26 平民の友人の警告
「なんでオレのこと止めたんだよ……」
「止めないとお前が危ないからだ」
ああ、確かに貴族に逆らうのは危ねぇよ。危ねぇのは事実だけど、友人として危険な行為を止めるのはおかしくねぇけど、それでも納得はいかなかった。
だって、ダックスだってオレの為に無茶な行動や言動をした。
それにやっぱオレの所為でエルが――、
「っでもオレの所為でエルがっ」
「俺はジングフォーゲルなんかどうなろうと構わない! 友達のカイの方が大事だ!」
友人の大声とその内容にオレは後退りをする。
ひゅうと吹いた風が酷く冷たく感じた。
「なんだよそれ……お前らしくない……」
なんかなんて、どうなろうと構わないなんて、人を切り捨てるような言葉遣いお前普段しねぇだろ。優しい友人と冷たい言葉の違和感からそんな意見が勝手に口から溢れる。
オレの言葉を聞いて、ダックスは紫色の瞳を丸くしたかと思えば、口元を歪めた。
「はは、それはお前が随分と俺を良く見すぎてるからだよ。俺は元からこんな奴だし、そこまで良い奴でもないよ」
「で、でもお前はいつも優しいし、さっきだって庇ってくれたし、良い奴じゃねぇか。だから今のも、つい勢いでそんなこと」
一瞬見えた冷たい部分こそが自分の本性だと言う友人にオレは眉を顰める。だって信じられねぇし、違うと思った。いくらなんでもそれは自分のことを悪く言い過ぎだと思った。
「優しいと思われていた方が、嫌われる方が好かれる方が楽だからな、本質はお前が思っているような善人じゃないよ、俺は。普通に優劣や好き嫌いもある。お前みたく優しくも、良い奴でもないんだ、ごめんな」
小さな子供に教えるような優しい口調で語る友人は、どこか申し訳ないような顔をする。だからオレは急いで口を開く。
「そ、そりゃお前自身は打算的にやってるかもしれねぇけど、結果的に優しいのは変わんねぇだろ。打算だろうがお前が何か他人の為に行動したお陰で助けられてる人はいんだからよ……そんで碌に何もしてねぇオレのはただの意気地なしだ」
打算的な優しさだろうが、優しさは優しさだ。
別にオレだって打算で誰かに親切にすることだってあるし、聖人君子だけが良い奴だってんなら、良い奴が全然いなくなっちまう。
それに何もしないオレより、無茶をしてでも行動して人を守ろうとするダックスが良い奴じゃないなんておかしいだろ。
「カイは本当に優しいな……じゃあ仮に俺のそういうのも優しいにカウントされるとしても、俺のそれにはある程度範囲があるんだ」
「範囲?」
優しさと範囲、あまり結び付かず首を傾げているとダックスは優しく笑う。
「そう、お前が言う優しさを向ける範囲が俺には限りがあって、それに俺はジングフォーゲルを入れてない。だからさっき言ったのも勢いじゃないぞ、カイ。さっきの話のジングフォーゲルがブープやゼーグ、一部を除いた寮生連中だったら、きっとお前と一緒に反対していたよ」
「………………」
エルだけ切り捨てる、エルだから見捨てるという内容にオレは絶句する。
「なんなら正直言うと、ジングフォーゲルがお前といるのも気に食わなかったよ。でも、お前があの時よりそれで元気でいられるのなら、笑っていられるならってずっと何も言わないでいた。だけど良く考えればノア先輩の時と同じで間違いなんだ」
「気に食わないって、友達や先輩と関わるのが何が間違いなんだよ……」
間違いってなんだよ。
別に二人とも、不良とかじゃねぇし、酷いこととかもしねぇし、むしろ優しくて、こっちが申し訳なくなるくらい良くしてくれて、オレの方がむしろ一緒にいて釣り合いが取れねぇってなるくらいなのに……ダックスの良い方だとあの二人が悪い奴みてぇじゃねぇか。
つか、なんでノア先輩のことまで出てきたんだよ。
「ノア先輩もジングフォーゲルも普通の平民とは違うんだよ」
「違うって……同じ平民だろ。そりゃ実力とかの違いはあっけど、顔面偏差値の差はあっけど、お前はそういうのはブープみたいにイケメンが苦手とかじゃねぇだろ」
「顔とか優秀さじゃないよ、そうやってお前は鈍感だからほいほい誰にでも関わっていっちゃうんだろうが、あの二人は俺らと違う。だからブープだけじゃなく俺もゼーグも近づかない。なんなら今のお前の同室二人もだ」
美形過ぎてとか、なんか色々と凄すぎるから、エルにもノア先輩にも遠慮して近づかない奴がいるよなとは思ってた。
だけど別の、なんかあの二人と、ついでに同室の後輩達にも悪いところがあるとでも言いたげなダックスに苛立ちを感じてしまう。
「何が違うんだよ!」
「……それは言えない。でもどいつもお前にとってきっと良くない。もう終わったけどノア先輩だって、お前を巻き込んだだろう? 関わらない方が良いものが、良い奴が世の中にはあるんだよ、カイ」
「関わらない方が良いって……」
そんな腫物みたいな扱いはねぇだろ。
理由が言えないって言うからダックスの好みの問題かとも一瞬考えるが、それにしてはなんつーか雰囲気が違うんだ。自分が嫌いだからオレにもそれを強要するって感じより、本気でオレを心配してんだ。
それが分かるから、友人への怒りではなく、なんでそんな勘違いしてんだよっつー疑問の方が強くなった。
それにノア先輩がオレを巻き込んだって、ちげぇだろ。あの件はオレがノア先輩の枷になった。
「あの二人と関わってからだろ、お前が貴族とよく関わるようになったのは」
「オレは元からCクラスにいるから他の平民連中よりは前から関わってたぞ」
「それでも最低限の関わりでお前は済んでたよな。ノア先輩と会ってから、黄の貴族の件に巻き込まれて、そんで傷ついてやっと立ち直った矢先にジングフォーゲルと会って、緑の連中とよく関わるようになって、とどめにさっきのあいつだ」
最低限の関りで済むって、それに緑の連中って、まるで貴族全体が悪いみてぇな言い方だ。
どいつだろうが貴族は悪だって、関わったら良くねぇみてぇな、終わりみてぇな言い方だ。
「そんなの偶然だろ。先輩もエルも関係ねぇよ。それに緑の貴族は、オリス様とテレル様は別に良い人だから問題ねぇだろ」
「それだからダメなんだよ」
ボソリと放たれた言葉の冷たさに一歩オレは足を退いてしまう。
「っ……ダメって、何がダメなんだよ。良い奴なんだったら大丈夫だろ」
オレの震え声混じりの言い分に、ダックスは距離を詰めてから真剣な顔をしてから口をひらく。
「どれだけ優しくされようが、守られようが、権力差が実力差がある限り、俺達平民は貴族の奴らの気まぐれで簡単にどうにかなるような存在であることは変わりないんだよ。身分というのは、貴族というのはそういうものなんだよ」
ダックスは普段、貴族と関わらないように行動する。
貴族が一人でもいるクラスに入らないように、わざとテストで低い点数を取ったりする奴が平民には一定いるが、ダックスもその一人だとは分かっていた。
でもダックスは別に不器用じゃねぇから、貴族とも上手く付き合えるだろうから、避けるのは肩が凝るからとかそんな理由だと思ってた。
「だから最善は関わらないこと、貴族の関心を買わないことなんだ。その為にもジングフォーゲルや同室二人とは関わるのはやめるべきなんだよ。俺は貴族によって友達が傷つくのも殺されるのも見たくないんだ」
だけど今なら分かる。ダックスは警戒してんだ。
いや平民が貴族を警戒すんのは結構普通だけどよ、ダックスのは他の奴の比じゃねぇんだ。フェイスちゃんの貴族嫌悪とも少し被るけど、それ以上に頑なで、酷く恐れているように感じた。
それが分かっても尚、オレは友人の意見を否定したくなった。
「……でもオレは貴族でも良い奴はいると思うぞ。力を持っていても悪い方向に使わないで、良い方向に使う奴もいるぞ。なのに貴族だからって危ない目に遭わせられるかもって誰とも仲良くしちゃいけねぇっていうの、すっげぇ悲しいし、嫌だ」
オレはエルとは勿論、後輩達や、レトガー兄弟と関わることもやめたくねぇし、過去の先輩との関わりが間違いだなんて思いたくない。
でも、オレの言葉にダックスは眉をハの字にした。
「俺だって昔はそう思ってたよ。でも今なら勘違いだって分かる。そんな甘い考えでいれば、奴らの食い物にされるだけだ。お前の言う優しさだって何か仕掛けるための罠に過ぎない。貴族なんて信じたら、期待したら駄目なんだよ」
そりゃ悪い奴だっているぞ、ニコニコ笑って騙して傷つけてくる奴もいるってことは否定しねぇよ。
さっき会った赤の貴族は怖いしとんでもねぇ奴だとは思ってるよ。でも貴族だからって、権力持ってるからって悪い奴ばかりでもやっぱねぇと思うんだ。
オリス様とか滅茶苦茶平民に気にかけてくれんじゃん。気さくに話しかけてくれんじゃん。オレが他の貴族に絡まれた時には助けてくれた。
テレル様も一見怖くて厳しいだけの人かと思いきや、認めた人のことは素直に褒めるし、心配もする。努力したらその努力は認めてくれる。
厳しいけど他人にだけでなく自分にもで、単に超ストイックなだけだ。理不尽なことはしない。
黄の令嬢はさっきビビっちまったけど、やっぱあの事件の時は助けてもらったし、弟を連れてきた平民のオレにちゃんと礼を言っていた。
その弟のイルシオン様もちょっとおかしなところはあったけど、無邪気な子供で自分の配下の家の子のことを心配してた。
危機を避けるのは大事なことだ。身を守るのに警戒心は必要だ。分かってる。でもさ、やっぱそれでも良くしてくれた人の善意が嘘だとは思えねぇし、それだからこそ否定したくも、されたくもねぇんだ。
貴族だからってまったく違う生き物なんかじゃなくて。オレらと同じような所もある。
頭ん中ではそんな風に具体的な言い返しも思い付いた。
だけど、ダックスの声があまりにも悲痛で、陰鬱で、『昔はそう思ってたよ』という言葉になにか含みがありそうで、重みがあって、言葉が出せねぇ。
「だけどカイは良い奴だからそういう考えが出来ないんだよな。なら仕方ない、でも今回はちゃんと元凶のジングフォーゲルがいなくなる良い機会が出来たからな。お前はそのままでいいから、安心しろ」
仕方ないなと言うように笑うダックスには全く悪気は無い。むしろ善意で、オレを心配して言ってくるのだと痛いほど分かる。でも、オレは悲しかったし、悔しかった。
元凶だなんてエルのことを言って欲しくなかった。
なんで、オレとあいつでそんなに扱いが違うんだって、あいつだって良い奴だし、平民だ。
そりゃ綺麗だよ、最初はオレだって違う世界の人間だなんて思ったけどよ。ほかとは少し変わった所があるかもしれねぇよ、だけど良い奴なんだ、オレらと同じようなところもあるんだって。
貴族に絡まれるのも別にエルの所為じゃねぇよ。
目立つ容姿や才能があるから引き寄せてはいるかもしれねぇけど、それはあいつの意図しねぇことだし、あいつの所為じゃねぇ。
それに貴族に絡まれること自体は別に問題じゃねぇんだ。絡み方に悪意や敵意がある奴が怖いし、危ねぇってことだろ。
つーか、貴族とか、平民とか、色々ごちゃごちゃあっけど、多少はそれで傾向はあんのかも知れねぇけど。それでも良い奴は良い奴って言いてぇよ。友達とは仲良くしてぇよ。
「だからカイ、賭けには負けろ。お前にはそれが良い」
争い事が嫌いだ。面倒なのも痛いのも辛いのも嫌いだ。出来るだけ楽に生きたくて、怖いこととか危ないことは出来るだけ避けたい。そんな駄目でちっぽけな人間だ。凡人だ。
でもな、でもな、
『ぼくっ、カイと友達になれて幸せ者だよっ』
そう笑ってくれたエルのことを見捨てるようなことは、傷つけるようなことはしたくねぇ。
武闘大会なんて、オレには向いてねぇとか、偶然とエルの強さだけで出ることになっちまったとか思ってた。
罪悪感とか居心地の悪さも感じていたけど、自分の弱さや意気地無さに申し訳なさを感じたりもしたけれど、心の底では適当にどっかで負けて、笑い話にでもして貰えばいっかと適当に考えていた。
身の安全と貞操の安全が確保出来てりゃ、それで良い。
嘲笑われようが、誰かに下に見られようと、本気でどうにかしようとは、今でもプライドがそこまでねぇから放置で良い。
誰かに嫌われるのは望ましくはねぇけど、誰からも好かれるような人柄でも別にねぇから、諦めはついている。
理不尽な目にあうのも、悪い奴に絡まれんのもそりゃ嫌だけど、生きてりゃ嫌なことがあったっておかしくないと思ってる。
だから、もし賭けの結果がオレに関わることだったら不運だとは嘆くけど、なんだかんだ受け入れたと思うんだ。
貴族には無駄に抵抗をせず退くのが正解だから。たとえ被害があっても、生命や貞操の補償があればなんとかなる気がすんだ。それこそ退学させられたってハノにはぐちぐち言われるだろうが、商隊の手伝いとかすることも居場所もある。
だけど、今回はエルが、オレの友人が、賭けの結果で退学させられるという。そんなん、
「ダックス、オレ、この賭けには負けられねぇよ……」
紫色の瞳孔が開く。
優しい友人の言葉とは言え、今はダックスには賛同出来ねぇんだ。だってダックスも友達だけど、エルも友達だ。
オレの勝手で、オレと友達でいられて幸せだと言うあいつを、軍学校で楽しそうに過ごしているあいつを、たまに出るすっげぇ子供じみた、年相応な顔をする瞬間を、台無しになんてしたくねぇ。
「真剣に、本気でやっても敵わないのは目に見えているだろう。だったらさっさと降参を宣言して面倒なことは終わらせるのが良いんだ。賭けに勝ったところでお前のメリットは皆無どころか、デメリットが増えるだけだ」
「別に負けるのは確定じゃねぇだろ、オレが降参って言わなければ賭けには負けねぇよ」
武闘大会なんて、心のどっかで適当にやってやり過ごせば良いと思ってた。ある程度すれば降参だって普通に選んでたと思う。でも今はそれじゃダメだって理由が出来ちまったんだよ。
それにたとえオレが弱くたって、試合には負けたって、今回の賭けだけならオレが弱音を上げなければ良いって話なんだからよ。
「馬鹿野郎! それを狙ってんだ向こうは!」
物凄い怒号と、左手首を掴んできた握力の強さにビクッとすることしか出来ない。
「この大会のルールでは場外、気絶、降参、仲間への攻撃が起こらない限り試合は終わらない。これがどういうことか分かっているのか?」
「よく分かんねぇけど、でも……」
掴んでくる手の力はどんどん強くなってきていて痛ぇ。それでも何か言わなきゃならねぇと思って、弱々しいながらも口を開き始めるものの、ダックスの瞳を見ると言葉を飲み込みそうになる。
それでも何度か口を開いたり閉じたりして、必死に言葉を紡ぎ出そうとする。
「……それでもっ、オレは……とにかくオレはエルを退学させたくねぇよ。お前がなんか知らねぇけど友達のオレの為に必死なように、オレだって友達のエルが関わってんだ」
「……あんな奴にっ、カイの友達でいる資格なんて――!」
それ以上は聞きたくなくて、言って欲しくなくて、彼の口を自分の右手で塞ぐ。やめてくれ、オレは自分の友達が別の友達貶してる姿なんか見たくねぇ。
なぁ、ダックスどうしてなんだよ。
腹の底からぐつぐつと煮えたった感情が湧き上がって、どんよりしていて重く冷たい感情が沈んでんでいく。ぐちゃぐちゃな感情が収まりがつかなくて、今にも溢れそうになる。
だけど、出来るだけ冷静に言葉を紡がなければならねぇ。
「お前はエルのこと気にいらねぇのかもしれねぇけど。オレにとってダックスも友達だし、エルも友達だ。みんな仲良くだなんて理想論に過ぎねぇのは分かるから、お前がエルを気にくわねぇってんなら、悲しいけどそれでも構わねぇよ。でもさお前の中で完結させてくれよ」
声が震える。
聞きたくねぇんだよ、オレは。エルが誰かに悪く言われんのも、そしてダックスがオレの友達のこと悪く言うのも聞きたくねぇ。エルのことは勿論、ダックスのことも悪くも思いたくもねぇ。
「……オレはオレが誰をどう思うかは自分で決めるから。放っておいてくれよ」
オレの突き放すような言葉にダックスの瞳が揺らいだのを見てられなくて、視線を下げる。手首を掴む力も弱まる。それを機に振り解いて、二、三歩後ろに下がって距離をとる。
「カイ」
「だから、ごめん……」




