第五十九話
俺はじっと向こうにある、山々を眺めていた。
あれを越えればギア王国の王都「黒鄭都」が見えてくる。つまりギア王国が擁する東方武士団や忍衆との戦いがいつ始まってもおかしくはないということだ。
いや、脅威は恐らくそれだけではない……。本当の脅威は……。
「ギア王国国王ダルドアは悪魔の所業によって、国民を化け物に作り変えた。だとしたらギア王国の現在の総兵数は、どれほど膨れ上がっているのか。考えるだけでも、恐ろしい話だな」
「ちなみにギア王国の総人口は百万くらいだと言われてるよ。もし国民全員が化け物になってるとしたら、僕らは九対百万の戦いを強いられるってことになる訳だね。……ああ、僕も胃が痛くなってきた」
俺の言葉にヴァイツが補足したが、それは悪い予感でも何でもない。
本当に起こり得る可能性がある現実なのである。
「なぁに、難しく考える必要はねぇ。単純計算でいけば俺らが一人頭、約十万人をぶちのめせば済む話なんだからなぁ。まあ、俺様なら一人で二十万くらいはいけるけどな、はっはははは!」
「誰も脳筋の貴方の話は聞いてませんよ。現実的な話をすれば人知れず王城に侵入し、国王ダルドアを暗殺するのが確実かもしれませんね。ただ最強の暗殺者と呼ばれている忍衆の筆頭エリクシアがあちらにいる限りそれも簡単なことではなさそうですが。ですが、ゼル。貴方の腕だったなら、あるいは可能でしょうか? 意見を伺いたいですね」
ミコトが小馬鹿にした表情でハオランの意見を却下すると、ゼルに意見を求めた。
ゼルは御者席で先ほどからずっと一言も発さず、馬車を操縦していたが、ミコトの質問に静かにゆっくりと答えた。
「これはきついお戯れを。最強と名高い上忍エリクシアの伝説なら裏に通じている者なら誰でも知ってます。それほど彼女は強いのです。出し抜けませんよ、私などでは」
「……けっ、だとしてもあいつは俺が倒すがな」
ゼルの答えを聞いたギスタは憎々しげに吐き捨てた。
やはり余程、弟分を殺したエリクシアが許せないのだろう。
その目は決意に満ちており、この道中でエリクシアとの因縁に決着をつけることを心に決めていることが、ありありと伝わってきた。
「……貴方でも無理なのですか。だとするといよいよ彼女の噂は尾ひれがついたものではなく本物だということですね……」
「大丈夫だ、大丈夫だって! 俺らには陛下がついておられるんだぜぇ? それにまずは王都を見てみないことには、分かりゃしないだろ。奴らの布陣を見てから決めたっていいんじゃないのかぁ? なあ、ミコト」
ミコトは忌々し気な表情で能天気なハオランを睨んでいたが、やがて「ふう」と溜息をついてから、肩を落とした。
「そうですね。忌々しいですが、貴方も少しは良いことを言うじゃありませんか。私達は敵を、現在のギア王国の総戦力を知らなすぎます。敵を知り、己を知れば、百戦危うからずとも言いますし、まず今はあれこれ考える前に実際に敵の全貌を見て確認する時なのかもしれませんね」
そう言い終えると、ミコトは馬車の向かう先に視線を移し、腰を下ろした。
ハオランとは馬が合わないようだが、一理あると判断したのだろう。
だが、それが少し面白くないといった表情だ。
そんな俺達のやり取りを余所に、馬車は走り続け、景色が視界良好な平原から小高い丘に変わり始めた頃、それまで何事もなく進んでいた馬車が、街道のど真ん中で突然、停車した。
「何があった、ゼル?」
陛下が身を起こして、ゼルの背後から声をかけた。
「血の匂いです、陛下。付近に恐らく人の死体が無数に転がっています。比較的新しいものですね。しかもわざわざそれを隠したかったかのように茂みの陰に捨てられています」
「そうか、では念のため、確認しておかねばならんな。アラケア、お前も来てくれ。ゼルが見つけたという死体を調べに向かうぞ」
「分かりました」
俺と陛下は馬車を降りると、ゼルを先頭に歩き出し、街道からやや離れた所にある茂みを掻き分けて奥を確認した。そこにあったのは……。
「……およそ三十体ほどか。身なりから堅気の人間ではないな。武器も携帯しているし、盗賊の類かもしれん。恐らく何者かと戦って、そいつもしくはそいつらに殺されたのだ。しかもここに来るまで数えきれない程、見かけた魔物どもの死体とは違ってこいつらを殺ったのは素人ではない。いずれも一撃で綺麗に仕留められている。それに殺害犯が、もしギア王国の人間なのだとしたら、わざわざ盗賊などの死体を隠す必要はないはずだ。何者かは分からんが、もしかすると私達より先に先客がいるのかもしれんな」
「ギア王国内で足跡を消しながら、行動している先客、ですか。陛下はその殺害犯は俺達にとっても敵だとお考えですか?」
俺の問いに陛下はしばらく黙っていたが、しばしして立ち上がって振り返った。
「さてな。そこまでは分からん。だが、ギア王国側の人間ではないのだろう。行くぞ、アラケア。もう調べることは済んだ。これ以上いても得るものはない。一先ずは私達以外に何者かがいることだけ、頭に入れておけばそれでいい」
陛下が足早に馬車へと引き返され始めたのを見て、俺とゼルは後を追った。
茂みを掻き分けて馬車まで戻ってくると、外で見張りに立っていたギスタが俺達に気づき手を振って声をかけてきた。
「よお、早かったじゃねぇか。どうだったんだよ?」
「少しばかり新しい収穫はあった。馬車内で話そう」
俺達は馬車に乗り込むと、再び馬車に揺られながら王都「黒鄭都」を目指し、移動し始めた。
だが、新たに得られた他に「何者か」が来ているという情報が俺達にとって追い風となるか向かい風となるかはまだこの時点では分からなかった。