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25 賭けの話

「賭けですか……?」

「そう賭けだよぉ」


 オレのちっさい声での問いかけにご丁寧にも向こうは繰り返してくれた。それがますますオレを混乱させる。


「平民のオレに貴族の貴方がなんだってそんなことを……」


 何か目的があるなら、貴族なんだから賭けなんて面倒な過程を飛ばして要求突きつけてやれば良いのに、どうしてそんなまどろっこしいことするのかが分からない。ギャンブル好きだとしても、同等レベルの貴族同士でやった方が盛り上がるだろう。


 困惑しているオレの質問に対して、マイスター様はにっこり笑う。すっげぇ、貴族の笑顔っつったらこうだろってくらい、完璧な作り笑顔だった。


「お前がムカつくから、気に障るから、不相応にも程があるから」


 ……前々から遭遇する度にも薄々感じていたけれど今ので確信に変わる、オレなんでか知らねぇけど、この人にめっちゃ嫌われてんな……。


「だから徹底的にへし折ってやりたいんだぁ」


 剥き出しの嫌悪を向けられて、目を逸らすことも出来ず硬直する。何か言葉を紡ぐべきかも知れないが何も出来ない。ただ、その貴族特有の綺麗な顔を見て、ああオレこの人に嫌われてんだってことを実感するしか出来ない。


 真っ赤な瞳の色が、業火だったり、血液だったりと、物騒で恐ろしいものと被って仕方ない。


「カイのこと何も知らないでしょうに、いきなり何を――」

「いい、つーか、やめてくれダックス」


 何か文句を言おうとしたダックスの肩をオレは掴む。ダックスがなんでだと言うようにオレを見てくる。紫色の瞳から不満と悲しみと憤りを感じて、優しい奴だなと改めて思う。


 でも、貴族相手にお前が生意気言い過ぎたら潰される。なんだったら今までよく何もやられずに済んだのは幸運と言っても良い。貴族の中に平民に理不尽な態度を取る奴なんて腐るほどいるのは、オレだってダックスだって知ってる筈だ。


 しかも今回のはその理不尽とかでもなく普通に無礼の範疇に入ってしまっている気もする。貴族に平民が無礼な真似するなんて、逆らうなんてことを良しとする社会構造ではオレらの国はない。

 普段自衛の為だろう容量良く貴族と距離を取っている友人が、オレの所為で突っかかりに行って酷い目に遭ったりしたら嫌だ。


 それにさっき言われた「不相応」という言葉と最近のことを思い返せば、嫌われる理由なんて十分じゃねぇか。


 軍人になりてぇ訳でもねぇのに知的欲求と好奇心から軍学校に入って、

 平民の癖に座学が少し出来るからって貴族しかいないCクラスに入って、

 闘うことが好きじゃねぇのに惰性と偶然で武闘大会の出場して、

 総合的に見ればよく見ても凡人程度の癖にエゴからの理由で話しかけに行って、エルみてぇに見た目も中身も何もかもすげぇ奴と仲良くなった。


 だからズルいっていうのも、妬まれるってのも分かって――


「あはぁ、少しは知ってるよ。一年の頃に黄のあいつに玩具にされてた奴を助けられずにいた奴でしょお?」

「な、なんで知って……」


 思いがけない言葉にオレの脳はその前に考えていたことが全部吹っ飛ぶ。

 黄のあいつ、玩具、助けられずにいた、曖昧な言葉だけどそれらが結びついて導き出されるのはオレには一つしかなかった。そしてそれは平民や寮関係者と当事者と黄の令嬢程度しか知らないと思ってた。


 少なくとも、赤の貴族が、関係ない筈の貴族が知っているとは思わなかった。


「偶然通りかかって通り過ぎた倉庫が五月蠅かったからねぇ」


 「五月蠅かった」、その一言でオレはその貴族の顔をまじまじと見る。

 予想だにしない追撃を食らったせいで、意味を飲み込むのも躊躇してしまうが、飲み込まない選択もなかった。味があるとしたらそれはとても苦かっただろう。


 ……倉庫に五月蠅かったって、噂で聞いたこととかじゃなくて、現場に出くわしたってことじゃねぇか。


 貴族の顔から読み取れるのは、この貴族にとってあの事件は取るに足らない事件だったっていうことだ。思わず「どうして……」と声を漏らしてしまうのも仕方がない。


 聞いてたんなら、知ってたんなら、どうして放置したんだ。

 貴方なら、貴方のような貴族ならあいつをどうにか出来たのに、先輩を助けられたのに。どうしてそれが出来た貴方はそれを放置して、簡単にそれをなんとでもないように語れるんだ。

 オレらのことなんてどうするべきも無いってか、平民なんてどんな目に遭おうが知りやしねぇってか。


 握った拳に力が入る。


「はっ、不満気な顔するねぇ。そういうところムカつくねぇ」


 ムカつくって見捨てたあんたが言う立場じゃねぇだろうとも思った。でも同時にああこういうクソみてぇな貴族もいんだっけと思い出す。

 まともにぶつかったところで、向こうがまともに取り合ってはくれねぇだろうし、下手に損するだけで、流すのが一番だと思い直した矢先、赤の貴族が不機嫌そうに顔を歪めた。


 虫けらでも見ているような顔だった。ああ、らしいなって思った。


「救われるのが、守られるのが当たり前だと思うなよ。お前も何もしないでいた癖に」


 冷たい水をぶっかけられたみたいな衝撃を受けた。


 それと共に赤の貴族への嫌悪や怒りも一瞬で消沈する。だって、彼の言っていることはもっともな気がした。


 何もしないでいた、ああそうだオレはあの時何もしなかった。


「何もしてない奴が何か変わることを望むだなんて烏滸がましいんだよっ」


 力が抜ける。それと共に目から水が溢れそうになるが、泣く権利なんぞオレにはねぇから、袖で拭う。


「カイ、気にするな! お前の状況じゃ誰だってどうしようもなかった!」


 ダックスそれは違うぞ。きっと副寮長なら寮長を助けられたんだ。今の寮長なら、デューター先輩ならどうにか出来たんだ。

 あの時いたのがオレだったから、オレが何もせず、むしろ守られたから寮長は、ノア先輩は傷ついたんだ。

 証拠に事態に収拾をつけたのは元副寮長と黄の令嬢で、オレは何もしなかった。目の前の見て見ぬ振りした赤の貴族と一緒だ。


「ほら、お前ずるいよ。そうやって今だってオヒメサマやってれば良いんだから。妬まれるんのも恨まれんのも自業自得だ。自己防衛すら他人に任せてさぁ」


 そんな指摘にオレはビクッとするものの、何も言えそうにない。それが赤の貴族が言っていることが真実だと証明しているようなもんだって分かってる。でも言えない。何も言えない。舌が凍ったように動かない。


 オヒメサマって呼ばれ方は大っ嫌いだけど、だけど今そう言われると否定しようが無かった。

 他人に守ってばっかの存在だ。それでオヒメサマって言われてもある意味仕方ねぇし、なんならオヒメサマに失礼だ。目を見るのも怖くて視線を下げてしまう。


「カイ、そいつの言うことに耳を貸すな!」

「世の中不平等で救いなんて来ない奴にはいつまでも来ないのにさぁ。来るのに慣れちゃった奴はそうやってすぐ他人を頼って、自分の足で立たなくなる。その内、自分のことを棚に上げて他人の所為にし出すんだ」


 ダックスの強い口調の方が本来なら届きやすいだろうに、今は反対に淡々と鬱々とした赤の貴族の言葉の方がどうにも頭にこびりつく。


 恐る恐る顔をあげれば、赤の貴族と目が合う、鋭いその赤い瞳に呼吸が一瞬止まる。


「そんなクソ野郎が、可哀想な奴のフリしないでくれるぅ?」


 クソ野郎呼ばわりには妙に納得がいってしまうし、可哀想な奴のフリというのも頭の中ですら否定できない。言語で何か示すことが出来ず泣きのような笑いのようなよく分からない「ははっ」という声が出る。


「てんめぇ!」

「なっ、ダックス!」


 そうこうしている内にダックスがらしくもなく、赤の貴族に殴りかかるのを見て、やっと正気に帰る。というかダックスの奴何やってんだ!


 オレの動揺とは反対に殴りかかられた当の本人は冷静だった。

 最小限の動作で避けて、そのまま綺麗に足払いをしてダックスを地に伏せさせる。ダックスはその対応に目を白黒させたものの、すぐに起きあがろうとする。


 だが、それを赤の貴族はダックスの頭を踏むことで阻止する。灰色の髪と黒い靴の組み合わせは通常なら到底拝めない光景だろう。


「生意気だねぇ」

 人の頭を踏みつけながらそう言う赤の貴族を見て、オレは友人の身が心配になる。


 ダックスは優しい奴だからオレのことで怒ってくれたんだろうけど、貴族相手に暴力振るうってのは未遂とはいえ大問題だ。心臓がバクバクいってる。


「おいたもたくさんして、危なっかしいねぇ? 君立場分かってる? 死に急ぎかなぁ? 

 ……でも俺君みたいな奴は嫌いじゃないから許してあげる。遠距離系が得意な子が近距離系得意だって分かってる奴に近接戦挑むのは愚かだけどねぇ?」


 怒ってる、そう思ったが、ダックスを見下ろす赤の貴族は穏やかで、その視線には慈愛すら感じた。後半の語りかける口調は親が子供に優しく注意する時のようだった。


「クソ貴族に俺は何言われたってどうでもいい。それより、カイは善良な平民なんだ。お前らみたいな血生臭い貴族の都合に巻き込むなよ。獣が」


 それに対し、ダックスは貴族の怒りを買わなかったことにほっとすることもなく、敵意を継続し続ける。こんなに柄の悪いダックスなんて初めて見た。それに普通こういうのは穏便に済ませる筈だってのに、どうして。


「獣とは随分優しい表現するねぇ。俺は化け物だと思うものぉ。そんで……なんで君みたいな子がこいつを守るの? こいつの為に怒るの? さっきのもリスクしかないし」


 前半と後半で赤の貴族の声に酷く温度差があった。

 よく分からんが、多分、ダックスにはそこまで悪い感情を持ってないのだろう。そんでそのダックスがオレみたいな奴を気にかけているのが納得いかないようだった。


 なんならオレだって困惑してる。ダックスがオレの為に怒ってくれるのは分かるけど、やっぱ貴族相手に歯向かうにはリスクがでか過ぎる。スルーしときゃ第三者のダックスは別に巻き込まれねぇってのに、なんで?


 赤の貴族が踏みつけるのをやめたので、ダックスはゆっくりと立ち上がる。立ち上がったダックスは大丈夫だと言うようにオレの肩に手を置いてから、そんで紫色の瞳で真っ直ぐ赤の貴族を捉える。


「カイは俺の友達だ。そんで良い奴だ。オレは良い奴が、何も悪くねぇ平民がお前ら貴族の気まぐれでめちゃくちゃにされんのだけは許せねぇし、その時は守るって決めてる」


 ああ優しいなぁ。どこまでも優しいし、良い奴だ。

 ダックスはこんなオレでも良い奴だと言ってくれる。でも、今のダックスの発言でオレは確信を持っちまう。


 ……オレは、良い奴なんかじゃねぇ。

 本当に良い奴は逃げたりしねぇ、我が身可愛さで引いたりしねぇ。今のダックスみたいに、今朝のエルみたいに、友達守る為に自分の危険に晒してでも頑張るんだ。

 俺はそんなん怖くて出来ねぇ、今だって碌に何も出来ねぇ。怖くて怖くて何も出来ねぇ。臆病者の役立たずのクズだ。


「ふーん……言うほど良い奴かな? 俺には、ただ恵まれた環境にいるだけの何もしない奴に見えるけどね。あと、君そんなじゃこいつみたいな奴のせいで損するよ」


 聞けば聞くほど赤の貴族の言っていることは正論で、正直耳が痛いし、聞きたくない。でも耳を塞ぐ権利はオレには無い。それにこれは聞かなければならいものだ。


「良い奴かどうかは俺が決める。そんであんたみたいなクソ貴族に絡まれたりしてんだから、そこまでこいつ恵まれてない。むしろ苦労してる。それに、俺が損するんだとしたらカイの所為じゃなくて、お前みたいな奴の所為だ」


 でもダックスはそんな愚かなオレを庇うように、紫色の瞳で赤の貴族を睨み続ける。


 なんで、なんで……先輩もエルもダックスもオレみてぇなどうしようもない甘ったれた奴をそんなに大切にすんだろう。良い奴って言ってくれるんだろう。


「………………まあいいやぁ。本題に戻ろうか。カイ・キルマー、君と賭けをする」


 赤の貴族はダックスのことを少しの間見つめてから、理解するのを諦めたようにそう手をひらりと振って、脱線していた話を元に戻した。


「ルールは簡単。次の試合で君が降参を宣言したら君の負け、言わなかったら君の勝ち。そして君が負けたら君のペアのエ、ジングフォーゲルくんに学校を退学してもらう」

「は? えっ⁉︎ なんでオレとの賭けの話でエルが出てくるんですか!」


 淡々と説明される中、とんでもない要素っつーか、予想外の内容が混じって思わずそう口を出してしまう。

 いや無茶なこととか、嫌なこととか提案されるのは予想できるっつーか、そんなもんだろうなって思ってたけどよ、その矛先がオレじゃない奴とは思わなかった。


 なんでオレとの賭けでエルの名前が出てくるんだよ⁉︎


「いや君を退学にしたところで君は少し時間が経てばケロッとしてそうだから。優秀なジングフォーゲルくんの方が君がへたれな所為で退学させられて、君は何故か残されたら、周りから責められたり、罪悪感で長期的にダメージ負うんだろうなって」

「……陰険だな」


 ぼそりとダックスが隣でそんなこと言うが、まずはそうじゃねぇだろ。

 それってオレの所為でエルが巻き込まれるってことだよな、そんなのダメだろ。


「どうとでも言えばいいよぉ。なんだったら賭けなんてしなくても勝手に退学にさせちゃうことだって俺には出来るんだよ?」


 笑って向こうはそう言ってみせるが、こちらとしては全く笑えない。

 確かマイスター家は侯爵家か伯爵家だった筈、平民一人退学させることなど容易く出来る。そういう力もあるし、する気もある。その事実だけで恐怖に落とされる。


「……オレのこと、嫌いなのはもう諦めます……でもエルのことは関係ないじゃないですか」


 声が震える。最近暖かくなってきて今日は日も出てるのになんでだろうな。


「うん、でも他人巻き込んだ方が効果的でしょぉ? お前の評判は地に落ちる、地に落とす」


 後半の声は酷く低い。そんでオレの評判も落ちるけど、それを仕掛けたマイスター様の方の評判落ちると思うけどそれでいいのか……いや、そんなのどうでもいいってほどオレの事嫌いなんだろうな。


 なんにせよエルが巻き込まれるのは理不尽だ。


「エルの意思や意向は無視するんですか? あいつは関係ないでしょう?」

「うるさいなぁ。黙れよ」


 背筋が一気に伸びる。それだけの威圧感と強制力がその声にはあった。


「カイ、引いておきな。たとえ賭けに負けたとしてもお前良い奴だからすぐに評判なんてどうにかなるさ」

「ダックス?」


 肩を引っ張られ思わず、そう友人の名前を呼んでしまう。紫色の瞳は警戒する様にマイスター様に向けられていたが、名を呼べばこちらに向けられる。


「これ以上、噛みついても碌なことにならないに決まってる。だから大人しく引いておけ」

「でもっ……これはオレだけの問題じゃなくてエルも関係あんだぞ? オレの所為でエルが退学させられるかも知れねぇんだぞ? オレの所為であいつが巻き込まれてんだぞ? そんなん駄目だ」


 真剣に諭そうとする友人の姿に一瞬言葉に詰まるが、エルのことを思うと黙っている訳にはいかなかった。それにダックスだってさっきオレより噛みついてただろ?

 だから動揺しながらも思ったことを口にするが、彼はむしろ眉間に皺を寄せるだけだった。


「違う!」


 ダックスに両肩を掴まれ、向き合わされる。


「ジングフォーゲルが退学させられたとしてもお前の所為じゃないこの貴族の所為だそんで貴族の気まぐれの巻き込まれてんのはお前の方だよ」

「……でも」


 早口で捲し立てられて圧倒されてしまうが、何か言い返そうとする。

 でもオレの頭は碌に働かず何も言葉が出てこない。感情はぐちゃぐちゃとたくさん胸の中に渦巻いているのに、それを言語化することが難しい。


「とにかくそう言うことだからよろしくぅ」


 仲間内で意見が対立している内に、もう決まったからというように赤の貴族が、マイスター様が立ち去る。


「ちょっと待って下さい!」


 このままじゃダメだと追おうと足を踏み出すが、一定の距離を過ぎた後、ガクンと自分の体が後ろに下がる。


「ダックス……」


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