2章 19話
久しぶりに勢いで書いた。
人称って難しいですね。
連続的に重低な律動を奏でる車体が揺れ走る。
一等客室では緩和されていたその感覚、列車独特の心地よい衝撃を三人は無意識に楽しんでいた。
遠目に見える連結部分ごとに奥の床は傾きを変え、伸びゆく世界はまるで捻じれ曲がっているようだ。
エリスにとってその様は十分に神秘性を感じる光景だった。
「やはり列車にはこの揺れが無いとな。集中を要するならばあの客席も好ましいが、そう、風情が無い」
エドワードは走り去る風景を愛しむような眼差しで眺めながら言う。
その口元は緩み、薄青い瞳が平時と比べて、目に見えてわかるほどに輝いていた。
「列車好きなの? エドワードさん」
そんなエドワードの様子を見て、ジェノスはこっそり静かに微笑みながらエリスに尋ねる。
「特にそう聞いたことは無いけど」
エリスは、ジェノスの問いに苦笑しながら返答をする。エリスの知る限りでも父がこうも浮かれている姿を見るのは珍しかった。
「特別好きというわけでもないさ。それにお前たちも心なしか嬉しそうじゃないか」
声を落としながら話された内容をしっかりと聞いていたエドワードは否定の言葉かぶせる。そのニヤリとした笑みを見て二人は言葉を止める。
「だって、列車のに乗った記憶も無いから新鮮なんだもん。二人はよく乗ってるかもしれないけどさ!」
そして、エリスは若干目を吊り上げて、拗ねたように言った。
仕事とはいえ飛び回っているエドワードを羨ましく思うからだった。
両親は世界中を飛び回り、自身は自室で黙々と書類を片付ける。人によってはどちらがよいかなど意見が分かれる環境だったが、エリスにとってはそれは羨ましいことだった。
さらには、今回の同伴者であるもう一人も世界各地を回っているようであり、一人仲間外れを受けている気分でもある。
楽しくはある、しかしあまり面白くない。というのが、エリスの心境だ。
「そうでもありませんよ? 私も久しぶりです。少なくとも3年は乗っていませんし」
ジェノスが両手の平を天井へ向けて伸びををしながら言った。
楽ですよね列車って、と続ける。
「へ? そうなんだ。でも列車以外での移動手段となると」
ほかの移動法、船か、いや馬車とか? などとエリスは尋ねるが。それも久しく乗ってないですね。などといった答えが返ってきた。
「ふむ、ふつうはそれらが妥当だろう、が・・・・・・」
そんな中、エドワードは眉をひそめると、しばし思考し、
「ジェノス。徒歩、ではないかな?」
エリスが呟かなかった手段をあげてみせた。
「えっとまぁ、徒歩ですね。」
ジェノスは、それがどうかしたのかと言う疑問符を態度に表わし、返す。
「歩きねぇ、大変でしょうに」
「慣れれば、そうでもないですよ」
「って、待って。徒歩、のみ? 父さん、帝国って徒歩で移動できる距離なの?」
「そうだな、列車でまっすぐ、乗り換えや待ち時間を省いて考えたとしても、うむ、4日はかかる。想像もしたくないな、もちろん無理とは言わんが私は願いさげだ」
エリスの足がとまる。そしてそれからブツブツと速度だの距離だのと思われる数式と数値を呟いたのちに言う。
「へ、へぇ~その……か、変わってるね」
何かを言いたげなエリスだったがその言葉にとどめる。しかし、その憐みを含んだ表情は何を考えたかがありありとわかるものだった。
列車や馬車といった交通手段は質を考慮しなければそれなりに安価であった。町を繋ぐ交通業を副業として成り合うものや、相乗りが行われることも多く、ギルドの掲示板などにも足のある者たちの移動が案内として紹介されている。
一部の護衛等を生業にする者を除くと、移動というのは休めず、働けず、危険も多い。
それをできうる限り避け、足を確保するためにも最低限の資金は残すことは旅するものにとって半ば常識である、と幼馴染の熱心な話をエリスは聞いていたのだ。
つまるところ、ジェノスはその最低限の資金が無いのか、あえて有用な移動手段を避けているということになる。
ジェノスの依頼達成数を書類上で知り、明確に腕前を把握しているエドワードは、後者だろうと当たりをつけるが、エリスは前者の可能性も捨てきれなかった。
そして、その親子は共に、変人やかわいそうな人を見るような視線をジェノスに向けるのだった。
「いや、半年以上かかってますからね? 人をそんな目で見ないでください。それに帝国からセイルを目指したわけじゃないですし。転々とした積み重ねですよ」
それだけ転々とした旅を徒歩のみで行う方が珍しい。
「そう言う事にしといてあげる」
「む、いや――もういいですよ……」
エリスの疑うような、もしくは珍獣を見るような視線を受けてジェノスはむっとする。そして、続けようとした言葉を止めてそっぽを向くジェノスを見て、エドワードは何かを堪えながらその様を楽しんでいた。
大口を開けてかぶりつく。サーモンの塩気とオニオン、青野菜のシャキシャキとした触感が口いっぱいに広がる。
サンドイッチはかぶり付くに限る。ペッパーとオニオンの香ばしさが鼻孔をくすぐるのを感じながらエリスはそう思った。
普段はこんなものにまでナイフとフォークを強要されている。だが、そもそもサンドイッチとは片手で食事が取れるようするために作りだされたと、どこかで聞いたことがある。ならばその本来の食し方に沿うべきだろう。
と、ここにいない付き人に向けて抗議するエリスだったが、そんなことを考えているわけにもいかないを思い出した。となりでぶっすりとしている人物をどうにかしないといけないのだ。
「ジェノス~拗ねないでよ~」
「拗ねてませんよ」
エリスは声色は軽いが、いくらかの申し訳なさを含んだ声で呼びかけた。
ジェノスは、毒々しいほどに緑色の液体を飲み干すと、ぼそっとした声で返す。そして、ポテト、ニンジン、オニオンそしていくらかの青々とした葉で彩られたサラダをつついていた。落ち着いた色合いで飾られたそれは鮮やかな赤い果肉を含んだドレッシングで彩られ、崩すたびにアンバランスな色彩へと変化していく。
「まぁ、拗ねて無いというならそういうことにしてやれ」
「ですから拗ねてなど――私を虐めて楽しんでいるでしょう?」
エドワードは相変わらずエリスとジェノスのやり取りを楽しそうに眺め、茶々を入れる。
ジト目でジェノスが訴えるが、その様子は歳不相応の幼さを感じさせ、より一層エドワードのとある琴線を刺激させていた。
「気のせいだろう」
「もぅ・・・・・・すみません、この若葉のサラダ一つ追加お願いします!」
ジェノスは諦めたのように呟くと、何かを振り払うかのようにカウンターに注文する。
「はいよ~」
フランクな声がカウンターから返る。
共有食堂車であるこの場では咎める者はいない。
咎めるような者ならば、上等な客室で食事をとるだろう。また、昼のピークを過ぎ、客も店員も減り、今この時この場には、人自体が少いということもあった。
もっとも、一番の要因は、カウンターの主に誰もが許せてしてしまう。そんな人成りだった。
「はいよ、お勧めを食ってもらえるのはうれしいが、もうちょい肉を食ったらどうだい兄さん」
「まったくだ、遠慮はいらんぞ」
「いやいや、こうしておかわりを頂いてるじゃないですか」
ジェノスはカウンターから手渡されたサラダを嬉しそうに受け取り言う。その言葉にウソは感じられない。しかし、エリスはジェノスのとる食事に肉や魚が一切含まれていないことには気が付いていた。
「ねぇ、ジェノスって菜食主義?」
「いえ、単に好みの問題ですよ」
エリスは学園で学んだ知識の中で妙に記憶に残った一例をあげてみた。
そんな不思議そうに尋ねるエリスに対し、ジェノスは何でもなさそうに答えを返す。
「偏食はいかんぞ? 肉をとることも大切だからな。それにだ、そこにあり、食せる物を食す。それも大切なこと、貴重な出会いを失うぞ?」
その言葉を聞いたエドワードが咎めるように忠告する。その声色には、ジェノスを思う以外にも一部の習慣に対する嫌悪も含まれていることも確かだった。
「魚美味しかったよ~。セイルの市で仕入れたものだろうし、損だよ損」
その様子は飄々としたエドワードにしては珍しい。エリスは、普段見ない父の様子を珍しく思い名がらも、その主張に賛同する。
「お、お嬢さん。良くわかったね。今季のは特に新鮮で美味だ。何せ、貴族や王家、名のある料亭に運ばれるものより活きのいいので作れたからな。ここで働き出してから度々こういうことがある。いや~ここで作れて俺はほんと――」
カウンターの主は、エリスの言葉に食いつくと、嬉しそうに己の環境を惚気た。その言葉は自慢でしかないが、是非とも自身の料理を楽しんでほしいといった感情を伝えに十分な熱意と魅力が備わっている。
そんな、三者三様の悪意の無い主張を受け、ジェノスは少し困ったように笑いながらも、ほんのりと嬉しそうに目元を緩めた。
「う~ん、では夕食にでもとらせていただきます。今はいっぱいですし。……言い訳させて頂ければ野宿の場合そういったものはどうしても偏ってしまうんですよ。折角の機会だったので今の内にと思いってしまいまして」
「う~ん、そういうものかぁ」
ジェノスはきまり悪そうに言った。そして、エリスはそれにも肯定を返す。他人の趣向に口を出し過ぎるのは不味いという考えがあったこと、そして本人はあくまで好みと言ったが、信心深い者には肉の食事を控える傾向がある、ということを身内の紳士が話していたことを思いだしたからだった。
仮にそうでなくとも、これから短くない時間を共にするのだ、つい先ほどの失敗を思い出し荒立てない様に、という考えも少なからずありもした。
「ま、食いだめは効果的ではありませんけどね」
「そうなの?」
顔に付いたパン屑をとりながらエリスが尋ねる。ジェノスの言った言葉に、なるほどと納得したが、すぐにその言を撤回するような言葉が本人から出たたため困惑する。
「蓄えられる栄養とそうでないものがあるんですよ。詳しいことは覚えていませんが、一度に吸収できる量が決まっているとかなんとか?」
「へぇ~、何事もバランス良く……かぁ。物知りね、全然活かせてないみたいだけど。って、ジェノス。もっと砕けて話してよ。敬語になってるわよ」
「ありゃ? は~い、どうも癖なんですよねこの言葉は。ん゛ッう゛ん、よし。友人の受け入りだよ。色々と教えてもらったなぁ」
「へぇ~。その人も学者さん? それと、無理なら直さなくていいわよ? 砕けてくれさえすれば」
「いや、違うよ。事によっては私より古代文明に詳しい人だったけど」
ジェノスは思い出すように口に手を当てて答える。そして、せっかくなので試してみます。と、エリスに言った。
「ふむ、所謂潜りというやつかな?」
「う~ん、どちらかというとフィリップさんに近い感じです。趣味で集めすぎてる、といったような」
「あぁ、そっちか。・・・・・・よくわかったよ」
エドワードは、側近の多すぎる風変わりな収集物を思い出し、呆れるように呟いた。
「展望台にいこ~う!!」
食事を終えた後、エリスのそんな一言で三人の後の予定は決定した。客室で座り続ける事に飽きが来ていたからだ。もちろん常に楽しそうにたたずんでいる黒髪の青年は飽きてはいなかった。
吹きぬける風を全身に感じながら、エリスはルークを抱きかえ、過ぎゆく景色を眺める。山、海、草原、森と多種多様な様が、地平線に広がる。その景色を一同に拝められる展望車は、各席から窓越しに眺めたものとは別の新鮮さがあった。この景色ならば飽きず眺めていられそうだ、と思う程に。
子連れの親子、二人連れ男女、夫婦といった者たちがまばらにいる。列車の音に笑い合う彼らの声はかき消されているが、実に平穏な様子である事は間違いなかった。
「風が気持ちいい~!!」
「クワァ~!!」
エリスは、頭にルークを乗せて、吹く風、揺れる音に負けない良く通る声をあげながら伸びをする。楽しそうに、嬉しそうに。
ルークもルークで、僅か半日ほどしか経っていないにもかかわらず、当たり前のようにエリスの頭上ではしゃぐ。その様は、長年共にする者同士であるかのようになじんでいる。
「クククッ、エリス、そんなにか?」
「うん! やっぱり外はいいね」
屈託のない笑顔。それは、普段書斎で、無表情に淡々と仕事をこなすエリスからは想像もつかないものだった。
「それはよかった。ジェノス、我々は本当に幸せ者だよ。そう思わないか?」
「いや、急にどうしたんですか」
そんなエリスの様を見て、エドワードは笑い言う。ジェノスは困惑と興味を抱いて返した。
「何、言ってみたかっただけさ」
エドワードのその笑みには微笑ましさと嬉しさのほかに、微かに哀しさがのぞいていた。
それは、笑う娘だけではなく、ほかの者に対しての思いが含まれていた。
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