15話
「それにしても、よくわかったな」
「ただ何となく、違和感とでもいいましょうか」
しばらくして騒ぎを聞きつけて来た憲兵にナイフの男を引き渡したが、それでも騒ぎが収まるのには時間がかかった。
室内から漏れる陽気なメロディーと雑多に重なり合った会話。その賑やかな音に囲まれてジェノスとケビンは食事を取っていた。
彼らのいる屋外の席からは街の灯り火に負けないほどの星が夜の空に輝いている。
しかし、そんな夜空の様子とは関係なく、等の二人は互いに疲労を隠せないようで心なしか顔色が悪かった。
客を帰す誘導をし騒ぎが収まり、ようやくひと段落したケビンと事情聴取を終えたジェノスは合流すると、お互いを労うために酒場で今回の出来事を振り返っていた。
「何となくでわかるかよ。・・・・・・まあいいか、それにしてもよく助かったもんだ」
ケビンは自嘲するように笑う。
「・・・・・・ですね。まったく、ケビンさんが助けてくれなかったらどうなっていたか」
それに対し、ジェノスは青い顔で返した。
「それはお互い様だ、お前がいたから死人が出なかったんだぞ」
ジェノスは、その言葉に若干驚いたように動作が止まる。そして、「それはよかった」と小さく呟いた。
その様子は、何処か自分を責めと安堵が合わさっていた。
ケビンは、そんなジェノスと負傷者に対して冷たい目で言葉を吐いたジェノスの違いに、複雑な思いを抱きながらもただそれを眺めるにとどめるのだった。
料理が届き、皿とグラスが淡々と積み重ねられていく。その大半がケビンの注文した物であり、また、食べ始めてしばらくたつが一向にペースは衰えていなかった。
ジェノスのほうも珍しく、肉料理を注文していた。
そして、その中でも比較的調味料がかかっていない部分を選んではフォークに刺し「はい、あ〜ん」などと口走りながら椅子にとまっている黒い生物に食事を与えていた。
当然、すべてを与えていない、味の濃い部分を己の口に運んでは咀嚼し、ドロドロとした緑色の飲料で流し込むように食していた。
ジェノスに餌付けされている生物はと言うと、食事を与えられる時以外はたいてい大人しく、食卓の椅子に小さく音を鳴らしながら佇んでいる。
黒い羽と鋭い嘴。伸ばせば1メートル半ばはある漆黒の羽。流れるようにな羽の模様。
実に見事な鳥である。
先ほど食事を取っている最中。ジェノスが急に鳴らした指笛と共に黒い影が勢い良く降下し、迷惑にも彼らの周囲の席が騒がせながら現れたのだった。
ケビンは時折、そんな一人と一羽の様子を不満げな視線をチラチラと送っていた。と言うのも、彼はその鳥に対してあまり良いイメージを持てなかったからである。
ジェノスの自慢の相棒『ルーク』を紹介された際に、ケビンは「でっかいカラスか?」と呟いたのが原因だった。
それを聞いた相棒、大鴉ことルークは『クワァー!!』と怒りをあらわにしながら鳴くとケビンを突きまわすという事件が起こったのである。
ジェノス曰く、ナイトホークと呼ばれる種で絶滅危惧種であるという説明も受けていた。
しかし、そんな説明をケビンであるが、彼の中では大きなカラスと言うイメージ以外しっくり来ず、その後も何度か口走りそうになってしまうのだった。
ケビンは今もまた口走りそうになり小さくため息をつく。
気を取り直すかのようにジョッキを傾けると、先ほど使用とした言葉と話題を丸々、褐色の液体とともに飲み込んだ。改めて言葉にするほど気のきいたジョークではないと考え直したためでもある。
ケビンは新たな会話の種を投げかけようとも思い、モクモクと口を頬張らせながら肉を咀嚼しているジェノスを見ながら口元を緩めると、ふと思い、話題を投げかけた。
「それにしても平気そうでよかった」
「なにがですか?」
「いや、あのヤロー曲がりもなく暗殺者だろ? お前、軽く斬られてたみたいだしよ。ナイフに毒とか塗られてたんじゃねぇかと心配だったんだが」
「ふぁい? 塗らえてまひたよ?」
ジェノスにしては行儀悪い、口に物を含めた状態でとんでもないことを口走った。
「おまっ! 何呑気に飯食ってんだよ」
ガタンと勢いよくケビンが立ち上がり、ジェノスの肩に手をかける。酒で赤らんだ表情も真剣そのものになり、その様子から本気でジェノスの身を案じているのがうかがえた。ジェノスはと言うと「フォッ!?」などという声をあげ、慌てて
「んっく・・・・・・ごめんなさい。冗談です」
口の中の物をゴキュリと飲み込み目を丸くして謝った。
「洒落になんねーからやめろ・・・・・・」
ケビンは脱力しながらゆっくりと腰かけ息を漏らしながら睨みつけた。ジェノスはその視線を受けてきまり悪くなったのか、身を小さくして「すみません」と再び謝った。
「まったく、心臓に悪い一日だった」
ケビンはジョッキの半分も減っていないエールを一気に飲み干し、本日の評価を下す。心底疲れたと言った様子で、しかし微かに安堵の笑みを浮かべながら。
「なあ、俺たち組まないか? お前、特別目的があって旅してるわけじゃないんだろ?」
急な提案。ケビンの顔は真っ赤だ。すでに度の高い酒をかなりの量で飲んでおり、雑多な酒瓶が床にたてられていた。会話の脈絡っもなくなってきている。
しかし、顔が赤く、話は纏らないが動作にふらつきは全く見られない。
「そうですね、危険な仕事じゃないなら考えときますよ」
ジェノスは考えるような間もなくケビンの問いに茶化すような調子で答える。
「なんだよ、お前の腕なら多少の危険――いや、Bランクの上位依頼だってこなせるだろうが」
ケビンはそんなジェノスの態度に咎めるような拗ねたような調子で文句を言った。
しかし、ジェノスは心苦しそうに苦笑しながら
「勘弁してくださいよぅ・・・・・・命がいくつあっても足りません」
と返すだけだった。
「お前で足らね〜なら大半のギルド員は不死でも死ねるぞ」
「あ~、ほら、命は何時も不足しているものでしょう?」
「うっせーよ。いいこと言ったつもりか」
その後他愛のない会話をして二人は別れる。もっとも、その間にケビンは締めにと言いつつ、一本、二本と空け、それなりの時間を楽しんでいた。
――キィィイ
「・・・・・・ただいまぁ」
――カチャン
人気のない、静寂と、暗闇がジェノスを迎え、ジェノスの声は虚しく響く。
客や宿主がいない宿舎は当然のように静まり返っていた。さらに、ジェノスが宿に戻るころにはすでに零時をまわっており、近くに酒場があるわけでもないため、一つ一つの物音が響き渡るほどだった。
そんな中、ジェノスはエドガーの代わりに、明かりもつけることなく戸締りをする。明りの場所を知らないからだ。街灯の光がいくらか漏れ差し込んでいるとは言え、物の輪郭が見えないほどに暗かった。
ジェノスはやっとの思いで部屋に戻るとすぐにベットに倒れこむ。仰向けで天井を見上げながら、額に右腕を乗せ、静かに息を吐く。
「・・・・・・目が、まわる」
そして、そんなつぶやきと共に静かにその瞳を閉じるのだった。
<サイドチェンジ>
騒ぎを聞きつけ、憲兵が来くるまで、会場の混乱は酷いものだったらしい。
私も意識を取り戻してから落ち着くのにしばらくかかった。
途中から記憶が無い。
どうやら私はレジスたちが駆けつけた後、ふらっと倒れ気を失ったらしく、今回の事件の顛末を知らされたのは、事を終えた深夜のことだ。
警備員の全員が負傷者、そのうち6名が軽い打撲と切り傷、重傷者は1名だった。今回の犯人のうち、領主様を狙ったものは逮捕、付き人は逃走したらしい。
フィリップの淹れた紅茶を飲み落ち着いたころ、領主様は私たちに謝罪しにきた。
事件には関与していなかったらしく青い顔で頭を下げていた場面を目撃してしまった。
貴族が平民に頭を下げる。そうそうあることではないし、あって良い事ではない。
それと同時に簡単にできることでもないのは確かでもある。
その様子は被害者の我々がこちらが気の毒に思えてしまうほどで・・・・・・。そもそも領主様も被害者なのだ。事を起こしたのが、領主様側の者とはいえ、彼も命を狙われたのだから。
ちなみに功労者、命の恩人でもあるジェノスさんは憲兵に事情を説明した後、同じく功労者であるケビンと共に帰ったらしく礼を言う間もなかった。
今夜は憲兵が屋敷を中心に警備すると言われたが、そんなことよりも、父やフィリップ、レイラやエドガーおじさん。そしてレジスがいることが何よりも心強かった。
でも、それでも私は不安で寝れなかった。
まぁ、現金なことに、日が出るころには、私に睡魔が襲い掛かり結局のところ眠くなり寝てしまったわけだけど。
翌朝、といっても既に陽は昇り、通常の起床時間からかけ離れている。
目を擦りながらゆっくりと起き上がると、ノックの音が聞こえた。
「お嬢様、朝食のお時間です」
私の返答を待たずにフィリップが入室すると、いつも通りきっちりとした動作で私に朝食を告げる。
どうやら私は、またしても日課をないがしろにしてしまったみたいだ。
「おはよう、エリス」
「・・・・・・おはよう」
何事も無かったかのような様子。いつも通りの調子で父が朝の挨拶をしてきた。
その挨拶に私は返すが、どうしても昨日の一軒が頭をよぎる。
私はこんなにも脆かったのだろうか?
食事を取りながら、会話が続く。しかし、それは会話とはいえないものだった。
ただ私は父の言葉に生返事するだけのもの。
しかし、あたしにも意地はある。内容はしっかりと頭に入れた。
父の話では、これから改めて準備をし、一日遅れではあるが明日発つとのことだった。
不安に思ったが、あまりに堂々とし、微塵も感じていない様子はない。
私は苦笑する。
・・・・・・まったく、何時までも引きずっている私が馬鹿みたいではないか。
これは私が弱いだけなのだろう。ならば――。
誰にも知られないであろう小さな決意をすると、私はコーンの入った甘い香りのするスープを再び口に運んだ。
「・・・・・・美味しい」
暖かく、ほのかに甘い。包み込むような風味。体だけではなく心から温まるような――。
既に、何度か口に運んだスープにもかかわらず、ようやく普段と味が違うことに気がついた。
さらに言うならばいつもより食事が美味しいのだ
気持ちの問題や勘違いでは断じてない。明らかに味付けが違う。
普段の料理が美味しくないわけではない。だけど、比較するのが間違っているというような味わいだった。
「スープの味付け変えた?」
「ふふ、今日は私ではないんですよ?」
私の問いに、後ろに控えていたレイラが微笑を浮かべながら答える。
レイラの話では、どうやらエドガーおじさんやレジスが、念のためこの屋敷にきているらしい。
昨日の料理がどうなったのかとふと思ったら、心を読んだかのようにレイラがその疑問を解消させた。
昨日のは処分たらしい。煌びやかなデザートを食べ損なったことにショックを受け、さらには綺麗に盛り付けられていた料理を思い出す。
そして、もったいないなどと、実に平凡な干渉を抱く自分に気がつきく。
苦笑する。
私も単純だなぁ、と。
いや・・・・・・。
あぁ、そうか・・・・・・。
周囲の何気ない動作の一つ一つが。
おじさん達の料理が。
私を包み込んでいるからこそなのだ。
私はただ、そう感じた。
暖かい。
あんなことがあっても、私の家族はこんなにも強く、私を癒してくれる。
私は何の疑いも無く、ただ平凡に日常を享受していた自分を恥ずかしく思い、そして、自身を取り囲む環境に改めて感謝を覚えるのだった。
「おはようございます」
「おう、おはよう! 朝食はどうだったかな? 中々の自信作だったんだがね」
厨房の隣にある休憩室に向かうとにこやかな笑みを浮かべたおじさんに出迎えられた。
「はい! とても美味しかったです。特にコーンスープが」
レジスは、食事中だったのか口元を膨らませながら軽く片手を挙げてかえしてきた。
「そりゃ良かった! この分ならレジスも十分一人前だなぁ。なにせエリスちゃんに認められたんだからな」
どういうことだろう?
「スープ作ったのは僕なんだよ」
食事を飲み込んだレジスが照れくさそうにしかし、得意げに笑いながらそう言った。
「へぇ、ありがと」
レジスは首をかしげる。感想ではなく感謝を贈られたことが疑問だったのだろう。
しかし、私は言い直すことはせず、心の中で再び感謝の言葉を呟くのだった。
その後、穏やかに会話が続いた。
私はふと、ジェノスさんのことを思い出しながら、何故二人がここにいるのかを尋ねる。
・・・・・・。
どうやら、レジスと、エドガーおじさんの話では、ジェノスさんに甘え、ここにいるとの事。
ちなみに、ついてあげてはどうかと、提案したのは一緒にいたケビンさんらしい。
優しい人が多すぎる。
まったく、嬉しい苦笑が止みそうにない。
私はなんて恵まれているのだろうか。
しかし、二人に感謝すると共に、何もできていない自分に気がつく。
私は、それが悔しく許せない。
私は何も返せていない。
「・・・・・・エリスどうしたの? やっぱり――」
「ううん・・・・・・なんでもない」
私を気遣うはずだった言葉。きっと、嬉しくて優しくて、温かい言葉。
しかし、私はそれをさえぎる。
何時までも甘えていられない。
私は、レジスが胸を張って肯定できるような。家族に認めてもらえるような。
私が受けた優しさを。
私が得た暖かさを。
いつか皆に返せるように。
いつか誰かに与えられるように。
私は、成人の誓いの後に――
――そう、神聖なる二度目の誓いを立てた。