24 厄日かもしれない
「カイ、どうしたんだ? 顔が真っ青だぞ」
平民が固まっている側の観客席の方に向かえば、観客席の後ろの通路に居た元同室者のダックスが紫の瞳を見開いて駆け寄ってくる。
どうして観客席の方へ向かっていたのかは分からない。何故か足が向いていた。エルを探していた筈なのにな。
ダックスは少し前に出くわしたブープと同じ、オレの一年の最初の頃だけだけど、元同室者だった奴だ。
灰色の髪と紫の瞳に白い肌と色素が薄い所為で冷たい奴に見えるかもしれねぇが、面倒見が良くて優しい奴で、今年入った後輩達にも懐かれてる。
みんな試合の方見てるから気づかれねぇと思ったのに、なんで後ろに目があんだろってくらいの速さで気づくんだよ。猟師の息子だから気配に敏感なのかもしれねぇけどよ。
そんで、そんな見てすぐ分かるほど顔に出てんのか。
「あ、いや……別に大したことねぇ」
どう答えようか迷ったけど、素直に言ったところで混乱させるだけだし、黄の令嬢令息達も望ましく無いし、オレも危ういことは避けてぇ。それに、真っ青になった理由を考えるとなんとも情けねぇし、黄の令嬢には以前世話になったってのにビビっちまって失礼だし、ダックスにも部屋一緒だった頃先輩のことがあってから散々迷惑や心配をかけたから、言いたくねぇ。
だから、そんな曖昧なことを目を逸らしながら言った。
「あんま無理するなよ」
ダックスが少し眉を下げてから、そう口にする。右目に思い切りでかい傷があるから一見怖い奴に見えるくせに、こいつはやっぱ結構優しい。
だからこそ心配をかける訳には以下ねぇ。それにオレは無理とかはしてねぇし。
「なんか分かんねぇけど、ありがとな。あ、そういやブープの罰ゲームに出くわしたけど何したんだ?」
「……試合中でカイがいつ音をあげるか当てるのやってて。ブープは一試合目だったよ」
「お前ら、なんつー遊びしてやがる」
適当に話題をずらせば、とんでもない回答が返ってくる。
いつ音あげるかって、オレが音をあげること前提でいやがる。優しいとかさっき思ったけど、その感想訂正してやろうか?
そしてブープの奴は一試合目で音をあげると思ってたとはな。失礼だなと文句を言いたいが、正直一試合目の時点で音をあげそうっつーか、諦めてダウンしようと思ったからなんも言えねぇや。
「昨年お前も似たようなことやってただろう?」
まあまあと宥めるように言ってくるが、オレの昨年のは誰が勝つかで賭けしてたって奴だぞ。
「オレのは勝つのが誰かっつーポジティブな奴だっての。オレが音をあげるとかネガティブにも程があんだろ」
「俺は別にネガティブだとは思ってないけどな」
「どう考えてもネガティブだろ」
だってオレが音をあげたら「賭けに勝ったぞイエーイ!」ってなることだぞ。人が醜態晒してんの見てそんな楽しいか? いや楽しいのかも知れねぇけどよ。
特に「なんであんな奴が出てんだよ」とかオレの出場に不満を強く抱いてる奴らとかにとっては、いやでも逆に根性無しってキレるか? どっちにしろ敵意を向けられているのは間違いねぇ。
「どうしてだ? カイは苦手なことをしなくてよくなるからめでたいじゃないか?」
「は?」
だが、元同室者の白に近い灰色の髪の少年に思考回路はオレの予想外の範囲まで行っていた。
「そもそもカイは争い事とか嫌いだし苦手だろ」
「まぁ、そうだけど……」
そこんとこは間違いないので頷いておく。なんなら軽い口喧嘩程度ならまぁいいが、普通の喧嘩レベルになると全速力でその場から立ち去りたくなる。見るのも嫌だし、自分自身が当事者になるのもまっぴらごめんだ。
幼い頃、市場に行ってたから大きな音には慣れているものの、怒鳴り声とかそう言う争いの類の音にはビビってその場から逃走した結果、よく迷子になっていた。つまりビビリだ。
今じゃ、クレーマー程度ならなんとか平気だが、進んで自分から激しい争いをとかしたいとかは思ったことはない。出来るだけ穏便にことを済ましたい。
軽口で冗談言い合うとは良いけどな。あと、貞操の危険を感じた時はパニックで手が出るが、あれは滅茶苦茶心臓に悪い。
「だったら、やらなくていいだろう?」
「……いや、なんつーか争い事と試合は別もんじゃね?」
紫色の瞳があまりにも真っ直ぐなものだから一瞬納得しかけるが、すぐに思い直してそう口にする。
そこごっちゃにしちゃあ、なんつーか失礼な気がするし、そもそもこの大会自体にケチをつけているような気がする。
「カイはそう思うのか……まあそれでもカイは無理しなくていいと思うけどな。お前、こういうの向いてないよ」
「確かにそうだけどよ……」
ブープに続き、もう一人の元同室者もオレがこの大会に不似合いだと口にする。自分でも散々思ってたけど、ダックスみてぇなしっかりしたやつに言われるとなかなかダメージがでかい。いや事実、事実だけどよ。
「そんな暗い顔するなよ。得意分野と苦手分野を考えればお前は今回の大会にいるのは不合理だってだけだ。カイには他で得意なことがあるんだから、不利な盤上に立って辛い思いをする必要はないだろうってことだよ」
だが、流石ダックスというか理路整然としている。そしてやっぱり優しいから、今は不利な盤上に無理やり立たされているんだと、他に向いてることがあるだろうとすっげぇ爽やかな笑顔で言ってくる。
正直、ほっとした。
だって、オレ強くもねぇのに本戦出ちまって、申し訳なくて、でも頑張らないとって思っててでも出来なくて……だから、別に頑張る必要はないとはっきり口にするダックスの言葉に縋りたくなってしまう。
「へへぇ……そうかもなぁ……」
弱々しい肯定をして置きながら、何故か優しいであろう紫の瞳を見て話していられず地面の方の視線をずらす。
「あのな――っ⁉︎」
唐突にダックスが何かを言いかけている最中にオレのことを引っ掴んで自分の背中に隠す。襟首を引っ掴まれたもんで咳き込む。
「げほっ、急になんなんだよダックス!」
混乱するオレを置いてけぼりにするように、拍手の音がする。気怠げに叩かれたであろうその音はひどくゆっくりに感じられる。
「あはぁ、さっすがぁ、オヒメサマだなんて渾名つけられるだけあるねぇ?」
嘲笑混じりに自分のあまり好きでない呼ばれ方をし、何か口に出そうになるが、
「相手貴族」
ダックスはそう簡潔に小声でオレに向かって現状を告げられ、口をつぐむ。
貴族相手に文句を言っても効果どころか、下手したら機嫌損ねて潰される。平民側はいつも貴族の前では下手に出るのが正解だと決まっているから。
何を言われようが、何をされようが、大人しくしている他にない。
「はじめましてかな? カイ・キルマーくんと、あとダックスくん? 俺はデアーグ ・エルピス・マイスター、君の次の対戦相手なんだぁ」
現れた背の高い貴族にオレはごくりと唾をのむ。
以前の菖蒲戦でうっかりオレに向かってナイフを投げた貴族、今日の朝エルが怖がっていた貴族、赤の中でも更に異様な家系、マイスター家の次男だ。
エルと同じような赤茶色の髪なのに、あいつとは違う髪の強い癖や、真っ赤な吊り目のせいか、穏やかさなんか微塵も感じられず、むしろきつい印象を抱く。不思議だ。
顔の造形とか浮かべてる表情とかの影響かな。それとも目の下のクマのせいかな。左耳の濃いピンクのピアスも毒々しく見える。
気のせいか観客席の後ろの方に居た平民の連中の後ろ姿にも緊迫感が走ったように見える。
「……こんにちはマイスター様、朝、一応会いました」
「そうだっけぇ? 忘れてたぁ」
間違いを訂正しておかないのもどうかと思い、冷や汗が出るもののそう静かに申し出れば、向こうはどうでもよさげに答える。
……ああ、今日は本当に厄日だ。朝もこの人と緑の物騒な貴族と出会うし、さっきまで黄の公爵子息が迷子になったのを黄の公爵令嬢の所まで連れてって怖い思いするし……。
「カイに何か用事でもあるんですか?」
ダックスがオレの前で穏やかに言う。なのに空気がピリつく。
「うん、あるから君はどっか行ってよ。ガキじゃないんだから、人と話すのに保護者は必要ないでしょぉ? 他の奴らも巻き込まれたくないなら聞こえない距離に行ってねぇ」
笑顔を浮かべながら言っている内容は、その表情とは反対に反友好的だった。
近くにいた平民連中はいきなり勝手に平民だらけの観客席近くに現れた者の申し出とは言え、貴族相手だから何も言わずに引いていく。それが当然の反応で、最善の判断だからだ。
けれど、たった一名だけは退かずに、むしろ一歩前に進み出て笑った。
「保護者って、俺はそんなものではないですよ。なんですか人に聞かれたら不味い内容でもあるんですか? だったら俺にも聞かせて下さい。俺、野次馬精神凄いので中途半端に聞かされると気になってしまうので」
煽りも混じった言葉で退かない意思を示したのはダックスだった。
「あはぁ、俺に向かってそんな生意気言っていいのぉ?」
赤の侯爵子息の言葉にオレは血の気が引く。
「ダックス、オレのこと心配してくれてんだろうけど危ねぇよ。相手確か侯爵子息だぞ」
「知ってるさ。だけどこんな血生臭い奴に敵意向けられてんのに放って置いて行けないよ」
「は?」
焦ってダックスにそう耳打ちをするが、ダックスが妙な返答をするので混乱する。
血生臭いって……生肉持ってるとかか? いや、アホかそんな訳ねぇだろ……さっきの試合で木の模擬刀で相手を出血させたからか?
小声で話してたにも関わらず、向こうは聴こえていたのか真っ赤な目を歪めるように一瞬細めたのを見て、喉がヒュッと鳴る。
「……ふーん、ダックスくんだっけ、君、木の上でエルのこと観察してた子でしょぉ?」
しかし意外にも目の前の貴族の声音が穏やかになったのでほっとするものの、言葉の内容を理解すると共に今度は隣の人物に対して不審に思う。
「お前そんな変なことしてたの? 普通に話しかけろよ」
なんだよ観察ってストーカーかよ。普通にオレとエルは友達で、ダックスとオレも元同室者で友達なんだから話しかけてくればいいのによ。
「あの時のあれって貴方だったんですか……」
オレの視線にも言葉にも気づかないのか、気づいた上でスルーしてやがんのかは知らんが、ダックスは紫色の瞳を見開いて、赤の貴族マイスター様を見る。
「うん、そう……そっかぁ、君なら居ても話に支障ないだろうから居てもいいやぁ」
「……支障が無いとはどう言うことですか?」
ダックスが不審げに眉を顰めるのに対し、赤の貴族は面倒臭いと言うように頭を掻く。
「いちいち聞かれたこと答えてると長くなるから単刀直入に言おうか」
ふぅっと短く息を吐いてから、マイスター様は
「カイ・キルマー、俺と賭けをしようよ」
そう、オレに賭けを提案してきた。
いや提案なんかじゃねぇかも知れねぇ。だって、真っ赤な瞳がこちらを射抜いているように見えるから、貴族に本気を出されたら平民のオレはどうも出来ねぇから。
提案じゃなくて、強制しに来たんだろう。