第五話
「ごめん、アラケア。僕のせいであいつを捕えられなかったね」
黒い霧内を出るなり、ヴァイツが重い表情で俺に詫びた。
先ほどより、疲労は困憊している様子だ。
カルギデとの激しい戦いの後、再び黒い霧内を疲れを押して、帰りの帰路を辿ったのだから無理もない。
「俺の判断だ。お前が責任を感じる必要はない。それに今回は逃がしただけだ。パノア村で一晩休んで体力を回復させたら明日、再び霧の中に入る。そして今度こそ捕まえればいい」
しかしヴァイツの表情は依然、重い。
「……正直、甘く見ていたよ。カルギデ、あいつは普通じゃないよ。あの身体能力は人間を超えている。まるで獣か何かみたいに……いや、あれじゃまるで魔物だった」
「何らかの方法で異質な力を得た、ということかもしれんな。ライゼルア家に伝わる気とも、ノルンの切り札とも、違うように感じた。お前はどう思う?」
ヴァイツはしばし、顎に手を添えてから答える。
「協力者がいるね。ヨアヒム卿やカルギデはやっぱりそいつと共謀して行動を起こしていたんだ。君の屋敷から凶星と黒い霧、魔物の情報を盗み出したのも、そいつの指示だったのかもしれない」
「危惧していたことだな。ライゼルア家の秘匿情報を他国に流されればこれまで俺達が黒い霧に関する知識という面で優位に立っていた隣国ギア王国とのパワーバランスが崩れかねない」
ヴァイツはそこでようやく顔を上げ、その表情には強い意志が宿っていた。
「カルギデの奴、やっぱりこのまま野放しには出来ないね。あいつを締め上げて協力者のことを吐かせないと、このままじゃ僕らの大失態だ」
「ああ、だから今晩はゆっくりと休んで明日への英気を養い、再び霧内部に入る。パノア村まで引き返すぞ」
「うん、けど入った場所の山林からは、ずいぶん離れた位置に出たね。妖精鉱の示す導きに従って帰りの道を進んだ訳だけど、まずはここがどこか把握しなきゃ」
俺達は地図を確認しながら、パノア村までの道を辿る。
しばらく後、遠目にパノア村が見えてきたが、しかし先ほどの静けさとは違って少し人だかりが出来ている様子だ。
俺達は疑問に思いながら、足早に村の入り口に足を踏み入れた。
そしてそこで俺達を出迎えたのは、黒騎士隊の隊員と俺達、アールダン王国の数人の兵士だった。
その中でも隊長と思われる兵装の兵士は、深々とお辞儀をすると話し始める。
「お戻りになるのをお待ちしておりました、アラケア様」
「こんな辺境まで、わざわざやって来るとはご苦労だったな。王国兵がここまで足を運ぶとは、もしや何か問題でも起こったのか?」
「はい、ギア王国に不審な動きが見られます。奴らは我が国とギア王国の国境境に赤い全身甲冑を着こんだ無数の兵士達を集結させ、示威行進を行っているのです。まるで我が国を威嚇するかのように」
「確かにそれは問題だが、騎士団長殿はどうした? 人同士の戦いは俺達、ライゼルア家の領分じゃない。そういったことは騎士団の仕事だろう」
「はっ、本来ならば。しかしその赤い全身甲冑を着こんだ者どもはただの人とは思えぬ異様なのです。獣か何かのような唸り声、煌々と輝く獰猛な赤き瞳。……あれは、あれはまるで……」
兵士はそこで少し押し黙る。
そして僅かの間を置いた後、意を決したように再び口を開いた。
「そう、あれはまるで霧が生み出した異形の者、魔物のようで……」
言葉を聞いた瞬間、俺とヴァイツははっと息を呑み互いの顔を見合わせる。
「魔物だと……」
否応なく、先ほど一戦を交えたカルギデのことが思い出された。
人に魔物のような力を与える技術。
もしそれが事実ならカルギデの協力者とは、やはりギア王国なのか?
「分かった。そういうことなら仕方がないな。俺達もこれから国境に向かう。ヴァイツ、休息はなしだ。今すぐ馬を駆って一旦、まずは王都まで大急ぎで戻るぞ」
「まあ、事情が事情だから、しょうがないよね。疲れは馬を走らせながら取るしかないかな。分かった、従うよ」
俺は引き連れて来た黒騎士隊の隊員達に、手配犯の確かな情報を提供してくれたパノア村の村長と若者に、報奨金を支払うよう伝えた。
そしてこのまま村に滞在して、辺境でカルギデに動きがあれば逐一報告するよう付け加えると、さっそく馬を走らせ、王都への帰りを急いだのである。




