「カイ、やっぱ今日はしょんぼりなのな」

「しょんぼりってオレは事実を口にしただけだっての」

「にしても凡人とかトクベツってなんなんだ? おれ分かんねー。言葉の意味じゃねーよ。今日カイすっげーそれ気にしてんの」


 気に食わないのかブープは脱いでいた靴を足の先で引っ掛けて飛ばす。

 空席に落ちたそれは寮のトイレのスリッパで、ブープが寮行った時に履いたのをそのままうっかり履いてきたのだと分かる。


「自分の身の程を知っただけだ」


 間抜けな光景なのに、揶揄う気にはなれず、ブープの言葉に真面目に答える。


「そりゃスッゲー奴たくさんいて、寮生とかでもそれスッゲー気にしてどよーんってなる奴たまにいるけど、カイそれ気にしねー方だったじゃん。凡人って、普通って言ってたことはあっけど、そんな辛そーじゃなくて、クソ生意気にやってきただろ。これじゃあ――」

「凡人が生意気やってちゃあ駄目だって分かったんだよ。呑気に生意気やってたから、不相応に大会にずるずるでちまって反感買う、トラブル起こして周りを巻き込むんだ」


 かなり前方のちょい下の競技場内で真剣に闘っているであろう奴らのことも、

 それを熱心に見る連中のことも、

 観客席後ろの通路で真剣に話しているであろう特別な二人のことも、

 それどころか隣にいる友人の姿さえ見ていられなくて、自分の膝の上で握った拳をただ見つめる。


「なんかヤなことでもあったのかよー? さっき何も出来ねぇとかも言ってたし」

「……ただの事実だろ」


 片手で肩を揺らしてくる友人にそう簡素に返事する。


「ジジツじゃねーよ。カイは勉強出来るし、色んな奴と仲良くなれるし、あと、えっと金にがめついし」

「逆にそれしか出来ない。それらですら特別でない」

「だからさっきからトクベツってなんだよー、誰が決めてんだよ」


 服を引っ張ってくる友人と視線が合わないように硬い床を見つめる。


「そんなの一般的に見てだろ……」

「だったらおれもきっとトクベツじゃねーけど。そんな暗い顔するつもりねーよ」

「いや別にオレとお前は色々違うだろ、特にオレは状況が――」

「オレはカイにもそんな顔して欲しくねーの! オレの冗談を真面目に受け取られるのもちょーし狂うし、それにこれじゃあまたカイが閉じこもったりしそーでヤダ!」


 駄々をこねる子供のようにそう主張するブープに、オレはどう返事をしていいか分かんねぇ。


「だいたいなんでそんな一般的とかあやうやな奴らの評価をそんな気にすんのさ」


 あやふやなと訂正も出来ない。軽いブープの言葉を飲み込んで処理するだけで心臓が重くなり、胸を押さえて俯く。


「……気にしねぇと駄目なんだよ」


 気にせずヘラヘラしてきたツケがこうなんだからよ。


 真剣な奴ら差し置いて大会にぼんやりしてたら出ちまうし、

 なんも考えずにエルに甘やかされちまって、

 頼ってばっかだし、

 それで貴族に反感かっちまうし、

 それでエルを巻き込んじまうし、


 ほんと碌でもねぇ。

 変に身の丈にあってねぇことするからこういうことになる。


 エルはいいっていうだろうけれど、オレは悪くなくて、自分のせいだっていうだろうけれど、違ぇんだよ。

 雑魚は雑魚らしく生きるべきなんだ。舞台に立てるような特別な人間じゃねぇんだったら、ずっと観客席にいればいいんだ。


 凡人には舞台の上のことはどうしようもできねぇんだから。

 出来ないって、あの時に学んだってのに繰り返してやがる。


 元副寮長の現寮長みたいに、勇気があって仲間思いじゃオレはねぇ。

 黄の令嬢みたいに、上に立つ人物として下の失態を解決できる立場でも器でもねぇ。

 オリス様みたいに、弱者に優しくてめちゃくちゃ強いヒーローみたいな存在でもねぇ。

 テレル様やフェイスちゃんみたいに、現状に全力で抗ってやろうっていう闘争心もねぇ。

 エルみたいに、何から何まで他とは一際違う奴でもねぇ。


 ねぇんだから、でしゃばるべきじゃなかったんだ。

 エルの隣にいて勘違いしたんだ馬鹿じゃねぇの。赤のあいつが言うように不相応だったんだ。


「カイは……トクベツになりてーのか?」


 手を離して、ブープにしては神妙にそう聞いてきた。


「……わかんねぇ。でもオレはトクベツにはなれねぇよ。凡人だから」

「なんで? もしかして凡人からトクベツになれるかもしんねーよ」

「オレはそういう器じゃねぇ。そんなんになれねぇ」


 凡人、等身大の主人公が成り上がるって話はたくさんあるし、まあ王道だ。

 でもその王道だって、主人公達は何かしらの強い志や壮大な目標ってもんを持ってる。それがある時点でオレはトクベツになりうると思ってる。


 でもオレにはそれがねぇ。

 ただ流されて、ただ息をしているだけなんだ。


「まだ試してもねーのに……人生なげーし、なんかの拍子でホイってなるかもしれねーよ」

「そんなアホみてーなこと」


 拍子でホイってそんな軽い調子でトクベツな奴らは生きてねぇと思う。


「言うだろ事実は小説より喜劇って」

「事実は小説より奇なりな」


 流石にその間違いは訂正しねぇと話がずれる気がするから訂正する。


「それだ! 先のことなんて誰にも分かんねーだろ。おれらまだ少ししか生きてねーひよっこだし」

「けど」

「で、カイは何になりたいんだ? トクベツってのじゃなくてもなんかあんだろ?」

「何になりたい?」


 生まれ育った環境的にも、成り行き的にもオレは将来的に商人になるのだろう。そこに異論はねぇし、普通にいいと思う。

 国立軍学校に入ったのも色々と情報を得たり、学んだりして将来的に役立てる為だ。

 ……でも別に国立軍学校に入んなくたって別に良かった。


 あのままハノと両親や仲間の手伝いをしてりゃあ別に商人になれた。役立てるっていっても具体的にどうするかとかは決めてねぇ。商人になって具体的にどうしてぇかとか全然見えねぇ。


 ああ、今になって分かった。オレには夢すらねぇ。


 商人になりたいってのは、生まれ育ちと趣味がいい感じに組み合わさっていって、流れ的に適当だから惰性で選んだだけだ。

 だから、その先がねぇ。すっげぇ稼いで国一番の商人になりてぇとかも、お客さんの喜ぶ顔を見てぇからとか、そう言った明確な目的がねぇ。

 別に職業外に何かしら重きを置いている奴もいるとは思うが、オレはそれでもねぇんだ。


 空っぽなんだ。


「……分かんねぇや」


 オレの答えにもなってない答えにブープが何か口を開いて話そうとした時に、耳触りの良い声がそれを遮る。


「カイ、ごめんね遅くなった」

 特に大きな声でもなかったが、その綺麗な声は耳にするりと入ってくる。


 いつの間にかオレらの背後にいたそいつに、ブープがびびって座っていた客席から落ちた挙句、前の客席の背もたれに肩をぶつける。


「じじじじじじ、ジングフォーゲル⁉︎」


 虫かなんかの鳴き声かっつー驚き方をしたブープの姿に、少し前のオレはエルと顔合わせる時どんな顔すりゃあいいんだって心配もこいつと比較すりゃマシかという結論に落ちついた。


 だから「よ、エル」とオレ軽く手を挙げながら返事をした。




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