11話
「なぁジェノス。お前、何者だ?」
低く通る声で突きつけられたその問いは路地の壁に小さな反響を残しながらも消えていった。
「さて・・・・・・こっからが正念場だな」
いくつかの注意事項をジェノスさんに説明しおえると、低く響く声でエドガーおじさんが呟いた。
真剣な、そして何処か気合に満ちた様子。
腕を組んだその姿からは、普段の陽気でおどけた様子が一切感じられない。
レジスはと言うと、右拳を強く握り締めて、普段はタレ気味のゆったりした目元を吊り上げ仁王立ちしている。
気圧されるほどの威圧感だ。
「おう!!」
未だかつて無いほど――いや、去年ぶりの声量でレジスは気合の入った声を上げ、精神を高ぶらせている。
・・・・・・下級魔獣なら逃げ出してしまうのはないだろうか。
もっとも、私は生きた魔獣なんて見たこともないけれど。
というか、毎度のことながら二人とも人が変わりすぎだと思う。
「すごい気合ですね」
「そ、そうですね」
片方は楽しむかのような暢気な声で、もう片方は見慣れていながらも後方へ一歩下がりながらそれに相槌を打つ声。
どっちが私かはご想像にお任せする。
しかしこの人、レジスが言ったとおり空気みたいな人だな。薄いのもそうだけどいつの間にか溶け込んでしまっている。始めの頃は例の違和感が強くここまでなじめるとは思ってもみなかったのに。
まぁ、この違和感というのも原因が不明なのだけれど。たびたび容姿や性別関係なく感じてしまうし、もう9年も付き合っている症状だ。今となれば珍しくともなんとも無い。
・・・・・・それでも、ここまで強いのは初めてだったけどね。
「さて、ジェノス。悪いんだが今日は帰れそうに無い。キーを渡しておくから宿の戸締りを頼むぞ? 正面と裏口だけでかまわん」
ん? どういうことだろう。なぜ彼に戸締りを頼むのだろうか。というか、いつもの調子に戻ってる。レジスのほうも同様に・・・・・・相変わらず切り替えの早い親子だ。
「あ・・・・・・。忙しいのなら手伝いますが? ちょっと離れさせてもらうかもしれませんが」
「いや、それではお前が払った意味がなくなるだろう。ただでさえ本来無かった仕事をさせてしまっているのだからなぁ。申し訳がたたん」
私を置いてどんどん話が進んでいっている。ふとレジスにどういうことかと視線で訴えかけようとしたのだけれど、アイツはすでに仕事モードに切り替わってしまっていた。
・・・・・・役に立たないやつめ。
「えっと、あの、何故ジェノスさんが戸締りを?」
「あぁ、ジェノスは今家の客でなぁ。前金はもらってるし、明日もある。休んでもらおうと思ったのだが」
へ〜、手伝いじゃなくて客なんだ?
・・・・・・。
とりあえず、宿の仕事もしっかりやるべきだと思う。
目の前の人物は除外するとして、何処に宿のマスターキーを客に預ける主人がいるのだろうか。いや、居ようが居まいがほめられたことではないと思う。
それ以前に宿を空にする時点で申し訳は立っていないだろうに。
おかしいでしょう? そして信用しすぎでしょう!
私は、その行為における損害を被っている本人へと微かな哀れみと申し訳ない気持ちを抱きながら視線を送った。
「ですから、手伝いますって。忙しいのな時はお互い様です」
おーい・・・・・・。
そんな待遇で、不満の様子を微塵も感じさせることもなく手伝いを申し出るジェノスさん。それをずいぶんと遅い段階でおじさんが遠慮の言葉とともに説得に乗り出した。
お互いさまって・・・・・・。
黙々と作業を続けるレジスに、頭が痛くなってきた私。
・・・・・・どうせ今までジェノスさんは一方的に手助けするだけだったに違いないと私は結論付ける。
ちなみにこの二人の言い合いは十分という攻防の末、エドガーおじさんの勝利に終わる。
おじさん、よくやった! いや、立場的には手伝ってもらった方が助かるけど、それでもよくやった!
しかし、業務終了時、部屋を去る際に残念そうに何度も振り返りながら帰るジェノスさんがやけに印象的だったと言わずにはいられない。
レジス・・・・・・あの人は『人が良い』であってると思う。
<サイドチェンジ>
「悪いな、ジェノス。わざわざ来てもらっちまって」
居住区から4区画ほど離れた路地の裏手、遠くから人ごみのがやがやとした雑音が聞こえる。しかし、周囲に人気の無く、この場にはジェノスとケビンの二人だけだった。ケビンは壁に背を向け『ドン』と寄り掛かるような体勢で声を発した。笑みを浮かべてはいるがどこと無く表情は硬い。
「いえいえ。ところで話とは?」
一方、ジェノスのほうは相変わらず柔和な笑みを浮かべており、その様子に緊張などまったく含まれていない。
「なぁジェノス。お前、何者だ?」
低く通る声で突きつけられたその問いは路地の壁に小さな反響を残しながらも消えていった。数十秒ほどの沈黙の後困ったような顔でジェノスが言葉を発する。
「えっと。何者と言われましても」
「ちょっと、広すぎたか。いやなに、ちょいと確認したくてよ。・・・・・・ジェノス。嬢ちゃん達とは面識ないんだよな?」
「なんと言ったらいいべきか・・・・・・。正確には違いますよ。厨房の方とフィリップさんは知り合いですし」
「あの執事とか?」
「はい」
ケビンはジェノスの答えを聞くや否や「はぁ〜〜〜」とその場にへたり込みそうなほど深いため息をついた。そのため息には安堵と共に、自身への呆れが含まれていた。
「そっか。なんだよまったく・・・・・・余計な心配だったか」
ジェノスはその様子を眺めながら右手を後頭部に添えながらにっこりと笑う。
「ずっと警戒してましたしね〜。ケビンさん」
「なんだよ、気がついてたんなら俺をもっと早くに安心させてくれよ」
ジトッとした視線を送る不満声のケビン、しかしジェノスは笑ったままだ。
「あはは。あ、でも私が嘘をついてるとは思わないのですか?」
「ネーヨ、そんな確認取ったら即効でばれる嘘つくやつがいるかよ。つーか警戒してたのはお前もだろうが、すんなりココについてきたから逆に俺はびくびくもんだ。・・・・・・まったく、終始よゆーそうな面しやがって」
「ひどいですね、私も恐々ついてきたって言うのに」
「嘘つけコノヤロウ。・・・・・・はぁ。なぁ、俺についてなんか検討つけてるのか?」
「安心してください、深くは聞きませんよ」
「変な気遣いすんな。ついでだから教えとくよ。いや、むしろ説明させろ。変な予想立ててそうだからなぁ。別に秘密でもなんでもねぇ、ただ単に知名度がないだけだしよ」
「・・・・・・いえいえ、そんなまさか。それなら遠慮なくきかせてもらいますか」
「何考えてたのかはこの際聞かないでおく・・・・・・。なぁ〜に、ただの特殊な長期バイトだよ。ブラウン商会系列からの仕事を優先的に受けんのと、指定された地区にいるだけでいいというお手ごろで美味しいやつだ」
「それだけですか?」
ジェノスは拍子抜けしたかのように小首をかしげながらキョトンとした目でケビンを見る。ケビンはその様子を眺め、苦笑いしながら言葉を続けた。
「そんだけだ。地区優先がってのがめんどいがな。他は自由に依頼受けて仕事してればいい。しかも、しかも払いは国籍貨幣じゃなく金貨や銀貨ときてる太っ腹だろ? なんなら紹介すっか? 雇われるかどうかはしらねーけど。」
「やめておきます、その条件はちょっと辛いので。金貨払いは便利ですから確かに惹かれますが。しかし、その契約内容ならどうしてこれほどまで警戒を? 保護までは対象ではないようですが」
「そこなんだよ問題は、今回はよ、登録時に警備で入ってっから何かあったら責任を問われかねねーつう訳だ。しかもそれがギルドからだけじゃなく商会からもっつーおまけ付きで、たとえ俺が給仕として働いていたとしてもな」
ジェノスは若干哀れむような視線をケビンに向ける。そして、納得と共に吐きだすように声を発する。
「・・・・・・あぁ。給仕で入ってるせいで当日注意するにも限界がある・・・・・・ですか」
「そゆこと・・・・・・。くそめんどくせぇ・・・・・・」
ケビンは言葉通り、いかにも面倒くさいと言わんばかりに左手で頭を掻き毟るように抱えながら言うと、大きくため息をついた。
「それだけですか?」
再び繰り返される質問。しかし、先ほどと違いジェノスは今まで常に浮かべていた笑みを消し、目を細めていた。
「実を言うと、どうやら垂れ込みがあったらしい。あの執事から聞いた話だがな」
「そうですか・・・・・・。じゃあ私も気を配るようにします。気休めにもならないかもしれませんけどね」
ケビンは慰めの言葉を聞くと、先ほどの気持ちを振り切るかのように明るく振舞う。
「おう、ありがとよ。よっしゃ! 今から飯行こう。一品奢ってやるよ」
そして、ジェノスに笑いかけると勢いよく振り返り、大通りに向かって揚々と歩き出していった。その様子は、先ほどの憂鬱な表情からは想像できないほど明るく、普段の調子に戻っていた。
ジェノスは、それを嬉しそうにながめる。そして、いつも通りの笑みを浮かべながらケビンに追いつくように小走りで後に続くのだった。
「よし、それじゃ野菜ジュ――「何でそれをチョイスだよ!」・・・・・・良いじゃないですか!」