鳥人騎士と深窓の姫君
朝、目が覚めると見える、天窓に落ちた小さな花。
今日は白い、ヒメジョオンの花だ。
寝室の、青空が描かれた天井には、鳥や虫や精霊たちが舞い踊っている。この部屋は離宮の天辺に位置しているため、半球状の天井は屋根に繋がり、中心に丸い窓がついていて、薄く削り出された竜骨がはめ込まれている。水晶のように向こうが透けたその窓からは、時には綺麗な青空が、時には暗い雲が、雨粒の当たる様や満天の星も臨める。
大きさは私が両腕を広げるほどのものだが、高い天井にあっては手のひらにもあまる。そこに、白い花が落ちていた。
寝室の天井など、普段は意識もせぬ場所だが……初めてそれに気付いたのはいつだろう。吹けば飛んでいってしまうような小さな花は、いつも私の目覚めの頃にはそこにあり、気付けば新しいものに変わっている。
そもそも寝室なので、寝るとき以外は用がなく、その高い天井に目を向けるのは、寝る間際と寝起きぐらい。それだって、気が向かなければそんなところに目は向かないものだが、いつしか必ず一瞥するクセがついてしまった。
高い天井の天辺に嵌め殺しにされたその窓に、手を伸ばすことなどできやしない。高い離宮の天辺では、外から上ることもできやしない。だから、せっかくのその花を、手にする事など叶わない。ただこうして見つめるのみ。
まるで、あの人のようだ。
私は、この国の第七王女、側妃にも至らぬ愛妾の子だ。
母はお城の料理長で、配膳の際にそのままいただかれてしまったそうだ。妊娠が発覚し、あわてて離宮をいただいたものの、本人は未だに台所が住処となっている。
この国の王様には、3人のお妃様がいて、愛妾は更に2人いる。そのうちの1人がうちの母だ。王子が三人、王女は十二人もいれば、母の身分故に末席にあたる私になど目がいかない。
女なので王位継承の可能性は皆無だが、王の種ということで、放逐されることもない。それなりに丁重に扱われ、教育も施されはしたものの、国交の道具に出来るほどの力も無い。そのうち国内の誰かの元に嫁がされるのだろうとは思う。
そろそろ年頃となり、昨夜、父親でもある国王よりそれとなく匂わせるようなことを言われはしたが、まだ正式な通達はきていない。
身分のつりあう……となれば、私の立場的に難しいのだが、それでも候補と噂される数名の独身者から選ぶこととなるのなら、本心は遠慮させていただきたいところ。
私の心は、ただ1人の元にあるのだから。
その人は、常に空ばかりを見つめている。
飛ぶこと以外に興味はないと、空にばかりいるようで、大きくその翼を広げている姿が印象に深い。
元々、獣人たちは表情の読めぬ者が多い。彼は、その筆頭に上げられるほど、表情のわからないタイプで、鳥人騎士で、鷹だ。
尖端の曲がった鋭いオレンジ色のクチバシ、白い羽毛に覆われた顔、目はギロリと睨みを利かせ、清んだ黄金色の瞳が覗く。
髪の毛の存在はなく、羽毛が胸元までを覆い、肩から翼に成り代わる。背中から尾っぽにかけてまでもふわふわとした羽毛に隠れ、尾羽の下からズボンが覗く。翼のせいか、羽毛が暖かいか、上着やマンとを羽織った姿は見たことがない。上半身は完全に鳥に見えるが、羽に隠れて翼の先には小さな指先が覗く。ほぼ退化してしまっていて、剣を持つことは叶わず、何かを持っては飛んでいられず、役に立っていないそうだ。
飛ぶことに特化した種、飛ぶことを命とした彼らは、人よりもやはりどこか鳥に近しい。
猛禽類のその顔は、時折恐ろしくもあるし、全くの無表情だ。だけども、どうしてだろう、時折酷く思慮深く優しげに見え、そして、酷く残酷だ。
「姫と、我とでは、違いますから」
会ったのは二回、その二回とも、そんなことを言われた。
初めて会ったのは夜会の晩。二度目はその数年後の園遊会。時間も場所も何もかも違うのに、まるで突き放すように言われた言葉に、私は酷く傷ついたくせ、ついと彼を目で追い続けてしまう。
「あなたは踊らないの? 楽しいのよ」
「座ってお話できない? このジュースおいしいわ」
「花は……好きではないの?」
他愛ない問いかけに、会話をばっさり断ち切るが如き言葉を向けられれば、それ以上は口を開くこともできはしない。
国の精鋭であるはずの彼らが、なぜ私の側にいたのか。わかりきったことすらも理解していなかった私は、事が起こった後に、のんきだった自分を恥じるばかりだった。
後はただ遠く、その姿を見る以外には私にできることなどなく、見上げればあるその姿を、時折追いかけてみるのみ。
まるで、天窓におかれた野の花、それに類するよう。
手に取ることなどできぬそれに、ただ見惚れるのみ。
ただ見ることしかできぬ哀れさに、神々が温情を持って彼を振り向かせてはくれぬかと願うばかり。
そんなことを思いつつ、バルコニーに出たのは、何ら意図があったわけではない。
ただ、息詰まった心地に新鮮な空気が吸いたくなったとか、少し風にあたりたかったとか、ただの気まぐれでしかなかった。
まだメイドたちも起こしに来ないこの時間、ふらつくのははしたないとではあるながら、常ならばしない行動が功を奏したか、そこに、彼の姿があった。
いつからそこにいたのか、泰然と立つその姿は、まるで一枚の絵ででもあるかのよう。
風を受けて羽毛が揺れる以外、身動きもせずにこちらを見ていたから、一瞬、彼にそっくりなぬいぐるみでも置かれていたのかと思ってしまった。
「姫」
そう声をかけられるまで、私は阿呆のようにバルコニーの入り口にたたずみ、彼を見つめていた。
「ティリオ様」
その呼びかけに、はじかれたように彼の名を呼ぶも、続く言葉などありはせず、彼は彼で私が何か言わんとするのを待つ姿勢。
じっと、その目で見つめられると、何やら責められているような気にもなってくるが、混乱に陥るよりも前に、
「何かあったのですか?」
との言葉がつるりと口からこぼれ落ちた。
ここに彼の姿があったことなどついぞない。
当然かな、ここは私のプライベート空間で、空より他には私の部屋からしか出て来れない。だから、そこに、先に誰かがいるなんて、思いもしなかった。
彼がここにいる。今までの経験から、それは私に何らかの危険が予測されてのことかと思えば、思わず襟元をぎゅっと握り、ここからだって飛び降りる覚悟を決める。
一度目は、そっと忍び寄り突きつけられたナイフだった、二度目は川に突き落とされた。彼に助けられ傷一つ負うことはなかったが、彼が側にいるということは、そういった危険性のある状況ということなのだろう。
だけども、彼は私の言葉に、小首を傾げるようにして、応えた。
「何か……といえば、昨日、やっと、許可がおりました」
「ここにくるための?」
「いえ、それだけではなく……」
言いながら、彼がぱさっと翼を揺すると、足元にいくつかの小花が落ちた。
それは、今朝あの小窓に会ったものと同じもの、ヒメジョオンの花。
なれば、あの小窓の花は、その上を彼が通ったが故に落ちたものだろうか?
そんな疑問を口にするか、それとも本題の返事を促すべきか、ついと考え呆けたその隙に、彼は身をかがめ、その中の一枝を拾い上げた。
「我は、あなたへと不幸を運ぶ使者となるのでしょう」
「えっ……」
彼が呼ぶという不幸、それは、一体どんなものなのか。
今まで、危険から彼が守ってくれた。でも、それもまた、実は彼が呼び込んだものなのだろうか? でも、それに飲まれる前に、私の前にヒメジョオンの花が差し出された。
「始まりは夜会の折……鳥人である我に、あなたはダンスを所望された、人が、ダンスを望むとは……揶揄の意味なくダンスをと求められるとは……初めてであった」
後から知った、鳥人は、ダンスを踊らない。
踊れないとか下手だとか以前の問題なのだ。一部の鳥人にとって、ダンスは神聖で、求婚の折にのみ見せるものであるらしい。それが傍目には滑稽で、それを真似ろとからかわれることもあり、鳥人たちに踊れと望むのは嘲笑にも値する。
もちろん、そんなことを知らぬ私にそんな意図はなく、ただ、彼と一緒に踊ってもらえたら……などと思ってしまっただけのこと。
「悪意のない純粋な問い、不快になったわけではないが、心がざわめいた」
不快じゃないと前置きされたにもかかわらず、ざわめいたとの言葉はどうにも不穏で、自分の言葉を思い返す。
言わなければよかったと、今更過ぎて反省すらも出来ぬこと。あの時の自分をぶん殴ってやりたいぐらいだ。
「そして、次に会った時、それが恋だと気がついた」
「へっ?」
そこからそしてと続く言葉は、あまりにも予想外で、思わず間抜けな声がこぼれおちた。
待って欲しい、待ってくれないだろうか、絶対にその間に言葉が足りなすぎる。
そもそも、彼は私を不幸にするべく、弔いの花まで持ってきたのではなかったのか? もしかしたら、前の二度すらも、助けたのではなく彼が呼び込んだのではなかったのか? 囮とか生贄とか、そんな感じだったのではないのか?
そう思い込んで聞いていた彼の言葉を、必死に振り返ってみようとする前に、彼が更なる言葉を重ねる。
「我は、あなたに恋をした……そして、あなたを不幸にしたいと願ったのだ」
意味が、全くわからなかった。
恋したから不幸にしたいって……普通は、惚れた相手の幸福を願うものではないのか? 笑って欲しい、幸せになってほしい、そう願うものではないのだろうか。
歪んだ愛情の結果が、相手の不幸とかいうのなら、そんなディープな世界は知らない。そもそも、そんなほの暗さを内包した感情なんて感じられない。
むしろ、人の日記を読み聞かせられているような、妙な恥ずかしさというかいたたまれなさだけがここにある。本人が全く気にしてない風なのが、またさらにわからない。
「こっ恋したから……不幸を願うの?」
問いに、彼は大きく頷いて見せた。
どうやら、本当にそうらしい、ますますもってわからないのは、私がバカだからだろうか?
「結果、不幸だ」
何の、結果だろうか? わかりきったこととばかりに告げる言葉は、あまりに説明不足で意味がわからない。
彼は全てがわかった上で、丁寧な説明をしているつもりらしいが、私の顔に理解の色がないと知れたか、一度小首をかしげてから、更に言葉を重ねてきた。
「姫が、不幸になるとわかっていて、それを望んでこうして来たのだ。我は、酷い男であろう? もちろん、王は反対した。昨日までは猛反対されていたのだが……とうとう、許可が下りたのだ。君を、不幸にする、その許可が……」
娘を不幸にさせられそうであるというのに、どうして父は許可などしたのだろうか。
昨晩の父の様子を思い出し、なんだか奥歯にものがはざかったような言葉の数々を思い出し……それが答えなような気がする。
そろそろ、そういうことがあっていいことだろう、一度結婚するというのもいい経験だ、もう年齢的にもぎりぎりなのだから……ありきたりな言葉ではあったが、決定的な言葉はなかった。
彼の許可に対しての話題ではなかったと思ったのだが、もしかしたらという期待が湧き上がってくる。
だけども、それが答えだとして、なんでそこで不幸にとなるのか、ますますわからなくなってくる。
「獣人は、獣のいいところも、人のいいところも併せ持つ種なのでしょうか、寿命も、力に応じるように長い。人の寿命が50であれば、獣人の寿命は、百を越える事すらある。だが……だが、獣人の中でも、鳥は違うのですよ……どうも、飛ぶことに特化したせいか、翼以外の能力は軽く人に劣る」
そんなことは知っている、この国に暮らしていれば誰でも知っている話だ。だからこそ、鳥人の存在は貴重で、性別の差もなく全てが城に取り込まれている。
空を飛ぶという能力は、調査伝達において重要で、奇襲においても華々しい活躍をする。そんな彼らを、1人たりとも国が放っておくわけがなかった。
彼は、その中でも特に能力があり、むしろ私などよりよっぽど価値のある騎士と言っていい。
「我等の寿命は、30年あればいいほう……そして、我は、今年25歳になる」
「……えっ!」
唐突に語られた話に、頭が全くついていっていなかった。
私を不幸にするという彼、私に恋をしたという彼、それが、寿命の話を経てどう繋がるのか全くわかっていなかった。
「あと、5年ほどで死を迎えるだろう……もっと短いかもしれない」
でも、その言葉は、あまりに衝撃的で、目の前が真っ暗になる。
5年、たった5年。彼をはじめて会ってから、もうそれぐらいの月日はたっている。たかだか5年、それしか彼の時間はないというのだ。
ずっと、ずぅっと彼が飛ぶ姿を見つめられると思っていた。
寿命が違うということは理解していたはずなのに、それこを自分がおばあちゃんになるまで、彼は空を飛び続けているものと思っていた。それが、残りわずかだったとは、想像もしたことがなかった。
「そこで、君の今後をいただきたい」
5年……それで何ができるだろうか?
思いを告白するどころか、こうして話すことすら出来なかった5年、こうして会うことが出来たとして、何ができるだろうか?
いや、いただきたいというのだから、話すどころかもっともっと側にいられるのかもしれない。それでも、たった5年、たった5年しかないんだ。
「5年いくらでもあなたを甘やかして差し上げましょう。結婚式も華々しく、望むのならば諸外国を回ってもいい。珍しいものも面白いものも、全て見せて差し上げましょう。そして、その後、盛大に泣いてください」
「えっ……な……泣く……んですか?」
甘やかしてくれるとの約束より、結婚式や旅行より、何よりも最後の言葉が胸に刺さった。
結果、不幸……なるほど泣くだろう、憧れ続けていた彼が、思い切り自分を思って過ごした後、先に逝ってしまう……それがわかっての幸せというのは、やっぱり不幸に塗り固められてしまうものだろうか?
「我は、どうあってもあなたを置いて逝きます。あなたが泣けば泣くだけ、我の命はここに近くあり、いつかここに蘇りましょう。それでも、あなたの生の方がまだ余りあるかもしれない。そしたら、さらに泣いてください……三度あなたにまみえましょう」
「来世も再来世もくれるというの?」
「鳥人は、また鳥人に生まれ変わる。死して後、再び同じく生まれるもの……なれば、たとえ愛玩としてでもいい、あなたのお傍に……」
それは、どんな不幸だろうか。
泣いて、泣いて、蘇った彼もまた、私を不幸にするということだ。彼は、一生私を不幸にし続けたいということなのだろうか。
「そのまた来世に、私もあなたも鳥人になれたら……」
鳥人というのは、独特な考え方をする、それは、人よりも鳥に近しいからだろうか。それとも、前の世での思いがそこにあるからだろうか。
鳥人にだけは説法が通じぬとは、宗教関係者の共通の言葉だ。転生輪廻を繰り返し、三度私にまみえては、私を不幸にし続けるという彼、ならば、私も同じにあれたらいいのにと、そんな世迷言にまみれてしまう。
「そしたら、永久の時をともに生きましょう」
その後……彼は、宣言の通り5年、さらに延長して3年、目一杯甘やかしてくれた。
その短い年月に、私はいろんなことを知り、そして、常に終わりを意識しながら、精一杯にその日々を楽しんだ。
彼が死んで後、彼との間の子どもたちがわきゃわきゃと騒ぐ中、しばらくして見知らぬ雛が紛れ込んできた。やたら聡くやたら大人びた彼が、息子たちよりよっぽど彼に似ていると思ったのはいつからか、やがて私の騎士の座を勝ち取り、夫の座を望んだ。
そのあたりから、なぜだか私の住まう離宮は、鳥人騎士たちの保育所扱いになっていた。
そこから巣立った子も含め、大勢の鳥人たちに囲まれ、人としては長寿を過ごすその間、彼の生まれ変わりかと思われる鳥人を2人見送りつつも、私の生涯の夫はティリオ様ただ1人であった。
彼らの心を貰いながら、私は彼らを夫には出来なかった。それは、幼い姿を世話したからとか、生まれ変わりが信じられないからとかではなく、彼ではなかったからだ。
彼に似てるだけなら、息子でもいい、孫でもいい。
夫は、彼1人としておきたかった。
でも、もしも私も、生まれ変わることが出来るのなら……そして、彼と再び出会えるのなら、今度こそ、永久をともに生きたいと願った……。