16話
ジェノスは目を覚まし身支度を整えると直ぐに窓を開け大通りを眺めると指笛を鳴らした。
日が昇って間もない時刻。しかし、窓に面した通りは既に活気付いており、露店の準備や呼び込む声で溢れ、既に賑わいを見せていた。
そんな中で鳴らされた高く澄んだ指笛は、騒々しいとも言えるほど響き渡る音群を切り裂き、はっきりと街に響き渡り街の人々の記憶の中に刻まれた。
ジェノスは指笛によって集まった視線を気にすることなく、早朝から賑やかで声が飛び交う街並みを楽しそうに眺める。そして、その視界の片隅で旋回し接近する黒い影を目で追いながら新鮮な空気で朝の挨拶をするのだった。
「おはよう。ルーク」
「クワァー!」
ジェノスは、ルークがバサバサと音を立てながら肩にとまるのを確認すると窓を閉める。そして、優しく頭部をかくと支度した荷物をまとめ、部屋を出た。ルークを肩に乗せながら。
到着初日と同じ露店で購入したりんごを朝食としながら、ジェノスは報酬を受け取るためにギルドに向う。
そして、短いジェスチャーでルークをまた飛び立たせると小さくため息を吐きながらギルドの門をくぐった。
ロビーに入りあたりを見渡すと、到着日と比べ物にならないほどに混雑していた。昨日の件が原因か施設内は騒がしい。
「すみませ〜ん! 依頼の報告に参りました! ジャンさんをおねがいしたいのですが!」
人ごみの中をすり抜けながら、ジェノスは整頓とは無縁ともいえる様の書類の山に埋もれる男性にカウンター席から言葉を投げかけた。
騒がしさと共に、それなりに距離もあるため、その声は若干張り上げられたような声だった。
声に気づいた男は崩れないように手に持った書類を机に載せると、早足でカウンターへ向かいながら返す。
「ジェノスさん無事でしたか。大変なことになっていたと聞いたので心配しましたよ」
「このとおり何とか、しかし・・・・・・そちらも大変そうですね。それに、まさかこんなことになるなんて・・・・・・」
「ははは、これが仕事ですので。・・・・・・それよりもご苦労様でした、はい報酬です」
報酬という声と共にカウンターの上へどさりと音を立てて麻布の袋が出された。
ジェノスはゆっくりと中身を確認すると驚き、そしてその顔はすぐに疑うような視線へと変わった。
「こんなに・・・・・・ですか? もしかしてはじめから危険な仕事だったんじゃ」
中には数枚の金貨と銀貨が入っていた。
ジェノスは今件でも依頼料は把握していない。ある程度の報酬が入れば構わないと考え、細かく金銭を管理しないからだ。
しかし、依頼の相場からかけ離れた額であることは理解できていた。さらに言うならば国内通貨で無く、金貨、銀貨で払われることにたいしての驚きもあった。
「いいえ、違います。これはエドワードさんに『助けてくれたお礼に渡してくれ』と頼まれた
のですよ。ちなみに正式な報酬は、銀貨6枚ですので」
「そうですか・・・・・・。そういえば、あのあと犯人は見つかりましたか?」
「それなんですが・・・・・・これは内密にお願いしますよ。ジェノスさんからの情報で東外れのボロ小屋にいる所を兵団が取り囲んだようなのですが」
不吉な言い回しだ。ジャンは自身の言葉に疑わしそうな声色で続ける。
「見事に返り討ちに遭ったようでして・・・・・・幸いのことではありますが死者0という情報も受けてます。信じられます?」
あっはっはと笑うジャン。しかしその顔は引き攣っていた。
ジェノスはというと目を細め、考えるそぶりしながら、何かを小さく呟く。
そして、小さくため息をつくと、次なる質問を投げかけた。
「そうでしたか・・・・・・ナイフ男のほうは?」
「ソッチの犯人は冷たい個室で尋問されているようですね。しかし、詳しいことはまだ解っていないようです。分かっている事・・・・・・実はパーティーを中止しろという脅迫状が送られていたらしいのですが、エドワードさんはいたずらだと思っていたらしいのです。相当に稚拙な文書であったようですが、まあ念のため警備のほうは増やしたようですね」
「そうですか・・・・・・ありがとうございました。それでは」
そういうとジェノスは振り返り、口元に手を当てて歩きだす。
「ちょっと待ってください。実はジェノスさんに指名の仕事があるんです」
しかし、ジャンに呼び止められる。
ジェノスは「はい?」と気の抜けた声を上げて再びカウンターへ振り返った。
「指名の仕事ですか? わざわざ私になんて・・・・・・」
「私としては、今までこの経歴で指名依頼がない事のほうが疑問なのですが。まぁ、詳しくは本人から聞いてください」
ジャンはそういうと視線をずらし、出入り口付近の待合席へと目を向けた。
ジェノスが振り返った先には、そこにはエドワードが立っていた。
「おはようジェノス君、昨日、私の命を救ってくれたことを感謝する」
「いえ、どういたしまして、」
「ジャン。少し個室を使わせてもらっていいかな?」
「どうぞ、二階の相談室をお使いください」
そういうと、エドワードはジェノスを振り返ることなく階段を上っていった。
「・・・・・・嫌な予感がする」
ジェノスは重たい足取りでその後を追うのだった。
「さっそく仕事の話に入る。単刀直入に言おう護衛の仕事を引き受けてほしい」
「護衛・・・・・・ですか」
簡易的なテーブルと椅子が置いてあるだけのシンプルな部屋。エドワードは入り口付近の腰掛、ジェノスはテーブルを挟んだ向かい側に立っていた。
はっきりとした声色で発せられた言葉に、ジェノスは警戒しながら依頼内容を繰り返す。
「そうだ。実は、故郷――私の実家へと里帰りするついでに、国外の友人に会って周ろうと思っていたんだが、昨日のこともあってな。念のため護衛を付けたいと思っている」
ジェノスは「はぁ」とため息と酷似した気の抜るような相槌を打つ。心なしか普段浮かべている笑みもひきつりかけており、その様子は拭いきれない予感をヒシヒシと感じていると主張していた。
「しかし、あまり物々しいのを付けると目立ち好ましくない。友人等にいらん心配をかけるからな」
エドワードはと言うとそんな様子に構う様子も無くマイペースに話を進めていく。ニヤリとと口元をゆがめ、銀縁の細眼鏡が鋭く光る。
ひどい悪人面だ。
「その点から、今まで護衛を付けていなかったのに急に付けていくのもどうかと考えたんだが、君なら、まぁその容姿は目を引くが、護衛という意味合いでは目立たんだろう。昨日のことから実力はある。故にこの仕事を頼もうと思ったわけだが」
気が乗らない様子で唸るジェノス。そして微かな期待をこめるように提案をする。
「それならケビンさんのほうが適任だと思うのですけど・・・」
「ああ、君と一緒に彼にも頼もうと思ったのだが、彼には仕事があるとのことで断られてね。まぁ、謙遜もあるだろうが。彼は『全部あいつのおかげだ。俺は別にたいしたことはしてない』とも言っていたが?」
「・・・・・ケビンさんめ。いや、でも――」
ジェノスは呪詛吐くかのように落とした声色のあとに必死な様子で言葉を続ける。
「さらに言えば、フィリップの推薦でもある」
どれほどの効果があるのだろう。まるで道が立たれたと言わんばかりにジェノスが怯む。
そして、微かな希望にすがるように、エドワードへ問う。
「うっ・・・・・・。いや! フィリップさんが就けばいいじゃないですか! あ! それとも一緒だったり――」
「残念ながらアイツは事後処理を任せることになっている。今回の件が無ければアイツの役目だったのだが・・・・・・。君一人に任せることになるな」
「そんなぁ・・・・・・。いや、そもそも護衛をするなら最低2名以上が原則のはずですよ。規定違反の依頼は受けれませんし」
ジェノスは諦めながらも問題点を忘れずに指摘する。
「安心しろ。名目は案内人、サポーターだ。ランクで言えばDだが料金はしっかりとBランクで出す。依頼中の衣食住もこちらで出すぞ」
「いや、お金の問題じゃなくてですね・・・・・・解決にもなっていませんし」
そもそも、今日受け取った礼金だけでしばらくは働く必要が無くなったため、ジェノスにとって何の魅力も無かった。
エドワードが顎に手をかけ小さく唸る。そして、静かに目を閉じながらメガネを直して不思議そうにたずねた。
「ふむ、そんなに嫌か?」
「いやです! あんな人に狙われて無事に済むわけないじゃないですか!」
「なにをいまさら」
全力で拒否するジェノスを眺めながら心底不思議そうな顔をする。そして呆れているかのようにつづけた。
「奴が現れないことは誰よりも君が知っていることだろう?」
「・・・・・・何のことですか?」
「とぼけるか。はぁ、仕方が無いな、それに今回は、君達の落ち度でもあるだろう?」
エドワードは口元を歪め額に手を当てる。動作としては言葉通り困ったといわんばかりの動きだが、歪められた口元からはそれを否定している。
「――君達『隣人』のな」
沈黙。そしてジェノスから諦めたかのようなため息が漏れた。
「・・・・・・何時からですか?」
「始めからだ」
「・・・・・・ハイ?」
「実は彼本人から既に話は聞いている。君の依頼者は・・・・・・そうだな妻かフィリップといったところか」
「ちょっと! なんで知っていてパーティーを中止しなかったんですか! 大変だったんですよ!?」
「悪いとは思うが、人の仕事を奪うのは私の流儀に反するのでね。・・・・・・さて、君達は私の依頼は受けてくれるかな?」
「はぁ・・・・・・」
結局引き受ける羽目になり、ジェノスは本日何度目かになるため息を深くつき項垂れていた。
「そこまで落ち込むものか?」
「落ち込みます! もう、こっちの仕事は終わりのはずだったんですよ? 後はのんびり本業に集中できると思っていたのに」
「そんなに大変か? 諜報組織と言うのは」
「いや、私はパートタイマーというか借り物みたいなものですからそれほどでもないですが・・・・・・何かと狙われるし、協力者の依頼は断れないし、規則は細かいし、賃金は安いし、時間は取られるし、危険だし・・・・・・」
ジェノスは否定をするが、止め処なく不満が吹き出る。その後もぶつぶつと聞こえないほど小さな声で何かを呟いている。
「それは済まないな、気休めかもしれんが資金や後始末については取り計らおう。・・・・・・そうそう、出発は明日の朝だ。準備は済ませておいてくれ」
「・・・・・・随分と急ですね」
「まぁな。あと、私のほうでキャンセル料として宿代は既に支払っておいたから安心してくれ」
「もう・・・・・・私が断ること考えてないじゃないですか」
準備のいいことだ。というより、エドワードは何が何でもジェノスに仕事を引き受けさせるつもりだった。エドワードは素知らぬ顔で「気にするな」という言葉と共にニヤリと笑みを浮かべている。
ジェノスは、「もういいです」という諦めのはいった返事をして肩を落とす。
「さて、もう問題はないとして、ふむ。今日は空いているか?」
「え、空いてはいますが、じっくり街を見て周りたいなと」
「そうか、それなら構わないが・・・・・・医者には診てもらえ。慣れてはいても毒は甘く見ないようにな」
「気づいていましたか。・・・・・・本当に私が必要ですか? もう護衛の必要性を感じないのですが」
「必要だ、それではまた明日に」
「はぁ、それではまた」
エドワードが歩きだすのを見送ると。
ジェノスは深くため息をつき、頭を抱えていた。
「あぁ・・・・・・また厄介ごとだ」
力ない声が虚しくも室内に響く。
その声が項垂れる姿の哀愁をより際立たせていた。