中途半端な存在13‐1
「カイ、どこにいるんだろう……」
「いないですね」
新たな模擬刀の申請が終わったものだから、カイがいるであろう平民側の観客席の後ろの通路にやってきたものの、彼の姿が見当たらない。
加えて観客席から声もしないから、ここにはいなそうだ。お喋りで人懐っこい彼のことだ、居たら絶対誰かと話している。
「もしかして、オリス様とかに捕まっているのでは?」
あとをついて来ていたヘススがそう状況を踏まえて発言する。
レトガー兄弟はカイのことをなんだかんだ気に入っている。その上、オリス・ドロッセル・レトガーという人物は弱者の味方だ。そんな方がカイの一試合目の様子を見たら心配して、元気付ける為に声をかけていそうだ。テレル様の方も絡みには行きそうではある。
「それもありそうだし……結構時間掛かっちゃったからぼくのこと探しに行っちゃったかな……」
模擬刀を取りに行こうと思って、規定の武器倉庫行ったら鍵がかかっていて、遠くの管理人室まで鍵取りに行ったら、管理人さんが散歩してたりしたからな。
あんま一人になってもらうと困るから、ここにいないとなると心配だな。
「それだと本末転倒ですね」
「何が?」
「だってエル様は、キルマー先輩には人混みにいて貰った方が良いと思って、折れた模擬刀の代わりを取りに行ったのでしょう?」
緑の瞳は微動だにしない。そのせいかガラスで出来た瞳のようで、何もかも見通されているようで少し気味悪さを感じてしまう。
フェイスと同じ色なのに、どうしてこうも生気を感じられないのだろう。
「君、思考を読んだのってくらい察しが良いね」
「お褒めいただき光栄です」
「あと、丁寧過ぎる」
「みんな前方の席にいるので問題無いと判断してしまいました。申し訳ありません」
確かに平民の生徒達が妙なくらい前方の席に固まっている。
いや、前の方が勿論見えやすいし、聞こえやすいしで人が集まるんだろうけれど、それでも開会式やぼくらの試合が終わった時にはもう少し後ろの方にも人が居た気がする。
「それでも誰に聞かれるか――」
分からないと続けようとしたが、そこで口籠もる。
今、不自然な音がした。
ほんのかすかな音だ。多分ぼくとかじゃ無ければ聞き取れないような音。そのくらいの音だからこそ警戒しなきゃならないもの。
「エルさ……ん」
心配してか、ヘススがぼくのことをいつもの調子で呼ぼうとするので、不本意だが睨みつければ気づいてすぐに対応する。
しかし、音は一瞬ですぐに普通のものに戻っていく。
「あれ、センテーノとジングフォーゲルだよな。こんなところで、何してるんだ?」
通常通りの足音を鳴らして近づいて来たのは、灰色髪の背の高い少年だった。
左目を縦断する傷が妙に目につく。おそらく刃物で出来た、人の手で出来た傷だ。
「ダックス先輩」
ヘススがあえてだろう、そう彼の名前を呼ぶ。
ダックス……確かカイが一年の最初の頃同室だった、猟師の息子だ。なるほど、だからあんな不自然な足音してたのか。
しかしぼくが黙っているものだから、向こうは気を遣ってか「ああ悪い。オレはダックス、カイの友達で、元同室だ。ジングフォーゲルのことはカイからとか、噂とかで知ってたんだ」とご丁寧に自己紹介してくれる。
「あ、えっと、初めまして」
「こちらこそ初めまして。それで、有名人がここに何のようだ?」
「カイのことを探してて……」
有名人という言い方になんとなく引っかかったが口には出さない。
「ああ、なるほど……カイなら確か、いや面倒だな。ついて来いよ」
カイの居場所を知っているのか、そう彼が歩き始める。貴族側の観客席の方へ行ったものだから少し驚いたが、カイのことだレトガー兄弟に絡まれたりしてるのだろう。が、レトガー兄弟の姿も見えないし、カイも見つからない。彼らの声も聞こえない。学生達の喧騒で音が紛れるとはいえ、おかしい。
と思ったらそのまま外に繋がる階段で下に降りていく。
競技場外に繋がる階段だから、多分カイはぼくを探しに外に出たのだろう。校舎から遠い側から出てしまうのは方向音痴の彼らしい。
下に降りるにつれ、音が小さくなる。人混みから離れるからだ。
先に降りていく平民の少年の足音が妙に大きく聞こえる。
平民の少年らしい足音だ。どこか荒っぽくて落ち着きが無い、そんな音。ぼくやヘススと全然違う音、カイと同じような音なのに不安を感じる。
完全に三人とも下に降り切った、その瞬間。
「ダックス先輩なんの真似ですか?」
ぼくの目の前で灰色の髪の少年の拳を受け止めたヘススがそう冷たい声で問いかける。
自分でも受け止める手は反射的に出ていたが、それより先にヘススが受け止めていた。
灰色髪の平民の少年の突然の暴力行為には、あまり驚きはしなかった。なんとなく気づいていたから。
最初の時に足音を殺して近づき、ぼくらに気づかれたのを察して普通を装ったのだろう。階段を降りる背中姿にもどこか緊張感があったのが確認出来た。
それでも色々自分で彼の行動に正当性をつけようとしたのは嫌な予感を認めたくなかったからだ。
平民の少年にしては上手く友好的な人物を装っていたと思う。でも、ぼくやヘススにとっては分かりやすかった。
そして分かりやすいだけあって、そんなヘマをする彼は貴族に関することのない人物だろうから、大人しくここまで来た。
ぼくらの反応に紫色の瞳を見開いている姿を見ても、プロやその道のものじゃないのはわかる。そういう連中だったらそのすぐ後も間髪入れずに何か仕掛けてくる。
逆に緑の血は伊達じゃない。
ヘススはそのまま自分より大きな少年を即うつ伏せにして、上に乗って固定する。右手だけで両腕の自由も封じる。あまりにもそういう行為に慣れ過ぎて、止める暇も無かった。
「ああ、やっぱりお前もなんだな」
身動きを封じられ、何も出来ない相手なのに、その言葉にぼくは恐る恐ると視線をやる。
「お前もとは? それにいきなりジングフォーゲル先輩に殴りかかってどういうつもりですか?」
ヘススはそう平坦な声色で続ける。緑色なのにその瞳は氷のように冷たく感じられる。気迫が堅気じゃない。
だが、それに対してダックスという少年はふっと笑う。
「お前ら貴族か、その関係者なんだろ」
図星とも言える発言に、ぼくとヘススはほんの一瞬目を合わせる。
間違ってはいない。だけど、そのことをこのただの平民の少年の前で認めるのは色々と不都合だ。それにまだ向こうは憶測で、誤魔化しも効く。
「……妄想癖でもお持ちでしたか?」
「しらばっくれても無駄だ。センテーノ、お前左耳だけにピアス穴のあとあるんだよ」
「っ、それが?」
「お前の年で左耳にピアスつけるのは、お貴族様か、それに所有される使用人の類だ。神殿仕えもつけてることはあるが、それにしては宗教関係の行動が少ないな」
「………………」
ダックスという少年を取り押さえているヘススの顔が鋭い指摘によって真っ青になっていく。
「それでジングフォーゲルの方はピアス痕こそないものの、センテーノの反応から見るに格上であることは間違いないだろうな」
「ジングフォーゲル先輩は関係ないです」
そうヘススは否定するが、反応の内容といい速さといいむしろそれが肯定しているのと同義だった。
表情はあまり動かないものも、彼には感情がない訳ではないし、ぼくより年下の少年だ。動揺しているのだろう。
「さっきはエル様って呼んでたのに?」
「聞き違いでは?」
そう低い声で返すヘススの手にどんどん力が篭っていく。
その手で腕を押さえられている灰色髪の少年は何も言わないが、相当痛いのだろう。顔が苦痛で歪む。けれどヘススは手を緩めないどころか強めていく。
緑の血が流れるヘススがあれ以上やったら――
「ヘスス! やめろ!」
ただの平民であろうダックスくんに怪我をさせる気はない。無駄な争い事は避けるべきだ。
慌てて年下の少年の名前を呼べば、ヘススはハッとしたように手を離す。
多分どうすればいいか分からなくてやったことだろう、離した自分の手を見つめている。
その間に灰色髪の少年はヘススの下から抜け出し、ぼくらから距離をとる。
「随分と忠誠心が凄いみたいだな」
「違っ、今のは別にっ」
「もういいよ、ヘスス」
多分、ダックスという人物は確信を持ってから話し掛けて来ただろうから、口先で何とかしようとしても、疑いを消すことはない。覆すことは出来ない。
だけれど、ヘススは別の意味でとったのだろう。緑色の目をかっ開く。心なしか眼球表面の水分量も多くなったように感じた。
「ごめんなさ、ごめんなさい。ボクがもう少し冷静に行動出来ていれば、ボクが未熟だったから、本意じゃない結果にしてしまって……証拠隠滅でも何でもやりますから捨てな――」
ぼくの運動着の袖を掴む手は縋るようで、その様は怯える子供のようだった。気のせいか彼の左目下にある蔓のようなあざが赤みを帯びていく。
『母が浮気した結果出来た子ですから、向こうもボクにも子爵家との繋がりはなくたって構いません。目も緑ですし、僕は邪魔者扱いですから』
ヘススは多分捨てられた子供だ。見てもらえなかった子供だ。だから今の「もういいよ」自分の存在に対しての言葉だと思ってしまった。
本人はあの時、別に気にしてないようなことを言っていたけれど、幼少期に受けた傷はそう簡単に消えるものではない。現に、ぼくにも捨てられるのではないかと怯えている。
拾った覚えはないし、なんでぼくにそんなに心を傾けているのかは知らないけれど、その怯えは分かる。まともに見て貰えないのは辛いのは知ってる。
ぼくへの狂気じみた崇拝で見えなくなっていたけれど、彼は子供だ。同じ子供のぼくがなにをとも思うが、ヘススという少年は忠実な使用人である前に、年下の少年だ。
それでもぼくを縋る対象に選んだのは愚かだけれど、冷たい対応は取りたくないし、取る必要性もない。
だけれど、今ヘススは動揺のあまり、全てネガティブに受け取ってしまいそうだ。それにさっき証拠隠滅とか言っていた。あの流れでの証拠隠滅だと灰色髪の少年の存在も含まれていそうだ。
試合中のペアにでさえ、ぼくに軽い怪我させたってだけで骨を折ってしまう程だ、何しでかすか分からない。
一応さっきはぼくにダックスの攻撃が当たらなかった上、ヘススが暴走する前に声をかけたから止まったけれど、この子、ぼくに関することだけ感情や行動のタガが外れやすい。
でも、それは彼の所為じゃない。知らない内とは言え彼をぶっ壊したぼくの所為だ。だからぼくには彼を鎮める義務がある。
「ヘススは悪くないから大丈夫だよ。多分、話しかけてきた時点で彼は確信してたから」
ヘススの前にしゃがみ込んで、両手で彼の顔を掴む。フェイスと似た色の瞳が潤んでいるのを見ると、やっぱり心が痛む。
「君は頑張ったし、ぼくの役に立ってるよ……だから、一旦休もうか」
そう労いの言葉をかけてから、彼の耳元で慈愛を意識して子守唄を歌い始める。
あんまこういうことを人前ですることは避けたかったけれど、見ているのは平民の少年一人だけだし、ヘススをこのままにさせておく方がきっと面倒だし、ダックスという平民の少年ともまともに話せない。
歌い出して、まだ歌詞のほんの数行分で、ヘススは糸の切れたようにぼくの方に倒れ込んだ。小さな体からは規則正しい寝息と心臓の音が聞こえる。
そのことを確認すると、ぼくはヘススの頭の下に持っていたハンカチを敷いてから地面に彼の体を横たえる。
穏やかな寝顔にほっとして、なんとなく髪を撫でるとカイと同じ髪色だけれど、髪質は彼と違ってサラサラとしていた。
「お前っ……」
振り返れば化け物でも見るかのような目で、ダックスという少年はぼくを見ていた。