婚約者リーウェア嬢の婚約破棄騒動顛末
国で一番の大聖堂を模した学園の食堂は、常はあるはずの、荒い扱いで汚れた長机や長椅子はどこかへとうっちゃられ、古びた様相を隠すように華やかな飾り付けの立食式の宴会場となっていた。
それもそのはず、この日は第56期生の卒業式だ。
その上、今年は国の第二王子もその卒業生に含まれていた。
いつもは代理人が来るのみの王の祝辞も、王御自らが述べに来られ、それに伴い学園側の気合の入れようは尋常なものではない。
式の後に催されている会食の質にもそれは表れており、王家の宴にも匹敵するほどの美食が食堂には所狭しと並べられることとなった。
しかして、卒業生を含め、今日の参加者はその料理の数々に舌鼓を打つ、幸福のひと時を送っていた。
「次はどれにいたしましょう、迷ってしまいます……」
もちろん、王子たちと同期で卒業するリーウェア・レインマス侯爵令嬢もその一人だ。
特にリーウェアは食に対して並々ならぬ情熱を抱いている。
食は体を作るもの、ゆえにおろそかにしてはならない。それがリーウェアの信条である。
そして、それが起きたのは、リーウェアが次の狙い(クレマス鳥のホロホロ煮。柔らかく煮込まれたクレマス鳥と、その付け合せにクレマス鳥の煮凝りに閉じ込められた旬の野菜が目にも鮮やか)に手を伸ばそうとした時だった。
突如、食堂の両開き戸は、乱暴な音共に開け放たれた。
その不作法な音に、ゆっくりと会食を楽しんでいた者たちは、一斉にそちらに目を向けた。
食堂に入って来たのはこの場の主役の一人、ソルカ第二王子だった。
そして、彼のすぐ後ろには数人が、付き従うようにずかずかと急ぎ足に進んでいた。
リーウェアはぼんやりとそれを眺めていた。
宰相を務める侯爵の令息に、現騎士団長の甥、座学一位の主席に、国で指折りの商人の息子。
王子を含めたこの5人は、いずれもこの国の将来を担う、錚々たる面子である。
彼らはいずれも見目が整っており、彼らがそろい踏みしている様を女学生たちは黄色い歓声で迎え入れた。
しかし彼らは険しい様相で、何やらただならぬ様子にリーウェアは眉をひそめた。
ただ、リーウェアにはそんなことより、見るからにじっくりと煮込まれて骨まで柔らかそうなホロホロ煮を食べなくてはならないのだ、構っている暇などない、と大きな口を開けた瞬間であった。
「リーウェア・レインマス侯爵令嬢!!」
「………何かご用でしょうか、ソルカ王子殿下?」
クレマス鳥はリーウェアの口に入ることなく、手元の皿に戻された。
確かに、あの大口は淑女としてははしたなかったかもしれない。
しかしクレマス鳥のホロホロ煮はこうやってかぶりつくのが一番おいしいとリーウェアは知っているので、いくら王子にやめろと言われても彼の見ていないところでするだけだ。
しかし、血相を変えるほどのことだろうか。
リーウェアは見苦しくない程度に首をかしげた。
ソルカ王子が大声で呼び付けたせいでリーウェアにも視線が集まったため、リーウェアは慌てて特大の猫を被る。
さらに懐から扇子をひっぱり出してきて口元を隠した。
静かに無詠唱の小さな水と風の複合魔法を呼び起こし、口元に吹きかけておいた。水が汚れだけを洗い流し、温かい風で乾燥。
先ほど食べたミートパイの食べカスがついているような気がしたのだ。
と、今にも腰の剣に手を掛けそうな勢いの王子一行を前に、リーウェアは暢気に構えていた。
「何か、だと?全く身に覚えがないと?」
何言ってんだ。
リーウェアの顔にそう書いてあるはずだが、激昂している王子たちには目に入らないらしい。
「ええ、恐れながら。何か、火急のご用ですの?」
クレマス鳥のホロホロ煮は確かに冷めるものでもぬるくなるものでもないが、「待て」をされている状態のリーウェアは少々短気だ。
「貴様、よもやアンナのこと、惚けるつもりか?」
「……ソルカ王子殿下、その、アンナ様とはどなたのことを言っておられるのです?アンナ様という方とわたくしこれっぽっちも面識ございませんわ」
リーウェアは、聞き覚えのない様子で本格的に首をかしげていた。
どうやらリーウェアは、アンナとやらいう者のことでいつのまにかソルカ王子の不興を買ってしまったようだが、知らないものは知らないと言った体だ。
こういう時はできるだけ誠実にするに限ると以前教えてもらったことがあったので、リーウェアは悲愴感も込めて、正直に振る舞ってみた。
……しかしソルカ王子ご一行には全く効果がなかったようで、さらに怒気は膨らむ一方だ。
何が悪いのだろうとリーウェアはさらに首をかしげた。
「よくもそんな嘘をぬけぬけと!」
「証人も証拠も上がっているんですよ?今更白を切ろうなど、図々しい」
王子ご一行はなにやら口々に怒りを表明しているが、リーウェアは困惑するばかりだ。
「何をおっしゃっているのか、わたくしにはさっぱりわかりませんの。分かるように説明してくださる?」
リーウェアは国語が苦手だった。壊滅的といっていいほど行間が読めない。
ここでもそれをいかんなく発揮していた。
「ふざけたことを!アンナにあのような非道な行為をしておきながらしらばっくれるつもりなのか、そこまで落ちたか!」
結果、リーウェアはものの見事に火に油を注いだ。
顔を真っ赤にして怒る王子に、さすがのリーウェアもまずいと思ったらしい。
謝ろうと発言しようとしたとき、王子は口を開いた。
「リーウェア・レインマス侯爵令嬢!僕は貴様の婚約を破棄し、アンナを婚約者とする!」
リーウェアは鈍感だ。
しかし、さすがのこの発言は目を丸くした。
何とかする方法はないものか。
リーウェアは高位貴族らしからぬ、腹芸の下手な令嬢である。
その上怒り狂った王子は先ほどからリーウェアの言葉にまともに耳を貸そうとしない。
どうしたものかと、リーウェアの頭はようやくクレマス鳥のホロホロ煮から離れて思考し始めた。
そしてそこで、リーウェアはとあることに気が付いた。
「……ならば、決闘ですわ」
ぽつりとこぼれたリーウェアの発言に、あたりは静まり返った。
リーウェアは呆然とする周りを置いてさらに加速する。
「ええ、そうです、何も正面切って何やら身に覚えのないことをぐだぐだと聞いて、訳のわからぬ断罪を受けるより、決闘で白黒つけようではありませんか?」
手に持った扇をぱちんと閉じ、にこりとリーウェアは笑みを零す。
王子たちは困惑に眉をひそめた。
決闘。
この国で貴族であれば知っているであろう、昔に廃れた古い儀式の一つである。
争いごと、こと両者が折れず、話し合いでも平行線をたどる場合、武力を以て解決を目指す。
端的に言えば言ってもだめなら殴り合え、というまさに野蛮な戦士論理だ。
貴族とは元をたどれば国の開闢の際、王家の祖先に組与した戦士たちである。
彼らにとって力こそすべてであり、今の騎士団が貴族ばかりなのも、魔法が使える者に貴族が多いのも、そう言った理由がある。
それから数百余年、国と貴族の文化的成熟は、貴族たちに武力に頼らず相手を制することを促した。
そうして荒くれの戦士らしい者は淘汰されてゆき、それを規制する法もでき、場合によっては死も招くことのある決闘も鳴りを潜めた。
しかし無くなったわけではない。する者がいなくなっただけだ。
そして、リーウェアは魔法で作ったカードを王子に差し出す。
「さ、お取りください、ソルカ王子殿下」
魔法の使える貴族にとって、カードを使った決闘の合図はオーソドックスなものだった。
今では忘れ去られた魔法の一つのはずだが、リーウェアは緩く笑みを作りながらそのカードを王子の前に出現させている。
王子がそれを取ろうとしないのも当然だ。
このような正式な決闘は、前王、王子の祖父が若かった頃、つまり軽く100年は行われていない。
知識として決闘を知っていても、実際目にしたことがない人間がほとんどだった。
動かない王子たちを見て、小首をかしげるのはリーウェア一人である。
「あら、ご存知なくあらせられるの?」
王子の目の前をひらりひらりと舞うカード。
まるで煽るようなそれだったが、王子たちは動こうとはせず、リーウェアはさらに不満げに口をとがらせる。
「……次代の国を担おうという方々が、しっぽを巻いて逃げ出そうというのねえ」
「ッ!!なんだと!!!」
誰の目から見ても明らかな、王子たちを挑発したリーウェアの言動は、経験の浅い彼らにいなせるものではなかった。
年嵩の者があれば彼らをきっとたしなめていただろうが、そもそも頭に血がのぼっていた彼らだ。
王子は勢いよくカードを手にし、魔法で展開された眩い光がリーウェアたちを包んだ。
光が収れんし、再び彼らの目がようやく物をとらえるようになった頃、王子たちは自分たちが先ほどまでの食堂以外の場所にいることに気付いた。
「……あそこでは、迷惑がかかってしまいますでしょう?」
察したようにリーウェアは薄く笑む。
どうやら例の決闘用のカードに、学園の運動場に転移する魔術式が仕込んであったらしい。
転移魔法は人数が多ければ多いほど難易度が上がる。
一般的な学生が行える転移魔法はせいぜい術者本人ぐらいで、そしてこの場にいるのはリーウェアを含め6人にも及ぶ。
さらにその術式をカードに練り込んだリーウェアのわざは、緻密な魔法式と深い魔法への理解が必要であるが、そのことに気付かずに王子たちはリーウェアをこれでもかと睨みつけていた。
「まあ、怖いお顔」
リーウェアは驚いたように扇子を口元に当て、そして再び微笑んだ。
「さあ、どなたからでも構いませんわ、始めましょうよ?」
リーウェアの笑みは花がほころぶようで、決闘という物騒な場にはあまりにも似つかわしくなかった。
決闘の場に招待されるのは、決闘を仕掛けた者が決闘を望んだ者のみだ。
つまり、この場にいる王子たち5人すべてに、リーウェアは決闘を申し込んだということである。
「あら、レディ・ファーストということかしら?……では遠慮なく」
リーウェアはくるくると手元にある空気を回し、風を起こした。
それは次第に大きくなり、竜巻のような形を成した。
「くっ……!シールド!!」
王子たちはシールドを張り、暴風から身を守る。体ごと吹き飛ばされそうになるようなあまりに強い風だ。
一番に体勢を立て直したのは、脳筋こと、現騎士団長の甥だ。脳筋だけあって足腰は強いのだろう、嵐のような暴風の中、リーウェアに立ち向かってきた。
「ハァ!!!ピアスエア!!!」
そのするどい斬撃に気を取られたのか、リーウェアの風が少し弱まった。
王子たちは、リーウェアを含め人の話を聞かない性質があるが、卒業年次の生徒たちの中ではトップクラスの実力を持っている。
リーウェアの油断を見逃すほど、甘くはないのだ。
「炎よ巻け!!ターニングブレイス!!」
「……コールドピラー」
「サンダーボルトォ!!」
次々と中級以上の魔法がリーウェアに打ち込まれ、結界内は砂埃が立ち込め始めた。
「コレで終わりだッッ!!ヘブンズレイッッ!!!!」
止めとばかりに、王子はその血族の身が使える光魔法を、王子が出せる中で最も高出力のものをリーウェアに向かって放つ。
一対多数で、しかも令嬢相手にこれでは少しやりすぎだと見るものがいれば思っただろう。
「……やったか?」
誰ともなくそう口に出した。
砂埃で遮られた視界が、しかし一瞬で晴れた。
「ご存知でいらっしゃらないの?巷ではソレ死亡フラグと申しますのよ?」
王子たち渾身の一撃をくらったはずのリーウェアは、先ほどまでいた会場の様子と同じく、傷どころか汚れ一つ、髪の一筋すら乱れもなく、その場にいた。
「なん、だと……!?」
「では、参りますわよ~」
気の抜けるような掛け声とともに、リーウェアは先ほどまで食べかすを隠すのに使っていたりした扇を広げ、王子らたち差し向けた。
その先にこぶし大の5色の光る魔法球が灯る。リーウェアが扇ぐような動作をした瞬間、それぞれの魔法球が目にも追えぬ速さで王子たちの元へ飛んでいき、彼らの目の前で弾けた。
「ぐあああ……!!」
先ほど王子たちが放った魔法がそっくりそのまま王子たちを襲った。
「馬鹿な、そんなことが……!!」
「あら、そんなに難しいことじゃなくてよ、あなた方の魔法がわたくしに当たる前に、ギュッと丸めておいただけですの」
リーウェアは国語が壊滅的ゆえに、まるでお弁当のおにぎり(リーウェアの国にはないがアズマクニの文化でそういった食べ物があるらしいと最近リーウェアは知って気になっている)のごとく解説をしてみせるが、やはり語彙のせいかイマイチ緊張感に欠ける。国語の勉強って大事だ。
「では、今度はわたくしの番ね?」
まるで盤上遊戯のように決闘をもてあそぶリーウェアは、不敵とも不遜ともとれる笑みを浮かべた。
静かに手を上げたリーウェアの背後に、炎の津波が現れる。その凄まじい熱波と光で王子たちは息すらできぬまま、言葉を失っていた。
その様子を見、笑みを濃くしたリーウェアが、手を下ろそうとした瞬間だった。
「はい、そこまでだよ」
掛けられた声に、炎の津波から発されていた光と熱波が途端消え、息苦しさから解放された王子たちは激しくせき込んだ。
「ノルカ様ノルカ様ノルカ様ぁ!」
王子たちを温度のない視線で眺めていたリーウェアは、それが嘘のようにノルカ殿下にタックルをかましていた。愛情表現である。
「リーウェア、ソルカ、どういうことか説明してくれるかい?」
リーウェアやソルカ王子ほかのみなさんに比べ、いくらか年上で落ち着いた様子のノルカ殿下は、ため息がちにそう訊ねられた。
「あ、兄上……」
狼狽した様子なのはソルカ王子である。
それにかぶせるかのように、リーウェアは大きな声で訴えた。
「だってだって!むしゃくしゃしておりましたのよ!身に覚えのないことをずけずけと!」
ノルカ殿下にくっついたまま、甘えた様子でリーウェアは言い募る。
ぷんぷんと擬態語が出てきそうなほどその様子はどこか幼気で、先ほどまで宮廷魔法師が10人がかりでも発動できなさそうな魔法を無詠唱で行っていた少女には到底見えなかった。
「しかも、婚約破棄などと!!訳も分からぬ理由でわたくしとノルカ様の仲を引き裂こうなど、1000万年早いんですわ!!!!」
「……だからと言って、このあいだ私たちが開発したばかりの広域殲滅魔法を卒業したての彼らに放ってもいいと思うのかい?リーウェア?」
「……ううう」
諭されているリーウェアの目は盛大に泳いでいた。繰り返すが先ほどまで平地であれば数百人単位を一撃で撃破できそうな魔法を放とうとしていたのと同じ人物と断定できる者がこの場にいるだろうか、否いまい。
「ソルカ、何か言い分は?」
「くっ……!」
ノルカ殿下は弟であるソルカに目を向けられた。
ノルカ殿下はここに至るまでにある程度の情報を得てはおられたが、状況だけではなく両者の話を聞かねばなるまいと、リーウェアの結界を破ってまでこの場にやってこられたのだ。
何を間違えてソルカ王子は、自分の婚約ではなく、兄王子であるノルカ殿下とリーウェアの婚約を一方的に解消しようと思ったのか。
しかしソルカ王子たちはほとんどが這う体で、どう見ても治療が先のようだった。
「ソルカ、話はあとで聞こう」
「兄上!」
「リーウェアはこの後話がある」
「ノルカ様あ!?」
ノルカ殿下はそう言って王子たちをまとめて元の会場に転移させ、事前に5つ用意していた担架で重傷の王子たちを医務室へと運ばれた。なぜ医務室に直に転移せずに担架を用意したかというと、もちろんノルカ殿下の対外的なパフォーマンスであるが、それを気に掛けた様子はリーウェアにはないようだった。
「ああん、ノルカ様、お優しい……!」
王子たちをボコボコにしたのはリーウェアなのにもかかわらず、リーウェアはそれどころか発情期の猫のようにノルカ殿下の対応を見てくねくねしていた。それなりの美女であるリーウェアだが、その様子は見る人が見れば台無しであると言える。
「リーウェ、こちらへ」
営業スマイルを浮かべたノルカ殿下に愛称で吸い寄せられたリーウェアは、そのまま王城の王の間に連行され、それはもう多方面にこっっっってりと絞られた。その後ノルカ殿下にも二人きりの時にこっっっってりと絞られ、げんこつとキスの雨その他を浴びることになるのだが、これ以降の様子はノルカ殿下の悋気に触れるため禁制事項である。
その後ソルカ王子は、リーウェアはノルカ殿下の婚約者であり、ソルカ王子の思い人に嫉妬するはずも嫉妬による嫌がらせをするはずもない、という報告を受け、驚愕の中、王位継承権及び貴族位継承権はく奪、賠償金請求などの懲罰を受けたということだがそれは別紙参照のこと。
……以上がノルカ殿下婚約者リーウェア嬢の、婚約破棄騒動顛末のレポートである。
なぜかリーウェアが婚約者だと思っていた弟王子ソルカと、その婚約破棄宣言をもちろん兄王子ノルカ殿下との婚約破棄だと思って大暴れするリーウェア。
なぜ弟王子の好きな子をいじめるとノルカ殿下との婚約が破棄されるのか、そこまでは考えられずに暴走する脳筋が嫁では、きっとノルカ殿下とリーウェアの間にいくら愛があろうとご苦労されることだろう。おいたわしや。隠密一同サポートして参ります。
王国歴607年春の詩月26日、文責・ノルカ王太子殿下付隠密イノサン
正直これ、恋愛ジャンルでいいんですかね?
令嬢:リーウェア→ウェアリー(慎重な)がひっくり返った名前。苗字は(ブ)レインマ(ッ)ス(ル)。
王子:のるかそるか。
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