第八十六話
「あら……体が、動かないじゃないですかぁ。痛みはまるでないんですけど……変ですよねぇ、これって」
街中を包み込んだ明暗する光が晴れると、ミコトの体は地面に横たわっていた。
そして距離を置いた場所で俺も背を地面につけて、仰向けで倒れている。
「痛み分け……ということ、か。俺も全身に感覚が、なくなってきている。……相殺されたとはいえ、僅かながら喰らったお前の奥義の影響だろうな」
だが、相打ちとはいえ、俺より格上だったミコトにここまで持ち込めたのだ。
この結果に一先ず俺は、やり切った充足感で満たされていた。
「アラケア!」
「アラケア様! ご無事ですか!?」
そこへヴァイツとノルンが俺の名を呼びながら駆け寄って来た。
二人は俺に目立った外傷がないことを確認すると、俺の体を抱え起こした。
「……ああ、心配をかけたな。どうやら一先ずは大丈夫のようだ。体の自由はあまり効かないが、少なくとも意識はある。だが、それよりもだ、二人共。俺のことはいい。まずはミコトを拘束してしまうんだ。また身を隠されては、敵わんからな」
「分かったよ、アラケア。彼女は僕らが責任を持ってポワン陛下に引き渡す。この騒ぎを聞きつけて直に兵士達も駆けつけてくるだろうから、君の負傷も彼らに手当てしてもらおう」
そしてそこまで言い切ると、ヴァイツは満面の笑みを浮かべて更に続けた。
「胸を張っていいよ、アラケア。だって、君は勝ったんだからさっ! 僕らの国を震撼させた、あの『血染めの切り裂き魔』であるミコトにね!」
ノルンも嬉しそうに再び俺を地面に横たわらせると、ヴァイツと一緒にミコトを拘束すべく、彼女の元へと走って向かっていった。
そしてヴァイツが甲冑に備えられた拘束具をミコトに装着しようとしていた、
――まさにその時だった。
「おい、どういうこったよ、これは? こいつは都合がいいぜ。厄介な二人が、相打ちになって揃って倒れてやがるじゃねぇか。こりゃ俺達が手を出す手間が、省けたってもんだな!」
「ええ、そのようですねぇ。しかし手負いとはいえ彼と彼女は鼠ではなく、どちらも獅子。用心して捕縛して牢に放り込むのです。その後はカルティケア陛下が、どうするかをお決めになると思います」
空より現れたのは、バーンとレイリアだった。
そして竜の両翼を羽ばたかせ、身動きのとれない俺とミコトの元へと、それぞれ降り立った。
「アラケア・ライゼルア、色々と言いたいことはあるだろうが、俺達と来てもらうぜ。あんな殺戮兵器をデルドラン王国に持ち込んだ罰はちゃんと受けてもらう」
バーンは厳しく睨みつけた目で、俺に言い放った。
しかしヴァイツとノルンは、納得がいかないのか、そんなバーンとレイリアの前に立ちはだかり、抵抗を試みようとしている。
「……よせ、お前達の敵う相手じゃない。抵抗すれば殺されるだけだ。ここは一先ず従っておこう。カルティケア王がシンシア殿が言っていた通り、本当に暴君でさえなければ、話をすれば分かってくれるはずだ」
俺はそう言ってヴァイツとノルンを制止したが、内心ではそう上手く事が運ぶとはまったく期待していなかった。
だが、ここで抵抗すれば、この二人は確実に俺達をここで葬ろうとするだろう。
だからこれは選択の余地などない、苦渋の決断だった。
「それが正しい判断だぜ。お前達をこれから牢にぶち込むことになるが、食事くらいは満足に出してやるから安心しな。さあ、来い!」
そして俺達はミコト共々二人によって拘束連行され、ポワン陛下のいる王城とは別の居城に連れていかれることとなった。
未だ激しく降り注ぐ雨の中、俺達の姿は雨によって煙っていく。
雨に打たれる中、今後の先行きのことを、ただそれだけを考えていた。
◆◆
薄暗く冷え冷えとする閉塞感のある牢獄の中で、俺は唯一出来ることである瞑想による自己鍛錬を行っていた。
呼吸を整え、覇者の奥義による黄金のオーラをより熟達すべく、ほとんど毎日をそれに費やしていた。
この地下牢獄に連れてこられてから、すでに五日は経過しただろうか。
ヴァイツ達とは別の牢に入れられており、武器も取り上げられたが、食事は三食とも満足に供されている。
「俺は必ずここから生き残り、アールダン王国に帰国しなくてはならない。そして陛下と共に海を北に渡って災厄の発生地点、大深穴に向かう使命がある。死ぬ訳にはいかないのだ、まだ……。俺の一族に課せられた使命は、まだこれからなのだからな」
その時、食事の時間にはまだ早かったが、鉄格子が開き何者かが入ってきた。
その顔触れは、俺もよく知っている者達だった。
「ようやくやって来たか、カルティケア王。俺達の処遇はすでに決めたのか?」
「無論。分かっていようが、お前達は我が国に争いの火種を持ち込んだのだ。現実として民間人を含む、人々に犠牲者が数多く出ている。本来であれば、処刑されるのもやむなしなのだぞ?」
そこまで言い切って、目の前の王は更に続けた。
「しかしお前は余の友であった、先代妖精王の血脈を受け継ぐ者。それを考慮して、お前達をアールダン王国で虜囚となっている余の息子との交換材料とすることにした。これでも最大限の譲歩をしたのだ。異論はあるまい?」
「ああ、俺が考えていたよりも、貴方が寛大だったことに感謝しよう。しかしその上で、我がアールダン王国の陛下の望みを伝えたい。ガイラン陛下は貴方達と共に、遥か北方に渦巻くという世界を覆い尽くす災厄の霧の根源を、撃滅に追い込みたいとお望みだ。この徐々に滅びゆく世界を救うためだ。ぜひ協力をして頂けないか?」
それを王の隣で聞いていたバーンは、激昂した様子で俺に捲し立てた。
「ふざけんな! 自分の立場を分かって言ってんのかよ! こっちが下手に出てれば、いい気になりやがって! 俺達に意見を言える立場かってんだよ、ええ!?」
だが、今にも俺に掴みかかろうとしているバーンを、王はその一言で止めた。
「やめておけ、バーン。戦いに敗れた捕虜の身の者が言っていることだ。お前達の引き渡し時期は、いずれこちらで決める。だが、あのミコトという女は、近日中に処刑が決まったぞ。あの女だけは我が国で裁かなければ、誰も納得はしないだろうからな。お前も引き渡し日が決まるその時まで、牢内で大人しくしていることだ。そうすれば生きて自国の土を踏むことが、出来るのだからな」
王はそれだけ言うと、両脇に立つバーンとレイリアに声をかけることなく、地下牢獄の出口へと向かっていった。
だが、その背後から伝わってきたのは、ただならない、どす黒い殺意だった。
そんな去り行く王の後ろ姿を眺めながら、俺は……
――王の言葉をそのまま真に受けることは、出来ないであろうことを。
確信に近いものとして、感じ取っていたのだった。




