第九十一話
新たに形成されたミコトの姿は、すでに完全体とも言える様相となっていた。
大蛇のような体に四本の太い四肢が生え、極端に小さく狂気を感じさせる複数の目に、不揃いな細かい牙が無数に生えた口を備えた頭部が形作られている。
「ひへあははぁへへあぁぁははあっ……死ぬ覚悟をするのは貴方達ですよぉ!」
飛びかかっていった俺達に、ミコトの幾つもの複眼が一斉に向けられると、黒い皮膚で覆われた外皮の隙間から、赤く爛れたマグマのようなドロドロがほんのりと赤く発光を始め、それは次第に口内で収束していった。
「ヴァイツ、ノルン、気を付けろ! 恐らくさっきの熱焔だ! 奴の口から、注意を逸らすなよっ!」
俺がそう叫んでから、すぐのことだった。
体全体から発生させた膨大な熱エネルギーを口内に集束し、それをそのまま俺達に……いや、未だ逃げ惑う人々に向けて青白いビームにして撃ち出したのだ。
ジャアアアアァァァッッ!!!
ミコトが吐き出した熱焔は、人々と街並みを薙ぎ払っていった。
焼かれていく人々は、次々に断末魔の悲鳴を上げる間もなく息絶えていき、地表は瞬く間に火の海と化した。
だが、ミコトはそれでも尚、絶え間なく熱焔を吐き出し続けている。
「よせ、お前の相手は俺達だろう!」
言うや否や、俺は懐から取り出した短剣をミコトに向けて投げ放っていた。
それも一本ではなく、十数本も次々とである。それらは無数の複眼の幾つかに、突き刺さり、込めておいた技の効果が発動した。
「『牙流点穴』!!」
経穴を衝いて、経脈を遮断する、カルギデを仕留める際に用いた技だ。
異形の化け物となったミコトに、大きな効果が望めるとは思ってはいないが、反撃の取っ掛かりくらいにはなれば儲けものだと言う気持ちだった。
だが、俺の狙い通りに若干ながらだったが、ミコトにその効果は現れた。
「好機、なのかな? 仕方ない、この技……二発しか使えないんだけど、出し惜みしてる余裕なんてないよね!」
ヴァイツが疾走して一気にミコトとの間合いを詰めると、その体を駆け上がり、頭目掛けて右手を密着させた。そしてボウッと一瞬、炎が発生したかと思うと、ミコトの顔面で大爆発を起こした。
「あぉおおおおああぁあっ……!!!」
ミコトの蛇のような顔面は激しく損傷して、大きく仰け反った。
だが、ミコトはそのままの体勢でも依然、熱焔を放射し続けており、空に向けて極太の青白いビームが伸びていった。
「何とか……上手くいったみたいだね。小手に仕込まれた火薬を、炎の気で点火させて爆発させる技、名付けて『爆殺腕』だよ!」
「やるじゃない、ヴァイツ兄。感心したわよ! じゃあ今度は私が、間髪を入れずに続けていくわ!」
ミコトに向かって駆けるノルンの真下で、影が大きく広がっていく。
そして大量の獣の小影が上空目掛けて飛び上がっていき、それらが一つに束なり巨大な槍を形作ると、ミコトへと落下していき、胴体を地面ごと刺し貫いた。
「『巨獣影』をより練り上げて編み出した、私の新奥義『鋭槍影』。とくと味わいなさい、ミコト」
ミコトは自身を貫く槍を引き抜こうと踠いているが、易々とはいかない様子だ。
俺は成長した二人を頼もしく思うと同時に、やはり昨日見た二人が殺される悪い夢はただの杞憂だったのだと、安心していた。
「ミコトは今、動けん。ここは俺達三人で、一斉に攻撃を仕掛けるぞ。トライアングル・アタックだ!」
俺の叫びに応じてヴァイツとノルンがこくりと頷くと、俺達は互いに間隔を空けて、それぞれミコトと向かい合った。そして……。
「ライゼルア家、最高奥義……」
「それじゃあ、僕の切り札を……」
「我流にして、私のとっておきを……」
俺達全員の気が、全身から立ち昇るほど高まっていき……俺は覇者の奥義を併用した無頼閃を、ヴァイツは気を注ぎ込んだビッグボウガンの矢を、ノルンは両手を合わせてから前に突き出し影の刃をっ……!
――それらがほぼ同時に技となって発動した。
「『光速分断破・輝皇閃』!!」
「『疾風無空烈弾』!!」
「『流星角影刀』!!」
「ギァ、グルルァ、ルグオォオオオオオオオオォォッッッ!」
辺りを覆い尽くす程の爆炎と爆風が巻き起こり、まともに直撃したミコトは王都全体に響き渡るような……大きく、そして激しい絶叫を轟かせた。
これで勝った、とまでは思わなかったが、かなりの深手は与えられたはずだ。
視界が晴れるのを待っていた俺達だったが……未だ視界の先を覆い隠す土煙の奥から、俺達のよく知る高らかで、狂気に満ち満ちた笑い声が、聞こえてきた。
「ミコトか……」
そして舞い上がる土煙の中から、ゆっくりと笑い声の主が姿を現す。
俺達を値踏みするように、外見を損傷した怪物が、煙の中から這い出してきた。
出血はしていたが、見た目ほどダメージは与えられてはいない様子だった。
「うへあぁはははぁっ……今のは結構、痛かったですよぉ……私ともあろうものが、この姿になって痛覚を取り戻してしまうなんてぇ。けれど、今のが貴方達の全力だとしたら、それが所詮は人の限界なんですねぇ。さあ、それでもまだ続けますか~? 私との戦いをぉ!」
俺は膝が震える感覚を覚えていた。あまりにも規格外、何という魔物なのか。
かつて戦ったどの魔物さえも、天秤の対としては軽すぎる図抜けた怪物だった。
それが今、俺の目の前に立ちはだかり、仲間達の命を奪おうとしている。
だが、それでも……いや、だからこそ、俺は頭を振って恐怖を追い払うと、手にしたルーンアックスの構えを取り直した。
「来い、ミコト。俺は最後まで、お前などに屈さん!」
そんな俺の後ろで、ヴァイツが恐る恐るながら聞いてきた。
「ア、アラケア……僕らで勝てると、思うかい? まあ……勝たなきゃ僕らだけじゃなく、この国も終わりかもしれないけどね」
「必ず勝てるわ。私達が力を合わせれば、勝てるに決まってる。アラケア様が諦めないなら、私だって最後まで諦めるつもりなんてない。弱腰になったら一気に畳み込まれるわよ、ヴァイツ兄!」
そのやり取りの間にもミコトは笑いを響かせながら、こちらへと向かっていた。
奴の手足の先には鋭い爪がついており、あれの攻撃をまともに受ければ、一撃でこちらの腕や首を持っていかれそうだった。
「うん、じゃあ何とか、このまま押し切るしかないか。今まで与えたダメージは僅かながら、確実に蓄積させられてるんだからね。それじゃあ、本日二回目の……」
そう言ってヴァイツはミコトの足元に向かって滑り込むと、その土手っ腹に左手を密着させた。
そして再びボウッと炎が生じたと同時に、大爆発を起こした。
「またお見舞いしてやったよ、『爆殺腕』をね!」
腹部が弱点と呼べる場所だったのか、ミコトは苦痛に悶える様子を見せるが、それでも無数の複眼と口は依然、笑っているままだ。
恐らく狂気に浸食されたミコトの精神は、痛みすら愉悦と感じているのだろう。
悍ましさに嫌悪感を感じたが、それでも図らずして弱点が分かったのは、俺達にとっては希望が見えてくるだけの、大きな収穫だった。
「あへは、ふへぁははははああはぁ……っ!!」
ミコトが右腕を振り上げて、容赦なく俺達目掛けて叩き付けてきた。
地面の石や土が吹き飛ばされ、素早い動きに俺達も容赦なく叩き飛ばされた。
俺もヴァイツ達も何とか身を守って、致命傷は避けたものの、三人とも完全に無傷と言う訳にはいかなかった。
「ちっ、弱点が分かった所で、相手は自我を持った元人間。理知のない本物の魔物のように、容易くは攻略させてくれないか」
それでも勝機を探りながら、俺達はミコトと向かい合って対峙する。
だが、その時だった。そんな俺達を大きな影が覆ったのだ。
つまり背後にそれを作り出した、巨躯の者がいたと言うことだった。
「アラケアよ、異国の者である、お前達の手を煩わせるつもりはない。下がっていろ、ここから先は余らがやる」
俺が振り返ると、そこにいたのは黒竜と化したカルティケア王と、そして人の姿をしたままのバーンとレイリアであった。
「生憎とだがな、カルティケア王。乗り掛かった船だ、ここは最後まで俺達も関わらせてもらいたい。それにミコトは俺達の国が出してしまった犯罪者だからな。こればかりは、貴方達に申し訳ないと思っている。だから俺達には、自国の者がやらかしたことの後始末をつける義務があるんだ」
互いに譲らず、しばらく俺達と王達は視線を散らしていた。
しかしやがて……王は、ここでいがみ合っている場合ではないと判断したのか、竜の口を歪めて笑みを浮かべると、折れてくれたようだった。
「好きにするがいい。だが、お前達が余らの戦いの巻き添えとなっても、それは誰も責任を負わぬ。自己責任だと思え。良いな?」
「ああ、元よりそのつもりだ。貴方達に迷惑はかけるつもりはない」
交渉が成立すると、俺達の両脇に王とバーン、レイリアが進み出た。
全員が戦意は十分であり、共通の敵であるミコトを見据えて、それぞれが己の武器を構えて戦闘態勢をとっていた。
「では、いくぞ。足手まといにはなるなよ、アラケア」
「ああ、貴方に俺の底力を見せてやるつもりだ、カルティケア王」
今、ミコトを倒すと言う目的の元、俺達の意識は一つにまとまっていた。
そんな中……俺は機先を制すべく、誰よりも一歩先んじて飛び出していた。
だが、それがまるで合図であったかのように……この場の全員が、一斉に弾かれたように、ミコトへと突撃していったのである。
――こうして俺達とミコトとの戦いの、最終局面が始まった。




