【グシオンの瞳】
街の外にある最寄りの森林にアガトは単身足を運んでいた。
この周辺に発生している魔物はさほど強力な種類が生息しておらず、アガトだけでなく駆け出しの冒険者であってもさほど苦戦しないだろう。
早速そこで魔物を発見する。茂みから出てきたのは《プレーン・ゲル》という無色の粘体生物だった。目や鼻といった部位もなく、ゼラチン質の固まりが地面をゆったりと這っていた。緩慢な動きと柔らかさ、動物の死骸や昆虫などを補食する生態から危険度は少なくメジャーな魔物だ。
子供でも頑張れば倒せる相手だが、倒しても経験値が少なく素材が採れるわけでもない為、慣れた冒険者であればわざわざ討伐せず放置されることが多い。
そんな魔物だがアガトは様々なことを試す為にあえて挑む。
まずは修得したばかりの魔法【ゴルトス】について。まずはなにも持たないまま口で「【ゴルトス】!」と唱えるだけ。
なにも起こることはなかった。やはり硬貨がないと発動しないのだ。
次に懐から銅貨──10ゴールド相当のコインを取り出し、その手で握った状態で【ゴルトス】を唱えるも変化は起こらなかった。
今度は《プレーン・ゲル》に向けて軽く放り投げた。
「【ゴルトス】」
すると昨日と同じくその硬貨が光弾と化す。狙っていた魔物に向かって飛んでいった。
直撃するなり光は弾けて霧散し、《プレーン・ゲル》の柔軟な肉体がぐにゃりと歪んで宙を舞った。
しかし《柱の悪魔》の時とは異なり相手はまだ健在で全身をうねらせていた。
今度は無言で銅貨を投げつけるも、普通に無色透明な体に軽く当たって弾かれてしまった。
そしてもう一度口を閉ざし、心の中で念じてみる。
(……【ゴルトス】!)
そうして投げるとまたもや光弾となったそれが相手を攻撃する。粘体生物は弱った様相を見せ始めた。
(やはりそうか)
このように検証を経てアガトは法則性を明瞭にさせていく。
よって【ゴルトス】の発動条件は二つ。
硬貨を投擲し、詠唱を口頭なり思考なりで行うこと。一度放てばその硬貨は光弾となって消え失せ二度と戻ってくることはない。
この魔法は複数枚を投げても一度に【ゴルトス】へ変えることが可能で、命中精度に関しては自分の力加減に関係なく狙った相手を追尾する。
極めつけに汎用性があり、投擲から発動までのタイムラグが緩い。投げた硬貨が地面に落ちた後に【ゴルトス】を詠唱すれば光弾に変化するのが確認できた。
そして消費した金額に応じて威力が左右され、他にも遭遇した魔法耐性のある《レッド・ゲル》と物理耐性のある《レッド・ゲル》にも半減されることはない。ニ種の魔物にも10ゴールドで10のダメージを与えられたからだ。
法則からして1ゴールドに対して1のダメージが与えられると考えて差し支えないだろう。
なぜそんなことが分かるのかという疑問であるが、アガトの新たな能力によるものである。
それは【グシオンの瞳】という分析魔法の一種。
ギルドの受付嬢らが扱う対象を調べ上げる【査定】の魔法と酷似する力で、羊皮紙といったものに写し取る必要はなく、その場で対象の体力や力量を数字化したものとして目で見ることができる。
どうやらこれは、付近の潜んでいる魔物なども視野に入れるだけで透過するように見つけ出せることもできる便利な力だった。これなら敵意のある刺客などにも注意ができる。
《柱の悪魔》を倒した際、ごく稀にその力の一部を得ることができるとされ、そういう特殊能力を持った冒険者も存在するという。
恐らくグシオンが持っていたあらゆるものを見通すとされる能力の片鱗が討伐したアガトに宿ったのだろう。
これによりアガトは魔物の体力を正確に計ることで、たとえば《プレーン・ゲル》の体力が35だとすれば銅貨の【ゴルトス】を四発で倒せるなどの効率的な攻撃が可能となった。
この魔法を攻撃に使うに当たって、どれほどの硬貨を放つべきかが把握できるのは大きい。高い額を無闇に払わなくて済む。
(それでも無意味な出費は避けていきたいところねだ)
これは仮定の話だが、2万ゴールドの報酬が貰えるクエストで一体につき体力が1000の魔物を十体倒すというだけで最低でも1万ゴールドを浪費することになり、倒すだけで利益が半減されてしまう。
そこに本来ならばポーション代、剣や弓と言った武器の消耗の補填といった経費が差し引かれ、相当やりくりしなければ恐らく通常の冒険者よりも儲けとしては非常に悪いだろう。
一応素材や魔物が稀に落とす魔石──魔力の結晶化したもの──などが売れるといっても安定してはいない。
そして前述の通り強大な魔物ともなれば此処にいるゲル系のモンスター数十体の強さとタフさを誇っているのなんてザラである。《柱の悪魔》ともなれば更に桁違いだろう。
そう考えれば昨日のグシオンも数十万……下手すれば100万近い体力であっても不思議ではない。つくづく大金貨に手つかずのままでよかったとアガトは痛感する。
そういう明確な計算ができて、俄然意欲的な戦闘に向いてはいないと断言できた。あくまで身を守る為に使うくらいがちょうどいいだろう。商人が旅を始めるとすればただでさえ賊にも狙われやすいのだから。
(そろそろ戻ろうか)
あらかたの試行を終えたアガトは街へと戻ることにした。
明日の朝には他の行商がキャラバンで出発する。そこに同伴して移動する予定である。
そうして四方を外壁に囲まれたフローレンの街に着いた頃にはすっかり夕方になっていた。
「お兄ちゃん」
門を通り、広場を修繕している光景を見ながら素通りしているアガトに声がかかる。
「君は、確か……」
彼の前にいたのは、昨日《柱の悪魔》の襲来に居合わせたあの金髪碧眼の少女だった。
おずおずとした様子と舌っ足らずな声で話を切り出した。
「あのね、大事なお話があるの。ちょっとこっちにきて」
†
少女に人気のない路地へと連れられたアガトは警戒心を強めていた。
観察していればそこいらの市民とは一線を画す立場の人間であるのは見てとれる。
まずはその身なり。白と金を基調としたゴシックのドレスはフリルや刺繍の模様がついているほど精巧で瀟洒な作りになっている。
左右にリボンで結った髪のツヤなんて毎日のように手入れしていなければ保てやしない。
騒ぎの時は気にしていられなかったが、この金髪碧眼の少女はどこかのお金持ちのお嬢様であると見立てていいだろう。
ようやく立ち止まったのでアガトは口を開く。
「それでボクになんの用だい? 生憎、大したお金は持っていないんだけどね」
「見え透いた嘘を吐いたって無駄よ。あたしにはお見通しなんだから、アンタの中には大量の金貨があるってことはね!」
振り返った彼女が快活で小生意気な口調でそう言った。
こちらを呼び止めた時のおしとやかな態度や言動が豹変する。猫をかぶっていた。
端正で愛くるしい顔立ちが先ほどとは真逆に勝ち気な微笑に彩られている。
アガトは辺りを見渡し【グシオンの瞳】を用いて誰かが潜んでいないのか確かめる。待ち伏せの気配はなし。
単なる子供の悪ふざけだったか。安堵とともに思考を切り替える。
「お小遣いをねだるなら親御さんにしなさい。お金に困っているようには見栄ないけれど」
「子供扱いはやめてちょうだい。この女神ノーマ様には家族なんていないし必要ないわ」
「……なんだって?」
首を傾げるこちらとは対照的に至極真面目な顔で「聞こえなかった? もう一度よぉく聞きなさい」とふんぞり返って腕を組む。
「あたしは女神にして地母神ノーマ・コルヌコピア! この世界で土を司る神様よ! ワカメみたいな髪したアンタを臣下として召し仕えてあげるんだから光栄に思いなさい!」
そんな横暴な台詞をドヤ顔で言って退けた姿は実にかわいらしいのだが、反応に困った。
お礼を言いたいのでもなく頼みごとや物乞いをしたい訳でもない、予想外の発言だ。
「そしてアンタの第一の役割はこれから100億ゴールドを稼ぎ、あたしに供えることよ。そのあかつきにはなんでも願いを一つ叶えてあげるわ!」
どこまで付き合えばいいのか分からないのでとりあえず話し合いやすい状況を作ることにした。
「えーと、詳しいことは広場の露店でも行って話をしようじゃないか。そこに美味しい菓子店があるんだ。お代はボクが払うからさ。こんなところでこそこそ話してたら怪しまれるからね」
「それは殊勝な提案ね。その調子であたしに貢ぎなさい!」
自称女神はそう快諾して路地から颯爽と脱する。食べ物で釣られる様子は如何にも子供らしい。
次回更新予定日9/4(金)